8 そのお見舞いはない
ベガスに転院したファイは、ぶったまげて思わず仰け反ってしまう。
「…あた、あたた……」
「ファイ、動かないで。」
お見舞いに来ていたイータとリーブラも驚きまくりだ。
「ファイ、本当に申し訳なかった。」
「ひえ!何しに来たんですか!!」
「見舞いだろ。」
「私は一般市民です!来ないで下さい!!…あぃっ、いた。」
「動かなくていい。市民だから来たんだろ。」
「何の人気取りですか?!」
「ファイ、やめなさい。」
同行していたデボラがたしなめるも、本気でファイは蒼白である。
お見舞いに来たのは、ユラス民族議長サダルメリクであった。
いつも南海で、チコやファクトたちが居るところで会うのと全然違い、場違いな怖い人にみえる。しかも、その後ろには、あのオリガン大陸駐在のガタイのいいのフラジーアがいるし、同じくらい人を殺せるんじゃないかという、見たことがあるような無いような渋いおじさんもいる。誰だ。
「ファルソン・ファイさん。本当に感謝しきれないほど、感謝している。
オミクロン族長、ジル・オミクロンと申します。」
そのおじさんは、イータ、リーブラと両手で固く握手と共に挨拶をし合うと、ベッドのファイにも負担がないように手を差し出す。そうか、直接は関わってはいないが、議長夫妻の儀式でユラスに行った時に参加していた人だと分かった。カウスの伯父である。
「はぁ~~」
何でこんなことになったのかと、ファイは消え入りそうだ。彼らは仕事の合間で15分ほどしか時間が取れないらしく、正午過ぎには早々と発つ。
「君のおかげでテミンが無事に帰還できたんだ。何かお礼がしたい。」
「いいえ、何もいりません!そもそも私が庇ったのはテーミンじゃなくて河漢の子です!」
「たまたまそうだっただけで、それはテーミンかもしれなかったんだ。同じことだ。」
「同じじゃないです!」
自分を犠牲にするまでの公益心も利他精神もないファイ。なのに、いざという時に咄嗟にナックスを庇ってしまったのだ。自分で自分が分からない。自分が意外過ぎる上に、この人たちと縁を作りたくない。
「何よりも、テーミンが感謝している。」
ジルが切なそうだ。
「………」
ナックスに何かあったら、テミンはひどく傷ついた事だろう。ただ子供たちはファイの状態をまだ知らない。
「お礼にウチの青年を紹介しようか。」
サダルが横でしれッと言う。
「いやです!!絶対に嫌です!!前も言いました!本当に私を心配してます??何しに来たんですか??時間がないなら早く仕事に行ってくださいっ。」
「だから、俺が紹介してやると言っているだろ。」
フラジーアも言っておく。
「やめてくれません?ホントに。あのチコさんに赤くなってた男子とかですか?愛は叶わないけど、チコさんの弟子ならって大房民紹介されて、普段はコンビニでたむろしていますとか言ったら人生絶望しそうですが?あなたの部下にも私にもなんの拷問??」
「ファイ、そういう話はやめなさい。」
サダルは無反応だが、まさにそのチコさんの旦那の前なのでイータが怒る。
「………?」
サダルに紹介される層なら、おそらくかなりの良き信仰者やエリート、金持ちもいそうなのに全力で嫌がるので、初めて一般大房民と面会するジルたちはよく分からない。よい話ではないか。
「あの、そういうお礼とかいりませんけど、できるだけよい治療が無料でできるようにお願いします。それだけです!」
「今回の件で負傷した者の治療はもともと全員無料だ。」
憐れそうにファイを見るイータとリーブラ。
ファイはとんでもなく理想の高い女だが、ファンタジーとしてだけでいいのである。なにせ好みのクセが強いので美男うんぬん以前に、そんな男子はおそらく世にいない。ファンタジーに実体はないが、そのかわり上限はないのだ。現実で金持ちや美男をあてがわれても、ユラスと関わって責務が増え命が脅かされるくらいなら、結婚など考えたくない。あのユラス上級社会の格式高さを見て、あんなキリキリ生きるぐらいなら、大房の片隅で理想の男子の妄想をしていた方がいい。
現実にいるバンドマンやアイドルでも、向こう側の人のままでいいのである。ちょっとヤンデレ系が好きなのだが、それすら現実でなくていい。現実に病んでいて、なおかつかっこいい男などいないと知っている。
「紹介されたところで、理想の男子は考えるだけでいいんです……。」
「………??」
見るでもなく、想うでもなく、考える?という、妄想チームに付いていけない現実派ユラス人。説明が面倒なので何も言わないが、現実にいない理想で満足していると言ったら、それこそぶったまげられるか、病院に連れて行かされそうだ。ここ病院だけど。
「ファイに対して私は責任があるだろ?」
サダルがとんでもないことを言い出す。
「はい?ありませんけど?」
「チコが責任を持つと言っていたので、そういうことになる。」
「なりません!!」
アーツ第1弾は雇用とは別に、チコと師弟関係だ。
「……何かお礼をしたかったんだが、私はどうすれば……」
ジルが戸惑っている。
そんなファイは辺りを見渡して、リーブラたちと目が合い提案した。
「あ、ならいつか情勢が落ち着いてアーツのメンバーが皆さんの国に行く時は、よく迎えてあげて下さい。海外旅行をしたこともないメンバーも多いと思うので。」
「ええ!」
ファイならぬ他者を思いやる気持ちと、至極まっとうな提案に驚く皆さん。
ジルとサダルは目を合わせて頷いた。
「ファイ、首を見せてみろ。」
「えっ。女性に何を言ってるんですか。奥さんいるのに変態ですか!」
「何を言ってるの。サダル氏は医者ですよ。見てもらいなさい。」
デボラが呆れる。
「そんな事したらここの担当医に失礼です。」
「大丈夫だ。私もこの病院の顧問だ。処置が不足なら、マーカーを紹介してやる。」
「マーカー?」
「ポラリス博士の同僚です。」
マーカーはニューロス生体分野の皮膚機能も研究している博士だ。ポラリスは神経系統、サダルは筋肉や機能形成外科に強く、マーカーは肌構成に強い。
「………私も強化義体になるんですか……」
完全に怯える。
「あまり話したい男ではないが、シャプレーに掛け合ってもいいが。」
「??」
何で社長??と、またみんな疑問でいると、デボラが教えてくれる。
「彼は整形のプロですよ。」
シャプレーは元々化粧品の職人だった先祖の流れか、肌や容姿形成に強い。ホモサピエンス型アンドロイドのデザインはシャプレー自身が決めるわけではないが、理想に最も近く形成できるのは彼だ。一部のアンドロイドは全てオートで作るわけでなく、職人的な仕事がいる。それに顔立ちの微妙なバリエーションを求められているのだ。そのわずかな違いが、シリウスのように人間の心をくすぐるものになる。
そして、サダルたちが様々な被害者の整形外科を無償で受け持っているように、シャプレーも戦争や犯罪被害、事故被害者の手術を担当していた。
「え?私、美人になるの?」
素で聞いてしまう。
何か我慢できなくなったのか、後方で不動の姿勢を保っていた護衛が、プッと吹き出していた。
「………十分な顔をしているだろ。顔じゃない。首周りだ。」
ただ、ファイが鬱状態になっていなかったことには、皆安心した。怪我や事故は、ひどくイライラしたり話せないほど落ち込んでしまう場合もある。長期カウンセリングもあり、今後様子を見る必要はあるが、しばらくは体の復帰に集中できそうだ。
***
「おばーちゃん。イークス君元気?」
ファクトは、鍵倉のマンションに来ていた。
そう、弟が無事生まれ、母ミザルもどうにか無事だったのだ。
ポラリスがギュグニー関連の仕事に出たので、現在ミザルの母がフォーマルハウトから手伝いに来ている。ファクトは先日会ったが、今日もおばあちゃんに呼ばれてしまった。
「ファクト、まだお土産いっぱいあるから食べなさいね。これも、あとこれもね。」
年老いたおばあちゃんみたいなことを言っているが、70いかないくらいの祖母は白髪もあまりなくまだ十分若々しい。中学生以来だ。
あの日、父ポラリスは、スペーシアの中で「母子ともに覚悟して下さい」と言われた。
そして機内で子供はどうにか出産することができた。
設備の少ない機内で開腹か、そのまま自然分娩か。結論が出るまでポラリスとガイシャスでミザルの身を整え、身体が安定するよう霊性を送る。
すぐ判断を出さなければならず最後の決断をしようとした時、子供がかなり下りて来ていたので、腹部を上部から押してみたら頭が出てきてあれよあれよと産まれてしまったのだ。経産婦と言っても20年前。みんなびっくりである。へその緒はそのままに一旦ガイシャスが子供を見る。その後、ミザルの血圧がさらに低下し、処置をしている間に倉鍵の最も大きい病院に到着。
そこでもポラリスは「覚悟して下さい」と言われる。
スーと深く眠り込んでしまうような顔のミザル。
後は祈りながら任せるしかない。
病院で待っていたデネブも出てきた。デネブは東洋人体学における高度霊性師である。倉鍵にも霊性師である医師が多いため、連携して処置をしている間に少しずつミザルの体は安定していった。
父ポラリス言うには、生きた心地がしなかったらしいが、ファクトが後で聞く分には、なんだか導かれたお産である。よかったよかったとしか、言いようがない。
かくしてイークス君は人類で初、軍用機スペーシアで産まれた赤ちゃんとなったのだ。
しかもユラス軍の。
ミザルの出産を公表してもいいとなって、南海でみんなに話した時は超絶盛り上がってしまった。クルバトノートに早速記入される。お祝いアンド「ファクトⅡだ」と、歓声の嵐である。いや、ミザルⅡ、ポラリスⅡかもしれないのに。
なお、ユラス軍機の中はユラス領土となる。
けれどアンタレスも、ウチの上空で、うちの病院で出産証明を出しますよね、となり、ユラス領土アンタレス市中央区が出生地となる。正確には産まれたのは河漢上空で、息をしたのは中央区上空だ。本来は全身が出た時が出生時刻として記入される時間なので、追記にそのことも記載されている。
こんなに出生地がたくさん書かれた子もなかなかいませんと言われてしまった。それはそうであろう。
「それこそ河漢をもっと良い地にしていかないとね。イークス君が産まれた場所だから。」
そう言いながらファクトは猫のジロウに餌をあげる。
妊娠前にミザルの療養期のために飼い始めたジロウは、自分よりこの家に馴染んでいた。
「……イークス君も次郎にすればよかったのに。」
「何を言っているの?」
まだほぼベッドの上の母が冷めた目で見る。自分の弟なので次郎君でもよかったのにと思う。
「なんかカッコいい顔してるよね。一重の切れ長の目で。」
「そう思って育てると、子供って結構二重だったりするんだよ。」
「そうなの?」
「ファクトも小学生まで安定していなかったし。」
「ほんと?」
今ファクトは一重っぽい奥二重だ。ただ残念なことにミザルやサダルのように切れのいい目尻ではない。威厳のある顔になりたかったのに。
ファクトは入院中で、イークス君の最初のおさる顔を見逃してしまったのが切ない。初対面は既にしっかりした顔で、父のような茶色の髪と目をしていた。