悪夢
登場人物
【坂上水麻呂】
はる子の氏神。
目に見えない悪霊を宮司の残した『例の物』でなぎ倒す。
水をつかさどるので『ミズチさま』とも呼ばれる。
【大友はる子】
水神社の宮司の孫娘。
祖父の残した霊剣を水麻呂に託し、守護してもらっている。
西洋史が得意な女子高生。
【田村太郎】
不動産屋の息子ではる子の同級生。
父親は司法書士も兼務している。法律に詳しい。
【オロチ】
水神社を脅かす存在で邪悪な蛇の神。はる子だけでなく、ミズチさまも狙う。
大友はる子の祖先は、壬申の乱で敗れて自害した大友皇子。
宮司であった祖父は、病に伏して倒れた。
「ミズチさまにお願いしてある。だからはる子、安心していなさい」
はる子には何のことか理解できずにいたが、とりあえず神社の境内に姿を現す、角髪を結い、赤い紐を着物の帯にしている神の命さまの姿を拝見することはできた。
ミズチさまと呼ばれているこの神さまは、水神社のご祭神で本当の名前は「坂上水麻呂」と名乗っていた。
坂上家はもともと大伴家持の一族で、分家として存在していた。
万葉の歌人である家持の一族、その末裔の水麻呂さま、通称ミズチさまは、じつのところ、はる子に思いを寄せてもいたのであった。
そのはる子に危機が迫っている。そう予感したミズチさまは、あるものの完成を宮司に急がせていた。
「あれと同じものは、この世に二つとないのだろうか」
ミズチさまは宮司に相談したが、宮司は否定するように頭を左右に振った。
「ほうぼうを探し回るか、あるいは、腕のいい鍛冶師にでもお願いするほかありませんね」
「やってくれるか」
宮司は、余裕の笑みを浮かべつつミズチさまに頷いた。
「当てがあるのだな」
「御意に。わたしがまかる(死ぬ)までには、どうにかしましょう」
約束どおり、そのあるものは宮司が懸命に探し当てた日本で唯一の鍛冶師に頼み、完成した。
そうしている間、宮司は逝去した。
あるとき、はる子の友人、田村太郎の家は不動産屋で、最近どういうわけか客足が減る一方だという話を聞かせた。
「どういうこと」
はる子が尋ねると太郎は答えた。
「物件を買ってくれるお客さんいるだろう。でも、すぐ苦情が来て、気味悪いからやめるって言うんだ、このままじゃ倒産だよ」
「呪いかしら」
「不吉なこというなよ。ぼく、とても気にしてるんだぜ」
「ごめん。だったら、あの人に聞くしかないわね」
はる子が小声でつぶやくと、太郎は怪訝そうな表情ではる子を見つめ、太郎は、はる子に連れられて水神社までやってきた。
「ミズチさま、いますか」
はる子が声をかけると、拝殿の奥からのっそり出てくる青年の姿があった。
「いるよ。なんか用か」
「用があるから呼んだのよ。ミズチさま、太郎くんの話を聞いてやって」
「俺は、はる子以外の願いは聞きたくない」
頬を膨らませてそっぽを向いた。機嫌の悪いときなど、ときどきこうして子供のような態度をとることもあった。
「神様がワガママ言うな。いいから聞いてやってよ」
「へえ。ぼく、神様って初めて見たよ。カッコいいんだね」
カッコいい、といわれてミズチさまは機嫌を直した様子でニコニコと微笑んだ。
「そ、そうかそうか。まあ座りなさい。それで話とは何だね」
「は。現金」
はる子はこっそり小声でイヤミを言った。
境内の階段に腰掛け、三人は相談会をはじめていた。
「じつは、ぼくの父さんは司法書士で、不動産関係から不動産屋もはじめたんです。ところがここ最近になって、やたらと客足が減るものですから、どうしたらいいのかなって。そしたら大友がここへ連れてきてくれたんです」
「ふうん。なんかの呪いじゃねえの」
はる子は横目でミズチさまを見やった。
「大友と同じこと、言わないでくださいよ」
「はる子も言ったって、俺の影響か」
「あるかもね」
はる子はこっそりツッコミを入れた。
「何かがその物件に取り憑いていれば、祓わなければならないが」
ミズチさまは腕組みしながら右往左往して、何事か考えていたようだ。
「祓うって、お札ですか」
「いいや、そんなもんじゃ効き目なかろう。一回や二回じゃないんだよな」
「は、はい」
「だったらムダだ。お札が効くのは鬼門とか、風水に関係した場所に置くだけの風通しをよくするものなのだ。太郎の話を聞く限り強力な地縛霊かもしれぬ。それだけで抑えられるわけがない」
「地縛霊とか。オカルトの世界になってきたみたいね」
はる子は冗談めいて言ったようだが、ミズチさまは口もとをおさえた。
「それはともかく、俺はイヤな予感がしてならない。何か、とてつもなくイヤな」
血の気の引いたミズチさまの表情に、はる子も一抹の不安をおぼえていた様子だった。
その夜、はる子は夢を見た。
ミズチさまの言っていた、とてつもなく、イヤな予感を思わせる不気味な夢。
はる子は生まれたばかりの自分の姿を目の当たりにして妙な面持ちをした。
両親が乳児の自分を、異様なほどかわいがるのだ。
二人とも地雷の撤去のために海外で暮らしていて、めったに日本へは帰ってこない。生死すら定かでなかった。
はる子はこみあげてくるものがあって、懐かしさに涙をこぼした、一粒、二粒。
次の瞬間、愛くるしかった自分の姿が突如として大きな黒い蛇の魔物に変化する。
「あなた、何者」
「わしはオロチ。貴様を守護するミズチの兄弟さ。そう、同じ蛇族だよ」
「あんたみたいのがミズチさまの兄弟だなんて、うそよ。あんたは醜いけど、ミズチさまはカッコいいもん」
「なんだと、言わせておけば。だが食らうのはまだよそう。それより、あれを見るがいい」
オロチは血まみれになって倒れている、はる子の両親を顎でしゃくる。
駆け寄るが息絶えていて返事すらなかった。
父親の死体はうごめいて、はる子の足首をつかんだ、もう片方の足首も母親につかまれて動けない。
「どうだ、愛する両親に与えられる恐怖は。わしはなぁ、はる子。貴様の生まれたときからずっと、呪いをかけていたのだよ」
はる子は金縛りにあって口を動かせずにいる。オロチは言葉を続けた。
「貴様が憎い。兄者であるミズチが貴様のような小娘を守護するなど、言語道断ではないか。しかも」
オロチのその後の言葉は聞こえずにいたので、何を言いたかったのか、はる子にはわからずじまいだった。
暗雲が立ち込めて闇が迫ってくる。そこで夢は終わりを告げた。