倹約しましょ
怒涛の買い物三昧を終えたリノは、精神的な疲れを感じながらオータムの町をさまよっていた。
確かに必要な買い物だった。それは誰はばかることなく自信を持って言える。
ただ、もらったばかりの生活費と交通費が、あれよあれよという間に流れ、消えていってしまった。
これでよかったのか?と、指摘されると、少し目が泳いでしまうことも事実だ。
こういうのを後の祭りというんだろうか。
ま、くよくよ考えても仕方がない。よし、次に行ってみよー。
このあたりは、いかにもなリノである。
「そうだ、てまり屋のネズミのおばあさんの顔でも見に行くか。今夜の宿を紹介してもらうのもいいね」
そんなことを言ってて、またぞろ買い物をしてしまうのではないか。
……してしまったようである。
目をつけていた、洗濯板、50バル。干し紐、50バル。持ち手付きの木のコップ、80バル。ヘアブラシ、200バル。裁縫道具(針と糸)、30バル, (ハサミ)、250バル。ヘチマ水用ガラス瓶、150バル。そして、洗濯石鹸、50バル、歯磨き粉、30バル。
しめて、890バル也~。
その上、あろうことか、包丁、400バル。まな板、50バル。フライパン、650バル。アウトドア用クモアシ五徳、400バル。スコップ、400バル。
しめて、1900バルも追加して、全部で、計 2790バルだよー!
普通の人の一か月分以上の給料を一度に使っちゃったことになるね。
只今のところ残った所持金は、5040バルでごんす。
「ハハハハハ、毒を食らわば皿までよ!」
魔王のように笑うリノを、ネズミのおばあさんは心配そうに見ていた。
「うちとしては買ってもらえるのはありがたいんだけど、本当にいいのかい?」
「ちょっと自棄になってるのは事実ですけど、どうせいずれ必要になって買うものですから。それに、まだまだ欲しいものはあるんです。これでも我慢して倹約してるんですよ」
「あんたの倹約は、おかしなやり方をするんだねぇ」
ま、これもリノだ。納得してもらうしかない。
でも、ここからは本当に倹約して、「近場で、安くて、安全な」宿を、おばあさんに紹介してもらうことにした。
「それだったら、『子熊の宿』だね」
てまり屋から、二、三分ほどの距離にあるその安宿は、300バルで素泊まりができるらしい。
「男だったら、150バルで、ごろ寝できるタコ部屋があるんだけど、あんたは女の子なんだから個室の方がいいだろ? 女将のテデに、必ず『てまり屋』のギンの紹介だっていうんだよ。そう言っとくと掃除をした部屋に通してくれるから」
「……え、部屋の掃除をしないときがあるの?」
「そりゃあ、当たり前さ。安宿なんて回転率を上げなきゃ儲けなんてないからね。忙しい時は何部屋も掃除していられないよ」
うわぁ、これも異世界間ギャップを感じる。
そうしてみると、センガル村の「トメばあさんの宿」は、クオリティが高かったんだな。
あのしつらえの部屋で、あれだけの料理を出して、500バルだもんね。
ラクーさんが「すぐにいっぱいになって泊まれなくなる」って言ってたのもわかるよ。
ギンに言われた通りに、裏通りをもう少し北に向かって歩いて行くと、ちょっと煤けた平屋建ての建物があり、その玄関先にベッドのマークの看板がぶら下がっていた。
ここか。いかにも安宿って感じ。「子熊の宿」って言ってたけど、看板も何もないね。
もちろん、トメばあさんの宿屋にあったような花の出迎えもない。
入ろうかどうしようかと、リノが悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「おねえちゃん、おきゃくさん? きょうはまだあいてるよ。どーぞ、はいって」
リノに話しかけてきたのは、小さな茶色の子熊だった。
クリクリした目が、話しかけても動かないリノを不思議そうに見上げている。
きゃわいい! なにこれなにこれ、ぬいぐるみ? テディベアが喋って動いてる!
「どーしたの?」
ハッ、子どもに不審者だって思われちゃう。
「こんにちは。『てまり屋』のギンさんに紹介してもらったんだけど、ここが『子熊の宿』で、あってる?」
「うん、そうだよ! なかに、とーちゃんがいるから、はいってウケツケしてねー」
子熊はリノにそう言いおくと、「とーちゃーん、ギンばぁのしょうかいのおきゃくさんだよー」と叫びながら、宿の中に入っていった。
リノも後をついて中に入ると、暖簾をくぐって、奥から迫力のある毛むくじゃらの熊男がのっそりと目の前に現れた。
び、びっくりしたぁ~。
これ、先に子熊ちゃんに会ってなかったら、予想がつかなくて腰を抜かすところだったよ。
「いらっしゃい。ギンばあさんの紹介なら、個室だな。一泊300バルだ。料金は先払いで頼むよ」
父さん熊は、大柄な身体から出てきたとは思えない少しくぐもった声で、ぼそりとそう言ってきた。その後、棚の引き出しをゴソゴソあさり、大きな手でつかむとひどく小さく見える鍵を取り出し、無言でリノに差し出してくる。
リノがカギと引き換えに300バルを渡すと、父さん熊は汚れたエプロンのポケットにリノの宿賃を無造作に入れた。
受け取った鍵を見てみると、風呂屋の番号札のような木札がぶら下がっていて、二号と書いてある。
「二号室?」
「ああ、そのドアの向こうが大部屋だ。その脇の廊下を入ると個室のドアが両側に二つずつ四つあるから、右手の奥側の部屋を使ってくれ」
「わかりました」
リノが返事をする間もなく、父さん熊は、また暖簾をくぐってどこかに行ってしまった。
あれ? 宿帳の記入とか、夕食や朝食の案内とか、洗濯井戸の説明とか、はないの?
……どうやら、とことん素泊まりを極めた安宿の中の安宿らしい。
「えーと、ここには客が使える井戸ってある?」
まだそばにいた子熊ちゃんに尋ねると、「あるよ! こっちだよ」と言って、リノを裏庭に連れて行ってくれた。
よかった、井戸はあったよ。
でも裏庭まで行って実際に井戸を見た時に、また、安宿の悲哀を感じてしまった。
トメばあさんの宿にあった、タライやバケツのようなものが何もない。汲み桶で全部代用するみたいだ。
それに着替えるための小屋もないから、ここをお風呂のように使うことはできないな。
倹約って、侘しい。倹約って、寂しい。
こういう「わび・さび」は、いらないな。
明日から冒険者の仕事をして、しっかり稼ごう。
そう心に決めた、リノだった。




