第21話「ぎゃあああ目が、目があああっ!」
はっとして、部室内をよく観察する。
とりあえず右を見ても左を見ても死体を飛ばして中央を見ても前を見てもややフェイントぎみに後ろを見ても死体を見ようかと思ったけども止めて上を見ても下を見ても蠢きそうな物は、やはり死体以外にはない。
改めて死体に視線を向けると、やはり黙ったままである。何も語らない。何もカタらない。カタカタと歯をかち鳴らさない。
笑う髑髏という話があるが、だからなんだと。
あくまで腐肉が削げ落ちた死体じゃなきゃ、まずもってそんなことにはならないはず、なのだが……。
——ぴくん。
またも彼女が動いた気がした。
いつの間にか『物』から『者』へと認識が変わってしまっていた。
「いやいやいや」
それに、なんだか、さっきよりも、——顔色がよくなってないか?
そりゃあまだ青冷めた顔をしているが、それにしたって頬に少しばかり朱が差し込んでいるのはおかしいだろ。
ついさっきまで土気色してたんだぞ。
「まさか、な」
言いつつ俺はなんとか震える足を鼓舞し、まずは一歩踏み出そうとする。本当に彼女は死んでいるのなら、きちんと確認しなければならないと今更ながら気づいたからだ。
ゆっくりと、しかし確実に、剣道のそれっぽい足さばきを用いて前に進んで行く。
それっぽいだけで全く形になってはいないが、まあいい。
あと少しで彼女の下に辿り着く、そんな時だった。
「——あっ」
極度の緊張から身体が強張ってしまったのか、俺は何もない所で躓いてしまった。
慌てて身体を支えようにも、残念ながら周囲には掴めそうな物がなかった。
一度前のめりになってしまえば、もはや傾斜を止める手立てがない。なので俺は半ば諦めるようにそれを受け入れた。その一秒後、俺は不様な姿で床にはっ倒れ——なかった。
「ふぬぐぎぎ」
ある意味セーフある意味アウト。
今の俺の体勢はとてつもなく危険なものであった。それもそのはず、何故なら彼女の身体に覆い被さるような状態になっているからだ。腕立て伏せの要領で何とか耐えてはいるものの、それだっていつまで続くか分からない。
なら早く立ち上がれば? と言われても体勢が体勢なだけに無理をすれば人体に甚大な悪影響を与えてしまうことになる。八方塞がりだ。しかも、こ、腰が限界です。
「う、腕が痺れ……」
畳みけるように、腰に続いて今度は腕に疲れが生じ始める。
くそ……なんとかしなければ。だが両腕に力を混めようものなら、慢性的な運動不足の俺のことだ、反動で手足をつりかねない。
かといって膂力を抜いてしまうのも、それはそれで大変なことになる。
このまま倒れるか、あるいは身体を痛めるか。
どちらも回避したい選択肢ではあるが、しかしどちらかをすぐに選択しなければならないだろう。
「ぐおおおっ」
悩んでいる暇はない。答えは最初から決まっている。
つっても実行するような体力もあまり残ってないんだけどな!
というわけで当然のように下降をし始める俺の身体。意思とは関係なく、だんだんと迫る。床に敷かれた女子生徒に。狭まって行く。彼女との距離が。少しずつ。その顔が視界に入る。
——う、可愛い。
倒れていたショックから、さっきまで動転して気にも留めていなかったのだが、改めて見てみると、美少女と言って差し支えない容貌だった。
端的に切り揃えられた白髪だが、ややくすみがかっているせいで銀色と灰色の中間のような色をしている。
小振りな尊顔にはバランスよく各パーツが配分されており、唇から流れる血の筋さえなければ完璧といっていいほどだ。
華奢な体躯や雰囲気から総じて虚弱さが窺えるが、不思議とイメージには合っていた。
……って、俺は何をまじまじと彼女の外見を描写しているんだ。
だいだい疲れたからって、こんな現実逃避をしていても仕方がないぞ。
気を紛らすにしても、もっと他にやりようがあるだろうが。
——ぐあしまった、意識を現実に戻したせいで蓄積された疲労感が一気に押し寄せてきた。
「も、む、無理」
全身が震える。本当に、もう、本当に限界だ。着陸不可避。落ちますオチます。
緩やかに、しかし確実に、まるで吸い込まれるように、彼女の唇に近づいて——、
「……こぷっ」
バッシャアアアッ!
「……えっ?」
顔面に血をぶっかけられた。
「ぎゃあああ目が、目があああっ!」
呆然とする俺を尻目に女子生徒の汚泥のような瞳が見開かれ、ぱちぱちと可愛らしく瞬きを二度三度繰り返す。
なんだやっぱり生きていたのかー、とは手放しで喜べないこの状況で。
少しずつ意識がはっきりしてきたのか、生気の感じられない双眸が俺を捉えた。その瞳の中に溷濁の色が灯る。
「…………」
「…………」
途端に重たい沈黙が訪れた。
あー、どう説明したもんかねこれは。
「……あ」
俺が頭脳をフル稼動させて必死で言い訳を考えていると、先に女生徒がなにやら合点が行ったとばかりに声を上げた。嫌な汗が流れる。
彼女は何故かポッと頬を紅潮させてこう一言。
「——もしかして強◯魔?」
もうどこから突っ込めばいいのか分からなかった。
……言うまでもないが、突っ込むのは言葉である。




