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5-3 魔神Ⅰ

 トンネルはなかなか長かった。よくこれだけの魔法を維持できるな、と感心しながら、イルデットはようやく魔神の前へ出た。

「待っておったぞ、聖剣使い」

 爛々と輝く紅の瞳がこちらを見下ろしている。

 意外だな、とイルデットは思った。

 もっと得体の知れないモンスターのような姿をしているのかと思っていた。書物にも詩にも、魔神の姿は魔物に近いと謳われていた。だが、目の前の存在は、人間のような姿をしている。40代男性、といったところだろう。

 そのようなことを考えていると、頭3つ分は高い位置から再び声が響いた。

「こちらに寝返る気はないか?」

「え?」

 有り得ない。

 魔神から感じる圧は、全くもって寝返りを期待する様子ではない。むしろ、煮えるような殺気を感じる。褐色の肌に覆われた筋骨隆々とした体が今にも攻撃体勢を取ってきそうで、生きた心地がしなかった。

 聖剣を構えると、魔神は眉を上げる。

「ほう、そんなに戦いたいか」

「いえ別に」

「なら少し話そう。貴公にも利のある話だ」

「……」

 イルデットが緊張した面持ちで黙っていると、魔神は勝手に話し出した。

「我は世界を支配しようとしておる。天から我を追い出しておいて人間への干渉をほとんどしない神どもを、我が排除してやろうというのだ。我が恵みをもたらしてやろう。我が繁栄をもたらしてやろう。我が願いを叶えてやろう。人間の利を考えるなら、貴公は我と契約すべきなのだ」

 どうでもいい、とイルデットは思った。人間全体の利益など興味が無い。ただ自分だけが幸せになれれば良い。そんな思考が駆け巡って、自嘲的な笑みがこぼれる。

「何が可笑しい」と魔神が問うてきた。

「いえ……」イルデットはにっこり笑ってみせる。「てっきり、魔神は天の神に嫌がらせをしたいだけなのかと思っていたので」

「そんなはず無かろう。我を馬鹿だと思っているのか」

「人間のためを思うなら、瘴気や魔物をばら撒くのをやめてもらえませんかね」

「ここから地上に干渉するのは難しい。天の神どもが邪魔しておる」

「答えになってませんが」

「魔物に人間を喰わせることで、我は力を維持しておる。そうし続けなければ天の神どもに滅ぼされてしまうからな。それが精一杯で、人間のために何かしてやる余裕は無い。当然、魔物を遣るのもやめられん」

「…………負の感情を持つ魂を集めれば魔神の力が増して天の神を滅ぼせるから、魔物を遣る必要も無くなって瘴気や魔物の被害が無くなる……そのために契約者が要る……ということですか」

「然様」

「それって、瘴気病治ります?」

「貴公が契約を果たすなら、どんな望みでも一つ叶えよう。無論、瘴気病を治すことも可能だ」

「…………」

 どこまで本当なのか分からない。ヴァレドに聞いた話とは一致するが、嘘をつき通しているだけかもしれない。鵜呑みにする道理が無い。

 何よりも。

 手間だ。時間がかかる。目の前にいる魔神を倒せばすぐ治るのに、そんな回りくどいことをするのは嫌だ。

「僕が——聖剣使いが、怖いですか?」

 少しの期待をこめて尋ねると、魔神は鼻で笑った。

「地上であればな。だが、ここでなら我の力を存分に揮える。聖剣使いといえど一捻りよ」

「じゃあ、何でわざわざ蔓みたいなのを張り巡らせてたんですか」

「瘴気蔓のことか。無論、力を試すためだ。あの程度の障害を突破できぬなら、相手をするまでもない」

 魔神と話しながら、イルデットは片足に重心をかけ、少し体勢を変えていた。気付かれぬように、ゆっくり、ゆっくり。

 そして、会話が途切れる寸前に跳んだ。

 一気に肉薄、一息に聖剣を振り抜く。一瞬の攻()

「……!」

 防がれた。頭で理解する前に体は動く。跳び退った目の前を魔神の爪が通過した。

 魔神は悠然と頷く。

「やはり戦いたくて仕方がないのだな。良かろう、相手をしてやる」

 違う、と思いながらイルデットは動く。不意打ちが無駄ならとにかく攻め立てるまで。聖剣の力を信じて振るい続けるしかない。

 長い間、連撃を繰り出し続けた。押さえつけられれば聖剣を持ち変えて掬い上げ、反撃されれば躱しながら斬りつける。防御には回らない。

 いや、防御せずに済んでいる。

 手を抜かれているのだ。いくら攻撃が防御にもなるとはいえ、魔神が本気で力を揮えばそんなものは関係無しにやられてしまう。戦いの中でそれが分かってしまった。

「この程度か」魔神ががっかりしたような声を出す。「決めるが良い。このまま我に殺されるか、我と契約を交わすか」

「……まあ、僕もまだ本気じゃないんで」

 ぼそっと呟いて。

 イルデットは一跳びで魔神と距離を取り、聖剣を掲げた。

「……」

「…………」

 静寂。静止。時が止まったかのようだ。

「………………何をしておる」怪訝そうな魔神の声に、

「何でしょうね……」ようやく時が解凍されたとでも言うようにイルデットは首を傾げた。

 何か起これと思ってやって、結局何も起こらなかった。それ故の奇妙な時間だった。

 天の神の話では、聖剣には魔神を異空間に封じる力があるという。その力を使いたいところだが、やり方が分からない。一度限りの力だというのは聖剣を手にした時に感覚的に分かったので、予め試すことも出来なかった。

 魔剣みたいに意思を伝えてくれれば良かったのだが、聖剣は沈黙を保っている。他に分かっていることといえば、一応魔神と渡り合えたことから身体能力がかなり上がっているであろうことと、勢いよく振れば衝撃波が出ることくらいだ。使いこなすには程遠い。

 瘴気蔓を相手に色々試しておけば良かった、と悔やんでももう遅い。楽観的に、自信たっぷりに、使いこなせるようになったつもりになっていたのだから仕方がない。そう思わせた聖剣のせいだ、とイルデットは心の中でぼやきながら、魔力を練り始めた。


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