第8話「よっし、着替えも済ませたことだし、それじゃあさっそく学校へ行こーっ!」
「というかもう既に作ってあるんだよね。さっ、顔洗っといでー」
センパイどーぞ、みたいな感じでタオルが渡される。意外と憧れていたシチュエーションがこんな形で実現するとは。
いやはや、人生は何があるか本当に分からない。
ありがたくタオルを受け取ってから昨日確認した洗面所へと向かった。
ここでは顔を洗う以外特筆することはないので省略するが、とにかく俺は顔をばしゃばしゃ洗った。
「お帰りー。もうご飯よそってあるから座った座った」
洗面所から戻りしなに急かされ、慌ただしくも朝の食事を迎える。
今日のメニューは和食だ。ご飯に味噌汁、焼き魚に野菜サラダ(ハム入り)という一見平凡な組み合わせに思えるが、その旨実に栄養バランスの取れた食事といえる。特に主食が米であることが最大の評価ポイントだ。
嘆かわしいことに、昨今の主食事情はだいぶ様変わりを遂げ、やれパンだのやれ麺類だの、ちょっと変化球にスムージーだのと米を軽視する傾向にあるからな。
まるで朝食に米以外を食べることがオシャレであるかのように流布されていて、アンチ米食派が勢力拡大の一途を辿っているのは日本人としてどうかと思う。だから今こそ異を唱えよう。
お前ら米を食え、と。
いいか、米を——、
「はいはい、学校に遅れるからさっさと食べる」
「すみません」
怒られたので食事に集中する。この続きはウェブでと言いたい所だが、恐らく再開の予定はないだろう。
とりあえず手を合わせていただきますから開始。
箸を手に取り、まずは味噌汁から先にいただく。
ずずず……、うん美味いダシがよく効いてるな。
ペロ、この味は青酸カリ、ではなく煮干しだろう。
「そういえばこの世界ってあんまり前の世界と変わらないんだな。食べ物とか生活様式とか」
「まあね。ちょっとしたパラレルワールドみたいなもんだし、魔法とか魔物が存在する以外はあんまり違いはないかも」
ちょっと待て、今聞き捨てならない単語を聞いたぞ。
「魔物がいるのか?」
思わず箸の先でさざめを指してしまい、彼女に「行儀が悪いっ」とたしなめられるのも何のその。箸を下げてから再び同じ質問をする。
「うん。いるよ。この世界では動物の延長線みたいな扱いだけど」
二度目ということもあり、今度はちゃんと質問に答えてくれたのだが、返事はあっさりしたものだった。
魔物だって?
俺がその単語を聞いてまず最初に思い浮かべたのはゲームなどでフィールドを徘徊する敵のことだった。ランダムでもシンボルでも構わないが、それらとエンカウントすることによって戦闘に突入し、勝てば見事アイテムや経験値がもらえる。魔物とは言わばゲームシステムそのもの——だと思う。
けれど、そんなRPGとか漫画の世界じゃあるまいし……と言いかけて思いとどまる。
ここがそんなファンタジー世界だったことを忘れていた。魔法があるというのなら、魔物がいてもどこもおかしくはない。
というよりも、よくよく思い返してみれば転生前に魔物とかが闊歩する世界だろうと算段をつけていたじゃないか。
あれ、じゃあ今までのくだり丸々いらなくない?
「はい、ごちそうさまっ」
先に食事を終えたさざめが食器を片し始めたので俺も急いだ。
「先に圭の部屋に行ってるね。食べ終わったら食器は流しにでも浸けといて」
それだけを伝えると、さっさと二階に消えてしまう。色々と世話を焼いてもらうのはありがたいし、文句を言うつもりもないのだが、ちょっと行動力が有りすぎるなぁ。ただ、男として悪い気はしない。それどころかむしろ美少女に甲斐甲斐しく世話を焼いてもらって嬉しい。
ともあれ俺も完食し、指示された通り食器を片すと、その足でさざめを追った。
「お、来た来た。遅いぞー」
俺の存在に気づいたさざめが振り返り、クローゼットにしまっていた制服を手渡してくる。それを受けとると、「一人で着られるよね?」と子ども扱いしながら尋ねてきたので頷いた。
「んじゃ、あたしは部屋の外にいるから、着替えが終わったら教えてね」
「ああ、分かった」
どうやら異世界でも制服の仕組みは似ているらしい。
パリパリに伸ばされたシワ一つないワイシャツに袖を通すと、袖口がひらひらするのは好きではないのでボタンを留める。次に襟元の下に赤ネクタイをくぐらせると、それをずり下げてきゅっと胸の前で結んだ。格子柄の黒ズボンを穿きベルトで固定。寸法はまるで測ったようにちょうどいい。
そういえば、なぜ今時の学生は腰パンをしたがるのだろう。俺にはその感性が分からない。野郎の丸出しには興味がないし、正直見苦しいと思うのだが。それがカッコいいとでも思っているのだろうか。もしかして分相応な格好にしておけよと忠告してあげるべきかもしれない。
まあそれはいいとして、着替えを再開する。
ワイシャツの上からズボンとお揃いの黒いブレザーを羽織った。ブレザーの造りはさざめを見る限り女子も同じらしい。ブレザーの襟元のすぐ隣に三本の白いラインが縦に走っていて、全体的にシックな雰囲気ではあるものの、その中に混じる明るさも忘れてはいなかった。
「よし、こんなもんかな」
自分の姿を鏡で確認し、どこかおかしな所がないか探す。
……うん、大丈夫。特に問題はなさそうだ。
「さざめ、終わったぞー」
着替えを完了し、部屋の外で待っている彼女を呼ぶ。
すると一拍置かずに扉が開かれる。
「おおー、なかなか似合ってるじゃん圭。うん、カッコいいよっ!」
さざめは俺の制服姿を見るなりすぐさま評価を下す。それなりに悪くはない評価だ。
「よっし、着替えも済ませたことだし、それじゃあさっそく学校へ行こーっ!」
おー、とここは返すべきだったのかな。こんな時にノリが悪くて申し訳ないが、しかし今の心情においてはこれから向かう学校だけが気がかりで、そこらへんにまで意識が回らなかったのだから許してほしい。