第6R レース
「落ち着いた?」
「別に元から緊張なんてしていませんわよ」
「本当口だけは達者ね」
学年レース当日、控室で二人は第1レースを見ながら息を整えていた。
「さあ最後の直線、先頭はレイズユーしかし逃げ切りは厳しいか馬群に飲まれていきます。おっと後方から次々と飛び出してくる」
至って普通のレース展開、後方で余力を残していた馬が最後の直線でそれを解放し、末脚にすべてを賭けるありふれた光景、のはずだった。
「あれは⁉ 大外から、大外からカガヤキ凄まじい追い上げ!」
魔力の渦が人馬の影を揺らす、それはまだ究極ではないが圧倒的だった。地力が違う、圧倒的な実力差。
「ゴールイン! 1着はアリス・セレスティア騎乗のカガヤキです!」
ローズは開いた口が塞がらなかった。
アリスの実力に怖気づいた訳ではない、競技者にしかわからなかった勝負の世界。レースを終えた者たちの表情がそれを表している。
「ビビった?」
「いえ、俄然やる気が増しましたわ」
準備のため部屋を出るとレースを終えたイルミアと鉢合わせた。ローズを見るイルミアの表情は笑っているがそれは本心ではないことは誰もが理解できた。
「お疲れ様ですわ。イルミアさん」
「いやぁ、全然だめだったよ。8着」
泣きそうになるイルミアの背中をアロナが勢いよく叩いた。
「どんまいどんまい、確かに順位は芳しくなかったけど途中目を見張るものはあったよ。まずは成長を喜んで行こ」
「そうですね」
イルミアは涙をこらえてローズの手を握る。
「頑張ってねローズちゃん。ってローズちゃんには私の応援は必要ないか」
「そんなことないですわ、ちゃんと気持ち受け取りましたから」
「ほらローズ行くよ、レースに遅れる」
「はい、じゃあイルミアさんまた後で」
「うん、また」
ローズは振り返ることなく廊下を歩き、ドリーマーのもとへと向かった。職員たちがすでに馬具の装着は済ませてある。
額を一撫でした後、レイサの手を借り背に飛び乗った。
レイサがリードロープを手に持ち、ドリーマーを馬場へと引っ張っていく。決して言葉は発しない。
入り口まで来たところでロープを外す。
二人の視線はふいに合う。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
日差しの差し込む芝へと走り出す。
張りつめられた声援、レースの世界へと。
「やってまいりました本日の主役。伝説の名手ディアナの娘、ローズ・ノア・レッドベリル騎乗のドリーマーです」
会場がさらに湧き上がる。
(これが、お母様の力)
無意識に笑みがこぼれた。
緊張が解けていく、楽しいそんな感情がローズを支配した。
馬場内待機場へと向かう途中、観客席から黄色い歓声がローズへと飛び交う。
「本日の主役ね、随分と良い御身分じゃない」
鮮やかな黒褐色の馬体が横切る。
ローズが振り返った時にはすでにおらず過ぎ去った風がローズの髪を揺らす。
「……誰だったのかしら」
全員が馬場入りを終え、ゲートの前で輪ノリを始める。
やがてローズの順番がやってきてゲートへと入る。
狭い空間にドリーマーと二人、見えるのは芝生とライバルたちの顔だけ、深呼吸もままならない。全員がゲート入りを終える。
静寂、そして――ゲートが開く。
(先頭は譲らない!)
抜け出したのは二頭、ドリーマーと黒褐色の馬体。
クラリス騎乗のジョインアス、私が先だと言わんばかりに速度を上げていく。競り合いのまま第一ゲート、森の中へと駆けていく。多数の光を潜り抜けた先、一面の木々。
ローズは繊細な手綱さばきで木々を躱していく、それに対しクラリスは杖を取り出し前方へとその先を向ける。
「リューナス!」
風の刃が木をなぎ倒す。何度も何度も杖を振り、道を切り開く。直線を作り出し、最短で次のゲートへと向かう。
(まだだ、まだその時じゃない)
クラリスが先頭に立つ、差が少しずつ開いていく。
ローズは追いたい気持ちを抑え手綱を握る、第2ゲートに到達した時にはすでに1馬身差、後続もクラリスの作った道を通ったことにより距離が縮まってくる。
すでにクラリスは一人逃げ状態、あのままクラリスは最速でのゴールを狙っている。完全なるハイペース、後続もこのままクラリスを逃がすまいと順々に速度を上げていく。
そして第2ゲートへと飛び込んでいく。
「アルバラフ」
杖を振り、呪文を唱える。シャボン玉のようなものが生まれ、ローズはその中に身を入れ海中を進む。
(やはりそうですわ、なら行ける)
作られた地を踏む、空を飛ぶように海中を駆け巡る。
魔の掛かった足が先頭に立つ鬼神を阻む。
「なっ、くっ!」
クラリスが振り向き、迫るローズへと目を見開いて答える。
足が速くなる、先頭を渡すまいと速度が上がる。
クラリスの表情には焦りが生まれていた。
ローズも速度自体は上げているものも決して、全力は出していない。しかしクラリスはどうだろうか先頭を取られるかもしれないという焦りから限界を忘れたように速度を上げていく。
(かかったわね)
第3ゲートが見える。そこを抜ければ最後の直線、勝負の分け目へと差し掛かる。
――運命の最後の直線へ。
「さあ大歓声の競技場、最初に出てくるのはクラリス騎乗のジョインアス、少し掛かっているでしょうか大逃げの余波か徐々にペースが落ちています。そしてそれに迫る迫るドリーマー、差すか差した! ドリーマー先頭、杖を構えた!」
杖を天へ掲げ、先端へ魔力を込める!
「行きますよ、全力ですわ!」
ドリーマーへと呼びかけ、全てを解放する。
魔力の渦が二人を囲い込む。
一直線ゴール板へと駆けだす。
「ドリーマー抜け出した! 後続との差は三馬身このまま逃げ切るか!」
次々と後続も抜け出すが、差は中々埋まらない。
(勝てる、このまま――)
が、一頭異質な雰囲気を纏った馬がにじり寄る。
青黒い風がローズの背をなぞる。
――それは、ソフィアとフォースブルーが魂を完全に重ね合わせた、究極の「共鳴」が放つオーラ。
「フォースブルー二番手追走! 半馬身、いえ並びました!」
ローズの全身が粟立つ、心臓が体へとしがみ付く。
別次元の領域に立つそれを前にして、ローズは人生で初めて恐怖を感じた。
「抜け出した! 後続はすでに追いつけない! 1馬身の差をつけて今、ゴール板を駆け抜けます!」
背中を追いかけてローズもゴール板をくぐる。
「1着はソフィア騎乗のフォースブルー、2着はローズ騎乗のドリーマー、3着は――」
なんでどうして、そんな感情がローズを渦巻く。
下を向き、震えた手を眺めることしかローズにはできなかった。
「――さん、ローズさん」
「っは、すみません。なんですか?」
「そろそろ退場しないと」
「そうですわね」
そのまま出口を通り馬場を離れる。
通路ではレイサがローズとドリーマーのことを待っていた。
「お疲れ様」
一言だけ言ってレイサはドリーマーにロープを付け引っ張っていく。
「わたくしの何がいけなかったのでしょうか?」
「騎乗も展開も決して悪くはなかった。相手が悪かった」
「相手が悪い? でもそんなのって――」
ローズの中で何かが沸き上がる。
言ってはいけないことだとわかっているのに喉から自然と声が流れ出る。
「言い訳じゃない!」
レイサにそれを言ったところで意味はない。
この悔しさが晴れることもない。
次につながることなんて何もない。
「降りなさい。ドリーマーはあたしが返しておくから」
背を向けたまま、レイサはそう言った。
何も言い返すことはせずローズはそれを受け入れた。
一人で通路に棒立ちになる。
「お母様だったらきっと勝ってた。足りない、まだ足りない、もっともっと強くならないと、お母様にならなくちゃ」




