異世界人
ピエールの泊まっているホテルは、ホテルという名前がついているだけあって、三階建ての立派な建物だった。
ほぉー、運送会社の社長さんだけあって、お金持ちが泊まりそうなとこに泊まってるなぁ。
クロークの向こうは、木漏れ日があふれるラウンジになっており、綺麗なドレスを着たアサヤ系の女の人たちが、午後のお茶を楽しんでいた。
リノとしては、自分が昨日、泊まった子熊の宿とのあまりの違いに、何ともいえない気持ちになってしまう。羨望、というよりは、自分の境遇に対する情けなさかな。
ピエールは、一線を退き、今は会長職となってフュータ村に帰ってきているが、それは今のリノが知るところではない。
リノがぼけっと周りを見回しているうちに、ネコルは部屋まで行って、ピエールを呼んできたようだ。
「あなたが、リノさんですか?」
かすれた年老いた声で、リノに声をかけてきた人がいた。
差し出された手は震えており、この世界で生きてきた年月によるシワが、日に焼けた老人の肌に刻み込まれていた。
リノがいつも祖母にしていたように、支えるようにしながらピエールの手を取ると、ピエールは年寄りとは思えないほど力強く、リノの手を握り返してきた。
「足が……どこかに座って、それからお話しませんか」
ピエールは片手に杖を持っており、背も丸くなり頼りなげで、リノが想像していた意気盛んな大会社の社長という面影はどこにもなかった。
「それなら、そこのラウンジへいこうか。ネコルくん、すまないが冷たい飲み物を二つ頼んできてくれんか。君も、好きなものをなんでも頼むといい」
「ほいきた、お任せを」
ネコルが注文するために駆け出して行ったので、リノはピエールの手を引きながらゆっくりと歩き、窓際の木陰のあるテーブルに連れていった。
ピエールは杖をテーブルの端に引っ掛けると、片方の足を投げ出して、椅子にどさりと腰を下ろした。
「行儀が悪くてすまないが、三年ほど前から右足の調子が悪くてね。まだ七十前なのに、困ったことだよ」
「そうなんですか。うちの祖母も言ってましたが、七十才より前の方が体調不良になるそうですよ。ばあばに言わせると、『七十を過ぎると老人仕様の身体にカスタマイズされるから、かえって楽になるんだ』だそうです」
リノが話すのを孫を見るような顔をして見ていたピエールは、寂しそうに笑った。
「そうか、あなたには、おばあさまがいらっしゃったんだね」
「おばあさま、なんていうようなおしとやかな人ではないです……むしろ、いつも元気な力をくれるタイプですね」
「ハハ、あなたのような人だな。リノさん……」
途中からピエールの声色が変わった。
「はい」
「ネコルが、あなたは『アース』から転移してこられたと言っていました。それは本当ですか?」
「ええ、私の国、日本では『地球』と言っていましたが、英語圏では『アース』と言っていたと思います」
「英語! ああ、ああ神よ、感謝します。やっと、私の同胞に会えました」
ピエールは手を組み祈りをささげた後で、すばやく十字を切って天に顔を向けた。探し求めていた故郷を思う切実な思いがその表情に現れていた。
リノはピエールの気持ちが落ち着くのを待って、優しく声をかけた。
「ピエールさんは、英語を使っている国からいらしたんですか? アメリカ、イギリス、それともオーストラリアかしら?」
「ああ、本当にリノさんはアースから来た人だ。私はアメリカ人なんですよ。祖先はフランスから新大陸に渡って来たのですが。リノさんはフランスで過去に革命があったことをご存じかな」
「オスカル……じゃあなくて、ジャンヌダルクですね」
つい漫画の情報が先にきてしまう。でもフランス革命は有名なので、リノでも知っている。
「あの絵をご存じなんだな。私の祖先は、貴族の末端に名を連ねていたらしくてね、民衆に追われ新大陸に逃げてきたのだそうだ……自国を捨て、アメリカに渡ってきたくせに、貴族の名残を捨てきれていない傲慢で愚かな人たちでした。まぁ、私の親世代は直接、大陸の影響を受けていたわけじゃないですが、貴族の出を鼻にかけて、付き合う人を選ぶような愚かなことをしていました。私は子ども心にそんな両親が嫌いでね。いつも家から出て、村や森の湖で遊んでいた」
「湖? もしかして……」
「そうなんです。その湖で遊んでいた時に、そのまま、こっちに連れ去られてしまいました。受け継いできた血の中にどこかに逃げようというような卑怯な考えが潜んでいたのかもしれないな」
自嘲して、シニカルに微笑むピエールの様子は、ネコルが言ったように、未だ精神的な病を抱えていることを連想させた。
「そんな、国どころか世界まで捨ててしまった私が、ここでは、貴族のような扱いを受けているんです。おかしなものだ」
「貴族?」
「ハハ、リノさんはまだこちらに来られたばかりだから知らないか。王都では、異世界人は貴族待遇なんですよ」
「ひぇ~、想像できない」
「オセアニア? アジア? リノさんがいた日本という国は、確か太平洋の向こうにあるフィリピンに近い島国ですよね。お国には貴族はいませんでしたか?」
そうか、ピエールさんは十歳でこっちに来たから、向こうの地理なんかは習ってなかったんだろうな。
「日本はアジア圏で、中国や朝鮮に近い所にある島国です。ピエールさんのお歳でしたら、アジアで初めてオリンピックが開かれた国、と言えばわかりやすいかな」
「おぅ、トーキョー!」
「そうです。私の国にも貴族的な立場の方はいらっしゃいますが、ごく少数で、国民はみんな自分たちのことを中流階級だと思ってる庶民・オブ・庶民なお国柄です。だから、貴族関係のお付き合いはちょっと、ご遠慮したいかなぁ」
「私も当初は戸惑いました。でもチヤホヤされるうちに勘違いして、粋がって、やりたい放題のことをやってきました。若気の至りですな。けれど歳をとるに従い、貴族とあがめてくれる人たちより、私を『よそ者』と言いながらも親切にしてくれていた村の人たちのことが、懐かしくなってしまってね。二年半ほど前に、フュータ村に帰って来たんですよ」
「え、二年半? てまり屋のギンおばあさんは、ついこの間って言ってたけど」
「おや、ギンさんに会ったんですか! 嬉しいなぁ。あの人には若い頃、本当に世話になった。フフ、リノさん、年寄には五年以内ぐらいの出来事だと、全部『ついこの間』なんですよ」
なんと、年寄って、感覚のスパンが広すぎる~。




