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moderato.  作者: 奏多
18/56

#18 背中

静かに弾き切った優也は、ゆっくり手を下ろして振り向いた。



「………どうでした?」



演奏はあんなに堂々としてたくせに、少し不安げな顔つきで私を見る。




立ち上がり、ピアノのほうへ歩み寄る。



「……すごく、感情移入した。………感動した」


「小泉かっ!(笑)」



茶化す中に、安堵の表情が垣間見えた。




「……何でこの曲?」


「……………内緒」


「え〜っ!何だよ〜(笑)」




さっきまでの真剣な瞳は消え、またいつもの温かい目で笑う。



安心する。




「あ、じゃあついでに、今の課題曲聞いてもらえますか?人に聞いてもらえって、先生に言われてるから」


「?もちろん。…私でよければ」


「ありがと」




本棚まで行き、さっと何冊かの楽譜を取り出す。




「じゃあ、まずは技術のやつ」




手をピアノに叩き下ろした瞬間から、私は呆気にとられた。



さっきとは打って変わって、激しい音の波。



鍵盤の上を指が踊り、そして生み出されるうねりが、部屋を覆う。




あっという間に弾き終わった。



「……す……」



すごすぎる。これが本当に、学生の課題曲なんだろうか。



「………何て曲?」


「え?えー、ショパンのエチュードOp.10-4だね」



ありえない。




素人の私でもわかる。



ただの音大生じゃない。



何でこんな彼が、プロじゃないんだろう……




「まだ、全然なんだけど…。俺、速いの苦手で」


「他にもあるの?」


「…………聞かせられる出来じゃないけど、あとは―――…」




それから、私は優也が生み出すピアノの波に、しばらく酔っていた。



ラヴェルの《水の戯れ》




シューベルトの《ピアノソナタ第16番D.845》




彼の表現力に、驚いた。




技術はもちろん、様々な曲調を捉え、感じたままに表現する能力。




あの学園祭のときと同じように、急に彼が遠い人に思えた。




衝動的に、彼の背中に顔を埋める。




「か、香帆さん?」



演奏が止まり、慌てた優也が振り向いて顔を覗き込もうとした。




「ど、どうしたんですか?何か嫌なことでも……」


「……どこにも、行かないで…」


「え?」


「遠くに、行かないで…」




思ったことがそのまま口から零れ落ちる。



こんな弱いところ、他人に見せるなんて………




そう思っても、言葉はとめどなく出てくる。




「……行かない。……ずっと近くに、います。……だから、好きなだけいてください」




彼の鼓動が速くなったのがわかった。




突然こんなこと言うなんて、どうかしてる。




だけど、こんな私を優しく受け止めてくれる優也。




そんな彼の背中が、妙に心地よかった。

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