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小国の王女ソフィーナ①

その日、どんより曇った空の下、一両の馬車がライ麦畑に挟まれた土道を疾走していた。


黒い車輪は時々水溜まりの泥水を跳ね飛ばす。


馬車の扉には、表面に細かいバラの紋様が施された金色の十字の紋章が描かれていた。



車中の赤い座席には静かに座する女性の姿があった。


幾重にも編み込まれた豊かな黒髪が、背中で一本の美しい束となって流れている。


彼女は馬車の振動に揺られながらも目を閉じて言葉を発しない。


対面には、苦虫を噛み潰したような表情の髭面の男が座っている。


魔力を高める灰色のローブを着用しているが、腰には佩剣している。


彼は沈黙に耐えかねて苛立たしげに言葉を発した。


「ソフィーナ様!本当におよろしいのですか?」


ソフィーナと呼ばれた女性は静かに目を開けた。


「ディルク……どうしたのです?」


「わたしは納得がいかないのです!」


「……何故です」


「何故って……殿下もご存知のはずです。今向かっているジェドン村とアンエ村の諍いは簡単なものではありません。本来は領主のザランディが対応すべきものです!」


「でも、父上の命令ですから……」


「それです!おかしいのは……。ザランディが泣きついてきたからと言ってその裁定を殿下に押し付けようなどと!」


「押し付けなどと……。誰かが行かねばならぬことです」


「さすれば陛下や皇太子殿下はいかがですか?国の祝事や慶事には喜んでご参加されるが、揉め事や災害の慰撫は全部殿下に押し付けてばかりではありませんか!」


「ディルク……父上や弟にはふさわしい大切な役目があります。私は自分なりにできることを全うしてお二方を支えねばなりません」


「く!」


「ディルク……そんなに怒らないで。魔導にも武術にも優れるあなたのような臣下がいてくれて私はとても心強いのです。これからも頼りない私を支えてくださいね」


「殿下!うう……」


ディルクは目に涙を溜めて拳を握りしめた。





馬車が領主ザランディの自宅に到着した頃には日が落ちかけていた。


曇り空だった天候が小雨に変わっている。


ディルクに手を取られて王女が馬車を降りた時にはすでに邸宅より怒声が漏れ聞こえてくる。


ディルクは重厚な木製の玄関ドアの前で深呼吸すると、ライオンの頭がリングをくわえた形の鋳物のドアノッカーを叩いた。


中から使用人が現れ集会場所に案内された。


会場である広い応接室は、中央に長大なマホガニーのテ―ブルが置かれ、左側にジェドン村、右側にアンエ村のそれぞれの代表が十人ずつ座している。


一番奥の正面の主席には肥満した巨漢のザランディが腕組みをして難しい顔付きで座っている。


両村の代表の間には怒声が飛び交い殺伐とした空気に支配されていたが、王女の姿を見て全員話を止め、一斉に立ち上がり頭を下げた。


続いてザランディの恭しい挨拶の後、ソフィ―ナが主賓席に座り、傍らにディルクが立った。


その瞬間論戦が再開される。


アンエ村の村長ヤンがテ―ブルを叩いて叫んだ。


「だから堤防の高さを揃えさせてくれと言ってるだけだ!それが何故駄目なんだ!」


ジェドン村の村長ビ―デルも負けずに返す。


「百年前の村同士の約定があると何回言わせる?駄目なものは駄目だ!」


またヒ―トアップしそうな様子を見てディルクが制した。


「ちょっと待ってくれ。状況が分からない。詳細を聞かせてくれ」


「ア―!その通りですな。王女様もお越しになられた。事態のおさらいを兼ねて私から説明させて頂きましょうか?」


「ああ……。そうしてくれ」


「かしこまりました!」


ザランディはコホンと咳払いをすると話し始めた。


「ご存知のようにジェドン村とアンエ村の間にはロ―ヌ川が流れております。この川はよく氾濫致します。そこで両村は堤防を築いておるわけですが、アンエ村のほうが高さが低いので洪水のたびにそちらが決壊するわけです。そこでアンエ村は高さを合わさせてくれと言っておるわけです」


「どうしてアンエ村側が低いんだ?」


「それは百年前に両村が交わした約定があるからですな」


「どうしてそんな約束を?」


「それはジェドン村の方が人口が遥かに多かったからです。畑の作付面積も比較になりませんでな」


「でも堤防の高さを合わせたらダメなのか?」


「それは約定前はそうだったのですが、水の逃げ場が無くなってどちらにも決壊していたのです。それで話し合って約定ができたわけですな」


しかしそこで興奮したヤンが割って入った。


「話し合いじゃない!武装して脅され無理やり約束させられたんだ!」


「ア―!話の途中ですぞ!御静粛ねがいます、ヤン村長」


「黙ってられん!そもそも百年も前の約束だぞ!それに山の雪解けがなぜか早まっている。水量だって多くなってるんだ!決壊で去年は十人死んだ……今年は十三人だ!このまま俺たちに死ねと言うのか?」


まくしたてるヤンを『まぁまぁ』となだめつつ、ザランディはこれまで無言で頷きながら両者の話に耳を傾けていたソフィーナに視線を向けた。


「ア―!であるからして、本日王家の方にご足労いただいたわけである。王女様、是非ともそのご賢明さをもちまして、公明正大なるご判断をお願い申し上げます」


彼は分厚い唇から金歯混じりの歯を見せつけながら、うやうやしく頭を下げた。


ディルクはザランディの異常なほどに手入れの行き届いたおかっぱ頭を忌々しげに睨みつけた。


座のメンバーの視線がソフィーナ に集中する。


彼女は瞬きもせず、無言で全員の顔を静かに見渡した。


そして、出発前に国王である父から受けた命令を思い出していた。




『ソフィ―ナ!秩序の安定のためには約定を守ることが大切だ!理はジェドン村にある。ゆめゆめ忘れるなよ!』



(確かに父上の言うことは正論かもしれない……)


しかし、今のこの命がけの話し合いの場において、彼女の心は鉛のように重さを増していた。


(アンエ村の為に調査するべきではないか?)


何度も湧き上がる思い……。



しかし彼女はそれを押し殺してついに口を開いた。


「皆様のお話を確かに賜りました。状況の容易ならざること……真摯に受け止めました。」


全員が息を飲んで彼女の言葉に耳を傾けている。


ソフィーナの唇は微かに震えている。


「アンエ村の窮状を聞くにつれ、誠に心が痛みます。しかしながら……過去に交わしたものであったとしてもその約定が生きているのならば、まずはそれを守ることが大切なのではないかと考えます……」


「そ、そんな!」


唖然とするアンエ村の代表者たち。


彼女が喋り終わるや否や、ヤンが血相を変えて絶叫した。


「王女様!それでは我々を見殺しにするというのですか?」


「っ……!」


唇を噛むソフィーナ。


「黙れヤン!王女様の裁定だぞ!」

「貴様!王家に楯突くつもりか?」


ジェドン村のメンバーも一斉にヤンに対して罵声を浴びせた。


騒然とする議場。


しかしこの時であった。


アンエ村側の座席から一人の皺だらけの老人が杖をつきながらフラフラと立ち上がった。


「長老!」


ヤンは老人を止めようとしたが、彼はその手を振り払って座を離れ、震える足で王女の前に進み出た。


「お、王女様……今の御裁定を……取り消してくんろ」


「え!」


「もし……お取り消しいただかねば……アンエの民は……王家に恨みを抱いて生きていかねばなんね!」


「き、貴様!」


ディルクは顔色を変え、思わず剣に手をかけた。


ソフィーナはその手を素早く制止した。


「おお……こんな死にかけの老いぼれじゃ……いくらでも剣のサビにしてくんろ……しかしおら達も黙っておらね……」


そう言うと長老はジェドン村の面々を睨みつけた。


「数が多いからならぬと言んなら、おら達の鋤鍬であんたらの数を減らしてやるべ!」

 

ザランディは目玉が飛び出そうになり、思わず飲みかけのワイングラスを床に落とす。


ジェドン村の代表全員が顔色を変え、一斉に立ち上がった。


「な、なんだと!」

「今の言葉、聞き捨てならん!」

「やる気か!この野郎!」


双方が睨み合いとなり 一触即発の状態である。


(こいつはえらい事になった……)


ディルクは狼狽えながら「落ち着け!静まれ!」を繰り返すばかりである。



その時であった。



ソフィ―ナは決意を秘めた表情ですっと立ち上がると、懐の小剣を抜いた。


柄には宝石が埋め込まれ、十字の紋章が刻まれている。


「殿下!一体なにを!」


ディルクが叫ぶのとほぼ同時に王女は自分の腕に刀を振り下ろした。



ダン!という音と共に彼女の手首が血を吹きながら宙を舞った。





次回  王女の命がけの説得




















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