死の苦しみはこんなにも辛いものなのか
息が出来ない。
喉が焼けるように痛む。
『死ぬ、これが死ぬということか。』
死の予感が確信に変わり背中をざわめかせる。
耐えられない不快感が全身をまさぐり続ける。
息の出来ない苦しみのうえに不快感は手や足をビクビクと痙攣させる。
やがて私は自我を失い意識は暗転した。
夢を見ていたような気がする。
それは、長い長い、
いや、永く永く、かなりの年月が流れ続けたような、
死ぬ直前までの自分が思い出せない程の感覚の隔たりを経て、
私は意識が覚醒し、自我を形成した。
「ジッガ、危ないよ。
ほら、転んじゃうと痛いんだよ?」
一歳半となった私は両親の前でヨチヨチと歩く。
話そうとしても成長が不完全なためか舌が上手く動かない。
舌足らずに両親が話す言葉を真似て繰り返しながらヨタヨタと全力で歩く。
私は【ジッガ】と名付けられていた。
前世では違う名前だった気がする。
だが思い出せない。
つい数日前に私は自我を得た。
私はまた人間として生まれたようだ。
前世はどんな世界で自分がどんな人間だったかは思い出せていない。
だが一歳半にも関わらず私は精神が老成されている。
知識は全然無いのだが思考し判断することが出来ている。
【思考力】だけは前世から持越し出来ている、ということだろうか。
両親の話す言葉は理解できていないが、私の名前と、その溢れる【愛】は分かり過ぎるほど分かる。
しゃがみ込んで私の名を呼ぶ両親の膝元目掛け、全力で歩きながら私は【生】を実感していた。
二歳になる頃、私はこの世界のことを少しだけだが理解し始めていた。
前の世界とはかなり生活様式が違っているように思える。
言葉が違い、文化が違い、食べ物や動物が違う、だがそれは些末なことだった。
この世界には【魔法】が存在したのだ。
魔法など前世では空想上のものだったはずだ。
おぼろげな記憶ではあるが前世では【魔法】の代わりに【機械】というものがあったように思える。
ただ、魔法は気軽に使えるものではないようだ。
使える人間は限られているうえ、かなりの体力を消耗するらしい。
母に抱えられウトウトしながら、そんな両親の会話を聞いていた。
四歳の頃、私の住んでいる小さな村へ戦争による徴兵の命令が届いた。
私の父も例外ではなく、村の男たちと共に戦争へと駆り出されていった。
昨年始まった隣国との戦争は長引き、終わりが見えなくなっていた。
不安そうに窓の外を眺める母の手を両の手でギュッと握りながら、私も父の無事をこの世界にいるかどうかわからぬ神へ向け願い続けていた。
五歳の頃、父の死が伝えられた。
家族が【死ぬ】とはこんなに辛く、悲しいものなのか。
私の頭を撫でてくれたあの手の温もりは、もう感じ得ぬものとなってしまった。
母は膝を落とし私に縋り付くようにずっと泣いていた。
私もまた母の身体へ身を寄せ、胸の苦しさに構うことなくひたすら泣き続けた。
七歳の頃、母を亡くした。
父の死後、母は精神的なショックから体調を崩していた。
父の戦死による弔慰金があったので生活は出来たが、母は臥せって過ごす日々だった。
私は毎日必死に元気付けようとしたが、母が立ち直ってくれることは無かった。
私を抱きかかえてくれた幼き日々を思い出し、合同葬儀の間、涙が溢れ続けた。
私は村から出され、街の孤児院へ引き取られることとなった。
どうやら私の祖父母は既に亡くなっているらしく身寄りは無かった。
私を可愛がってくれていた近所の寡婦が引き取りを申し出てくれていたが、経済的な理由からやむなく却下した、と村長から謝罪を受けた。
村では私と同じ境遇の子供が何人かいた。
上は十一歳、下は私で七歳、合計五人の子供が近くの街の孤児院へと移送された。
戦争孤児が増えた為、孤児院も増えたそうだ。
私が入った孤児院の院長が会ったその日に演説で教えてくれた。
友好的な交流はせず、子供を機械的に育てる方針なのだな、と感じられた。
あぁ、この世界には機械が無いんだった、便利な道具を作るように、だろうか。
孤児院での生活は可もなく不可もなく、といった所だろうか。
大人三人、子供二十人での共同生活は大した事件も無く過ぎていった。
子供は近隣の村の子供たちで、五か所の村から集められた孤児で構成されている。
同郷の者四人と私はいつも一緒にいた。
この街出身者は別の孤児院らしく、この孤児院の子らは全員田舎者なためイジメは少なかった。
その少ないイジメも、体格の良い子が小さい子に高圧的な態度を取る程度だった。
つまり最年長の子供が最年少の【私】を子分扱いしてきたのだ。
「おいお前、ジッガ、っていうんだろ?
同じ村のやつで固まってんなよ、俺の子分にしてやる。
こっちこいよ。」
「いや、遠慮しておく、私は子分とかは嫌なんだ。」
「なんだお前その喋り方、変なヤツ、殴られたいのか?」
最年長の子供がそう言いながら近づいてきた。
私は無防備に近付いてきた子供の金玉を蹴り上げ、蹲ったところでアゴに膝蹴りした。
そして相手の左腕を持ち心臓近くのあばら骨へ蹴りを入れた。
「いいか、二度とするなよ。」
そう言いながら相手が了承の声を上げるまで蹴り続けた。
次の日からその子供を含め、他の子供たちまで大人しくなった。
私の孤児院生活は穏やかに過ぎていった。
孤児院での生活は家事を除くと、大きく分けて二つ義務があった。
午前は院外で清掃などの奉仕活動を行い、午後は孤児院で勉強や訓練をする。
これは戦争に向けて兵士を教育する意図が感じられた。
奉仕活動の際は一糸乱れぬ行進なども叩き込まれる。
勉強では戦争相手である隣国の非道さを語られ、親の仇だと教えられる。
訓練では最初に魔法の素質がないかチェックされた。
その後、隣国の名前を叫び罵倒しながらの格闘訓練が行われるようになった。
私は自身に魔法の素質があると気付いたのですぐさま隠蔽した。
院長らに気付かれてしまえば即刻国の研究所へ送られ最悪実験動物扱いとなる。
私の両親を死なせた仇は隣国ではない、【この国の上層部の者ら】だ。
しなくて良い戦争を巻き起こし、未だに国民に悲劇を強いる奴らに利用されたくないと固く決意している。
私は慎重に自身の魔力を育てていった。
院長ら大人はもちろん、子供たちにもバレないように苦心した。
子供たちは精神が未成熟な所に、大人たちの憎しみ教育を刷り込まれている。
自分たちの国が正しいし院長らを信頼に足る大人と考えてしまっているのだ。
バレないように過ごす日々には弊害も存在した。
私の魔力は我流ゆえに歪んで成長しているように考えられて仕方が無かったのだ。
暴発することが今まで無かったのは何よりも幸運だったが、訓練中に聞いたような魔法を使うことは出来ずにいた。
魔力操作の仕方はなんとか感覚で覚えることが出来た、それによって身体強化ならば自由に使えるようになった。
しかし、他は戦闘に役立つかわからないような効果のものばかりだった。
信頼に足る魔法の師が欲しい、卒院までに戦闘力を高めたいのだ。
なぜならここの孤児院を卒院した先は、兵士一択しか道は残されていないからだ。
私たちに訓練で雄叫びを上げながら巻き藁を槍で突き刺す訓練をさせているのだ、院長らは平和な職に就くことなど欠片も期待していないし、そうさせないだろう。
願わくば兵士となってから、死亡したと見せかけ他国へ亡命が一番理想的だ。
その為には人知れず戦闘で生き残るための魔法が必須である。
この世界は前世より文化水準が低い気がする。
夢で見たり、ふとした瞬間に脳にイメージで前世の記憶が流れることがある。
前世では魔法と大差ない機械文明や大量破壊兵器が存在していた気がしていて、現世で行動する際の指標となっている。
この知識を基に我流ではあるが幾つかの魔法の開発にも成功した。
私の今の生き方や考え方は前世の影響が大きく感じられて仕方がない。
しかしそれを私は嫌悪感無く受け入れていた。
命が簡単に失われる現世に比べて、平和な前世の方が私の感性には合っているのだ。
大量破壊兵器の無い現世ならば、私程度の魔法でも恐らく人より抜きんでることが出来るだろう。
ただ身体強化程度では心許ない。
火魔法のような派手なものは逆に必要ない、目立ち過ぎるからだ。
目立たずに戦争で生き延びるための魔法の習得、それが卒院までに私に課せられた最重要命題だった。
就寝前にそんなことを考えながら窓の外を眺めつつ魔力循環の練習をする。
そんな私に同郷で同室の【カンディ】が話しかけてきた。
「ねぇジッガ、そんな腕組みして睨むような顔してちゃダメだよ。
女の子なんだから、もっと優しい顔しないと。」
前世で私は男だったか女だったかは覚えていない、だが現世は女で間違いない。
話し方がおかしいとはカンディ以外にもよく指摘されてしまうが、それ以外は女であることに違和感は無いし他人からの注意も今程度だ。
「そうだな、まだ悲しさが残ってるんだ。
それに戦争が嫌い過ぎて顔が自然にキツくなる。」
「うん、嫌だよね、戦争。
毎日の訓練も嫌になっちゃうよね。」
私はバレない程度に魔力で身体強化をしているが、女の素の筋力で毎日の戦闘訓練は確かに嫌になるだろう。
「カンディ、でも死なないために訓練は必要だ。
一緒に頑張ろう、ママやパパのためにも長生きしなくてはならない。」
「うん、ママとパパのためにね、うん。」
涙ぐむカンディの左手を両手で包み込む。
在りし日の母の手をこうして握ったな、と感傷的な気持ちになる。
しかし次の瞬間、カンディの手から微かに魔力を感じて顔が強張る。
「ジッガ?
どうしたの?」
身体を震わせ硬直した私にカンディが不審げに声をかけてくる。
だが私は驚きのあまり黙ったまま思考を続けた。
カンディは魔力検査を【無し】で通過しているはずなのだが?
この程度の魔力なら無いのと同じということだろうか。
だがカンディの魔力には伸びしろが感じられた。
身体の成長と共に魔力も増大するのでは、と思わせられた。
しかし今はどうこうするタイミングではない、カンディの人間としての資質も判断出来ていないのだ。
私はいま人を信頼出来るような精神状態ではないし、この先出来るかどうかもわからない。
カンディの前にまず自分のことを考えなくてはならないのだ。
「いや、なんでもない。
さ、そろそろ見回りが来る時間だ、寝ようか。」
「うん、そうだね。
あ、元気付けてくれてありがとね。」
「あぁ、ただ本心を言っただけだ。
頑張ろうな、おやすみ。」
「うん、おやすみ、ジッガ。」
私は月をもう一度見上げた後、カーテンを閉めた。
眠りにつくまでの間、再び我流の魔力循環訓練を繰り返した。