悪役令嬢を断罪した王子の末路
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「マーガレット・フェルトン! お前との婚約を破棄する!」
フロスト王国第一王子ロナルド・エバンス・フロストは、そう宣言した。
「お前は嫉妬心から妹のメアリーを虐げ、また第一王子の婚約者と言う立場を利用して王家の財産を浪費した。この罪は重い。反省して裁きを待つがよい!」
「……はい。」
フェルトン公爵家令嬢マーガレット・フェルトンは、控えていた騎士によって罪人として引き立てられて行った。
そして数日後、斬首刑に処された。
同日、マーガレットの妹、メアリー・フェルトンが正式に王子の婚約者となった。
この結果に、ロナルド王子は満足した。
悪女は裁かれ、未来の王妃に相応しい女性が婚約者となり、全てはあるべき姿に収まった。そう思った。
この時は。
◇◇◇
気が付くとロナルド王子はマーガレットになっていた。
奇妙な話だが、そうとしか言いようのない奇妙な出来事が、ロナルド王子の身の上に起こっていた。
(これはいったい、何が起こっているのだ?)
ロナルド王子は訝しむが、いくら考えても怪現象の理由など分かるはずもない。
(そもそも、何でマーガレットなんだ!? あいつはもう死んだだろうが!!)
マーガレットはとっくの昔に処刑された。にもかかわらず、姿見に映った己の姿は、確かにマーガレットのものだった。
その事実に、ロナルド王子は混乱した。
そして、もう一つの事実がロナルド王子の混乱に拍車をかけた。
(クソ! どうして体が思うように動かないのだ!)
ロナルド王子の精神がマーガレットの肉体に宿っていることは間違いない。
ロナルド王子は今、マーガレットの視点で見て聞いて、五感の全てを感じていた。
しかし、ロナルド王子はその体を指一本動かせない。声すら出せなかった。
ロナルド王子の意志とは全く関係なくマーガレットの体は動き、ロナルド王子はただそれを見ているしかできなかった。
しばらくしてロナルド王子が落ち着きを取り戻し、状況を注意深く観察すると分かったことがあった。
(そうか、これは過去の光景だ。まだ学園に通っていた頃、俺の婚約者だった頃のマーガレットか。)
姿見に映った衣装は、彼らの通っていた学園の制服だった。
屋敷を出たマーガレットが向かった先は、見覚えのある学園の校舎だ。
そこに気付いたロナルド王子は、一つ得心した。
怪現象の原因は相変わらず不明だが、分かったこともある。
(つまり、過去の光景を見せられているだけなのか。よりによって、あの女の過去を追体験することになるとはな!)
過去の出来事だから変えようがない。
過去にマーガレットが行った言動が再現されているだけだから、ロナルド王子が勝手に動いたり喋ったりできない。
やたらと現実的で詳細な記録を見ているだけ、そう解釈した。
やがて学園の敷地内に入ると、学園の生徒や教師の姿がちらほらと見えてきた。
出会う顔見知りに丁寧に挨拶を返すマーガレットに、そう言えば学園では優等生だったななどと考えていると、見知った顔が現れた。
学生時代のロナルド王子である。
「おはようございます、ロナルド殿下。」
「チッ!」
学生時代のロナルド王子は、露骨に不機嫌な顔で舌打ちをして、そのまま立ち去ってしまった。
(うわぁー、何やってんだよ、俺!)
ロナルド王子は頭を抱えた。マーガレットの体は一ミリたりと動かないが、気分的に頭を抱えて悶えた。
今のはロナルド王子の方が全面的に悪い。
王族ともなると、ちょっと態度が悪いでは済まないのだ。
他国の王族が同じことをしたら、その場では何も言わなくても、笑い話として関係各所に広め、外交で優位に立つ材料にするくらいの大失態だった。
貴族は礼節を重んじる。礼節を守らなければ、王侯貴族失格だ。
貴族の中には平民を家畜と同列に扱う極端な思想の持ち主もいるが、その理由の一つが平民には貴族の礼法を理解できないからだ。
「平民と獣に礼は通じない。」
それが彼らの言い分だ。
学生時代からロナルド王子は婚約者のマーガレットを嫌っていたが、それを露骨に表現してしまっては王侯貴族失格である。
ここは礼儀正しく挨拶を返したうえで本人にしか分からない嫌味でも言ってのけるのが正解である。
これではガラの悪い平民と一緒だ。下手をすれば「山猿王子」などと言われかねない。
困ったことに、自分がやらかした記憶はばっちりと残っている。
ロナルド王子は、若き日の過ちをまざまざと見せつけられて頭を抱えてしまった。
そして、話はこれだけで終わらなかった。
――今日、ロナルド殿下に挨拶をしたら、舌打ちされてしまった。仲の良いふりだけでもしていただかないと、王家の体面的に困ります。
マーガレットは日記を付けていたのである。
(止めろ、書くな、記録に残すなー! 頼むからー!)
ロナルド王子が泣こうが叫ぼうが、これは過去の出来事。覆ることはないのだった。
その後も、マーガレットの人生の追体験は続いて行った。
ただ、マーガレットの体験が単純にそのまま全て再現されているわけではないらしい。
時々不連続に時間が飛ぶことがあり、一瞬前とは別の場所にいることもあれば、前の場面よりも過去の時点に戻ることもあった。
まるで夢でも見ているようだ、とロナルド王子は思う。
しかし、単なる夢と片付けられない内容も多かった。
ロナルド王子の婚約者であったマーガレットは、必然的に王子と関わることが多かった。
ロナルド王子も知っている出来事を、マーガレットの視点で追体験するのだ。
その際に、しばしばロナルド王子の忘れてしまいたい過去の過ちを他人の目から客観的に見せつけられて悶絶することになるのだが、それは些細なこと。
実際に起こった出来事が、自分の見ていない光景も含めて現れるとなると、単なる夢と片付けることはできそうにない。
(だが、何だこの違和感は?)
ロナルド王子は訝しんだ。
ロナルド王子の知る範囲で、これまで追体験したマーガレットの経験は現実に起こったことだった。
だが、何かが違う。そんな思いが拭えない。
そんな、ロナルド王子の違和感が明確になる出来事が起こった。
「お姉~様~!」
学園の廊下を歩いていると、背後から聞きなれた声が掛けられた。
振り向くと、メアリーが走って来るところだった。
「廊下を走ると危ないですよ、メアリー。」
「ごめんなさーい。」
注意しつつも、その頬は緩んでいる。
妹を虐げていたマーガレットにも、こんなに仲の良かった時期もあったのかとロナルド王子は少しほっこりした。
が、次の瞬間髪の毛を引っ張られる痛みに驚いた。
「わー、このバレッタ素敵。」
見ると、メアリーの手に髪留めが握られていた。
「あ、それは……」
――パリン!
マーガレットが何か言いかけたところで悲劇は起こった。
メアリーの手にした髪留めが真っ二つに割れていたのだ。
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「お姉様酷い! 私のバレッタを壊すなんて。」
突然意味不明のことを言い出すメアリーに困惑していると、背後から声がかかった。
「何だって! 妹になんてことをするんだ、マーガレット!」
ロナルド王子だった。
(う、何だ、苦しい。)
「メアリーに謝るんだ、マーガレット!」
「……ごめんなさい。」
完全にメアリーを庇う立ち位置で、有無を言わさずに言い放つロナルド王子。
それに応じて謝罪の言葉を発するマーガレットの声は弱々しかった。
(嘘だ! こんなことが事実のはずがない!)
途中まで気付かなかったが、ロナルド王子はこの出来事を憶えていた。
マーガレットが妹を虐げている、その現場を目撃した決定的な事件、そのはずだった。
これがその真相であってよいはずがない。
だが、その日のマーガレットの日記がさらに追い打ちをかける。
――以前ロナルド殿下から頂いたバレッタをメアリーが壊してしまった。殿下が気付いて下さらなかったことが悲しい。
(あっ、……)
ロナルド王子は思い出した。まだマーガレットとの関係が悪くなかった頃に髪留めをプレゼントしたことがあった。
一つ思い出すと、連鎖して次々と思い出が繋がって行った。
あの時、マーガレットは髪留めを着けていなかったこと。
メアリーは、手にした髪留め以外にちゃんと髪留めを着けていてちょっと不思議に思ったこと。
壊れた髪留めをどこかで見たような気がしていたこと。
今思い返せば、自分がマーガレットに贈ったものと同じ形だったこと。
マーガレットの話を一切聞かずに決めつけていたこと。
(違う、違う。あんな光景を見せられたから、俺の記憶が混乱しているだけだ。)
しかし、一度気付いてしまった疑念は、ロナルド王子の心に暗い影を落とすのだった。
ロナルド王子の苦悩をよそに、マーガレットの人生、その追体験は続く。
「お姉様、ロナルド殿下の誕生パーティー終わったんだから、ドレスとアクセサリーちょうだい! どうせもう着ないんでしょう。」
(メアリーは「飽きっぽいお姉さまに押し付けられたお下がり」とよく言っていたが……)
「お姉様~、ここの後片付け代ってぇ~」
「いえ、今日は殿下との約束があるから……」
「そっちは私が行ってくるから、ここはお願いね。」
(婚約者の義務として続けていたお茶会に、妹を代理によこしてきたことがあったが、まさか……)
「お姉様、王宮の夜会に招待されたんでしょ。新しいドレスを買わなくちゃ!」
「でも、王家のお金が使われるのだから、無駄遣いはできないわ。」
「せっかくお金を出してくれるんだから、どんどん使わなくちゃ損よ! 私が代わりに注文して来るわね。」
(マーガレットが似合わぬドレスを窮屈そうに着てきた後、メアリーが同じドレスを見事に着こなしていたが……姉のお下がりにしてはサイズもぴったりで……いや、そんなはずは……)
ロナルド王子は否定したくても否定できなかった。
逆に、ロナルド王子の記憶からはこの状況を是呈する事実ばかりが浮かび上がって来る。
姉のお下がりとは言え王子の婚約者として公式の場に出るための上質なドレスとアクセサリーである。
それを学園の行事で身に着けて来るメアリーは他の生徒から頭一つとびぬけて目立っていた。
逆にマーガレットは公爵家令嬢として恥ずかしくない最低限の質素な装いだった。
マーガレットに代って王子の婚約者になった後のメアリーは贅沢を好み、興味の無い行事をすっぽかそうとする傾向があった。
後々知ったメアリーの性格からして、あり得ない光景とは言い難かった。
しかし、認めてしまえばマーガレットを断罪した罪は、全てメアリーのものになってしまう。
苦悩するロナルド王子に、さらに追い打ちをかける光景が展開されることになる。
「お姉様、学園祭の後夜祭で、私ロナルド殿下に誘われちゃいました~!」
「……そう、良かったわね。」
このマーガレットの返事に、メアリーが激高した。
「分かっていますの、お姉様! お姉様の婚約者を奪ったのですよ! 何すました顔をしているのですか! 怒りなさいよ! 悔しがりなさいよ!」
このメアリーの主張はある意味正しい。
学園祭の後夜祭で行われるダンスパーティーには、男子が好意を持つ女子を誘うという慣習があった。
正式な規則ではないので絶対に守らなければならないということはないのだが、婚約者のいる者は自分の婚約者を誘うことが通例だ。
慣習や通例を大切にする貴族にとっては、それを破ることの意味は大きい。
婚約者以外の女性を誘うことは、それだけで醜聞であり、婚約者への酷い侮辱だった。
だが、もちろん悪いのは婚約者を誘わなかったロナルド王子であり、安易に応じたメアリーである。
マーガレットに詰め寄るメアリーは筋違いであり、理不尽な逆切れだった。
「あっ」
しかし、揉め事を起こすには場所が悪かった。
一瞬の浮遊感、その直後に強い衝撃。
(うっ、ぐっ、これは!?)
「キャアァー!」
痛みに歪む視界の中、誰かの悲鳴が聞こえた。
そしてもう一つ、聞きなれた声が。
「何があった! メアリー、無事か?」
ロナルド王子の登場である。最初は誰の声かと思った「他人の耳で聞いた自分の声」にもすっかり慣れた。
そして、この場の出来事を思い出した。
「ロナルド殿下に後夜祭に誘われたと言ったら、お姉様が怒って私を突き落とそうとしたんです。私が避けたらお姉様が落ちてしまって……」
「何だと! マーガレットめ、なんてひどいことを!」
(あああ、何をやっているんだ、俺は!)
これは、メアリーを虐げるマーガレットの行為が命に関わると考え、ロナルド王子が婚約破棄と断罪を決意した出来事であった。
しかし、冷静に考えれば全ての元凶は婚約者を蔑ろにしたロナルド王子にある。メアリーの証言がすべて正しいとしても、その点だけは変わらない。
それに、この事件で実際に校舎の階段から落ちて怪我をしたのはマーガレットの方なのである。
当時のロナルド王子は自業自得と考えていたが――
(いくらなんでも、傷付いた女子を放置するのはおかしいだろう、俺!)
マーガレットの受けた痛みを感じながら、ロナルド王子は自分の行いの非道さを思い知ることになった。
冷静に考えれば、メアリーの証言が全て正しいとしてもマーガレットだけを責めることはできない。
本来、貴族にとって婚約者を奪われることは耐えがたい屈辱となる。
決闘騒ぎになることもあるし、場合によってはそれぞれの家を巻き込んだ紛争に発展することさえある。
それを、嬉々として本人に伝えるメアリーの人格が疑われる状況なのだ。
そんな状況で行われた凶行を「日常的にマーガレットが妹に行っている虐め」と判断した当時のロナルド王子は頭がおかしい。
自分でもそう思うのだから、他人からはさぞかしいかれた王子に見られていたことだろう。
そもそも、メアリーの主張には致命的な問題がある。
正直言ってメアリーはとろい。運動全般が苦手で、上達する努力を放棄していた。
対して、マーガレットは「将来王妃になるのならば護身術程度は必要」と鍛錬を欠かさなかった。
本気でマーガレットに襲われたら、メアリーに勝てる道理はない。
怒りに我を忘れていたとしても、本気のマーガレットの攻撃をメアリーが躱せるとは到底思えなかった。
先ほどのマーガレットの動きは、むしろ暴れるメアリーが落ちないように庇って自分が落ちたような……
(い、いや、ここで見たことが真実だとは限らない!)
無駄な足掻きである。それは自分でも分かっている。
ただ、己の罪を認めたくない。その一心だった。
(そうだ、あの生意気で口うるさい女が、不当な扱いを受けて黙っているはずがない。これが実際の出来事であるはずがないんだ!)
ここまで見聞きしてきたことが本当に起こった出来事ではない。その証拠をついに掴んだ。
そう思って喜んだロナルド王子は、次の瞬間重大な問題に気付いてしまった。
(待て、どうしてマーガレットは何も言わなかったんだ?)
ここまで見てきたマーガレットの人生が全て嘘で、メアリーの主張が全て正しかったとしても、ロナルド王子には落ち度がある。
婚約者を蔑ろにしてきたことに関してはロナルド王子に大きな非があるし、様々な場面でメアリーの主張を鵜呑みにしてマーガレットの言い分を全く聞かない不公正な態度を取っている。
自分で思い返しても穴だらけなのだ、マーガレットならばいくらでも反論ができただろう。
そこまで考えたところでロナルド王子は気が付いた。
ここまでずっと感じていた違和感の正体だ。
それは、マーガレットの視点で見てきた光景が現実の出来事と食い違っているということではなかった。
マーガレットの行動が、ロナルド王子の持つマーガレットのイメージと食い違っていたのである。
ロナルド王子の持つマーガレットのイメージは、口うるさい女である。
小賢しく、生意気で、間違っていると思えば王子に対しても平然と反論して来る。
そして、口論すれば必ずロナルド王子は負けた。だからこそ王子はマーガレットを嫌っていた。
そのマーガレットが、まったく口答えをしていないのである。
ロナルド王子だけでなく、メアリーに対しても、その他の人に対しても、ほとんど自分の意見を主張することがないのである。
だから、今見せられている光景は現実ではない、とは言い切れなかった。
(最後にマーガレットが反論したのはいつのことだ?)
ロナルド王子の記憶にある限り、マーガレットの行動は現実と変わらない。予想外の行動は全て王子が見ていない時のものだ。
つまり、学園生活の中でロナルド王子との仲が険悪になってから断罪されるまで、マーガレットがロナルド王子に対して口うるさかったことはないのだ。
(いったい、どうなっているのだ?)
自分の記憶さえ怪しいこの状況に、ロナルド王子は混乱していた。
――最近みんなの様子がおかしい。ロナルド殿下も、メアリーも、お父様も。
――ロナルド殿下は聡明で公正な方です。感情的に決めつけるようなことはしませんでした。
――メアリーは優しく遠慮深い性格です。平気で嘘を吐くようなまねはできなかったはずです。
――お父様は国と民のことを第一に考える人でした。全てを犠牲にして権力闘争に明け暮れる人ではありませんでした。
――でも一番変わってしまったのは私です。自分の意見を言おうとすると、胸が苦しくなって何も言えなくなってしまいます。
――これではロナルド殿下のお役に立てません。私はいったいどうなってしまったのでしょう?
気が付くとマーガレットは日記を書いていた。
今のロナルド王子はマーガレットの五感を感じ取っているが、何を考えているかまでは伝わってこない。
独り言を口にしないマーガレットの内心を窺う数少ない手がかりが日記だった。
その日記の中に、ロナルド王子は気になる記述を見つけた。
(胸が苦しくて自分の意見が言えない? 何を言って……あっ!)
不意にロナルド王子は思い当たった。
マーガレットの経験を追体験する中で、不意に胸が苦しくなることが何度かあった。
それらは、マーガレットならば何か言いそうなタイミングだったように思えた。
(あれはマーガレットの感じていた苦しみだったのか。あれほど苦しいのならば口数が減るのも頷ける……マーガレットは病気だったのか?)
しかし、マーガレットが病を患ったという話は聞いたことがなかった。
マーガレットは普段は元気そうにしていたし、日常的な会話や聞かれたことに答えることは何の問題もなく行えていた。
自分の意見を主張する時だけ苦しむ病と言うものも考え難い。
(まるで、呪いのようだな……いや、まさか!?)
ロナルド王子は唐突に昔のことを思い出していた。
◇◇◇
それは学園に入学して半年ほど経った頃の事だった。
その頃、ロナルド王子は悩んでいた。
「何故だ! 何故なにをやってもマーガレットに勝てない!」
それは他人から見れば些細な、あるいは微笑ましいとさえ言える悩みだろう。
人によっては贅沢な悩みと言うかもしれない。
ロナルド王子は決して頭が悪いわけではない。成績は上位グループに属している。
ただ、マーガレットがそれ以上に優秀だったというだけだ。
他人にとっては取るに足らないことだとしても、しかし、本人にとっては真剣で深刻な悩みだった。
ロナルド王子は第一王子である。順当にいけばいずれは王位を継ぐことになる。
婚約者であるマーガレットは、その時には王妃になっているだろう。
「このままでは、王妃に全てを任せきりにする、お飾りの王になってしまう!」
笑ってはいけない。
本人は真剣に悩んでいるのだ。
マーガレットが優秀なのは学業だけではない。
議論を行えばだいたいはマーガレットの意見が正しい。
むきになったロナルド王子が反対意見を引っ提げて議論を吹っ掛けたこともあるが、全て負けている。
それに、マーガレットはただ口が達者なだけではない。
その主張には一本筋が通っており、深い考えに説得力があるのだ。
重要な事柄は、国王を素通りして王妃に相談が行く未来が容易に想像できると言うものである。
もしも王が王妃の傀儡などという噂が流れれば、国や王家が軽んじられかねないし、様々な場面で王妃が狙われ危機に陥る危険も増える。
現実的な意味でも、意外と深刻な問題であった。
悩むロナルド王子の前に現れたのは、魔導士と名乗る人物だった。
「魔法でマーガレット嬢が王子に逆らえないようにすればよい。王妃に逆らえぬ王と思われる心配は無くなるだろう。」
悩んでいたロナルド王子にとって、その言葉は天啓に聞こえた。
「ただし、注意することだ。人を支配するということは、その者の人生を背負うということだから。」
◇◇◇
(どうして忘れていた!?)
ロナルド王子は愕然とした。
(全ては俺が原因だったのか。)
魔導士の言う通り、マーガレットはロナルド王子に逆らわなくなった。
しかし、それでも成績優秀なマーガレットにロナルド王子の嫉妬心は燻り続けた。
それは何時しかマーガレットに対する嫌悪・憎悪へと変わって行った。
そして、姉を貶める嘘を平然と吐くようになったメアリーの登場でさらに暴走することになる。
その結果は――
(俺が、マーガレットを殺した……)
ロナルド王子が落ち込んでいる間にも、追体験は進んで行く。
――最近、おかしくなった人が増えています。
――国王陛下の行動も何かおかしい。
――善政を敷いていた陛下なのに、真面目で優秀な官僚を次々に左遷してしまわれた。それに苦言を呈した貴族も、役職を解かれて領地に引きこもることになりました。
――その後に入ったのはお父様が新たに立ち上げた派閥の者達です。
――利益で結び付いている彼らは、利益を与え続けなければ団結しません。いずれ国の富を食い荒らす害悪になるでしょう。
(こんな状態になっても、マーガレットは国の心配をしていたのか。それに比べて、俺はその頃何をしていた?)
もはや、今見ている光景の真偽を疑う意味もなかった。
ロナルド王子の行為の方がよほど重要な問題だった。
――性格や行動の変わった人の背後に『魔導士』と呼ばれる人物の存在がちらつきます。
――けれども、この国に宮廷魔術師はいても、魔導士と言う肩書はありません。
――王宮や学園には身元の確かな者しか入れないはずなのですが、何者なのでしょうか?
(そうだ、魔導士だ! あいつのせいで……いや、違う。全ては俺の責任だ。)
ロナルド王子は、激情に走りそうな気持を抑え込んだ。
同じ間違いを繰り返すわけにはいかない。
自分の責任から逃げてはいけない。
あの魔導士の甘言に乗ったのも、その後マーガレットを追い詰めて行ったのも、全て自分の行いである。
(しかし、その魔導士が国に混乱をもたらしているのなら、何か手を打たねばならないな。)
そう考えたところで、ロナルド王子は戦慄した。
(魔導士の顔を憶えていない!? いや、顔だけではない。声も、背格好も、性別すら分からない!)
それだけではない。
マーガレットにかけられた呪いのような魔法、そんな魔法は知られていなかった。
おそらく魔導士の顔を憶えていないことも、こうしてマーガレットの過去を追体験していることも魔導士の魔法が関係しているのだろう。
だが、人の記憶に干渉するような魔法も知らないし、過去に成功したという話も聞かない。
およそ人に扱える魔法とは思えなかった。
(俺はいったい何と関わってしまったんだ!?)
やがて、場面は変わってマーガレットは随分と質素な部屋にいた。
いや、それでもまだオブラートに包んだ言い方だろう。
そこは牢屋の中だった。
(バカな! こんなことって……)
それは、ロナルド王子が断罪した後のマーガレットの姿だった。
ただし、ロナルド王子が驚いたポイントはそこではない。
通常、貴族の犯罪者は牢屋には入れられない。
専用の部屋で軟禁されるのだ。たとえ死罪が待っているとしても、もっと待遇が良い。
こんな、まるで平民の罪人を収監するような粗末な牢屋に貴族の令嬢を入れることはあり得ない。
それは、単に貴族だから優遇しているという話ではない。
金と権力と人脈を持った貴族を下手な牢屋に入れておくと、何処からともなく「協力者」が現れ「救出」されてしまうのだ。
犯した罪の軽重に関わらず、あり得ない対応だった。
――明日、処刑されることが決まりました。
――明らかに法で定められた必要な手続きの幾つかが行われていません。
――国法を蔑ろにする、この国はどうなってしまったのでしょう?
(全く、俺は何をやっていたのだ。目の前でこれほどの異常事態が起こっていたのに見過ごすなんて。)
ロナルド王子は忸怩たる思いでマーガレットの日記を読む。
本来、ロナルド王子の告発内容では死罪になるはずはないのだ。
妹を虐げたと言っても、メアリーは健康そのもので目立った外傷もない。フェルトン公爵家の家庭の問題と言われればそれまでだ。
王家の財産を浪費したと言っても、王子の婚約者として認められた範囲内でのことだ。
王家の財産で購入したドレスを後にメアリーが使用していたことを考えれば、マーガレット個人の罪ではなくフェルトン公爵家として責任が問われるべきである。
いずれにしても死罪とは程遠い内容であり、貴族に対して逮捕拘束を行えるような罪状ではなかった。
そのような異常な出来事を、当時のロナルド王子は見逃してしまっていた。
ただ、邪魔な者がいなくなるとしか思っていなかった。
いや、ロナルド王子だけではない。
貴族を処罰するにはそれなりの手続きが必要で多くの人が係わる。
貴族にとっては無関係ではいられない危険な前例ができようとしているのに、誰も声を上げない。
特に、実の娘が不必要に重い罪に問われ、家の不名誉にもなるのにフェルトン公爵が何もしていないのが不気味だった。
(いったい、この国で何が起きているのだ!?)
この時点で、ロナルド王子一人の暴走では起こり得ないことが起こっていた。
いったいどれほどの人がおかしくなっていたのか?
ロナルド王子はうすら寒いものを感じた。
「マーガレット様!」
その日の夜、牢の外からマーガレットに声をかける者がいた。
ロナルド王子の知らないその男は、王宮で働く騎士の一人のようだった。
「どうかお逃げください、マーガレット様。非道がまかり通る今のこの国はどうかしています。ラドフォード辺境伯領まで行けばきっと保護してくれるはずです!」
正常な思考を持つ者がいたことに、ロナルド王子は僅かに安堵した。そして一縷の望みを見出した。
これほどいい加減なことがまかり通っているのならば、罪人不在のまま刑が執行されたと言うことにされていても不思議はない。
ロナルド王子は、マーガレットの刑の執行に立ち会ってもいないのだ。
もしかすると、マーガレットは逃げ延びていて、ラドフォード辺境伯に保護されているのではないか?
だが、マーガレットは牢獄の扉を開けて招く男に対して、首を横に振った。
「いいえ、私はもう助かりません。」
(ぐっ、苦しい!)
突然襲ってきた強い苦しみに、ロナルド王子は悶えた。
しかし、それはマーガレットの受けた苦しみだった。
自らの考えを口に出すことを禁じられたマーガレットが、今はっきりと自分の意思を示したのだ。
これまでで最大級の苦痛がマーガレットを襲った。
それでもマーガレットは歯を食いしばり、手を握りしめて苦痛に耐えた。
そして、自分の日記帳を男に手渡して言った。
「代わりにこれをラドフォード辺境伯に渡してください。王都で起こっていることを知る一助になるはずです。」
マーガレットの強い決意を感じ取った男は、説得を諦め、日記帳を持って立ち去って行った。
「どうか、この国をお願いします。」
男を見送ったマーガレットは、そこで崩れ落ちるように意識を失った。
暗転する視界の中、ロナルド王子はマーガレットの行動の真意を理解した。
この時のマーガレットは、国法を蔑ろにする不正の生き証人であり、しかし自分の意思を表明できずに人の言いなりになりやすい状態だった。
もしもその身が悪意のある者の手に落ちれば、便利な駒として利用され、国にさらなる混乱を招く恐れがある。
それを避けるために自ら死を選んだのだ。その身にかけられた魔法を意志の力で抑え込んで。
◇◇◇
気が付くと、ロナルド王子自身の体に戻っていた。
いや、その言い方は正確ではない。
既に即位を済ませているのだから、ロナルド王子ではなくロナルド王である。
すっかり学生時代の気分に戻っていたロナルド王は、気持ちを切り替え、現実に向き合う。
悪夢のような現実に。
マーガレットに対する断罪と婚約破棄、メアリーとの婚約と波乱で終わった学園の卒業後、ロナルド王子は正式に王太子になった。
それから一年足らず、メアリーとの結婚を機に王位を譲られ、ロナルド王となった。
メアリーは王太子妃を飛ばして王妃になった。
年若い王と王妃の誕生に、王都は祝賀ムード一色となった。
思えば、その時がロナルド王の絶頂期だったのだろう。
(父上から王位を譲られた後、俺は……何もしなかった。)
ロナルド王が王位に就いた時、政府は私腹を肥やす奸臣と不正を行う悪徳官僚で溢れていた。
彼らは熱心に働いた。自分の利益のために。
その熱心さで国中の富を集めて行った結果、そのしわ寄せは多くの国民に及んだ。
税が上がり、物価が上がり、生活が困窮するとその不満は国に向いた。
即位したばかりのロナルド王には、奸臣と悪徳官僚で固められた政府の手綱を握ることはできなかった。
ほぼお飾りの王と王妃になってしまったのだ。
メアリーは政治に関心はなく、その能力もなく、日々贅沢をすることでその無聊を慰めていた。
その王妃の贅沢さえも、彼らが私腹を肥やすために利用された。
いずれ破綻して大問題が発生することは目に見えていた。
ただそれは予想外に早く起きた。
きっかけは、天候不順による不作だった。
国全体で主食となる麦の収穫量が減ってしまったのだ。
ただし、この段階ではまだ対処は可能だった。
一時的に税の低減や免除を行い、食糧の備蓄を放出し、流通が偏らないように調整してやれば、国民が飢えることはなかったはずだ。
だが、不正と汚職に溢れた政府は、国家の危機においても己の利益を優先した。
利権の関係で物流が滞り、必要な物が必要な場所に届かなかった。
食糧の買い占めが横行し、ただでさえ上がっていた物価がさらに高騰した。
多くの国民が飢えた。
完全な人災である。
どれほどおとなしくて従順な国民も、生存が脅かされれば牙を剥く。
暴動が発生した。
軍を動かして鎮圧しても、根本原因が解決してない以上、何度でも暴動は起こる。
やがて、軍の一部までも暴動に加わるようになると止めようがなくなった。
王都は戦場と化した。
このまま泥沼の内戦が続き、国が荒廃して行くのかと思われた時、ラドフォード辺境伯が動いた。
軍を率いて王都に攻め込んだラドフォード辺境伯は、たちまちのうちに王宮を占拠し、クーデターの成功と新政府の樹立を宣言した。
好き放題やって来た奸臣も悪徳官僚も、私腹を肥やすために団結していた者達だ。形勢が不利と見ると我先に逃げ出した。
逃げ遅れた者は捕まって処罰され、逃げる途中で民衆に掴まって私刑に処された者もいた。
逃げおおせた者も、今後返り咲くことはないだろう。
ラドフォード辺境伯は前々から計画を立て、周到に準備していたのだろう。
新政府の文官や官僚として連れて来た者達は、かつて左遷されたり放逐された優秀な者達で、直近の課題である食糧不足に関して次々に有効な政策を打ち出して行った。
地方の領主も、事前に根回しがしてあったのだろう、次々に新政府を支持してその政策に協力した。
食糧事情も改善されてきて、各地で起きていた暴動も沈静化に向かった。
しかし、ラドフォード辺境伯としては、もっと穏便に事を為すつもりだったのだと思う。
時間をかけて地方領主を中心に勢力をまとめ上げて、政治的に圧力をかけて奸臣や悪徳官僚を追い出すつもりだったのだろう。
無駄に血を流す意味はない。
だが、その前に暴動が発生してしまった。
食糧事情の改善に伴って暴動は落ち着いてきたが、一度火のついた国民の怒りは簡単には消えない。熾火のように燻っていた。
国民の怒りを鎮めるためにも、何らかのはっきりとした決着をつける必要があった。
「いやー! 死にたくないー! 助けて、お姉様ー!」
メアリーが見苦しく叫んでいた。
無理もない。断頭台に固定されて後は首を刎ねられるのを待つだけなのだ。
国民が苦しんでいる間にも贅沢を続けていたメアリーは、民衆の怨嗟の的になっていた。
メアリーの贅沢など横領された予算の総額に比べたら微々たるもの、などと言っても意味はない。
国民の苦しみに目を向けずに贅沢を続けた王妃は、悪政の象徴とされたのだ。
(こんな時にも姉を頼る言葉が出て来るなんて、本当は仲の良い姉妹だったのだな。)
ロナルド王は、そんな場違いな感想を心の中で呟く。
もちろん、いくら叫んでも亡き姉は助けに来ない。そしてロナルド王も助けられない。
隣で刑の執行を待っている身だからだ。
国を混乱に導いた元凶として、国王ロナルドと王妃メアリーは処刑されることが決まった。
この二人が裁かれない限り、国民の怒りは収まりそうになかった。
(無能な王の最後の務めだ。この首一つで国が救われるなら安いものか。)
ロナルド王は既に達観していた。
◇◇◇
断頭台の刃が落ち、首が斬り落とされるまでのわずかな時間。
ロナルド王は再び過去の光景を見ていた。
それは、マーガレットとの婚約が決まったばかりの頃。
「王様になったら、僕はみんなが幸せになれる国を作ってみせる!」
まだ幼かったロナルド王子は、王になれば何でもできると無邪気に信じていた。
そして、皆に尊敬される父の様に、国を良くしていこうと本気で考えていた。
「でしたら、私は殿下を支えられるように、たくさん勉強しますわ。」
こちらも無邪気に答えるマーガレットだが、やや現実的な努力目標を述べた。
ロナルド王子は、少し考えてから言葉を続けた。
「マーガレットは頭が良いから、僕が間違ったことをしたら注意して欲しい。」
幼いなりに真剣な表情だった。
ロナルド王子は、本気になれば高い集中力を見せる半面、一度思い込むと周囲が見えなくなる悪癖があった。
自分の思い込みの激しさを自覚しているから、マーガレットに頼んだのだ。
集中して視野の狭くなった自分を、一歩引いた目で見たマーガレットが方向修正する。
それは、とても良い関係に思えた。
(すまない、マーガレット。俺は間違えてしまった。君に注意してもらうことすら拒否してしまった。)
「分かりました。私、頑張ります!」
無邪気に答えるマーガレットだったが、彼女はその後、言葉通りに努力を重ねた。
ロナルド王子が何をやっても敵わないと思うほどに。
才女マーガレットの原点がここにあった。
しかし、ロナルドは別のことを思い出していた。
(そうだ、俺はこの時のマーガレットの笑顔に惹かれたのだ。)
ロナルドの原点もまた、ここにあった。
マーガレットに勝ちたがっていたのは単なる嫉妬心、だけではない。
王になった時の体面の問題も、建前に過ぎなかった。
本当は、ただ――
(俺はマーガレットに頼られたかった。彼女に相応しい男になりたかった。)
ただそれだけだった。
「殿下、私達は家の都合で決められた婚約者ですけれど、国を良くしようという気持ちは一緒です。きっと仲良くなれると思うのです。」
その通り。彼女はいつも正しかった。
(マーガレット、俺は君を愛している。)
逆行転生と呼ばれる物語があります。
過去に生まれ変わって、人生をやり直したり歴史を改変したりする物語です。
未来の知識を武器に悲劇を回避したり、成功を掴み取ったりするわけですが、過去を改変できなければ分かっている歴史を追体験するだけで辛いのではないかと思います。
追体験だけでも、過去の知らなかった事実、見落としていた重要な出来事を見つけて現状を打開する手掛かりにするという展開もあり得ます。
しかし、もうすべてが手遅れな状態でただ自分の失敗や間違いを見せつけられるのは、後悔と自己嫌悪しか残らない地獄でしょう。
これは、そう言う話です。
最後の最後に自分の本心、真実の愛と呼べそうなものを見つけられたことは救いになるでしょうか?