蚊取り線香が終わるまで
頭の中で好き勝手に飛んでいる思い出たちを、この匂いは優しくとらえて、そっと目の前に落っことしてくれる。
夏の匂いだ。それも、懐かしい、夏の匂い。いつからだろう、家の蚊取り線香が、あのドーム型の機器にとって代わったのは。だからかもしれない。この匂いで思い出すのは大抵それよりも前のこと――小学校とか保育園とか、そういった時代のことだ。
思い出とは言っても、はっきり、鮮明には浮かばないことに気づく。ただ、匂いがするだけだ。思い出の匂い。思い浮かぶというか、何となく、感じる、といった方が近いかもしれない。
たとえば保育園での、夕涼み会の思い出の匂い。
その日自分が何をしていたのかなんて、何も思い出せない。ぼんやりと、浴衣を着ている自分が思い浮かぶ。目の前にあるのは、いつもとは違う、夜の保育園――それだけで胸がどきどきする。いつもの教室、いつものトイレ、いつもの食堂。その全ての『いつもの』が、夜ってだけで『いつもの』じゃなくなる。非常灯だけが、鬼火のようにぽうっと浮かんでいる。その光を弾く廊下で鬼ごっこをしていると、だんだんと浴衣の帯がずれてきて、少し嫌な気分になる。
やがて外から、太鼓の音が聞こえてくる。カセットテープの、やけに音割れのひどい祭り囃子も。壁を一枚隔てた向こうにあるはずなのにずいぶん遠くから聞こえてくるようで、廊下の闇が急に恐ろしく思えてくる。寂しくなって、結局みんな一緒に、祭りの喧騒のさなかへ溶け込んでいく。
――こんな思い出、本当にあったのかどうかすらよく覚えていない。ただ、こんな雰囲気だったよなあ、とは思う。
蚊取り線香はまだ匂いを放ち続ける。火の手をじわじわ進めるたびに、懐かしさが匂いとなって、少しずつ溶けだしてくる。
しかし懐かしんでいるその間に、闇に浮かぶ赤い火は、一番外側の一巻き分を灰にしていた。そしてまだまだくすぶることを知らずに燃え続けている。灰は白くなって、皿の上で形なく崩れている――それはもう、元に戻ることはない。
ゆっくり進んでいたと思ったら、もうこんなに灰になっている。あと三巻き分ぐらいで、この蚊取り線香は全部白く燃え尽きる。もう一巻き分。そう考えると残っているのは、たった三巻き分、だ。
きっとこうやってぼうっと蚊取り線香を眺めている間にも、火は燃え続けているし、線香は灰になっていく。いずれ、こうやってぼうっとしていたことさえも懐かしい匂いとなって、思い出される側になるのだろうか。あの日の花火のように、わたあめのように、金魚すくいで破けた紙の網のように――そしていつかは匂いさえも忘れて、きれいさっぱり、消えてしまうのだろうか。
いつの間にか蚊取り線香は全部灰になってしまっていた。ミニタイプだったから、日をまたぐ前に終わってしまったのだ。今度は、通常の十巻きほどあるのを買おうと思う。もっと長い間、この匂いを感じていたいから。