#21 変化
香帆視点に戻ります。
あの日からも私と彼の距離は相変わらずで、私のあの妙な行動に対しても、彼は何も聞いてこなかった。
そんな彼の優しさは、痛いほどよくわかってる。
だけど、まだ話す勇気がない。
…重い雰囲気は、もうあの頃だけで十分だ………。
相変わらず私は会社帰りに《moderato》へ行って、閉店までしゃべって帰る。
そんな夜な一時が楽しみで、私の仕事だけに取りついた生活が、少しずつ変わっていった。
「黒沢さん!すみませ〜ん、私頑張ったんですけどぉ、入力したデータが消えちゃって〜」
「あ、そう。バックアップは?」
「とったと思ってたんですけどぉ、とれてなくて〜…」
「そう。じゃあ私やっとくから、これの整理を船越さんに聞いてやってて」
派遣社員がありえないミスをしても、すぐに怒らなくなった。
前の私なら、
『バックアップもとれないの?男をオトす方法は知ってんのに、文字を入力する方法は知らないのね』
とか嫌みを言ってたのに。
もしかして、彼の存在は私にとって、プラスなのかも。
……そんなこと、言わないけど。
とにかく、社内でも全てが円滑に進んでいる気がする。
さっきも派遣のコらが、
「最近黒沢さん、刺々しくないよね〜」
「男でもできたんじゃない?」
「絶対ケッコン前提だよね〜。結構な年だし」
て話しているのを耳にした。
当たってないけど、外れてもないかな。
優也の存在が私を穏やかにしてるのは、間違いじゃない。
たかだか大学生の男に、こんなに影響されるなんて。
自分で自分に驚くけど、べつにそんなに嫌じゃない。
そう思う自分にもまた驚く。
こないだ見た、スコアや指揮法の本の数々。
正直気になるけど、あっちが言ってくるまで待とう。
優也も言ってこなかったんだから、私だけ聞くのもフェアじゃない。
「黒沢くん、ちょっと」
派遣のコのミスをカバーし、給湯室でコーヒーを入れて飲んでいると、上司の児島さんが手招きした。
「何ですか?またミスですか」
「違う違う。君さ、クラシックとか興味ある?」
冬なのに脂ぎった顔を近づけてきた瞬間、反射的に後ずさりした。
「まぁ、それなりに……」
優也の影響だけど。
「おぉ、ならちょうどよかった」
「え、まさか私が部長と行くんですか?」
「なんでそんな顔するんだよ〜」
絶対に嫌だ。
「じゃなくて、こないだ取引先の人に、Orchestraのticketもらったんだ。でも僕あんまり詳しくないから、よかったら貰ってくれない?」
ところどころ英語の発音を使うということは、外人に貰ったという意味だ。
つまり、自分は英語ができると、暗に主張したいのだ。
わかりやすすぎる部長の自己アピールを無視し、ticketはありがたく頂くことにした。
……こないだのお礼に、誘ってみようかな…。




