子熊の宿
裏庭の井戸を確認した後、客が使用する勝手口を通り、宿の中にリノが入っていくと、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。
どうやら他のお客さんが、宿に戻ってきたようだ。
すれ違ったときに男の人が多かったので、リノは目を合わせないようにしてそそくさと自分の部屋に入り、扉の鍵をすぐにかけた。
部屋の中にいても、微かに聞こえてくるやり取りから、冒険者のグループと旅の商人のグループが玄関ホールにいたことが分かった。
冒険者の人たちは、ここが常宿なのか、すぐに大部屋に入っていく声がした。商人の一人は、リノの部屋の向かいに入っていったようだ。安普請なのだろう、廊下を歩く音やドアの開け閉めの音なんかが、よく聞こえる。
こうやって他のお客さんと宿の中で出会うと、女が一人旅をすることの危機感をよりいっそう感じてしまう。
本当に常時、魔法でガードしておいた方がよさそうだ。
<結界>とかの守りに特化した魔法って使えるのかな。
リノは部屋でゆっくりしながら、魔法でも練習しようかとベッドに寝転がったのだが、その途端、ゴツッと硬いものに尾てい骨が当たる音がした。
「痛たた」
何これ、このベッドってスプリングがないじゃん。
よく見ると、ベッドはただの板組みで作られており、その上に、申し訳程度のせんべい布団が敷いてあるというシロモノだった。
それに上にかかっている掛け布団もどことなく薄汚れている。
これ、前に布団を干したのって、いつ頃なんだろう。
そう考え始めると、あちこちの埃まで気になってきてしまう。
これが異世界の洗礼か。
昨夜の宿が恵まれ過ぎてたんだ。
自分はこれから何日も、こういう宿を渡り歩きながら、旅をしていかなくてはならないらしい。
これは、早急に何かの対策が必要かもしれない。
……………………。
「よし、まずは『てまり屋』だ」
リノは子熊の宿を飛び出すと、さっき来た道を戻り、ネズミのおばあさんがいる店に走っていった。
外はもう日が暮れようとしており、道を歩く人たちも家路を急いでいるように見える。
近場の宿を紹介してもらっててよかったよ。
「ギンおばあさん、また来たよ」
リノが店に入っていくと、ネズミのおばあさんはびっくりしていた。
「あれまぁ、あそこに泊まれなかったのかい?」
「ううん、泊まれはしたんだけど、早急に買い足したいものができたのよ」
「え、あんなに買ったのに、まだいるものがあるのかい?!」
そりゃあ、ここに住んでる人たちなら、あの宿の状態が当たり前のことなのかもしれないが、極度に清潔を謳う日本からやって来た人間には、どーにも耐えられないものがあるのだ。
「枕と敷布団に肌掛けのタオルケット、それにシーツをちょうだい。できたらベッドと机と椅子も欲しいんだけど」
「布団なんかは、一組、奥に新品があるにはあるけど、高いよ。それにベッドなんかは家具屋に行かないと」
「だよね。あ、そうだ、タライとバケツはあるよね」
「ああ、それはあるけど……」
「じゃあ、それも買うからマケて、お願い!」
「……もう、仕方がないねぇ」
枕、350バル。シーツ、800バル。肌掛け、1000バル。敷布団、1800バル。タライ、450バル。木のバケツ、200バル。しめて、4600バル也~。
安くしてもらってこの値段。さすがにおばあさんが布団を「高い」というだけのことはある。
宿代を払って残っていたリノの所持金は、4740バルだったので、
4740-4600=140バル
140バル……あれぇ?? なんか懐かしい感じのする所持金額だね。
元に戻ってるんじゃね?
いやいや、収納の中には生活に必要な荷物がいっぱいある。
もう、バナナボートしか入っていなかった、昨日のリノとは違うのだ。
んなもん、オールオッケー、心配ない。
完璧に大丈夫に決まってる。
……だよね?




