第一村人、発見
リノは、村々を繋ぐ街道に出るための道を探していた。
砂浜から街道に出るためには、どうしてもこのジャングルじみた林を通り抜けなければならないようだ。
「えっと、このあたりかな?」
何度か行きつ戻りつしながら林の中を覗き込み、どう考えても地図上ではここを「小道」と表示してあるらしいと思わざるを得ない、「小道?」らしきものをやっと見つけることができた。
これ、道じゃないじゃん!
どう見てもけもの道だよね。
砂浜から林に入る入口に埋まっていた石は、もう八割がた砂に埋もれていて目印の役割を果たしていない。
そして人ひとりがやっと通れそうな幅に木が切られているのは辛うじてわかるものの、そのかつて道であったものの上には腰のあたりまでぎっしりと草が生い茂っていた。
プッ、獣さえ通っていない「けもの道」とは、これ如何に。
お腹が空き過ぎていて変なテンションになっていたリノだったが、さすがに田舎で育った娘らしく、石や流木を拾ってきて蛇対策をすることは忘れていなかった。
リノは今、裸足である。着替えも靴もカバンも、兄のボートの中に置いてきてしまった。
これから林の中の道を辿るには甚だ不適切な格好だが、究極の空腹という生命の危機の前にそんなことを言っていられなくなってきた。
お腹すいた~。
でもまずは流木で草を倒さなきゃね。
流木を横に払って草を寝かせると、その上を恐る恐る踏みしめながら林の中に入っていく。林の中は暗かったが、しばらく行くうちに、何メートルか先に街道のようなものが見えてきた。
ホッ、あそこまで行けば何とかなりそうな感じ。
思っていたよりも早く林を抜けることができそうだと安堵していると、左手の木の上の方からガサガサっと音がして、何かが降ってきた。
「ぎゃああああああああああああ!!」
リノが叫びながらも石を投げ、棒きれを大きく振り回した時、「ボゴッ」という鈍い音と「イテッ!」という声が同時に聞こえた。
「てめぇ、何すんだよ! おー痛い、そんな危ねぇもん振り回してんじゃない!」
「ひえぇ、何? 誰? 人間?」
リノの胸は激しく動悸を打ち、流木を握りしめていた手のひらにはびっしょりと冷や汗をかいていたが、意味のある言葉が聞こえたような気がして、パニックになっていた身体を無理やりに落ち着かせた。
「…………人間、じゃない」
「お前、ことごとく失礼な奴だな。人間に決まってるだろ!」
リノの前でカンカンに怒っているのは、赤みを帯びた金色の毛を生やした類人猿だった。確かにシャツとズボンを身に着けていて、人にわかる言葉を話しているのだから、人間といえば人間なのか?
でも太くて長い尻尾が、後ろで揺れている。
「え、サルじゃないの? だって尻尾があるよ」
「はぁ?いまさら何を寝とぼけてんだか。お前、そんな可笑しな格好してるくらいだから、物知らずの深窓の令嬢ってわけでもねえだろ? マンキ国出身者は、みんなこういう尻尾があるの!」
「ふぇ~、そうなんだぁ。ええっと、マンキ国?それって、ここの国の名前?」
リノの言動をジッと見ていた、目の前の類人猿、もといマンキ国人は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……チッ、やっぱ『よそ者』かよ。ああ、めんどくせぇ。でも放っておいて後でバレたら、ゴンゾじじいにぶん殴られるかも」
「何を一人でコソコソ喋ってるの?」
「あー、あー、吾輩はネコルである。貴殿の名は、何というんだね?」
「リノ」
「ふうむ、ゴホンッ。リノとやら、道に迷っておられるなら、吾輩についてこられよ」
猿に見えて猿じゃない、猫、いやネコルと名乗る男は、急にわざとらしく改まった口調で話し始めたかと思うと、クルリと身をひるがえしてヒョイと木の上に飛び上がった。すぐ左手にあった大きな木の枝は、そんなネコルの身体をしっかりと受け止めている。
「ほれ、貴殿も木の道を使われた方がよいぞ。夏の日の街道は埃っぽいゆえに」
「……のぼれない」
「は?」
「私は木登りができないの!」
「あ、そういえばアサヤ系の人間の中には木に登れない者もいると聞いたことがあるな」
呆れた顔をしてリノを見下ろしていたネコルは、しぶしぶとまた草の上に下りてきた。
「チエッ、この暑い日に土の道かよ~」
あっという間に口調が元に戻ったネコルは、しぶしぶとではあったがリノを先導して林を抜け、夏の陽が白っぽく照らしている街道へと出ていった。
リノはおとなしくその後をついて行ったが、馬車のわだちが残る街道まで出てくると、きっぱりとネコルに別れを告げた。
「ありがとう、案内はここまででいいです。ネコルさんは何か用事があったんでしょ? 私は東の方にある集落に行く予定だったんだけど、どこか『よそ者』にお勧めの場所ってあるの?」
「へー、無礼なだけの奴かと思ってたら、ちったぁ気も使えるんだな」
ネコルは西にあるフュータ村に行く用事があったらしく、リノの提案は渡りに船だったらしい。ここから東に行ったところにある村は、センガル村といい、ネコルはそこの村役場で下働きの雑用をしているそうだ。
「今日は貴族のおっさんも休みだし、ちょうどいいかもしんないな。役場のお偉いさんはゴンゾっていって、ガタイのいい爺様だ。間違っても、サルだのゴリラだの言うんじゃねえぞ。あいつはすぐに手が出るからな」
「……そんな恐ろしいところにどうして行かなくちゃいけないの? ネコルが私と会ったことを黙っていればいいじゃない」
「あんたも薄々気が付いてるんだろ? 出会いヶ浜に辿り着いた『よそ者』は、役場に届け出を出さないと、この国で暮らしていけないんだよ。それともあんたはこの国の金を懐にたっぷり持っていて、身元引受人もいるのかい?」
ネコルに指摘されるまでもなく、<異世界人パック>という字面を見た時に、嫌な予感はしていたのだ。自分以外にも異世界からの転移者がいるのかもしれない、そんな予想は現実のものだったらしい。
「わかった、役場に行けばいいんでしょ。そこに行けば、なんか食べさせてくれるかなぁ」
「なんだ、腹が減ってたのか。じゃ、これをやるよ」
ネコルが渡してくれたのは、カチカチになった茶色の細長い塊だった。
「これ、食べ物?」
「ったく、失礼な女だな。腹が減ってりゃなんだってごちそうだろうに。そいつはアジのみりん干しだ。日持ちがするから、たいていみんな持ち歩いてるぜ」
「みりん干し?! う、うう―ん、そうか。アジなら食べられないこともないかも、しれない? あ、ありがと」
ネコルのポケットから、包みも何もなくそのままの姿で出てきたことから、とても食べ物だとは思えなかったのだが、これが世にいう郷に入っては郷に従えというやつなのかもしれない。
軽い異世界間ギャップを感じながら、リノは思い切って茶色の塊を口の中に放り込んだ。
硬い。これはしばらく唾液でふやかさないと噛めそうもない。
「じゃあ、俺は行くぜ。じじいに叱られるから、必ず役場に行ってくれよ!」
最後に念押しされてしまったが、木に飛びついて忍者のように去っていくネコルを見送りながら、リノは東へ続く街道へ足を踏み出したのだった。