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渋滞

作者: 花村かおり

ラジオが告げる渋滞の中に男が運転するトラックは今まさにいた。渋滞情報のあとにパーソナリティーがお決まりのように「イライラせずに安全運転を」としゃべっているのを聞きながら男は「渋滞も悪くない」と思っていた。

男がいる渋滞は首都高でも有名な渋滞ポイントであった。男の前のトラックは少しでも早く渋滞を抜けようと目的の車線へ少々強引に移っていった。男も他の場所なら同じことをしていたであろうが、ここではあえてそうせず、川の淀みに流れこんでしまった木の葉のように自然に流れるままに任せているのであった。

ただ今日は周りの車種を見て大型連休の初日であることを思いだし、そこでの渋滞の楽しみが薄れていった。でも毎日ここを通過している間に渋滞に任せるといった行為が身に付いてしまっていたために楽しみが薄れていきつつも、いつも通りに身を任せていた。

ところが、ここの渋滞を楽しめるのも今日が最後になるであろうことを男は悟った。


男が今の配送ルートに変わったのは半年前。当初はこの場所をいかに早く抜けるかが男の悩みだった。だがある日からそこは楽しい場所になったのだ。

その日もひどく交通量が多かった。男は早く抜けようと数分前のトラックと同じように少々強引に車線変更をしようとしていた。その時、数メートル先で乗用車とトラックが接触した。調査をすれば解るのだろうが一般人にしてみれば理解出来ないような事故がよく起こる。まさに目の前の事故もそれだった。こんなにゆっくり走っているのに乗用車のボンネットが大型トラックの後輪に見事に踏み潰されていた。お互いの搭乗者に怪我はないようで、すぐに降りてきて、つぶれたボンネットと相手とをお互いに見合っていた。

男はそれを見た瞬間に午前の配送は諦めて営業所へすぐに状況を報告した。なぜなら事故車が完全に行く手をふさいでいてレッカーが来るまではどうにもならないことは見れば歴然だったからだ。

そんな事故を見ながらゆっくり背もたれによりかかりつつ、あたりを見回した。すると男は毎日通っているにも、そこは男には新鮮な景色に見えた。オフィスビルが周りにいくつもそびえ立っていて、そのほとんどの窓際に事故を見ようと人垣ができていた。それを見ながら男はプロ野球の優勝パレードをぼんやりと思い出していた。 

そんな窓を見ていた男を釘付けにする窓があった。そこはビルの何階かはわからないが、男の視線のちょうどの高さに、そのフロアが見渡せる階があった。

そのビルのほぼ真ん中にある窓には人垣がなく、見えるのは書類が積まれた机に向かって、水色のシャツに髪をアップに束ねている女性の後ろ姿を見つけた。そのすぐ隣の窓では同じ部署であるだろうサラリーマン達がガラス張りのオフィスの外の事故の様子を見ているのに、その女性には外の様子なんか気にならないというオーラが出ていた。よく見ると彼女はガラスで仕切られた個室にいることがわかった。オフィス勤めの経験がない男にも彼女がそれなりの役職についていることはわかった。

結局、その日は警察とレッカーが来て数台ずつ通過できるようなり男が事故現場を通過したのは、その女性を見つけてから一時間ちょっとしてからであった。男は通過するまでの間に、時折、彼女の様子を眺めていたりしていたけれど、彼女は結局振り向くことがなかった。

そして男は次の日からそこを通過するたびにその窓を…、というより彼女の後ろ姿を眺めるようになった。自分の行為がストーカーではないかとさえ思ったりした。

そして、その女性が気になりだして数週間が経ったある日。

男はまたいつものように渋滞のなかに身をまかせつつ、流れに気遣いつつ、いつもの窓に目を配った。すると彼女は携帯電話を耳に当てつつ窓際に立って外を見ながら小さく胸の前でガッツポーズをつくり微笑んでいた。男には到底話の内容など知るよしもないが、その笑顔に心を揺さぶられたのを感じた。その日以来、渋滞も悪くないと思い始めたのだ。


そして今日、土曜日なのにいつもの窓に彼女の姿があった。オフィスの明かりは一部しかついていない。土曜も仕事をしている男には彼女の会社が土曜休みなのはわかっていた。この数ヶ月で土曜に彼女の姿を一度と見たことはないし、オフィスに明かりがあるのを見たことなかったからだ。しかし今日は黒のパンツスーツを身にまとい髪は最初に見たときと同じようにアップに束ねており、黙々と机の片付けをしていた。それを部下であろう男女数名が笑顔で時折大きな口をあけて笑いながら手伝っている。彼女の机の上には大きな花束が置かれていた。

男はその光景を見つつ渋滞を通過した。


その窓辺の彼女のことをストーカー行為に近いくらいに毎日見続けたけど名前はおろか何も知らない。知っているのは後ろ姿と一度見た小さなガッツポーズと笑顔だけ。

男は運転席に射し込む春の日差しでやや暑さを感じエアコンのスイッチに手を伸ばし、春は旅立ちの季節であることも思いだした。

はじめて正面から見た彼女の笑顔を思い出した。そして、その笑顔も二度と見られないことを悟った。どんな旅立ちなのか、男にはわからない。

きっと彼女にとってはいい旅立ちであることを感じ、男は一人運転席で「おめでとう」「がんばって」とつぶやいて、一方的な男の恋は渋滞を抜けたトラックの排気ガスとともに外気に消えていった。


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