#20 昼下がりの一時
今回も引き続き優也視点です。
†優也side†
部屋に案内し、いそいそとキッチンに向かう。
こないだイギリスに行っていたピアノ科の友達に、旨い紅茶の茶葉をもらった。
いつもは俺しか飲まないやつだけど、あれなら香帆さんも気に入るかな。
紅茶をゆっくり差し出すと、香帆さんはおいしそうに飲んでくれた。
やっぱり、これ出してよかった。
「で、何の曲?」
本当はもっと彼女を見ていたかったけど、そういうわけにもいかない。
香帆さんは、俺のピアノを聴きに来たんだから。
香帆さんが言った曲は、音楽高校時代に弾いた。
あの時は課題として出されて、正直嫌な思い出しかない。
けど、香帆さんが好きって聞いた瞬間、俺にはこの曲がものすごく輝いてみえた。
ゲンキンだなぁ、俺(笑)
あのとき先生に言われて無理矢理つくって弾いてた表現も、香帆さんのためを思うと自然に体中から溢れてくる。
弾き終わり、香帆さんが褒めてくれたのに調子にのり、さらに今の課題曲まで弾いた。
ショパンもラヴェルもシューベルトも、どれも楽しくてしょうがない。
もしかしたら、香帆さんが聴いてくれたら、俺の技量も上がるかな。
なんて調子のいいことを思っていると、突然香帆さんが、俺の背中にもたれ掛かってきた。
俺の体内メトロノームは一気に二倍の速さで刻み、俺の体温バロメーターも目盛りを大幅に振り切った。
「か、香帆さん?」
突然のことに、俺は少し慌てる。
しかしそんな俺とは対照的に、香帆さんのか細い肩は細かく震えている。
「……どこにも、行かないで……」
「え?」
「遠くに、行かないで……」
消え入りそうに…しかしはっきりとそう聞こえた。
いつもクールで大人な香帆さんが、こんなこと言うなんて。
よくわからないけど、絶対に彼女から離れてはいけない気がした。
震える彼女を見て、不謹慎にもときめいてしまった。
大人の男ならこういうとき、どうするんだろう。
こんな香帆さんを見ても、ただ声をかけることしかできない自分が情けない。
「……行かない」
香帆さんが望まないかぎり、それはありえない。
そう強く思った。




