無敵一刀流 その2
木立から現われた武士、隙のない構えといい落ち着き払った態度といい、並の武芸者ではない。
老人がまず思ったことは
『こやつ、切りなれておるな』
であった。
太刀筋は……構えを見ただけではあるが、当流、いや陰流か?
陰流の剣士とは何度か戦った事はある。だが、それとも少し違うようだ。
ふむ、これは『新陰流』か。
老人は、柳生石舟斎とは面識があった。
だが、立ち会った事はない。
『新陰流』の技、いかなるものか?
老人は相手をつらぬくような視線を投げかける。
木立から出てきた男、『倉木玄番』は予想外の強敵の出現にとまどっていた。
先ほど老人と戦った四人は倉木が金でやとったのだが、剣術こそ習った事はないものの戦で鍛えた実践型の剣を使う、腕の立つ者達であった。
ところがこの老人ときたら、まるで赤子でも扱うかのようにあしらった。
しかも、木刀で人を真っ二つにしていた。
このような話は聞いたこともない。
おそらく、木刀を振り抜く早さと強さが想像を絶するほどなのだ。
倉木玄番は慎重に老人と距離をとる。
老人との距離は、二間(3.6m)といったところだ。
柳生新陰流の中でも四天王の一人に上げられる、倉木にしては珍しい事だ。
それほど老人の技はすさまじかったし、また得体の知れない恐ろしさがあった。
太刀筋からすると……全く読めないのだがこれは……?
「一刀流か!?」
倉木の問いに老人は面倒そうに答える。
「富田流じゃよ」
『これは、まともにやっては危ないかもしれぬ……』
信じられない威圧感だ。
これほどの気、というか圧迫感を持つ者を倉木は二人しか知らない。
その一人は柳生石舟斎である。
圧倒的な差が彼我にある場合、嵌め手を使うしか勝利の目はない。
倉木は、門外不出の『試合太刀』を使う覚悟を決めた。
嵌め手、であるからには失敗は許されない。
一撃で決めなければ、斃れるのは自分である。
『……新陰流、逆風の太刀』
気合を込め、必殺の奥義を使おうとする正にその一瞬、倉木は瞬きをした……。
老人の顔が目の前にあった。
『うぐっ!』
声にならない叫びが口を突いた。
信じられないが、老人は倉木が一瞬、瞬きをするその間に、二間の距離を詰めたのだ。
老人が倉木の顔をのぞき込んで言った。
「おぬし、何かしようとしたようじゃが……」
ニヤリと笑う。
「それよりもワシが早く動けるとしたら何とする?」
『!!!!!っ』
倉木はあまりの恐ろしさに後ろに飛び退り、かろうじて剣を構えて叫んだ。
「お、お主は何者だっ!」
……前にいるはずの老人がいない。
と、すぐ右横に老人の顔があった。
「襲ってきておいて名を問うとは、無礼なやつめ。
じゃが、教えてやろう。
わしは 伊東一刀斎 じゃよ」
「うげっ」
妙な声が口を突いた。
倉木は今度こそ三間も飛び退ると、そのまま矢のように逃げ出した。
『伊東一刀斎』が世間から消えて何年にもなる。
もうとっくに死んだと思われていたし倉木もそう思っていた。
まさか、こんな山奥にいるとは……。
道理で鬼神のような強さなわけだ。
とても自分ごときがかなう相手ではない。
猫だと思ってはたいた相手が虎だったようなものだ。
あまりの恐ろしさに足が止まらなかった。
足が止められなかった。
倉木は全速力で逃げに逃げた。
そのとき、倉木は己の後を木々を伝い追って来る、むささびのような、猿のような物に気づかなかった。