1-11 さいきんの異世界転生
エルミーネに感染してからしばらく日が経ったある朝。
アリスは起きてきていつものように鏡の前で歯を磨いていた。
アリス目線でアリスを見れる唯一のタイミングなのでこの時間は結構好きだ。
ふと、アリスは歯ブラシを動かす手を止めて、鏡の向こうの自分の胸元を注目し始めた。何度か腰をひねって胸の形を確認する。
相変わらず・・・なんというか、うん。スレンダーだ。まあ、まだこれからだし、気にせんでもいいのに。
それにアリスのような凛々しい感じの美人だとスレンダーなほうが良いのかもしれない。自分の個人的な好みは置いておくとして、世の中胸の大きさがすべてではない。問題は形と全体的なバランスらしい。前世で男女いろんな方々に説教されたので間違いない。
アリスは、胸のふくらみが鏡に映らず満足しなかったのか、歯ブラシを口にくわえたまま、おもむろに自分の胸を両手で揉んだ。シルクの布越しにちょっとした柔らかさのある厚めの皮膚の感触が感じられた。前世の自分のほうが少し大きかったかな。
アリスは胸に手をあてたまま再び腰をひねって鏡に映る自分を観察する。
何度確認しようと無いものは無いぞ?
まあ、まだアリスは全然若い。というか幼い?ともかく、これからきっと大きくなっていくから心配しなくても・・・あれ?よくよく考えたら、アリスってこう見えてもう15じゃなかったっけ?第二次成長期ってとっくに来てないか?
自分のスタイルに不機嫌になるかと思われたアリスだったが、むしろかなりご機嫌に歯磨きを終えると、もう一度、上体をひねって胸元を確認した。そして、大きな鼻息を一つ噴き出すと、ネオアトランティスを起こしにベッドの脇まで跳ねるように戻って行った。
ここ数日、朝はこうしてアリスのもとに戻ってきている。
エルミーネについてはどうしているかというと、朝は特に動きがないので放置だ。いつもエルミーネの朝は、起きて運動、着替え、ケーキに毒、身支度して、城まで通勤。といった流れだった。黒幕とも会う気配はない。
黒幕が居ない可能性もあるが、いまいち動機とか、毒を入手した経路が把握できていない。彼女の館内にはエルミーネ以外の貴族はおらず、メイドやその他何人かの御付きと護衛だけが居るようだ。
もちろん、エルミーネは彼らに王女に毒を盛っている件は伝えていない様子。なので、館の中で毒のことを知っているのはエルミーネだけだ。
彼女は毎晩酒を飲みながら地図と誰かの肖像画をながめるので、そのあたりが何かしらの動機ではありそうだ。だが、肖像画を見ている時にしろ、毒を入れる時にしろ、何かしらを企んでいる様子というか、アリスに対する憎しみというか、が感じられないのだ。アリスの具合が全く悪くならないことに対する疑問とか焦りのようなものは動作の節々に感じる。毎回、毒を入れながら何度か小首を傾げているし、昨日は一度毒を注射した後、もう一回注射して追毒するか少し悩んだ節もあった。ただ、絶対に殺してやるとか、憎いあいつがなぜ死なない、みたいな感情がなさそうなのだ。全体的に少し事務的な感じがする。
ともかく、情報が入ってこなそうなので、朝はアリス達のところに居ることにした。そして、エルミーネが出立するころを見計らってエルミーネのところに戻るようにしている。
ところで、この【感染】者にチャンネルを合わせるという行為だが、意識を向けるだけで距離を関係なく視点を別の場所に移すことができる。
これって、すごくない?
それこそ、感染した生き物が居るところなら世界中どこでも瞬時に行き放題なわけだ。感染者数が増えればそれこそ世界のすべて知ることができる。おまけに【操作】なんてスキルまであるし。自分としては不本意な転生ではあるが、実はかなりの優良物件に生まれ変わっているのかもしれない。
そんな、すごい力とは裏腹に、黒幕に対しての諜報活動はなかなか進んでいない。
アリスの中で毒の対処をしている間、エルミーネのほうに意識を合わせる暇ができないからだ。
毒を倒してエルミーネに視点に戻ってくるときにはいつも夜で、エルミーネの湯浴みのシーンに間に合わいや違う、そこじゃない。つまり。エルミーネが風呂を終えているということは、もう、出かけないということで、必然として情報が入ってこないこととなる。
逆に言えば、こちらが毒と戦っている間にエルミーネは黒幕と接触している可能性がある、ということだ。
エルミーネについてもほとんど判ったことはない。判ったののは、どういうところに住んでいるかと、寝る前と起きた後の生活のルーティーンくらいだ。
エルミーネの館は城が有る城下町から一時間ほど馬車で行ったところにある。かなりの大きなお屋敷で、玄関の前には小さな馬車用のロータリーとその周りに小さな芝生の庭園がある。小さなと言っても、馬車で林を抜けて門までたどり着くまでの距離に比べて小さいだけで、サッカーコートの半面くらいの大きさは優にある。屋敷もそれに見合った大きな屋敷で、外壁こそ石畳で古い感じなものの、ハリウッド映画でマフィアたちと銃撃戦をおこなえるようなイメージの大きくて、小洒落た建物だ。何せ、玄関の扉が両開きだ。玄関の上には赤いハイビスカスのような南国風の花の紋章が飾られていた。ただ、エルミーネの部屋にあった地図に書かれていた紋章とは違う。エルミーネの部屋で見たのは黄色くて花びらがぐるっと巻いた感じの花の紋章だった。
この館にはエルミーネと侍従合わせても10人住んでいない。ほとんどの部屋は使われてないんじゃないだろうか。
エルミーネも食堂と通過するだけの玄関ホールのほかは、自室件書斎にしか入っていない。もしかしたら寝室が別にあるのかもしれないが、基本エルミーネは酒を飲んでそのまま書斎の椅子で落ちてしまう。少なくとも自分が感染してからはそうだ。
朝は目覚めると、さっきも述べたように、ヨガと筋トレを合わせたみたいな運動。そのあと、ケーキを受け取って毒を入れ、身支度して出発だ。城まで馬車から降りることはない。
一方で、館から城までの間、エルミーネは何とはなしに外を見ているので、その視界を通じてこの世界や国がどんな様子かをいろいろと知ることができた。
判っていたことだが、この世界は前世で言うところの中世だ。
エルミーネの館から緩やかな丘陵といくつかの林を抜けると、田畑の並んだ開けた平原にたどり着く。そのすぐ先に、城下町があった。
城下町の道は石畳の道でアスファルトはいっさい使われていない。道の両脇にはレンガすらもほどんど見当たらない建物。行き交う町の人々はほとんどの人が色で染めていない服を着ている。染めていないと言っても、真っ白い布ではなく、原料の色が落ち切っていない枯草色の厚ぼったい布だ。アリスやエルミーネの着ているような絹や、それこそ綿ですら着ている人は多くない。
同じように、街にはネオンサインは当然、印刷された彩色豊かな看板もない。いくつかの店の前には、板を彫って作った看板がぶら下がっている。だいたい絵だ。おそらく文字の読めない人でも解るようにとのことだろう。
そして、何より中世っぽいのが街の人の何人もが帯剣していることだ。
中世ではなく剣と魔法の世界なのかもしれないが、魔法っぽいものは一切見当たらないので、中世の世界観だと認識しておく。
単純に魔法が珍しい世界なのかもしれない。というか、そもそも自分の存在そのものがこの世界一番魔法に近いや。
エルミーネは毎回同じ道を通るので城下町の全体を見れたわけではないが、街並みの綺麗さから、割と良い国なんだろうなという印象を受けた。
城下町に入ってから城壁までも1時間くらいかかる。
城下町付近の石畳で舗装された道に入ると馬車はスピードをかなり落とすが(安全というより、石畳で揺れるのを嫌ったせいだと思われる)、そのことを差っ引いても中世という言葉からの勝手なイメージで言うとかなりの広い町である。都心の電車3、4駅分くらいあるんじゃないかな。王城があるってことは王都なのだろう。
城壁には開かれた門があり、その前には長い槍を持った兵士が両脇に待機している。エルミーネの馬車は城門の前で止まり、御者が軽く挨拶をするだけですんなりと通過する。城壁と言ったが、この内側にもう一つ城そのものを囲う小さな城壁がある。
この外側の城壁までの街と、城の城壁までの間にある街とでは雰囲気が大きく違う。外側の街はいわゆる普通の町並みで、市民たちが騒がしく暮らし、建物も小さな建屋が密集して並んでいる。一方、城門をくぐった先の街は、少し広い敷地を持った家が並んでいた。庭があるのだ。貴族の館なのだろう。エルミーネの屋敷のほうが断然大きいが、こちらの建物のほうが漆喰で綺麗に白く塗られていたりして洗練されている。
馬車を走らせること数分、貴族街を抜けると先ほどの城壁よりも高い城壁で囲まれた城にたどり着く。こちらの門はさすがに閉じられており、御者の顔を見た門番が馬車をのぞき込みエルミーネを確認してから、扉を開け、馬車はようやくアリスがいつも散歩をしている庭の端にたどり着く。
普段、城の中、それもほとんどアリスの部屋の中で、何一つ興味のない本を見ているか、本を見ているアリスを見ているかしかない自分にとって、このエルミーネの馬車移動はそれなりのストレス発散になった。
そんなわけで、そろそろエルミーネ視点に戻ろうかなと思っていたところで、グラディスがアリスの部屋に入って来た。
いつものようにアリスがグラディスをからかうように甘えながら、髪を整えてもらう。
「王女殿下、今日はご機嫌ですね。」グラディスは、アリスがいつもよりも機嫌が良いと察知したようだ。
「わかる~?」アリスが、少し頭の悪い子供のような声を上げる。「当ててみて。」
グラディスは髪を結いながら鏡越しにアリスの様子を観察する。アリスも鏡越しにグラディスの様子を観察する。
てか、アリスが機嫌良いのってなんでだろう?アリスの中に居る自分にも心当たりがない。
「もしかして、少し成長なされました?」
何が?
「そう!そうなの!!」アリスが嬉しそうに叫ぶ。
だから何が?
グラディスはアリスが急に頭を上げたので、髪が櫛に絡みそうになって慌てた。
そんなグラディスをよそに、アリスは興奮して続けた。「エルがね、甘いもの食べると大きくなるって言っててね、ケーキ毎日食べてたからよ!」
頭の悪い子の会話だ。要領を得ない。
「前を見ていてい下さいまし。」グラディスが振り返ろうとしたアリスの頭を両手で挟んで鏡に向きなした。
アリスはおとなしく鏡のほうを向くと、今朝の歯磨きの時のように再び両胸に手をあてた。「グラディスやエルみたいになれるかしら?」
「大丈夫ですよ。アリス様はまだこれからです。」グラディスが答える。
あー、そこか。あれ?成長??
うーん、あれー?
うん、なんかまじゴメン。でも、ぶっちゃけ誤差だと思う。
自分の両手に収まったささやかな胸を見下ろしているアリスに、グラディスが続けた。「それに、大きさよりも形とスタイルが大事です。」
ほらな。
「でも、無いのは嫌なの。」アリスは鏡越しに、グラディスのおっぱいに目線を泳がせた。よく見ると服越しからでも豊満であることが見て取れる。アリスは小さくため息をついた。「とにかく、エルにはケーキのお礼言わないといけないわね。」
止めろし。
そのケーキはむしろ真逆の代物だ。
「そうですね。」とグラディス。
能天気なやり取りが続いているが、あなたがた、それどころじゃないですからね?
どうにか危機感を持ってもらいたいところだが、そもそも自分が毒をどうにかしてしまっているせいで、そもそもの暗殺自体が発生していないことになっている。
エルミーネには直接手を下さないとダメなのかな。何とかして告発したり、危害を加えようのないところに追放したりできないものだろうか。
そんなこんな、考えているも、全く答えは出ず、窓から刺す日の光が明るくなってきたので、エルミーネのところに戻り、そして、昼過ぎにエルミーネとともにアリスの部屋に戻ってきた。もちろん、毒入りケーキも一緒だ。今日もアリスの部屋までの間、エルミーネが怪しい人物と接触することは無かった。
いつものように授業が始まった。
アリスもエルミーネも昨日の喧々諤々は一晩明けると何もなかったかのように会話をする。一晩というより、ケーキを食べ始めた時点ですでに授業のことはもう終わり、といった体でだいたいすべて水に流されるのが常だ。
直前まで一触即発だったのに、話題が変わってしまえば、あっけらかんとエルミーネに話しかけるアリスの姿が人付き合いの得意ではない自分には信じられなかった。言いたい放題、気分まっしぐらのアリスがうらやましい。エルミーネにしても当たり前のようにアリスに受け答えしているので、もしかしたら日本人とこの国の人(西洋人?)との気質の違いみたいなものかもしれない。
授業は順調に進み、いつものようにアリスが苛立って手が付けられなくなってきたところで、エルミーネは何食わぬ顔で毒入りのケーキを取り出した。
毒のことが分かっていて見ると、やさしく忍耐強いエルミーネが恐ろしく思えてくる。
「王女殿下。最近はお加減がだいぶんおよろしい様で。」エルミーネがケーキをほおばるアリスを見ながら話しかけた。たぶん世間話ではない。毒が効いているかどうかを探っているのだ。
「そうね、絶好調よ。アルトのおかげね。あいつウザいけど、腕は確かよ。」アリスが病気のことを聞かれたと思ってそう答えた。「この後1年くらいは倒れないんですって。まあ、ほんとかどうかは知らないけれど。薬射ってもらってから後は・・・一回倒れたけど、それ以外はかなり調子がいいみたい。」
アリスはこの間のアルトの与太話を素直に信じてしまっているようだ。
「そうですか。それは本当によろしゅうございますわ。」エルミーネがにっこりと笑った。怖い。顔が笑っているだけだ。
「それに、最近ちょっと・・・・」アリスは自分の胸が大きくなった話を繰り出そうとするも、エルミーネのふくよかな胸に気圧されて言い淀んだ。そのことをごまかすかのように、フォークで刺したケーキをエルミーネに向けながら続けた。「すこし、その、いい感じだもの。エルのこのケーキもきっといい薬になっているんだと思うわ。とてもおいしいし。本当にありがとう。だから、これからもどんどん持ってきてね!」アリスはそう言ってニッコリ笑った。
アリス的にはお礼かおねだりのつもりなのだろうが、エルミーネにとっては完璧な煽りだ。
エルミーネは苦笑いしながら「判りましたわ。」と答えた。
次の日から毒の量が倍になった。




