二打席目・テニスで世界を救う男
「……っ、眩しいな、おい」
カーテンの隙間から差し込む光があまりに眩しく、アラームが鳴るより早く目が覚めた佐藤は、ゆっくりと体を起こしながら呟いた。
昨夜の酒が後を引いているのか、ズキズキと頭が痛む。枕脇にある携帯を開き、現在の時刻を確認した。
「なんだ、まだ四時か……」
強烈な違和感に襲われた佐藤は一度携帯を閉じてから、もう一度携帯を開いて時間を確認した。
「四時?!」
恐る恐る掃き出し窓の方に目線を移すと、紺色のカーテンの隙間から差し込む光は、相変わらず眩しく、部屋全体を照らしている。午前四時、この光が太陽によるものではないことは明らかであった。
いる、ベランダに何かがいる。
しばらく恐怖と動揺で身動き一つとれずに唖然としていた佐藤だったが、段々と眠気もなくなり、頭が冴えてくると、徐々に好奇心が芽生え始めた。佐藤は音を立てないよう掛け布団をどけ、ベッドからそっと立ち上がり、掃き出し窓の方へ近づいた。
まずは耳を近づけてみる。佐藤の部屋は二階建てアパートの一階にあり、ベランダと言っても砂利が敷き詰められた駐車場から、少し高さをつけた場所にトタンが敷かれているだけの簡易的なもので、どこを歩こうが音鳴り放題の仕様になっている。
しばらく耳を澄ましていたが、窓の向こう側は不気味なほど静かだった。
佐藤は一呼吸置いてから勢いよくカーテンを開けた。
「うわ……なんだこれ」
そこには白く光る球体が少し上下に揺れながら浮遊していた。
人間本当に驚くと、意外と大きなリアクションはできないということを、佐藤は身をもって実感した。しばらく呆気に取られていると、その光る球体はゆっくりと窓を貫通して部屋の中に入ってきた。
「おいおいおいおい」
佐藤は後退りをし、尻もちをついた。不思議と恐怖心はなかったが、夢の中のように体が言うことを聞かない。
「こんにちは、君が佐藤和樹くんだね?」
「ふぇっ?」
佐藤は初めての感覚に思わず今まで出したことの無いような奇声を上げてしまった。
自分の名前を呼ぶ優しい女性の声は、恐らく声の主である球体の方からではなく、自分の耳の中から聞こえてきた。『脳内に直接語りかける』とは、まさにこういうことを言うのだろうと佐藤は思った。
「いいね、その反応、まさに選ばれし者だ」
「選ばれし者?」
「そう、君は選ばれたのさ、この世界を救う救世主にね」
正直なところ佐藤はそこまで混乱していなかった。なぜなら、佐藤は俗に『ライトノベル』と呼ばれる小説を好んで読んでおり、中でも異世界に転生して魔法が使えるようになったり、勇者になって世界を救ったりするようなものには、こういった不思議な体験が物語の契機になることも少なくなく、現在自分が置かれている状況をそれらの主人公と照らし合わせ、理解することができていたからである。
しかし、混乱していないというだけで、冷静でいられるわけもなく、自分から何か言葉を発することはできずにいた。
「君、誰か好きな女優はいる?」
球体からの唐突な問いに佐藤は少し考え、その問いの意図を察した。
「本橋杏奈……とか」
佐藤がそう答えると、その光る球体はさらに眩い光を放って、うにょうにょとその形を変えていき、なんとなく人型になったかと思うと突然発光を止め、あたりが暗闇に包まれた。
佐藤は一瞬何が起きたのか理解ができずにいたが、段々と暗闇に目が慣れていき、先程まで球体がいた場所にぼんやりと人が立っているのが見え、状況を理解した。
「どうよ?」
「ちょっと待ってください」
佐藤は横にある折り畳み式のテーブルから手探りでリモコンを見つけ、部屋の明かりをつけた。
「え?」
佐藤は目の前にいる少女のあまりの美しさに言葉を失った。真っ白のワンピースを着た彼女の肌は、そのワンピースに負けないほど白く透き通っており、はっきりとした目鼻立ちと腰まで伸びた金色の髪は、この世のものとは思えないほど美しく、それでいて小柄な伸長と、真ん中で大きく分けた前髪から覗く、丸みを帯びた額からは、少し幼い雰囲気も感じられる。間違いなく、佐藤の眼球が捉えてきた神羅万象の中で、一番美しい存在であった。
しかし、佐藤が言葉を失った理由はそれだけではない。目の前にいる少女は確かに美しかったが、全く本橋杏奈ではないのである。
「どうなのよ?」
少女は腰に手をあて、誇らしげに繰り返した。
「ぜ、全然違います」
佐藤は何とか言葉をひねり出した。
「なにが?」
「いや、本橋杏奈じゃないです。全然」
「別に本橋杏奈さんになるなんて一言も言ってないじゃない」
少女は終始不思議そうな顔をしている。
「じゃあなんで聞いたんですか、好きな女優」
「コミュニケーションよ、ただの」
そう言うと少女はあたりを見渡し、本棚の隣にある大きなクッションを見つけると、そのクッションに勢いよく仰向けになった。
「そんなことよりお茶だしてよ。君も聞きたいことたくさんあるでしょ」
不服そうに顔をしかめる佐藤をよそに、少女は弾力を確かめるように両手でバシバシとクッションを叩きながら言った。
「変だなぁ、すごく変だ」
佐藤は首を傾げ、頭をかきながら立ち上がり、冷蔵庫がある廊下へと向かった。
羅生門を読みながら書いています。