#22 チケット
しかし………どう誘おう。
寒空の下、歩き慣れた道を行きながら、考える。
鞄には、部長に貰ったチケットが2枚。
今週末の夜、いつもより客足が少ない土曜日。
私用がなければ、来れそうな条件。
けど、私から誘うなんて、今までそんなことしたことなくて。
でもお礼はしたいと思ってたし。
「……どうしよ〜」
「あ、香帆さん!こんばんは〜」
相変わらず客は少ない。
今日は、会社帰りのサラリーマンが二人。
でも大体11時には帰ってしまうから、1時間は優也と二人でいることになる。
「香帆さん、今日は何にしますか?」
「えー……ちょ、ちょっと仕事したいから、あとでいい?隅っこにいるから」
「うわ〜大変ですね…。じゃあ、お水をお持ちしますね」
本当はそんなに量はないんだけど、チケットを渡す方法を思いつくまで、一人でいることにした。
そばに差し出されたトレーには、グラスいっぱいの水と、小さいチョコレートが3つ置かれていた。
「チョコ?」
「今流行りの、なんとか糖が入ったやつです。頭使うときにいいみたいだから」
つくづく気配り上手な奴。
嘘をついてるわけじゃないが、少し罪悪感を感じる。
しかし自分で言い出した手前、しないわけにはいかない。
仕方なく資料を広げる。
資料は、今度の取引先との会議で必要なリストなのだが………
なんと、ドイツ語で書かれているのだ。
明後日までに日本語に訳さなければならないのだが、これが大変で。
大学時代に留学していたから英語はできるとして、ドイツ語なんかさわったこともない。
しかしうちの部署のドイツ語ができる人が、ちょうどドイツに出張に行っていて、やむを得ず受け持つことにしたのだが……
全く進まない。
頭を抱えながら独和辞書にむかっていると、優也がカウンターから顔を覗かせた。
「進んでる?」
いつのまにかサラリーマンたちは帰っていて、優也と二人きりになっていた。
「あ、まぁ……」
「ドイツ語?」
「うん……私、英語しかできないのに、なんかこの仕事こなすことになっちゃって……」
興味深そうにリストを見る優也。
まだ膨大な量が残っていることに、呆れているのだろうか。
「………俺、ドイツ語できるよ」
………え?
「え、うそ!」
「ほんと。昔10年くらいドイツに住んでたんだ」
カ、カッコイイ…。
そんな人が、こんな近くにいたなんて………。
「俺が訳すから、それ書いてって。そしたら速いよ」
「けど……なんか悪いし」
「いや、いいから。じゃあまず……」
優也が手伝ってくれてから、スピードは格段に上がった。
12時を過ぎる頃には全て訳し終わり、最後のホッチキス留めに差し掛かっていた。
「ありがとう……助かった」
「いえ、俺も久しぶりにドイツ語見て、懐かしかったし」
…………
……チケット!
今渡さないと!
「あの……こ、今週末あいてる?」
「うん、まぁ…なんで?」
「じ、じゃあブラームスは?」
「へ、す、好きですけど…」
「じゃあワーグナーは?ラフマニノフは?」
「ちょ、どうしたんですか?」
「これ……っ」
勢いあまって、カウンターの上にたたき付けた。
「い、行かない?今日とこないだのお礼もかねて……」
「え、でも悪いんじゃ…」
「上司に貰ったんだけど、他に誘う人もいないしっ…」
半分嘘。てか、最初から優也を誘う気だったし。
「……本当に、いいんですか?」
「うん」
「やった、じゃあありがたく行かせていただきます」
成功!
「うわ〜…ブラ1じゃないですか………わ、マイスタだっ………」
すごく嬉しそうに、チケットを眺めている。
そんな彼を見て、ほっと胸を撫で下ろした。




