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3-7 魔神との契約

 ◇


 ヴァレドは天才だった。幼い頃から誰に教わるでもなく巧みに剣を操り、10歳になる頃には村一番の剣士になっていた。村で彼に敵う者は、誰一人としていなかった。

 その村では5年に一度、最も美しい少女が贄として魔神に捧げられることになっていた。村を魔物から守るための風習だった。ヴァレドが12歳になった年が贄を捧げる年で、贄に選ばれたのは幼なじみのレリーシャだった。

「オレが村を守る。贄なんて捧げなくても、魔物が来たらオレが全部倒す。だからもう、こんな風習やめてくれ!」

 ヴァレドはそう村長にかけあったが、認めてもらえなかった。だが、

「それならこんな村、オレが滅ぼしてやる」

 というヴァレドの呟きには村長も屈せざるを得ず、贄は捧げられないことになった。

 村に魔物が湧いて出たのは、その翌年だった。

 この頃にはヴァレドとレリーシャの関係は既に変わっていて、将来を誓い合う仲になっていた。村の風習に則り、親元を離れて2人で暮らしていた。その2人のもとに、村のすぐ近くに魔物が発生して村に向けて進んでいるという知らせが入ったのだ。

 知らせをもたらした村人が家から遠ざかるのを横目にヴァレドが戦いに出ようとするのを、レリーシャは引き止めた。

「駄目、行かないで。わたしが悪かったの。贄になんてなりたくないってワガママ言ったから、そのせいで魔物が来たの。今からでも、わたしが——」

「心配いらねぇ。魔物ごとき、オレが軽く全滅させてやる」

「盗賊退治とは違うんだよ⁉」

「瘴気にさえ気を付けてれば良いんだろ」

「さっきの人の話聞いてた? 数え切れないほどいっぱいいるって。どんどん湧いて出てるって!」

「そうだな、すり抜けて村に入るのがいるかもしれねぇ。けど、それは他の奴らが倒してくれるだろ。お前は家の中にいろよ」

 言うだけ言って、ヴァレドは家を飛び出した。

 賢しい盗賊たちでも容易く一網打尽に出来たのだから、知能の無い魔物など楽勝に決まっている。そう考えていたヴァレドだったが、しばらく魔物と戦った後、考えを改めざるを得なくなった。

 魔物との戦いは一筋縄ではいかなかった。

 漆黒の球が、そこから生える数多の触手が、生命力を奪い取る。草木は魔物に触れた端から枯れて、小動物は覚めぬ眠りにつく。

 その様子を目の当たりにしたヴァレドは、絶対に魔物に体が触れないようにしようとして、結果、多数の魔物を取り逃がした。半数近くの魔物が、村へ行ってしまった。

「くそっ」

 全部倒すと言ったのに、このザマは何だ。

「くそ、くそ、くそっ!」

 幾重にも奔る剣閃が、幾多の触手を斬り飛ばす。

 瘴気を気にする余裕は無い。ただ魔物に触れないように、それだけ気を付け剣を振る。倒した数も気に留めず、目につく魔物をただ屠る。

 気付けば村の中にいた。魔物を追いつつ倒すうちに、村の中心部まで戻ってきていた。

「な……」

 ヴァレドは呆然と立ち尽くした。

 おかしい。

 人がいない。

 どれだけ視線を動かしても、生きている人はおろか、死体すら無い。閑静で美しい村の姿が、変わらずそこにあることが、今は不気味で仕方がない。あれだけの魔物が村へ入ったというのに、誰も血を流していないなんて奇跡は有り得ない。


「あ、戻ってきたんだ」


 どこかから声が響く。同時に村の景色が揺らいだ。

 赤。

 地面が。家の壁が。木々が。赤く彩られていた。遊び盛りの幼子が、染料をぶちまけたかのように。

 グチャッ。グチャリ。ビシャッ。

 途切れ途切れに音が鳴る。音と共に、赤が重なる。

 何かが、移動しながら村人の体を千切っては投げ、喰らっては残りをぶちまけていた。

「レリーシャ……?」

 ヴァレドは呆然とその名を口にした。目の前の、得体の知れない存在が、彼女の姿をしていたからだ。

「お帰り、ヴァレド。無事でよかった」

 彼女の顔で、彼女の声で、何もおかしなことなど無い言葉が紡がれた。それはヴァレドが求めていたものであり、失ったかもしれないと恐れていたものだった。

 お前も無事で良かった、と言葉を返していたところだろう。こんな状況でさえなければ。

「お前、それ……何、してるんだ。魔物は? お前は、レリーシャなのか?」

 混乱した頭から捻り出された言葉は、震える声で吐き出された。

 レリーシャは小首を傾げる。

「えっとね。魔物は、自警団の皆が倒してくれたの。だから、死傷者は自警団の中からしか出てないよ」

「………………」

「ヴァレド、どうしてそんなにわたしを睨むの? わたしが無事で嬉しくないの?」

 そう言いながらレリーシャは、近くに転がる村人の胴と脚を力任せに引きちぎった。温かな鮮血が、ヴァレドの手まで飛んでくる。

「……っ、そいつ、まさかまだ生きて……」

「うん、魔法で眠らせてるだけだよ。決して覚めない深い眠り。だからほら、こうしたって起きないの」

 レリーシャの歯が、脚を失くした村人の胸に突き立つ。少女のものとは思えぬほど鋭い牙が、瞬く間に奥へと達した。

 獣が獲物を貪り喰っているようにしか見えなかった。

「レリーシャ……お前の魔力は光系統だったよな? 光系統に、眠らせる力なんてあったか?」

 否定したかった。目の前の、人を喰らう少女が、レリーシャではないと思いたかった。

 レリーシャは笑う。

「ごめんね。あなたが魔法を使えないから、敬遠されたくなくて隠してたんだ。本当は、光系統以外にも5つの系統に適性があるの。村の景色を書き換えてたのは光系統だけど」

「そんな話が聞きたいんじゃねぇ」

「どうしてそんな怖い顔をするの……?」

 本気で分からないような困り顔でそう言いながら、木陰で倒れている赤子を踏みつける。柔らかい果実を潰したような軽い音がして、飛び出てはいけない液が撒き散らされる。

 こんな惨状を生み出すものが、レリーシャであって良いはずがない。

 ようやくまともに働き始めた頭が、そう結論付けた。ヴァレドは突き動かされるように、剣に手をかけ前へと駆ける。

「レリーシャのフリをするな、化け物がッ!」

 逆袈裟の一閃が、深々と傷を刻む。そこから流れ出たのは、血ではなかった。

 黒い靄のようなものが、どろりと溢れ出てきた。

 瘴気だ。

 そこでヴァレドはようやく気付く。村に瘴気が濃く漂っていることを。濃い瘴気を、無警戒に大量に吸ってしまっていたことを。

「……何ともねぇな」

 呟きながら、瘴気を内包していた化け物に背を向けた。本物のレリーシャはまだ家に隠れているかもしれないと、微かな希望を胸に足を動かした。

 その足が、3歩目を刻んだ時。

 火の手が上がった。村のあちこちが、一斉に燃えだした。

「……⁉」

 燃えているのは家が多かった。だが、畑や道の真ん中からも火柱が立ち昇っている。

 よく見れば、出火元は村人だった。

「何で、こんな……」

 視線を巡らせる。死体からは火が出ていない。

 つまり、魔法で眠らされていた生者が、突然火だるまになったのだ。

 呆然とするヴァレドの肩を、冷たい手が叩いた。

「まさか全滅するとはな」

「っ⁉」

 バッと後ろを振り向くヴァレドを、紅の瞳が悠然と見下ろしていた。

 気配は無かった。どこかから突然現れたそれは、明らかに人間ではなかった。得体の知れない雰囲気と、どう足掻いても勝てないと思わせる威圧感をもつ存在だった。

 黒い靄に包まれて判然としない姿の中に、目だけが煌々と輝いている。そこから再び男の声が響く。

「貴公の魔力は面白い。どうだ、我と契約せぬか」

「はあ……?」

「なるほど、状況を理解できていないと見える。教えてやろう」

 紅の瞳が細められ、黒い靄が軽く揺らぐ。やれやれ、と肩を竦めたようだった。

「まず、貴公が化け物と称し斬ったのは、貴公の恋人そのものだ。偽物などではない」

「……なにを、言ってるんだ……? あんなのが、レリーシャなわけねぇだろ」

「瘴気病にはああいった症状もあるのだ。血も臓器も瘴気に置き換わり、正気を失う」

「そんな……じゃあ、オレは……!」

「悔いることは無い。貴公は、救ったのだ。ああなってしまった人間は、死より他に救いは無い」

「………………」

「生き残った人間が燃えたのは、貴公の恋人がかけた魔法の所為よ。己の死を引き金として発動する、道連れの呪いによって、村人たちは燃え散った。さて、状況説明が終わったところで、もう一度貴公に問おう。我と契約せぬか。契約を果たせば何でも一つ願いを叶えてやるぞ」

「そんなの信じるかよ! 何なんだ、お前は⁉ 魔物の亜種か⁉」

「魔神だ」

 それを聞いたヴァレドは、息を呑む。

 魔神。天の神と敵対する、地下の神。そんな高位の存在が、自分に契約を持ちかけてきている——その信じがたい事実を、ヴァレドはゆっくりと呑み込んで、小さく口を開いた。

「……人を生き返らせることも、出来るのか?」

「一人だけなら可能だ」

「分かった、契約する。させてくれ。何をすれば良い?」

「そう逸るな」

 魔神がそう言うと同時、ヴァレドの握った拳の中に剣が出現した。彼の髪色と同じ、暗赤色の刃をもつ長剣が。

 怪訝そうな顔のヴァレドに、魔神は告げる。

「それは魔剣。契約の証だ」

「これで何かすれば良いのか?」

「そうだ。その魔剣で、強い負の感情を持つ人間を殺せ。詳細は魔剣が伝えてくれるだろう」


 ◇



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