2-3 逃
魔法を警戒しなくて良いなら、もっと首尾よく戦える。そんなイルデットの考えは、次の瞬間、木っ端みじんに打ち砕かれた。
ヴァレドの鋭い攻撃が、目にも留まらぬ速さで奔る。バキンッと痛烈な音がして、イルデットの剣が真っ二つに折れた。
「っ……」
迫る切っ先をどうにか躱したイルデットは、ヴァレドの後ろへ回り込む。
「エシュカ、剣!」
「分かってる!」
丁度良い位置で異空間収納が開き、剣がすっぽりと手に収まった。
ヴァレドは舌打ちしながら剣を閃かせる。
「もしまた魔法で援護したら、斬るからな」
それはエシュカへの牽制であり、イルデットへの警告だった。だが、今のヴァレドの反応で、2人は確信を得ていた。ヴァレドは今、魔力を練っている気配を察知する余裕が無い。
「えー、困るな。次に剣が折れたら終わりじゃないか」
わざとらしくイルデットが言う。それを受けてエシュカは魔力を練り始めた。
彼らの企みに、ヴァレドは気付かない。
「そうだ。だから大人しくオレに斬られろ!」
気迫のこもった斬撃が、死角からイルデットを襲う。
「くっ」
イルデットはどうにか反応して受け流した。その時にはもうヴァレドが切り返していて。
暗赤色が視界に広がる。
その刃の到達は避けようのないものだ。だが、少しでも遅らせることは出来る。
そんなことを考えるまでもなく、自然と体が動いた。後ろへと跳び退った。
1秒にも満たない、その稼いだ時間が、イルデットを救い出す。
ヴァレドの剣は空を切っていた。
「……無駄なことを」
ぽつりと呟くヴァレドの声が、夜の静寂に溶けていく。廃墟と化した教会の中からは、イルデットたち3人の姿が忽然と消えていた。
「転移魔法で逃げたって、隠密部隊が見つけ出す。そうだろ」
『やれやれ、丸投げっスか』
隠密部隊の一人が、念話で呆れたような声を届けてきた。ヴァレドは溜息を吐く。
「それがお前らの仕事だろ。イルデットはどこへ逃げた?」
『随分と遠くに転移したみたいっスね。博打にもほどがあるなぁ。こりゃ転移先で死んでる可能性もあるっスよ』
「……その場合、オレはどうなる?」
『任務成功ってことにしておくっス。あんたが相手でなければ、これほど強引な転移はしてなかったはずっスから。…………あー、こりゃ駄目だな』
「どうした?」
『隠密部隊の探索範囲外に逃げられたっス。どうやら生きてるみたいっスが、細かい情報が分からないんで、自力で捜してくだせえ。方向は教えるんで。あ、ちょうど街のある方だ。街めがけて転移したっぽいっスね』
「街か……分かった、すぐに行く」
そう言って踵を返すヴァレドの表情には、安堵が浮かんでいた。
「……エシュカ」イルデットは唸るような声を出す。「街への転移は危険すぎて無理って言ってたくせに、これはどういうことだ?」
3人は街の外壁すれすれに転移していた。
「そこまで言ってないわよ。それに、街の方向にあたりをつけて飛んだだけで、ここまできっちり街に着くなんて思ってなかった。偶然よ」
「えー……」
「大丈夫、分の悪い賭けはやらないから。本当は賭け自体やりたくなかったけど」
「賭けになってでも遠くに飛ぶ必要があったってことか」
「そうよ。隠密部隊がどの範囲で活動してるのかは分からないけど、その範囲内ならすぐに場所が割れる。距離を稼がないと、すぐにヴァレドに追いつかれるわ」
「でも、遠くに転移しようとしたせいで、発動に時間かかったんだろ?」
「……ああなるのは想定外だった。ギリギリになってごめんなさい」
「いや……そうだな、時間稼げなくてごめん。ヴァレドの動きがどんどん良くなってて対応しきれなかった」
互いに反省の弁を述べた2人は、黙っているリオネラに目を向ける。
リオネラは呆れたように笑った。
「何というか、2人ともとんでもない使い手だね。想像を遥かに上回ってたよ。それ以上に強いヴァレドって、何者なんだろーね?」
「ヴァレドが持ってるのがあの剣じゃなければ、僕は勝てる」
イルデットは渋面を浮かべて言った。
あの暗赤色の剣は、おかしいのだ。火を出すばかりかヴァレドを治し、あまつさえヴァレドの身体能力を上げていった。彼の気迫に応じるように。
3人は話をしながら街へ入り、宿に直行した。一部屋取ったその宿は、1階が受付と酒場、2階が宿泊部屋になっている小さな宿だった。
すぐにでもヴァレドへの対抗策を考えたかったが、皆疲れていたので、ひとまず寝ることにした。
翌朝、3人はそれぞれのベッドの上で顔を突き合わせた。
「イルデットの魔法を活かせれば良いと思うんだけど」
と言ったエシュカは、ちらりとリオネラを見る。リオネラは首を傾げた。
「そういえばあたし、イルデットがどんな魔法を使うか知らないや。攻撃系いける感じ?」
「ああ、魔物相手には大体魔法で攻撃してる」イルデットが答えれば、
「じゃあ、おねーさんが前衛やってあげるよ」リオネラはそう言って、にひひと笑った。
それに対してエシュカは「出来るのね? 良かった」と嬉しそうに呟いたが、イルデットは怪訝そうな顔をする。
「出来るのか?」
「防御魔法でなんとかできそうかなーって」
楽観的に言うリオネラに、イルデットは首を振った。
「そんな簡単なことじゃない。あの剣、防御魔法くらい簡単に斬り捨てそうな気がする」
「でもさぁ、ヴァレドに勝とうと思ったら、もう魔法撃ちまくるしか手がないよね? キミは剣で負けたんだから」
「それは、その通りなんだけど……」
「魔法で攻撃できるのはキミだけなんだから、他の役割はあたしとエシュカがするしかない訳さ。分かってるっしょ?」
「でも……」
「だいじょーぶ。おねーさんに任せなさい。昨日はほとんど役に立てなかったし、間違った場所に案内しちゃったからね。その分きっちり活躍するよ」
窓から差し込む朝日が、リオネラの不敵な笑みを照らしている。
任せるしかないか、とイルデットは溜息を吐いた。その対面で、エシュカがふと口を開く。
「ねえ。外、騒がしくない? さっきから気になって聞いてたんだけど、ちょっと尋常じゃなさそうよ」
「……そういえば」
その喧騒に今更気付いたイルデットは、立ち上がって窓際に行く。
宿に面した道には、魔物が大量にひしめいていた。