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moderato.  作者: 奏多
22/56

#22 チケット

しかし………どう誘おう。



寒空の下、歩き慣れた道を行きながら、考える。




鞄には、部長に貰ったチケットが2枚。



今週末の夜、いつもより客足が少ない土曜日。




私用がなければ、来れそうな条件。




けど、私から誘うなんて、今までそんなことしたことなくて。




でもお礼はしたいと思ってたし。




「……どうしよ〜」







「あ、香帆さん!こんばんは〜」



相変わらず客は少ない。



今日は、会社帰りのサラリーマンが二人。



でも大体11時には帰ってしまうから、1時間は優也と二人でいることになる。




「香帆さん、今日は何にしますか?」


「えー……ちょ、ちょっと仕事したいから、あとでいい?隅っこにいるから」


「うわ〜大変ですね…。じゃあ、お水をお持ちしますね」



本当はそんなに量はないんだけど、チケットを渡す方法を思いつくまで、一人でいることにした。




そばに差し出されたトレーには、グラスいっぱいの水と、小さいチョコレートが3つ置かれていた。



「チョコ?」


「今流行りの、なんとか糖が入ったやつです。頭使うときにいいみたいだから」




つくづく気配り上手な奴。



嘘をついてるわけじゃないが、少し罪悪感を感じる。



しかし自分で言い出した手前、しないわけにはいかない。



仕方なく資料を広げる。




資料は、今度の取引先との会議で必要なリストなのだが………




なんと、ドイツ語で書かれているのだ。




明後日までに日本語に訳さなければならないのだが、これが大変で。




大学時代に留学していたから英語はできるとして、ドイツ語なんかさわったこともない。




しかしうちの部署のドイツ語ができる人が、ちょうどドイツに出張に行っていて、やむを得ず受け持つことにしたのだが……



全く進まない。




頭を抱えながら独和辞書にむかっていると、優也がカウンターから顔を覗かせた。



「進んでる?」



いつのまにかサラリーマンたちは帰っていて、優也と二人きりになっていた。




「あ、まぁ……」


「ドイツ語?」


「うん……私、英語しかできないのに、なんかこの仕事こなすことになっちゃって……」




興味深そうにリストを見る優也。



まだ膨大な量が残っていることに、呆れているのだろうか。




「………俺、ドイツ語できるよ」



………え?



「え、うそ!」


「ほんと。昔10年くらいドイツに住んでたんだ」




カ、カッコイイ…。



そんな人が、こんな近くにいたなんて………。




「俺が訳すから、それ書いてって。そしたら速いよ」


「けど……なんか悪いし」


「いや、いいから。じゃあまず……」







優也が手伝ってくれてから、スピードは格段に上がった。



12時を過ぎる頃には全て訳し終わり、最後のホッチキス留めに差し掛かっていた。




「ありがとう……助かった」


「いえ、俺も久しぶりにドイツ語見て、懐かしかったし」




…………




……チケット!




今渡さないと!




「あの……こ、今週末あいてる?」


「うん、まぁ…なんで?」


「じ、じゃあブラームスは?」


「へ、す、好きですけど…」


「じゃあワーグナーは?ラフマニノフは?」


「ちょ、どうしたんですか?」


「これ……っ」




勢いあまって、カウンターの上にたたき付けた。



「い、行かない?今日とこないだのお礼もかねて……」


「え、でも悪いんじゃ…」


「上司に貰ったんだけど、他に誘う人もいないしっ…」




半分嘘。てか、最初から優也を誘う気だったし。




「……本当に、いいんですか?」


「うん」


「やった、じゃあありがたく行かせていただきます」




成功!




「うわ〜…ブラ1じゃないですか………わ、マイスタだっ………」




すごく嬉しそうに、チケットを眺めている。




そんな彼を見て、ほっと胸を撫で下ろした。

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