5-4 魔神Ⅱ
逆巻く水の奔流が、魔神を下から丸呑みにする。
魔物なら一瞬で消滅する威力。最も強力な水系統の攻撃魔法。魔神といえども多少はダメージを食らうだろう。
「ほう、魔法か。良いぞ、乗ってやろう」
水流の中から声が響いた。魔神の余裕綽々とした声だった。
イルデットは息を呑み、慌てて聖剣を構える。
近接戦闘では勝てる気がしなかった。だから魔法を放ってみたのだが、全く効かなかったようだ。
水の流れを断ち割って、黒い球体が飛んでくる。球体だと分かっただけでも上々だろう、何しろ速すぎて——
「ぐぅっ!」
避けることも防ぐことも弾くことも出来ずに、まともに食らって飛ばされたのだから。
瘴気蔓で編まれた壁に背を強かに打ち付けた。
「げほっ……はぁ、びっくりした……」
痛かった。前も後ろも痛かったが、それだけだ。剣の師に技を色々食らわされた時に比べたら、小突かれた程度でしかない。
魔神は髪から水をしたたらせながら「ほう」と嘆声を漏らした。
「聖剣にはそのような力もあるのだな。先ほどの魔法、食らえば普通は即死であった」
「……でも、防御力だけ高くても勝てないんですよ。負けもしませんけど」
「やはり我と契約するのが最善」
「それは無いですね」
負の感情を持つ魂を集めるのがどれだけ大変か、ヴァレドを見ていれば分かる。そういうことをしようとすれば、お人好しのように振舞うことも出来なくなるだろう。何も良いことが無い。
「ならばもうしばらく魔法の撃ち合いでもしてみるか」
黒球連射。
一つ一つの威力も倍増している。殺到するそれらをイルデットは当然対処できず、全弾食らって痛みに呻く。
どこが撃ち合いだ、一方的じゃないか、と思ったが声に出せない。苦し紛れに魔法を放つも、ことごとく相殺される。
こんな魔法の応酬をするために聖剣があるのではない。そんな思考が頭に流れる。きっと聖剣がそう思わせているのだろう。
イルデットは苦笑いを浮かべて聖剣に目をやった。
魔神に舐められているのは明らかなのに、その油断を突ける隙も手段も見当たらない。せめて、魔剣のように聖剣も魔法の威力を上げてくれれば良いのに。それか、さっさと異空間を——
「あ」
魔法。異空間。
エシュカがよく、異空間収納の魔法を使っていたではないか。あの感じなら、散々見てきてよく分かっている。もし自分に空間系統の適性があったなら、同じ様に使えるくらいに。
聖剣から感じる力を魔力に見立て、練る。異空間収納の魔法を形作ろうとする。
「む?」
嫌な予感がしたのか、魔神が魔法の連射をやめて身構えた。
もう遅い、とイルデットは笑みを浮かべる。
聖剣が光り輝いていた。刃だけではなく、全体が眩い白光を放っていた。
開く、という確信がイルデットの中にある。
魔神のすぐ後ろに、細い亀裂が走った。亀裂は徐々に大きくなって、魔神を吸い込んでいく。
「馬鹿な……! やめろ、我がいなくなれば天の神が好き放題暴れるぞ!」
断末魔のような叫びにイルデットは全く聞く耳を持たず、聖剣を魔神に向けた。
「僕の勝ちだ」
聖剣が一際強い光を放ち、次の瞬間には魔神の姿が無かった。
きっちり異空間に封印されたのだろう。その証拠に、茂っていた瘴気蔓がボロボロと崩れつつある。
〈魔の領域〉が崩れる音と共に。
「っ、やばい」
この空間は地下に存在しているはずだ。消滅すれば地下に埋まることになる。そうなる前に脱出しなければ。
魔法で維持され続けているトンネルを駆け抜けると、厳しい表情のエシュカと不安そうな顔のリオネラが言い合っていた。
「私の魔法じゃ無理よ」
「じゃあどうすんの?」
「だから、それを——」言いかけたエシュカはイルデットが戻ってきたことに気付いた。「イルデット。この状況は魔神を倒せたからってことで合ってる?」
「合ってる」
「それは良かったわ。……聖剣の力で脱出できない?」
「無理だと思う」
「なら神頼みしかないわね」
3人で身を寄せ合い、崩れゆく空間を見つめる。
果たして、完全に空間が崩れ去った時、3人がいたのはまだ夜明けに至らない地上だった。地下に埋まらず済んだことに安堵する暇も無く天から声が降ってくる。
『よくやった。約束は守ってやろう』
雨は既にやんでいた。




