のんびり行くべ
リノが宿屋を出ると、すぐ目の前に馬車がとまっていた。荷台には、ナスやキュウリのような夏野菜が山盛りになったカゴがいくつものせられている。
昨日、リノを村に連れてきてくれたラクーさんが御者台に座り、荷馬車の向こうにいるゴンゾ村長と、何か話をしているようだった。
リノが馬車に近づいていくと、すぐにラクーが気づいてくれた。
「ゴンゾ、リノさんが来たぞ。じゃあ、トトマス男爵に託ればええんだな」
「ああ、頼む。明後日、こっちに来るときに、確認の書類なんかを持ってきてくれるはずだ。よろしく言っといてくれ」
「わかったわい」
ラクーさんが、町へ何か持っていくのかな? ということは、今日、市場に行く当番はラクーさんなんだろうか。そうだったらいいな。
「おはようございます」
「「おはよう」」
話の合間を見計らって挨拶をすると、二人そろって挨拶を返してくれた。
「お嬢さん、よく寝れたか?」
ゴンゾが馬車の後ろを回り、リノが見える方へ出てきてくれる。
「はい、ベッドが気持ちよくて、ぐっすり眠れました」
「そりゃあよかった。トメばあさんに聞いとるかもしれんが、今日は市が立つ日なんで、オータムの町へは、ラクーに連れて行ってもらうことになった。昨日、会ったそうだから、同行者にちょうどいいと思ってな」
「それはありがたいです。ラクーさん、すみませんがよろしくお願いします」
リノがラクーに頭を下げると、ラクーはかぶっていた麦わら帽子を少しだけ持ち上げて、笑いながら挨拶してくれた。
「なんのなんの、話し相手ができてちょうどええ。ほれリノさん、乗った乗った」
ラクーが叩いて示してくれた御者台の板の上にリノが座ると、ラクーは「ほいほいっ、さあ行くべ」と馬に声をかけながら手綱を打ち、荷馬車を前に進ませた。荷馬車はギシリと音を立てゆっくりと動き出す。
「じゃあ、気をつけてな」
「ほいよ」
リノが振り返ると、役場の前にはレオナも出てきてくれていて、ゴンゾ村長と二人で見送ってくれていた。
「いろいろ、ありがとうございました!」
叫びながら大きく手を振るリノに、少しずつ小さくなっていく村長たちも笑顔で手を振ってくれていた。
たった一日この村にいただけなのに、何日も、ここに住んでいたような気がする。
出会った人がみんないい人だったのもあるのだろう、後ろ髪を引かれるような名残惜しさを感じながら、リノは朝もやの残る道の先を見つめた。
まだ夜が明けきらない薄闇の中、荷馬車はゴトゴトと進んでいく。
村の家々から朝餉の支度をする煙が登り始め、新しい夏の一日が始まろうとしていた。
村の家が途切れ、ずっと見えていた田や畑も後方に過ぎ去ったころ、ようやくラクーが話しかけてきた。
「ここから少しの間、ゆるい坂が続くんだ。森の中に入ったら、魔獣が出てくることもあるから、おかしな動きをする獣がいたら教えてくれな」
なんだってー?!
「魔獣? ここには魔獣がいるんですか? え、えーと、魔獣ってどんな格好っていうか、危なくないんですか?!」
リノは完全にパニクっていた。
頭の中には、前にユーツブで観た恐竜の映像が延々と流れてくる。
「まあまあ、落ち着けや。本物の魔獣なんぞ、里の辺りじゃ、そうめったと出会いはせんからな。運が悪けりゃ、頭の黒い魔獣、盗人連中が湧いてくる」
「ラクーさぁん、それ、全然、安心できないじゃないですか!」
「ハハハ、わしは猟師もやっとるで、そこらのぼんくら盗賊なんかすぐに片づけてやるさ」
「待って、そういうの『フラグ』っていうんですよぉ」
「『フラグ』? なんじゃそりゃあ」
異世界人にはフラグが通じなかった。
ラクーさんが道々話してくれたことによると、森にいる普通の「動物」は人間を襲わない。むしろ人を見たら逃げていくそうだ。「魔獣」は人間を見たら襲ってくる。つまり、盗賊は人であっても人ではなく「魔獣」のカテゴリーに入るらしい。
「この国の南部には、わしらみたいな見た目の動物臭が強い人族がよーけえおるからな。パッと見ただけでは、魔獣なのか動物なのか、はたまた罪深い人族なのか、見分けがつかん。じゃけぇ、人に敵対するかどうかで、相手の扱いを決めるんさ。リノさんもこれから王都まで旅をするんじゃ、敵とみたらまごまごしちゃならん。すぐに魔法でも打って、退治するんだぞ」
なるほど、リノの行く末を心配してこんな話を聞かせてくれたんだな。
この話を聞いて、リノの中に一気に危機感が襲ってきた。
のんびりしたセンガル村にいた時には、異世界にいるという、そのことを飲み込むことだけで精いっぱいで、若い女の子が一人で生きていくことの難しさを、あんまり考えていなかったかもしれない。
魔法スキル、こいつを研究して、すぐに使いこなせるようにした方がよさそうだ。
「ラクーさん、じゃあこれから、魔法の練習をしながらいきますね」
「フフフ、ええ心がけじゃ。やっぱりリノさんも、ピエールさんと同じように魔法が使えるんじゃな。ほう、光魔法か……えらい難しいところから始めたな」
リノが、【ライト】で光の玉を作って馬車の前方に飛ばすと、馬がくすぐったそうに顔を振って魔法の残滓を振るい落とした。
お、すぐに光が出てきたね。
ラノベでは「魔法を使うには、想像が大事」といわれてたから、イマジネーションを膨らませてやってみたけど、案外うまいこと使えるもんだ。
シャボン玉~、綺麗な光のシャボン玉~♪
鼻歌を歌いながら暗い森の中に光の玉を飛ばしていくリノを、馬車を御していたラクーは感心しながら眺めてゆくのだった。




