14 深い地下を抜けて
実感がない。
けれど、目の前の光景がそれが事実だと言っている。
ここはギュグニーの一角。地方都市の片隅にある大きな建物、ソソシアの要塞だった。
そう、ここにバイシーアの女子供も外交官たちも運ばれ、ここでチコとシェダルが産まれたのだ。
「……」
テニアは息を飲む。連合軍の男が安全箇所を示して誘導する階段の下の廊下。途中に扉が数か所、機械室や簡素なトイレがあった。もちろんもう使われていない。
その真っ直ぐ行った先に、寂れた古い扉が現われる。扉の前には監視役がいただろう、ドリンクの空き缶や折りたたみ椅子、バッテリーなどが埃を被ったまま置いてある。
「………」
手が震えた。
「もう現場検証は一旦済ませてありますので。」
建物の入り口で言われたことをここでも言われる。この3か月間でこの要塞は様々調べられ、塞がっていた半別棟になっているこの地下も、反乱時の瓦礫などが撤去されたのだ。よほど丈夫だったのか、建物自体は崩れていない。
「こちらで開けますか?」
軍人が扉を開けようとする。
「あ、私が……」
そう言ってテニアは前に進み、ドアノブを引く。ドアは寂れて完全に閉めてはいなかったので、ギーと音がしただけだ。
そして進む。
小さな部屋に。
いた。
そこにいたのだ。
見たいとも思い、見たくもなかった。
会いたくもなく、でもきちんと会っておきたかった。
目の前にパッと現れた………服と髪の毛の残った白骨。
褪せた茶色い髪。
長いルバの下に頼りなく敷かれた布団の色も褪せている。
「………レグルス……」
そっと近寄り、その前にしゃがみ込んだ。
どうしていいのか分からない。
「…………レグルス…」
もう生きているとは思わなかった。でも、遺体を確認できない限りもしかしてと、きっと心の底では期待していたのだろう。こんなにたくさんの死を見てきたのに、甘かった自分の胸が痛い。
でも、これはきっと、いや、絶対に…………
レグルスで間違いないと分かった。
テニアは身に着けていたヘッドキアとマスクを外した。
両手でそっと、遺骨の頭を持ち上げる。
自分の頭の位置に静かに掲げ、そして胸に抱いた……。
「レグルス……」
乾いた涙が出る。
胸の中で弾ける。レグルスの光が。
しばらくして連合軍の軍人が教えてくれた。
「レグルス・カーマイン氏です。検証した限り間違いありません。ミイラにならなかったのは、この地下が完全に乾燥しなかったからと思われます。下に砂や土もありますし。服が微妙な形で残っているのは、化繊も含んでいるし、この地下の特殊な環境のせいかと。カビも生えていますし、でも湿気っている訳でもなく、空気は良く通っています。」
テニアはかつてこの地下に侵入した時のことを思い出す。
なぜかこんなところにイモリがいたのだ。段差がある場所に建築したせいか、棟によって階層も違う。
湿気った風が入りやすいのか。どこかに水が溜まる場所があるのか。
周りを見てみると砂や土が至る所にある。これも影響したのか。
ベッドも崩れ、トイレは簡単な敷居向こう側の砂と土の積んである場所。よくよく見れば、女性が住むにはあまりにひどい場所だった。独房だが、独房と言いたくない。扱いに悔しくなるも、今はそれを胸に収める。責めらる人はもういない。
「それから、近くに赤ん坊の同じく白骨がありました。地面のブロックをずらした土の中に。」
「?!」
「ご安心ください。レグルス氏の子ではありません。このことについてはロワース氏に確認してありますので後程説明します。」
「……」
実はあの後、ギュグニーに残った外交官全員が生存して見付かったのだ。本人たちの希望も含め、まだ世間のニュースにはなっていない。車椅子生活の者もいたが、皆どうにか生きていた。
カーマイン姉妹だけは失われてしまったが。
そしてレグルスを再度確認して驚く。
腕に、指輪が巻き付けてある。
男物の指輪。
褪せたホワイトゴールドの、少しねじりのあるデザイン。
自分が最後に投げた指輪だ。
「!」
でもあれは、下の階までは落ちなかったはず。テニアがいた階の床下に転がったのだ。
「?!」
思わず天井を見るも、そこには硬くさび付いた鉄格子しかない。30年前は寂れていなかったのだろうか。誰かに取ってもらったのだろうか。
しかも、指輪は指でなく、ヘアゴムのようなものに巻き付け腕に通してある。
「あの、これは?!」
「あ、それは指輪です。確認してから外そうと思いまして……もしかしてテニアさんので?」
「おそらく。」
遺骨を動かさないようにそっと動かして見ると、内側に見える彫った文字。
「……『R・B』……そうです。自分の物で間違いないです。」
「……よかった…」
というのは、ジルモ・オビナーのことを知っていたので、彼からだったらと連合軍も聞きにくかったのだ。
「でも…これは皆さんが腕に括ったんですか?」
「あ、やっぱりそう思います?でも、最初に入った時からこうでした。動かしていません。」
そのゴムだけ風化してないように見える。いや、していなかったのだ。
「周辺の埃の状態からして、誰かが先に侵入したってことはないと思うのですが……」
レグルスの腕には、黒い髪ゴムで指輪が括ってあった。
***
「なんだこれ!なんだこれ!」
怒っているのは今は元気に学校に通っているテミン。
「泣くなよ。」
「泣いてない!怒ってる!」
ウヌクが何だと覗くと、動物園の紙のチケットだ。
「いいわけないのに!!だいたい動物園に猪いる??鹿だっているかも怪しいよ!」
「んー。この動物園は……いないな!まだ時長の山に行った方がいい。」
「ほら!太郎君のバカ!嘘つき!!」
太郎くんがテミンにとペアチケットを置いていったのだ。
「……テミン、彼はやめなよ。会っちゃダメな人だよ。」
「触らぬ神に祟りなし。」
あの変人太郎君の正体を知ってしまったファイとラムダはテミンを止める。
「なんで?!僕と動物園に行ってくれるって言ったんだよ?」
「言ったっけ?」
「ウヌク先生がいない時!一緒に猪と鹿の写真を撮る約束した!鳳凰も!」
「鳳凰とかもう無理だろ。」
「そんなことない!大陸の真ん中に赤い大鳥が飛ぶって言ってた!」
「誰が。」
「あ、それにどっちにしても暫くは無理だよ。」
ラムダが思い出したように言う。
「なんでラムダ先生が分かるの?」
「だって太郎君、この前、東アジアから離れるって言ってた!」
「へ?」
これにウヌクも驚く。
「なんで俺も知らない太郎のこと、ラムダが知ってるわけ?」
「え?僕ごときって言わないでよ。」
そんなことは言っていない。
「この前、本返しに来てね、「ウヌクは?」って聞くから、今会議中って言ったら、しばらく他の大陸行くってさ。俺のこと言ってたら、いないって言っといてって。」
「はーーっ!??なんでそんな大事な時に俺を呼ばないんだ!!」
「え、だって自分のことだけ話して行っちゃうし!」
「許さん!太郎の奴!!」
「あ、でも、貸した本はよく分からんけどよかったってさ。」
「そんな事言うなら、他に言うことあるだろ!!」
「僕に言わないでよーー!!」
テミン、またショックである。
「……え?太郎君いないの?なんで?なんで?死なないよね?」
そう言って泣き出すので、ファイはため息をつくしかなかった。
***
そして深い夜。
シャプレーはバナスキーの眠る部屋で、東アジアから受けた報告をしていた。
「バナスキー。
君のお母さんはどうだった?ちゃんと元気に帰って行かれたよ。仕事を少し整理したら、時々こちらに滞在できるかもしれない。」
タイラたちと別の都市で見つかったショーイことロワースは、娘を逃した初めの組織の人々と共に、ソソシアの子供たちを連れ、別の政権の中で生きていた。相変わらずたくさんの子供たちの先生をしていたが、身分を隠し新しい人間には元外交官だと伝えてはいなかった。
レグルスを最後に見たのは、ロワースだ。
あの時、どうせ周囲は混乱状態だったのだ。監視を恐れず地下活動の仲間を連れてきていたら、レグルスは助かったのでは、少なくともあの地下で死ぬことはなかったのではと、時々苦しくなると言っていた。
女性幹部の子、ハニルを置いてから2日間、ロワースは二度地下を行き来している。
あれからレグルスはどれだけ生き永らえたのだろう。
置いてあった食事は食べたのだろうか、ひどいことだが、早く亡くなった方が幸せだったのかもと思ってしまう時がある。なぜならその後、また大きな襲撃が来て地下への道は塞がってしまった。そして、人も場所を散り散りされたのだ。
電気はあとどれほど残っていたのだろう。せめて主人より長く、あの部屋を灯していてくれたならばと思う。消えたらもう、闇しかない。あの体でどれほど一人を耐え抜いたのだろう。
ロワースは娘に会う前に、連合軍にそういう話をしていたらしい。せめて自分も一緒に地下にいる時に襲撃があったなら、レグルスは一人にならずにすんだのにと、息を殺して泣いていた。
「もうロワイラルと言った方がいいのかな?お義母さんは、ロワイラルと言っていたしたな……」
一通り話してシャプレーはしばらく祈る。
そして、数回、過去のロラルからの手紙の原本を見てしばらく祈り、
その寝台に上った。