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二 童喰らう鬼




「あっ……見て、白鷺(しらさぎ)さまよ!」


 半ば悲鳴が混じった女学生のひと言に、周囲の女達が一斉に色めき立つ。

 

 艶っぽい視線を一身に浴びているのは、骨董屋『がらん堂』亭主、蛇川だ。インバネスコートに身を包み、嫌味なほどに長い脚を蹴り出しながら朝の銀座を歩いていく。

 それがまた異様に速いのだ。蛇川という男の病的なまでのせっかちさを体現したかのごとき速歩で、見つけたと思っても、数回瞬きをするうちにもう消えている。


「ああ……行ってしまわれたわ」

「今日もお美しいこと……」


 女達の口々から甘やかなため息が漏れる。

 あの美貌に少しでも近付けたなら……あわよくば触れられたなら。そう願うのに、往来で近付こうとしても、いつも霞のように消えてしまって決して捉えることができない。

 夢の住人かのごとき蛇川の存在は、銀座中の女達のいい噂の的だった。


 さて、一方の蛇川。

 

 女の嬌声には微塵の興味もないこの男。無論、女達の間で自分が「白鷺さま」や「白檀の君」と呼ばれ、恋焦がれられていることなど露ほども知らない。知ったところで何の関心も示さないだろう。

 今、蛇川の関心は、五日前に『がらん堂』を訪れた小太りの依頼人(クライアント)――古舘(ふるだて)の持ち込んだ厄介ごとにのみ向けられていた。


 古舘の話すところによると、彼の息子が長患いで、もうひと月も寝込んでいるという。

 初めはただの風邪と軽んじていたが、高熱はいつまで経っても下がらない。遅くに生まれたひとり息子に(さわ)りがあっては大変と、医師や薬種商、漢方医、果ては祈祷師まで頼ったが、何をしても改善の兆しが見られない。

 

 高熱のために飲食もままならず、日に日に弱っていく息子。我が子の枕元にヒタヒタと忍び寄る死の足音が聞こえているのに、これ以上どうしてやればいいかが分からない。


「思い悩んだ末に、手立てを求めて彷徨うように歩いていたら……」


「ここへ迷い込んでいた、というわけだ。ふうむ。

 喜べ、古舘さん。あんたは今ようやく正しい道を歩み始めたのだよ。あんたが頼るべきは最初からこの僕、蛇川真純(ますみ)であったのだ!

 

 しかし、だ……人を頼みにしておきながら、隠し事をするとはいただけない。そうは思わんか、え?」


 蛇川の不遜極まりない物言いがいちいち癇に障る。

 しかし指摘は正確だった。たしかに、古舘は大事なことを隠している。


 蛇川は続けた。


「息子の高熱がただの病などではないことに、あんたはとっくに気付いているはずだ。なぜなら……言っただろう。今のあんたには、見えちゃならんモノが見えちまっている。それが息子に()()をしているに違いないと、あんたはもう分かっている。頭ではなく、心でそう理解している。だからここへ来た……いや、招かれたと言うべきか」


 ここ――蛇川曰く、骨董屋『がらん堂』――に来てから、もう何度目とも知れない生唾を呑み込み、古舘は拳を握り締めた。

 

 そうだ、見た。

 見てしまった。

 息子の枕元にうっつらと立つ……ひと目で「この世のモノではない」と確信してしまうような、全身の肌が粟立つような……


 舌を粘つかせたまま喋り出そうとしない古舘を見、苛立った様子の蛇川が「言いたくないならそれも宜しい」とピシャリと言い放つ。


「だが覚えておけ。凡愚の隠し事など、この僕、蛇川真純の前にあっては秘密箱(一定の操作を行わないと開かない細工が施された箱)のようなものだ。僕のこの頭脳でもってパチリ、パチリと動かしてやれば……自ずと開いて中身を晒す。

 洗いざらい話してくれればこちらも楽だが、まあいい。ちょうど退屈してたところだ、付き合ってやらんこともない」


 見れば、いつの間に用意したものか、蛇川が煙管(キセル)をふかしている。これも彼の扱う骨董品のひとつだろうか? さすがに高直(こうじき)そうな代物である。赤漆の細い胴に唐草模様の銀細工が施された女物の煙管で、それがまた、三つ揃えのスーツを着こなす蛇川と妙に馴染んで色っぽい。

 しばらく(しか)めっ面で煙管をふかしていた蛇川が、フゥ、と古舘に向かって紫煙を吹き掛けた。複雑な香りの煙だ。それが、まるで意思を持つ生き物のように真っ直ぐ伸びて、古舘の全身を包んでいく。


「ヒィ……ッ」


「そう情けない声を出しなさんな。害あるモノではない、むしろ逆だ。しばらくの間は御守り代わりとなってくれるだろうよ」


 そう言って蛇川は、半ば無理やり差し出させた名刺を毟り取り、二、三用件を言い付けると、まだ呆けた様子の古舘を骨董屋『がらん堂』から追い払ったのだった。



 

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