19 ナオスの憂い 名のつかない歴史
「その姪っ子も、又甥も連れてこい!」
そう言うチコに、周りが声もない。
「何なら私が育ててやる。ただし、自分が聖典やナオスを背負っているとか、旧貴族の誇りを捨てられるならな。」
「………?」
「私の元の来る者は、誰も彼も全ての家門を脱いで、裸足で来てもらう。」
「………!!」
チコは真っ直ぐ男を見た。
「いい加減悟れ。
あの時ユラスがアジアと共同宣言ができなかったら、今、まだユラスは内戦の真っただ中だ。それで、次世代も銃を背負っていただろうな。」
渦中ではチコも不安なこともあった。数年前まではまだ不安だった。カストルの方向性は全く疑っていなかったが、その元で自分は何ができたのかずっと不安だった。
でも今は思う。不出来なことも、失敗したこともある。もっとうまくできたこともあったかもしれない。でも、最後まであがいてこの道は間違っていなかったと。
ユラスとアジアは、ユラスとヴェネレは、そしてギュグニーは今、戦争をしていない。それだけでなく、疎通ができる。前時代、そんなことは誰も出来ないと思っていた。崩壊主義勢力であり、夢物語だと。
けれど今、それは天への巨大な功績だ。
「家門とか、ユラスの歴史とか、お前らはそういうのが、さぞ誇らしいんだろな。」
「………」
「でもな、神の内性はそうはできていない。宇宙で調和を成さない者は宇宙時代には淘汰されていく。これ以上異物を抱えたくないからな。人間の体と同じだ。自身を構成するものに異常があれば、外に吐き出したい。病気になったら必死になるだろ。
世界も全て同じだ。」
「……………」
荘厳な廊下に沈黙が広がる。
と、言い切ったその時である。
「議長、チコ様?」
さらに通路を歩いて来た男、ザルニアス家のジョア一行であった。
「ザオラル様も良い日和で。」
と、ジョアが議長夫妻の後に挨拶をするので、ザオラルも立って礼をした。一緒に会議に来ていた弟のジンズも礼をする。ジョアの方がザオラルより年下だが家門は上だ。そして、ザルニアス家はゼネコンや商社、重工業、国内最大の不動産業などを抱えているので、国外も含めばナオスでの経済規模はトップ3に入る。ジョアと同行していたいくつかの家門も礼をした。
「みな様お揃いで……」
そして、珍しく顔を見せているチコをボーと見ている。
「チコ様、今日もお綺麗で……」
「あ、はあ………。」
なんだこいつと、チコが少し引く。
「…??」
ベガスでの情報を知らなかったのか、ディスターユ家一行がジョアの雰囲気に困っている。ジョアは昔チコを蹴落とそうとしていた一人であった。その家族は早々にチコについていたが、家長までそうだと知らなかったのか戸惑っていた。
なにせジョアは、思わずプロポーズまでしてしまったのだ。チコに。
この話はバベッジ一族まで知っていたのに、裏情報となったのか、あれ以後はそこまで広がっていなかったらしい。ジョアもあの後、我に返って自分の行動が恥ずかしかったのであろう。
一方存在しないかのように、座ってそれを見ていたサダル。
『議長、こういうところで妻に「キレイだ…」と言うのは、あなたの仕事です!』
と、カウスが小声でうるさい。
『私が言ったら、脈絡がなさすぎるだろ。そもそもそのセリフ自体がおかしい。』
なぜ突然、人前で褒めるのだ。しかもこのタイミングで。この流れだとジョアのセリフである。
『妻を煽ったり口説いたりする男たちへの、対抗意識です!対抗意識!!』
「…………」
サダルはくだらないという顔をしている。
チコはついでだと、さらにけしかける。
「ザオラル様、ならば友好と言う印に、シーナズから先鋭の研修生を数名送ってくださいませんか?訓練兵でも構いません。」
「……。」
シーナズはナオスの一国だ。ユラスでは統一されてから、各国家から中心国家ダーオに毎年研修生や訓練兵を送り、幹部クラスも共同研修をすることを分野によって義務、もしくは推奨している。シーナズはこれまで中央ダーオのすることに積極的ではなかった。
「今年から、バベッジも加わりますので。」
「!!」
「バベッジ??」
場が騒めく。今までバベッジは、ユラス共同体とは少し距離を取っていた。
「あまりテキトウな人材を送られますと、ナオスがバベッジになめられますから。向こうはバベッジ家から次期家長の子息も来ます。」
と、ニコッと笑う。みんな声がない。
バベッジ家は族長一家。すでに中央会議では共有されている話だ。
一緒にアルジルも送られてくるのに、何を呑気なことを………と、サダル一行がまた呆れている。バベッジ家外戚アルジルは、本人同士は知らないが、バベッジ家がチコの再婚相手にさせたい甥っ子筆頭である。バベッジ家には、失われた家長の血を濃くして身内で固めたい思惑もあった。
「………」
場をどう納めたらいいのか分からなくなったチコは、少し悩んで遂に決意した。
サッとルバを被り直し、三つ数えて決行。イメージはファクトやポラリスと一緒の時だ。最近のファクトは生意気なので、昔を思い出し楽しそうに夫の名を呼ぶ。
「サダル!」
「………」
ベガスでもないのに、このテンション。一瞬自分が呼ばれていると分からないサダルはチコを見て、メイジスを見て、カウスを見て周りを見て、まだ無反応だ。
チコはしょうがなくサダルの椅子の横に来て手を取り、ギュッとその腕を引き寄せる。
「時間までトーチビルに行きましょう!」
「??……行ってどうするんだ?」
素で聞いてしまう。
「一緒にユラスの風景が見たいんです!きっとステキだから!」
「??」
チコは正直、ユラス側のメイジスや護衛などの面子では行きたくもないのだが、ファクトが観光で行ったと聞いたので、一緒に見たら楽しかったんだろうなーと、想定する。なお、初期はチコのひいき目が凄かっただけで、ファクトは最初からあんな感じで生意気であって、別に性格が変わったわけではない。
「この壮大なユラスを一緒に見たら楽しいかな~って!」
政治的にどこをどう仕切るか考えながら見る風景は楽しいであろう。ロマンチックさはないが。
「………………」
温度の低い男たちばかりで盛り上がらずに、チコは自分がバカのようになってくる。
「~~っ」
こんな時にファイやラムダがいたら勝手に盛り上げてくれるのにと。しかも、こういう時にカウスは石の護衛に徹し始めた。ムカつくことこの上ない。孤立奮戦である。
しかし、さすが惚れているだけある。
「チコ様、メレナがビオレッタと帰国していますので、メレナを遣わしましょうか。」
と、ジョアが助言を出してきた。最近一気に成長してきたジョア長女のビオレッタ。きっとメレナ一行と行った方が楽しいであろうが、そういうわけにはいかない。
「夫と行きたいので!サダルと!」
そして、大房民お勧め。
恋人繋ぎなど屁でもない、相手の肘から沿って手を絡める、略して肘繋ぎという、しょうもない技でそのままサダルを立たせる。かわいらしさ、もしくはなまめかしさが重要らしいが、そこはなんとなくで押切り、腕を半分絡めて繋ぐ。これもおすすめらしいが名前などない。恋人繋ぎグレードアップバージョンだ。
しかしサダルは「連行か?」と勘違いする。
「では皆様!夫婦で一緒の時間も少ないですので、これにて失礼します!」
と、サダルを引っ張った。
「え?いくらでもお時間作らせますけど?」
と、ここに来てカウスがぼやくので、蹴っ飛ばしておく。
「あ、ジョア。メレナにビオレッタと一回は食事をしようと言っておいてくれ!じゃ!」
と、歩き出すのでサダルとチコのお付きも礼をして去る。
そんな感じで、玄関までサダルを引っ張って来たチコは、周囲に自分たち以外がいないのを確認してからものすごいため息をついて、やっと腕を解いた。
「……はあ……」
「…………」
サダルもどうしようもない顔をしていた。
「ウチの母と真逆だな。」
「真逆?」
「母は、自分の夫に愛想を振り撒くことしか知らなかった。」
そう言って、サダルは歩き出す。
「でも、かなり身勝手なので、いつも空回りしていたらしいが。」
「…………」
サダルの母は自分の夫の話になると、自分の全てが夫のものと、いつもノロケ話ばかりしていた。「あなたたちは赤ちゃんじゃなくなったので、お母さんのおっぱいはもうお父さんの物です!」と、得意そうにして抱きつかせてくれなかった時期もある。それも数日で飽きて、だいたいトレミーが胸にくっ付いていたが。
母ルイブは、誰にもうまく言葉を返せず、チコの不器用さとはまた違った。
饒舌な者に言いつめられると、最初の話が何だったかすら分からなくなってしまう。目に涙が溜まりそうになり、それを見せまいと拭って強い顔で相手を睨んでいた。
意志は強かったのだ。
そして歴史を知っている。おそらく、天敬の中で。
自分を族長の娘と思い込んでいるルイブを、落とそうとしている男たちはたくさんいた。
その中に、中央権力の事情を知っている者もいたのだ。
たまに街に出ていたルイブは、話があると数人に囲まれたことがある。良い車に乗った男たちで身分も証明し、中央政府より確実だからと保護に出たいと申し出たのだ。一番早い方法は、子供を養子にしその男の愛人に収まることだと。
断り続けるルイブに、その男は囁いた。
「あなたは自分の一族を最高に高貴な人間だと思っているようですね?」
「………」
「所詮あなたのお父上も、ただ肉に溺れる人間です。」
「…なんだお前!?」
ルイブが食って掛かる。
「あなたが愛してやまない兄、二人目のシシオは、あなたのお母上の御子ではありません。」
「……?」
言われてもルイブは意味が分からない。
「あなたのお父上は愛妻家で有名ですが、不貞をなさっていたのです。」
「……?」
「あなたのお母上以外の方と、子供を作っていたのです。」
「!?」
「あなたも何に操を立てていらっしゃるのですか?しかも、離縁すれば正当に誰かの妻にもなれるのに。」
「………」
固まっているルイブと、横で母の服の裾を掴むだけのサダル。この頃のサダルはその意味が全部は分からなかったが、全て覚えていた。母の変化に少し構える。
「それをどこで?」
「疑っていらっしゃるので?知っている者は知っています。」
「……」
肯定したわけではないが、ルイブも否定はしない。心当たりがあるのか。
「なにせ、私どもの血から出た、タルフ族の端くれの女ですので。」
「……!」
二番目の兄は、体格は父を継いでいたが、雰囲気だけはルイブのバイラともまた違た南アジア系のように思えた。ルイブは気にしたことはなかったが、兄たちは知っていたのだろうか。
「そんなお父上に従って、自分だけ永遠の愛を誓うなどバカバカしいとは思いませんか?お父様も、亡くなられたご主人も素晴らしい人だとは我々も理解しています。しかし、世の中はそれだけではありません。」
「………」
サダルはよく分からなくても、母が泣きそうな話だということだけは分かった。いつもなら聞かせたくない話をされるとサダルの耳を塞ぐが、タイミングも気力も失ったのかそんな余裕はない。母を引っ張って、逃げようとした時だった。
ガッと、ルイブは前を向く。
もう1話続きます。




