一四 花魁の手鏡
「さて、手鏡だ。これが若い女達の扇情的な死にどう関わってくるのだね?」
「待った。その前に……」
山岡が不安げな顔で吾妻を見遣る。
巨漢の女装家は、包みの竹皮を膝の上に広げ、特大の握り飯を――いや、彼が持つと小さく見えるが――嬉しそうに頬張っている。『いわた』亭主に大急ぎで準備させたものだ。
ただでさえ危ない橋を渡っているのに、素性も知れない怪しげな同道者が増えては困る。山岡の視線の意図を汲んだか、蛇川がやれやれとため息をついた。
「これで意外と役に立つ。それに、この男は義憤の士が好きでね。まあ、あんたの立場がまずくなるようなことはすまい」
この件に関しては。山岡が聞き取れないほど小さな声で蛇川が付け足す。
山岡は知らないことだが、この男、吾妻健吾は銀座界隈をシマに持つ極道・鴛鴦組の若頭だ。互いに身分を明かして顔をつき合わせれば、事はまず平穏に進むまい。
「分かったよ……お前さんを信じよう。今だけは胸の桜をお前さん達に預ける。
それで、ええと、手鏡だったな。あれは、焼け死んだ女達が手に握り締めていたものだ。三人が三人ともな。いつ手に入れたか定かではないが、少なくとも、死ぬ数日前からそれらしい手鏡を持っているのを見た……という証言があった」
「ふうむ。先程見たスケッチがどこまで現物に沿ったものか知らんが、焼死体が握っていたにしてはいやに綺麗だったな」
「女が燃え狂っているんだ、周りは必死に火消しするさ。おかげでホトケは生焼けで……それで、元の姿が保たれていたのかもしれん」
「どうだかな。手鏡以外に共通点は?」
「ない。今のところは」
「自死を選びかねない背景は?」
「……あった。ひとり目、古物商の若女将は不貞が露見したばかりでな。二人目の学生さんは、上級生に目を付けられて随分と嫌な思いをしていたらしい。さる雑誌の令嬢紹介に取り上げられたことがきっかけでな……ま、やっかみだ」
蛇川は心持ち目を丸くした。
この山岡とかいう冴えない巡査、ただ無鉄砲に手鏡を追おうとしているだけの凡愚かと思いきや……これがなかなか。おそらく、悩みながらも必死で情報を掻き集めていたと見える。
「しかし……問題は三人目だ。今年の四月に紫峰女學校に入学したばかりの娘さんでな。七緒という名に恥じぬ、美しい娘さんだったそうだ」
「ならばまたやっかみか? くだらん」
「いや、彼女に関してはそうした噂がひとつもないのだ。貧しい家の出ながら成績もよく、大層身持ちのいい娘さんであったと……。
焼け死ぬ前日に家族に宛てた手紙にも、学校生活がいかに楽しいか、学友がいかに素晴らしいかを喜びの筆致で認めていたんだぞ。そんな子が死を選ぶかね!」
話すうち徐々に声を震わせていた山岡が、堪えきれなくなったか、ダンッ!と拳で腿を殴り付ける。
指に付いた米粒を舐め取っていた吾妻が、静かに言葉を繋いだ。
「アタシ、堀内家のこと知ってんのよ。揃いも揃って勤勉家で努力家で、心根の優しい家族でね……。
七緒ちゃんが憧れの女學校に入学したことも聞いてた。仲間内で温かく、でも遠くから見守ってたんだぁ。なのに……」
クシャリと竹皮を握り潰した吾妻が、蛇川を見る。
「どう動く? 蛇川ちゃん」
「まずは手鏡をこの目で見てみんことには始まらん」
「分かった。山岡ちゃん、手鏡が保管されてるのは築地署で合ってる?」
「や、山岡ちゃん……いや、そんなことはどうでもいい。確かに築地署だが、それは無茶だ!
部外者に捜査情報を漏らしただけでも首が飛ぶのに、大事な証拠品を見せるだなんて立ち回りが許されるはずがない! ただでさえ上層部がひた隠しにしたがっているものなのに……」
「それを可能にするのがこの男だ。何時間必要だ?」
吾妻は厚い胸板をドンと叩いた。
「見くびらないで、三十分でやってみせる。『いわた』で待っててちょうだい」
いったい、この男は何者だ? 大きい身体を揺すり、足早に部屋を後にする吾妻を言葉もなく見送り、山岡は人知れずため息をついた。
銀座派出所に勤めて四半世紀。銀座の街のことはおおよそ把握できているものと自負していたが……とんだ思い上がりだったようだ。
こちらはこちらで、どこからか引っ張り出してきた複数の新聞と小さな冊子――高島暦を照らし合わせる蛇川を見て、山岡は再びため息をついた。
己の知る世界はまだまだ矮小だったと見える。