第1話「我が死を想え」
「我が死を想え」
死の可能性は誰にとって等しくある、言わばくじ引きのようなものだ。
こうしている間にもこの世界では毎時毎分毎秒毎に一人ないし、二人ないし、一気に飛んで何百何千という人間が次々に死骸と化している。
その事実を自分が認知するしないに関わらず、だ。
電器店のテレビの先では何処かに住む誰かさんの訃報をまるで流れ作業のように報じているが、わざわざそれを気に留めていると枚挙に暇がない。
結局は画面先での出来事であり、だからといって閲覧者に対する関係性や関連性には結びつかないのだから、当然といえば当然だ。
逆説。
ならば他人の死は感傷に耐えうるものかというと、果たしてその限りではない。
全く知らない相手は赤の他人。
自分以外はただの他人。
両者の違いは相手が知己かどうかであり、知人がもしも死ねば大なり小なり感慨が湧くはずだ。
そうでなくては困る。
つまりは最終的に何を言いたいのかというと、要は自分が死ねば誰かが悲しんでくれるよね? というなんのことはない無味乾燥な確認なのだった。
◆
視界を染める色があった。
赤ペンキを一気にぶちまけたかのようなそれは、不明瞭ながらもどこか灼熱を彷彿させた。
俺はこれが何なのか知っている。
——血、だ。
映画の小道具でもなく、
トマトジュースでもなく、
混じり気のないおびただしい量の鮮血がそこにはあった。
俺はそれを呆然と見ていた。
いや、正確には大量出血している『俺』を、周りの野次馬たちと一緒に、どこか他人行儀で客観的に見ていた。
その様子はさながら汚水を振り絞ったボロ雑巾のようであり。
ひしゃげた土手っ腹に陥没した頭蓋、ずたずたに引きちぎられた両手両足に数メートル引きずられた身体。
さっきまでの俺は目の前にあるこんなグロテスク物体とは縁遠い、どこにでもいるただの無病息災の健康優良児だったはずだ。
だがそれら全てが跡形もなく呆気なく致し方なく簡素かつ簡単かつ簡潔に失われてしまったあとで、命とは泡沫なのだということを今更ながらに理解した。
理解したところでもう遅いが。
……とにかく俺こと綾村圭はこうして十七年の生涯を遂げた。
享年とするにはいささか早すぎる死だった。
「ちょいとそこの者~」
悲嘆に暮れる俺の背後から間の抜けた、それでいてこの場面の雰囲気に似つかわしくない、どこか緊張感に欠ける声が響いた。
俺が見えるということはもしかして先輩幽霊だろうか、とりあえず声の主へと振り返ることにする。
「はろ~」
するとそこにいたのは、黄色帽子にスモックを身にまとった、いかにも幼稚園児然とした小柄な幼女だった。
眠たいのか瞳を半眼にし、口元はくてっと開きっぱなし。カールがかった癖毛が特徴的だ。
このどこをどう見たって完全に幼女で完璧に童女な彼女は、平成を生きし若人たる俺よりも先に死んでしまっているというのか。
なんともいたたまれない話だ。
「お前さんは綾村圭で間違いないか~?」
「あ、ああ、そうだよ」
明らかに彼女とは初対面のはず。
現に彼女は俺に本名かどうか確かめてきている。
よしんば一方的に俺のことを知っているのだとしても、生前どこかで指名手配されたわけでもないし、なぜこちらの名前まで知っているんだ。
ひょっとして自分では気付かなかっただけで意外と有名人なのだろうか、なんて思っていると、
「なぜってそれは我が神だからである故~」
まるで心を読んだかのように、こちらの疑問に答えてくれた。
「……は、神?」
頭部に必要なのは髪。
トイレに必要なのは紙。
宗教に必要なのは——。
「神は神でも死神だけどな~。我の名前はステュクス、だけど気軽にステュクスちゃんと呼ぶと吉~。もっとも死神的には吉よりも凶が似合っているかもしれんがな~」
おいおい、いきなり死神だなんだと言われても困るんだけど。
十二週打ち切りの漫画よろしく話が急展開すぎる。
「それで圭よ、自分が既に死んでいる所までは理解出来たか~?」
「……ああ、潰れたヒキガエルみたいなグロテスク姿で死んでた」
言って後悔した。
自分自身で死を肯定したみたいで気分が悪くなる、気がした。もはやそんな身体は今現在持ち合わせてはいないため、あくまで気分的な問題だけれども。
というか何回『気』を使ってるんだ俺は。
語彙がないにも程があるだろ。
「ちなみに死因は交通事故~」
幽体で聞き齧った情報を付け加えるなら、加害者であるトラック運転手の居眠り運転が原因らしい。もちろん俺が交通法規を放棄した訳じゃない。
「ふむふむ、法規と放棄……」
こくこくと頷く死神。まるで啄木鳥が木をつついているみたいだ。きつつきだけに、なんちゃって。つーか何回『き』を使えば気が済むんだ俺! また使っちゃったし!
「ユーモアセンスゼロ~」
またしても心を読んだかのようにダジャレの評価をくだす。
「心を読むぐらい死神には朝飯前だからな~」
なるほど、確かに人知を越えた死神ならそれぐらい出来て当然かもしれない。
しかし時間的には今は昼飯前であるがそれはさておき。
「……ほら」
「何の真似か~」
胡乱げな瞳で彼女は俺が突き出した両腕を見やった。別に手錠をかけてもらうためじゃないけども、こうした方が雰囲気が出るだろうし。
「だって死神の仕事って死者をあの世に連れて行くことだろ? 俺が行けるのは天国か地獄か分からないけどここでうだうだしてたって意味ないしな。さっさと成仏するさ」
もちろんこの世に未練がないと言えば嘘になる。まだまだやり込み途中のゲームがあるし、マ○リアルパズルの続きだって気になる。
俺の部屋にあるちょっとアダルティな本の始末だってつけられていないし、引き出しの奥にある自作ポエムとパソコンの中のデータなんか他人に見られたら発狂ものだ。けど、それもこれも諦めるしかないだろう?
現に俺はもう死んでるんだから。
死人に口無し(誤用)用も無し。人間諦めが肝心。
つまりはそういうことだ。
ただまあ心残りがあるとすれば、妹を一人にしてしまうことぐらいだろうか。
数年前に両親が他界し、その上唯一の家族である俺まで死んでしまったとあれば、あいつは天涯孤独の身になってしまう。それだけは避けたかったことなのにな……。
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