1-2 次から次へと
イルデットは立ち止まって目を瞬かせた。視界に映っていた炎が突如として草原に変わったからだ。
「間一髪だったわね」
鈴を転がすような声が後ろから響いた。イルデットは振り向いて破顔する。
「エシュカ! 助かった!」
「あれくらい当然よ」
桔梗色の髪をクルクルと指に巻いてはにかむ可憐な少女、エシュカ。彼女は先ほど転移魔法を使った、イルデットと共に旅をする仲間である。
2人が旅をしているのは、フェイという同じ歳の少女を救うためだ。1年前に〝瘴気病〟で昏睡状態に陥った彼女は、イルデットにとっては相思相愛の婚約者であり、エシュカにとっては幼馴染の親友だ。瘴気病の治療法を求めて旅に出ると決めたイルデットにエシュカがついて来た形だが、彼女もまた「絶対にフェイを治す」という強い思いを持っている。
心地よい秋風が草を撫でている。その風を全身で浴びて体を冷ますイルデットを、エシュカは不思議そうに見つめる。
「……どうして追いかけられてたの?」
「それがさぁ」
イルデットは溜息まじりに事情を話した。
聞き終えたエシュカは、深刻そうな顔で口を開く。
「じゃあ、そのヴァレドはまた追ってくるってことじゃない。〝とある貴族〟とやらが諦めてくれない限り」
「そうだな……。はぁ、何で僕なんかが狙われるんだろう。村の発展に関わったっていっても、大したことしてないのになぁ」
前世の知識を伝えたとはいえ、作り方や詳しい仕組みなど一切無しで、〝こういう物が存在した〟程度の情報を自分で思い付いたアイディアかのように教えただけである。にもかかわらず村人たちは独自の技術を利用したり新技術を開発したりして、冷蔵庫や洗濯機、自動車やエアコン、インフラ設備等々、前世の記憶にある便利な品々を再現してしまった。だから、村人たちが凄すぎただけだとイルデットは確信している。
一方エシュカは、意外そうな顔をした。
「そんなの、あなたのアイディアを利用したいからに決まってるじゃない」
「利用できるものかな」
「できると思うわ。あの村の発展を知って、それがイルデットのおかげだと知り、かつイルデットの顔と居場所を特定できるほどの情報網なり技術なりを持ってる訳だもの」
「僕としてはアイディアの提供くらいしても良いと思うんだけど……それだけじゃ済まない気がするんだよなぁ」
「そうね。知識や情報を独占するために、搾り取るだけ搾ってから始末する……よくある話だわ」
「嫌な話だな。にしても、ヴァレドの剣は何なんだ。炎が出る剣なんて聞いたこともないぞ」
前世の記憶にある物語の中ならともかく、とイルデットは思う。
魔法が出るなど特殊な力を持つ武器のことはイルデットも村人に話してみたことがあるが、実現できなかった。できたものといえば、せいぜい〝魔力を流し込むと光る剣〟くらいのものだ。魔法やそれに準ずるような攻撃を放つ物を作ろうとすれば、どうしても武器として使えないほど大きく重いものになってしまうらしい。
「私も聞いたこと無いけど……勝てなかったのは剣が原因なの?」
手を抜いたんじゃないの、とでも言いたげだ。
イルデットは苦笑する。
「ヴァレドが強すぎるんだ。困るよな。今日みたいに情報収集がヴァレドに妨害される訳だろ、今後ずっと」
ふと、風に嫌な臭いが混ざった。イルデットは剣に手をかけ、風上に視線を向ける。
「魔物だ」
「まったく、いつもながら突然現れるわね」
漆黒の球が浮かんでいる。大きさは握り拳の3倍ほど。明確な輪郭を持たず、景色へ溶け出しているかのようなその姿は、ただただ不気味だ。
魔物と呼ばれるその球は、瘴気が凝縮して人を襲うようになった存在である。瘴気そのものは常に地の底から湧き出しており、少量なら人体に無害だ。しかし、時や場所を問わず突然瘴気が濃くなることがあり、魔物の発生や瘴気病の原因になる。
今現れた魔物が遠くに1体だけなのは幸運だ。距離を保ったまま魔法で簡単に倒せる。イルデットは即座に魔力を練り上げて、掌から放出した。
「消えろ!」
魔力は水となり、矢を形作った。風上の濃い瘴気を突き破って飛んで行ったそれは、魔物を貫き破壊して、ついでに周りの瘴気を浄化してから蒸発した。
イルデットの得意とする水系統の魔法だ。この国において、魔法は〝水〟〝火〟〝風〟〝雷〟〝光〟〝闇〟〝空間〟〝聖〟〝影〟〝特殊〟の10の系統に分けられており、どの系統にどの程度の適性を持つかは本人の魔力の性質次第である。イルデットの場合は水系統に高い適性を持ち、火系統も少し使える。僅かながら風と雷にも適性があるらしいが、魔法を使えるほどではない。エシュカは空間系統しか使えないが、転移魔法や異空間収納など便利な魔法が多く重宝している。
「ねえイルデット。ヴァレドとの勝負で魔法は使った?」
「軽いのは使ったけど効かなかった。あの剣に斬り払われたというか蒸発させられたというか……」
「さっきみたいな強力なのを使えば勝てるんじゃない?」
「剣で戦いながらは無理だ。魔力を練る余裕が無い」
それより、とイルデットは北に目を向ける。ヴァレドに追われた街の方だ。
「何か分かったか?」
「何も。あなたは?」
「何も。やっぱり小さい街じゃ駄目だな」
王都に行くしかないか、と2人は重苦しい息を吐く。ここから王都までは近く、徒歩でも5日あれば着くくらいなのだが、気乗りしない。
もし、何の情報も得られなかったら? 瘴気病を治す方法なんて存在していなかったら? ——そんな不安と恐れに駆られていた。旅を始めた時には、王都まで行かずともそれなりに大きな街へ行けば治療法が見つかると思っていたのに、幾つもの街に寄っては成果無く落胆するのを繰り返し、結局何も分からないまま〝求める情報がある者にとっての頼みの綱であり最後の砦〟である王都へ行くしかなくなったのだ。
2人はどちらからともなく歩き出す。その足は、別の足音によって止められた。
後ろだ。
「痛い目遭いたくなけりゃ、持ってるモン全部出しな」
勝ち誇ったような男の声とともに、複数の足音がイルデットとエシュカを囲む。そして、一斉に、魔法で消していた姿を露わにした。
5人の野盗が、手に手に剣を持ち、下卑た笑みを浮かべている。
「次から次へと。今日は厄日か?」
イルデットの呟きに、エシュカはくすりと笑った。そして野盗たちを順に見ながら、きっぱり告げる。
「無駄よ。あなたたちじゃ相手にならない」