第4話「守りたいもの、壊したいもの」
本当にどうでもいい種族なのに羨ましいと感じてしまう。
自分はこんなに恵まれていただろうかと考えてしまい、ついつい誰かを羨んで嫉妬してしまう。
それが産まれた時からの性で宿命だ。
俺の、変えることのできない道理だった……。
人間は魔物などと一括りに揶揄しているが個体差は人間同士の差とは比べ物にならない。それぞれが秀でる能力を有しているとも限らない生物だ。
仲間との統率に長けた種族。
狩りをするのに長けた種族。
高知能で生き長らえた種族。
しかし、俺にはそのどれも無かったように思う。
産まれた頃より家族というものを知らず、人間という種族に追い立てられつつある森に生き、散り散りに仲間も敵も逃げていくのを眺めているしかない。
いや、傍観者のまま終われない。
俺には知能も信頼も無かったが自分一人が助かるためなら簡単な方法があると知っていた。
故に俺は力を示しばらばらだった一括りを従わせた。
雄は力こそ実力とされ異なる種族であるが故に喧嘩をすることが一般的で俺にも喧嘩が売られる。その喧嘩を買って返り討ちにして従わせる。
雌は強引に行為を求めようとすれば当然のように抵抗するが元はといえば人間に殺されていく一方の種族なのだから繁殖は頭を過るもの。抵抗して噛みついたり引っ掻いたりして重傷を負わせようとも逃げない雄に付き従う。
そう、俺は力だけで彼らの王に成り上がったのだ。
誰も付いてこなくてもいい。ただ森という自分達が持っていた領土を奪われてしまわないように結束させるのが目的で、俺は動いたのに……。
「ユキ、私が話している間に眠るとは余裕なようだな?」
「ローゼちゃん、あまり乱暴にすると姫様が怒っちゃうから優しく起こしてあげないとダメだよ?」
「そんなことは分かっている! ただ私は話を聞かず涎を垂らして眠っているこいつが憎たらしく見えただけで……!」
ローゼとメアの声に先程まで見ていたものが夢だったと気がついた俺は小さく唸りながら上半身を起こす。
どうやらローゼからの長ったらしい説教に飽きて眠ってしまったようだ。
彼女らの言葉通り机には俺の唾液が小さな池を作っていて、それを見ると自分がどれだけ情けない顔をしていたのか理解できるようで悲しかった。
特にローゼには見られたくなかったかもしれない。
俺は世間体を気にする。
「ん? お前らは仲が良かったのか?」
「失礼な魔物だな。当然のことを聞くな。姫様と私たち侍女は城に残った数少ない家族のようなもの。仲が良くなくてどうする」
「ローゼちゃんはこれでも優しいんだよ~?」
「余計なことを言うな! この魔物に舐められたら終わりなんだからな?」
舐めるも何も俺が警戒しなくてはならないのは『対人戦闘』担当を語ったエリスと今現在ゆるゆると話しているが『対魔戦闘』担当であるメアだけだ。
この二人は実際に戦ったわけではなくとも力量はジェラートの信頼を得ているほどであり未知数。油断はできない。
ローゼは別に参謀だと言っていたため頭脳戦を挑まなければいい。
それとも舐めるというのは馬鹿にすることではなくて俺の舌を這わせる方の舐めるだったか?
ローゼは俺の考えを顔から察したのか蹴りを入れようとしてくる。
しかし、縛られてなければ避けられないものではない。
「白か」
「離せ! 見るな! 汚らわしい!」
「賊が悦びそうな三段活用をしないでくれ。俺は見えたものを素直に伝えただけだ」
「ほらほら、あんまりローゼちゃん虐めたらだめだよ。メアちゃんたちの中で一番発言権が強いのはローゼちゃんだし、そもそも『国内参謀』担当なんだからユキちゃんが本当に危険と判断したら追い出す権利もあるんだからね?」
それは、俺がジェラートと契約していてもか?
あの雌は俺に全てを捧げる代わりに国を、しいてはジェラートを守ることを約束させた。つまり、俺がローゼに一方的に追い出されたら契約破棄をしたのはジェラートの方ということになる。
お前らはそれを容認するのか?
俺の疑問の眼差しに対してメアは片目を閉じていわゆる何かを伝えてくる。
「もちろんメアちゃんがそうならないようにサポートしてあげるから安心して♪」
「あなたは信用ならない。昔から魔物に襲われるのが夢だとか訳のわからないことを言っていたからな」
「メアが?」
「口が滑った」
どういう意味だ?
たしかにメアは最初から俺に対して友好的なリアクションをしていたようにも思うが、それは魔物に襲われるのが夢だったからなのか?
なんで襲われたいなんて考えるのだろう。
ここにいるローゼは特に魔物を毛嫌いしているし人間は大抵ローゼと同じ反応をする。
でもメアは仕方なくじゃない。自分の方から俺に歩み寄ってきた。
こいつの過去に理由があるのか?
「こほん、先ほどユキが眠ってしまったので要点だけ伝えなおくからな」
「なぜ俺にだけ口調が荒いのか」
「姫様を守るためとはいえ怪我をするな」
然り気に無視されたな。
と、なぜジェラートのために怪我をするな?
ローゼだったら「姫様のために死ね、魔物風情が」とか言いそうなものだったが……。
「昨日の賊が侵入したという話は姫様とエリスから聞いた。そこで貴様が自ら怪我をしたこともな」
「語弊がある。俺は別にジェラートのために怪我をしたつもりはない」
「理由などどうでもいい。貴様は姫様を守ろうとしたのかもしれないし、貸しを作ろうとしたのかもしれないし、姫様を他人に奪われたくなかっただけかもしれない。そんなのはどうでもいい。貴様が怪我をして姫様が心を痛めていらっしゃった。二度とそのようなことはするな」
なんとも煮え切らない言い方だ。
要するに俺が姫様を狙ってる野蛮な魔物っていう評価は変える気はないがジェラートが俺を気にして悲しむから余計な行動は慎め?
まあ、ジェラートが苦しむのは不本意だから従う。
それは揺るがない。
俺は欲しいものを守るためならば嫌いだと感じる存在の命令をも受け入れる。
「あと姫様に手を出すな。無論、先ほどのように私にも手を出そうとしたら貴様は即刻追い出すからな」
「…………」
「ユキちゃん、気になるの?」
「あ、いや……なぜローゼは魔物を頑なに嫌っているのだろうかと疑問を感じてな。他の人間も嫌いな者は嫌うだろうがあそこまで見かけたら即殺せと騒ぐのも珍しいだろう?」
無害な魔物だっている。
たとえばモキュと呼ばれてた魔物も実際は無害で匂いもそんなに強いわけではない。狙ってくる魔物が国内にモキュが居ると知らなければ襲ってこないはずだ。
と、そういえばモキュを見かけない。
誰かがこっそり森に帰したのか?
「色々ある、です」
「また盗み聞きしてたのか? あまりそういうことしてるとジェラートが城からいなくなる」
突然追加された声だろうと俺の耳はしっかり掴んで逃さない。
普通に廊下から入ってきたとはいえタイミングといい話の入り方といい聞いていたのは間違いない。
「それにあまりストレスを感じたら俺がお前らを殺すかもしれないのは分かっているのか?」
「ストレス? 両手に花の間違いだよね」
「馬鹿なこと言うな。エリスもメアも俺を殺せる可能性のある人間だろう? そんな二人に挟まれて嬉しくないし不安にもなるだろうが」
普通に考えて過保護はストレス環境だ。
特にエリスなんて手を繋いだだけで骨を折られそうだし、メアだって何をしてくるか分からない。もはや触れただけで魔物を灰にできる力を持っていたりするかもしれない。
だから余計に信頼できない。
いや、信頼はしてるが緊張する、の間違いか?
「心配ない、です。メアは姫様と同じ。ユキさまのことが好きな人です。エリスは、どちらでもないです」
「ちょっと照れちゃうから勝手に言わないでよ~♪」
「目に見えて分かるです」
「あっ、ちなみにエリスちゃんはむっつりなだけだから気にしないでね! たぶん姫様と一緒にいる時のユキちゃんは好きなはずだから」
「余計に意味がわからない」
とりあえず警戒するべきはエリスか。
メアは言質が取れている以上はあまり疑う必要はないし何故か懐かしい匂いがする。おそらくは森で生活していたなどそういう理由だろうが、なおさら気にしなくていいだろう。
逆にエリスは要注意だ。
俺を殺せる可能性のある人間。
見張りとしての仕事があるとはいえローゼやメアと話しているのを盗み聞きまでする必要はないはずだ。
つまり、俺が一人になるのを狙っている可能性もある。
いつでも戦えるようにしておかないと、な。
「そういえば他の侍女はどこに」
「にゃっはは~♪ せっかくメアちゃんたちといい雰囲気なのに他の女の子狙いかにゃ?」
「茶化すな! 別に話したことがないから気になっただけで、お前らも別に狙っていない!」
「純粋だね~。もしかして童貞?」
「は?」
今の流れでそれは関係ない。
俺はその場を無視して凌ごうとしていたがエリスの目まで珍しく輝いてしまっていて興味をもたれてしまったらしく終わりそうもなかった。
「姫様に女の子たくさん襲ったって言ってたよ」
「そうなの?」
「誤情報だ! 盗み聞きした上に勘違いを招くような発言をするのは控えろ!」
たしかに雌を従わせるのにどうと言ったがマウンティングだけで十分だ!
「ああそうだ童貞だ文句あるか人間!」
「自棄になってる」
「あはは、エリスちゃんってばひどいね~。魔物の主従なんて浅いものなんだからマウンティングして動けなくしたら大抵のは従うしそれでも従わなかったら多少強引に~って聞いたことあるよ?」
「…………!」
「そうなの?」
「だって魔物の雄は首筋やお腹付近から常に雌を寄せる匂いを出してるから密着状態で擦り付けられたら抗えないんだよ。特に力の強い雄のだと近くにいるだけで分かるしね」
なぜメアはそこまで詳しい?
俺は教えた覚えもないしパラミナスタは魔物に対して知識が豊富な国とは思えなかった。
独学で調べるにも研究対象として魔物を捕らえることが禁止されているし森にいる野生の魔物を相手に生かしたまま調べるなんて不可能だろう。
それを……どこで?
まさか俺が発してる匂いが分かるわけでもないだろう。常に出してるわけでもないし……。
「そんなにいい匂いするの?」
「ん~、果物みたいな甘い匂いだよ。ちなみに人間は分からないからユキちゃんに抱きついても無意味だよ?」
「あぅっ…………」
「お前、童貞とか馬鹿にしておいて抱きついてきたら容赦しないからな?」
「ユキさん~」
契約者さまがお呼びだ。
あまり侍女と戯れると怒るから大人しくしてましたアピールでもしておこうか?
「今朝から見かけなかったから寂しかったぞ、ジェラート」
「ふふっ、ユキさんは別の部屋を用意してもらいましたから仕方ないです。それより侍女たちとは仲良くしてますか?」
「別にお前がいればいい」
まあ仲良くしてないとは言わないが信頼されてないならそのままでもいい。
俺としてはジェラートが重要だからな。
しかし、俺の発言を聞いたジェラートは少し残念そうな顔をして俺のすぐ前まで迫ってくる。
「それだと私がいなくなってしまったらユキさんはどうするつもりなんですか?」
「っ!」
「居なくなるつもりはありませんよ。ただ、私が病気で倒れたり何者かに狙われた時、あなたはどうするつもりです? また一人に戻って森で生活するんですか?」
人間は本当に弱い生き物だ。
老い先は長くなっているとはいえ俺からしたらまだまだ短く、流行り病に侵されれば簡単に死んでしまう。死ぬときは一瞬で死んでしまう生き物。
あまつさえ殺し合う生き物でもある。
特にジェラートは命を狙われているからいつ殺されてしまうかも分からない。
俺の知らないところで殺されているかもしれない。
また、孤独になるかもしれない。
あの森で侵攻してくる人間を退けながら寂しく生きていかなければいけなくなる可能性がある。
そう考えたら自然と涙みたいなものがこぼれてきた。
ちがう、これは敵を油断させるために……。
誰を、誰を油断させるのだ。
これは本物の涙だ。
「そんな寂しいこと、言うな」
「もちろんユキさんとの契約は絶対に守ります。でも、寂しいと思ったなら侍女たちとも仲良くしてやってください。彼女たちから信頼を得られたならユキさんは…………この城においては寂しくなることはありません」
「ジェラ……」
「はいはい良い雰囲気のところ申し訳ありませんけど? メアちゃんとしては姫様とユキちゃんのいけない恋愛劇を見過ごすわけにはいきませんので~?」
くっ、この雌……。
別にそんなつもりではなかったにしろ雰囲気があったのに邪魔するのか。
まあいい。
二人にも悪意があるわけではないし姫様、ジェラートを守りたいという気持ちは同じだろう。
「ユキちゃんには申し訳ないけど、どんなに雌を誘惑する匂い出しても姫様は分からないからね~?」
「な、なんで知って──」
「メアちゃんは『対魔戦闘』担当だよ? ユキちゃんが姫様とイチャイチャしたくて魔物の雌ならメロメロになっちゃうようなあま~い匂い出してるのなんてお見通しだぞ♪」
「ユキさん……!?」
「あ、ちがっ……べべ、別に誘ってない」
ちょっと嬉しかったり好意的な雌がいると勝手に出るだけでジェラートだからとかそういう訳ではない。
むしろ何故メアは分かるんだ?
いくら『対魔』担当とはいえ特殊な嗅覚でも持ち合わせていない限り魔物の匂いなんて分からないはずだろう?
それこそ、魔物の血が流れているくらいでもなければ……。
「姫様はユキさまに用事あったですか?」
「そうでした♪ 正確にはユキさんとエリスにですが」
「ん? 俺とエリス?」
もしかして俺がこっそり食堂の肉を盗み食いしたのがバレてて罰があるとか?
いや、さすがに物騒すぎる。
あっても説教くらいか?
「エリスさんに自警団の方々から訓練依頼が来てます。ユキさんもついていってください」
「ユキさま外に出していいの?」
「ちゃんとリデルに……『製作』担当に頼んでユキさんの顔が見えないような外套を作ってもらいましたから。さすがに初日から街の人たちと関わらせるのは混乱を招きかねないので今日はあくまで付き添いという形で外の世界だけ見てもらおうと」
外の世界、ね。
たしかに街を見て回るのは初めてになるだろうし悪くない提案だがエリスはいいのだろうか。
仮にも訓練という名の仕事で自警団に赴くのにトラブルを起こしかねない魔物が一緒になる。できることなら訓練を断るか俺を置いていくことにしたいはずだ。
しかし、俺の予想とはちがいエリスは頷いていた。
「そういうことなのでこちらを身に付けてください」
ジェラートに渡された外套を身につける。
まあ、大きさとしては頭から足までしっかり隠してくれるちょうど良いものだ。悪くない。
ただ、頭の上が気になる。
フードの部分といえばいいのだろうか。
そこは俺の耳が入るように三角の小さなスペースがあり、それが傍目からは目立って見えているのではないかと不安に思えて落ち着かないのだ。
「一応ケットシーやライカンの方々が身に付けるものを参考にしたらしいので大丈夫だと思います。この国では多くは見かけませんがいないこともないので」
「本当か?」
「リデルは自分の作ったものに絶対の自信を持ってます。そして私もリデルの作品を信頼しています。だから一瞬で気がつかれたりすることはないでしょう」
「似合ってるよ、ユキさま」
「…………。そんなに言うなら信じるが」
大体ケットシーもライカンも亜人種なんだから怪しまれないのは当然だろう。
魔物と一緒にしたら怒るぞ、あいつら。
とはいえジェラートはお花畑なのを忘れたわけではないので俺は文句を言うのが面倒になりエリスと城を出る。
別にエリスの訓練を見ていれば良いだけの話だ。
俺はなにもしなくても良い。
──パラミナスタ居住地区の端の方。
「おお、エリスの嬢ちゃん! 来てくれて助かるぜ! さっそく頼むな」
「お手柔らかに」
自警団の訓練所に到着するなりバトル勃発するなんて聞いていないのだが?
これ見るに一度や二度ではなく何度か呼ばれてるのか。
そもそもエリス相手に数人で挑むなんてガチで殺すつもりでやらないと負ける試合みたいな感じだ。エリスが強いと知っていても見ていて落ち着かない。
「あんたは訓練に参加しないのかい?」
「ん、ああ。俺はただの連れだ。それに俺がどちら側として訓練に参加してもバランスが崩れる」
「せっかく体格はいいのに勿体ない。お前も強いんだろう?」
そんなこと言って俺が参加したら本当に終わるぞ?
エリス側についたら誰も立っていられなくなるし逆でも訓練にならない程度には白熱した戦いになってしまう。
俺は顔を見られたくないから本気になりたくない。
そもそも俺の横にいるダグラスという自警団をまとめているらしい人間が俺の顔を下から見上げてしまわないかとひやひやしているくらいだ。
正直、気が気ではない。
「まだまだ。ちゃんと真面目にやらないと訓練の意味ない」
「あはは、エリスの嬢ちゃん……これでもうちの連中は真面目だよ」
やはりエリスは強い。
小さな身体を生かした素早い身のこなし。
軽い体重を無視した攻撃と無駄のない動き。
こうして端から見ていても人間の中でトップを争うレベルですごい雌だということが分かる。俺の見張りとして置かれても納得できるというくらいに。
ただ、俺からすれば自警団が弱すぎる。
動きに無駄があるしエリスの行動に合わせればもう少しまともな戦いができるはずだ。
「あの小柄な奴、動きは素早いのにエリスの目の前で攻撃の構えを見せるから避けられてる」
「ん?」
「それにあの大剣を振ってる奴は自分から動きすぎだ。仲間にもう少し引き寄せてもらって万全な体勢から振り下ろさないと速度も威力もないからエリスの蹴りに弾かれる。あとエリスの蹴りは重いからこそ避けようとしてるみたいだが避けると別の攻撃がくるから受け流した方がいい」
「あんた……知ってる人間みたいだな」
毎日人間に命を狙われてた魔物だ。
エリスみたいに若い女の兵士をけしかけられたこともあるから戦い方は知ってる。
だからと通用するかは知らない。
ダグラスは俺の意見を聞いて一度自警団を集め直すと作戦を伝える。実行できなくてもいいからその辺を考えながら戦えという他人事みたいな指示だ。
でも、それで十分。くどくど説明する必要なんてない。
もう一度エリスに自警団が挑み戦いが始まる。
「あんたの言った通りだな。さっきよりは耐えてるように見える。改善されたようだ」
「でも限界だ。動き自体は少しまともになってもエリスとあいつらには圧倒的な経験の差がある。若いけどエリスの方が格段に経験を積んでいるらしい」
「…………いい観察眼の持ち主だな。あんた何者だ?」
「っ!」
少し目立ちすぎたかもしれない。
色々と口をはさんだせいで興味を持たれ、ダグラスに顔を下から覗き込まれてしまった。
いや、そもそも常にフードを被っていたのが怪しまれていたのだ。
それでも切りかかったりしてこないのは俺の力量を読めないからだとすればダグラスは優秀な兵士になれる。短気な奴より長生きしそうだ。
「何を企んでる。破壊か? それとも国を丸ごと傾けるつもりか?」
「少し前なら考えたかもしれない。こんな人間の国、滅んでしまえ、と。俺には力しか他者に示せるものが無かったから国を滅ぼして仲間を従わせたり俺という存在を主張するために利用することもあったかもしれない」
「……今は何が違う。自分のためか?」
ダグラスが腰に携えた剣に手をかけようとしていた。
何かのために戦う者には矜持があっても自分のために行動する輩には何もない。それを知っていての行動だろう。
やむを得ない、そういった反応だ。
「今は壊したいものがない。それをすると悲しむ雌がいる。でも、守りたいものができた」
「興味本意で聞いてはいけないのだろうが何を守りたいのか聞いてもいいか?」
「おそらく、お前たちと同じだ」
「…………くっ、がっはっは! あ~、こんな馬鹿に出会ったのは初めてだよ」
普通は笑うか?
さっきまで一触即発という空気だったのに。
「俺は仲間や家族を守りたいと言うと思っていたんだ。無論、そう考えてる奴は簡単に切り殺してしまおうとは思わんよ! それがまさか、なあ? 魔物が我が国の偉大な姫様に苦しめられているだと!」
「魔物があの雌を気に掛けてはいけないのか?」
「いや、ダメじゃないさ。お伽噺では魔物が姫様に許されざる恋をするなんて度々ある流れだ」
「お前らの作った喜劇と同じにするな。ただジェラートが欲しい。笑っていてほしい。側にいてほしい。だから恋とかそんな甘いものでもないし許されることでもない」
「いいねえ、泣けてくる!」
本気で言っているつもりだが?
でも、側にいてほしくて、ジェラートのことが欲しいと感じてしまった時点で恋と呼んでもいいのかもしれない。
別に嫌いではない。
雌を寄せる匂いが無意識に出るものとはいえ、ジェラートに反応して出してしまったくらいだ。俺は自分でも認識していないところでジェラートのことを雌として認識しているのだろう。
守りたいものとは言ったが少し違うのかも、な。
「やめだやめ! エリスの嬢ちゃんばかり動いてたら可哀想だ。こいつがお前らの相手をしてくれるそうだぞ!」
「っ!」
「お前、勝手に……!」
「な~に、我らが姫様が認めてお前さんはここにいるんだろう? そういうことなら俺はお前さんを信じる」
そんな簡単に……。
思ったよりこの国の人間はジェラートの影響で頭の中に花が咲き乱れているのかもしれない。
俺みたいな危険な魔物を受け入れてしまうくらいには。
「それにな、あいつらに自信を与えてやってほしいのさ。今までは女相手にまったく太刀打ちできてなくて落ち込んでるだろうからお前さんを相手にどこまで戦えたのか、物怖じせずに立ち向かえたかってな」
「怪我をさせても知らない」
「元より承知さ。殺しさえしなければいい。実戦経験のないあいつらには貴重な体験になるさ」
「あとで慰謝料とか請求されても払わないからな」
実は嬉しかったりする。
人間から信頼を得られただけではなく頼られたことが、少しだけ安心感をもたらしてくれたようで感動していたのだ。
故に口ではああ言いつつも気分良くで組手に向かう。
まあ、三割程度しか力を出してないとはいえエリスに訓練を頼んでいただけあって経験が浅いだけのそれなりに戦闘能力の高い人間だ。
打撲はあっても致命的な怪我はさせてない。
ただ、事故があったのは戦い始めて小一時間ほど過ぎた辺りだった。
「そこだっ!」
「…………!」
「……は?」
才能なのか、気まぐれなのか。
他二人が完全に気絶してるなか、俺の頭に鋭い蹴りという一撃を与えることに成功した小柄の人間はそのまま尻餅を突いて、俺の顔を見上げて固まる。
そうか、フードが脱げたのか。
「ま、魔物!?」
「……………………」
「な、なんで魔物がこんなところに……いや、それより討伐しないと皆が!」
「落ち着いて」
「エリスさんは信じてたのにっ!」
自棄になるな。
魔物よりも人間の方がはるかに自制心が足りないのではないかと疑いたくなったくらいだ。
しかも俺に刃を向けるなら良かったが何故か男はエリスに向けた。
人間の感情は分からない。
裏切られたと感じたからだろうか。
それとも俺に敵わないと分かっていたからだろうか。
どちらにしても人間は誰かを疑い気が動転すると仲間だったと分かっているはずの存在にも、守らなければいけないはずの存在にさえも手を出す生き物だということ。
滑稽すぎて話にならない。
「ふんっ!」
「ぐあ!」
男が振り下ろした剣はエリスに届かない。俺に叩き割られて刃は宙に舞ったからだ。
俺はジェラートと契約した。
そう、森から出るきっかけをくれて、俺に希望という形のないながら信じても良さそうなものを教えてくれて、初めて誰かに好意を持つということを体験させてくれたあの雌だけ。
エリスを守る必要なんかない。
いざという時に俺を殺すための尖兵と言わんばかりの戦闘能力を持った奴を生かしておく理由なんてない。
でも、身体が勝手に動くのだ。
どうでもいいはずなのに、守らなくてはいけない、と動いてしまった。
理由なんて大したことではない。
俺はこういうことで流されたジェラートの涙なんて一ミリも美味しいと感じないからだ。
「戦場ではお前のような奴が真っ先に死ぬ。指示も聞けない、状況判断もできない、とりあえず悪そうな奴を殺して解決しようとするような奴がな」
「っ!」
「森でもそうだった。俺の友が愛してた雌が居なくなって、人間と一緒に居るのを見て裏切ったと勘違いしたんだろう。あいつは人間よりも先に雌を殺した」
「…………」
「俺は泣きながら戻ってきた友を殴った。説教した。そして慰めてやった。どうして何も聞こうとしなかった。伝えなかった。他の手段を考えなかった。それから、なんで愛してる者を自ら葬ったんだ、と」
当時の俺は形だけの統率者みたいなものだったから主従を結んでも雌なんか気にかけなかったから分からなかった。
だから色々聞いたのだ。
過ちも、正しさも、全て……。
「その人間は汚職の騎士だったらしい。偶然、一人でいた雌を見つけて囲むと脅したらしい。死にたくなかったら黙ってついてきて俺たちの相手をしろ、と。縄も使っていなかったから端から見れば人間と仲良く歩いているようにしか見えないのだから裏切ったと勘違いしてもおかしくない。だからこそ、俺の友が人間の言葉を学んでいれば誤解は解けたし、交渉して取り返すことができたかもしれない、と怒った」
「なんで、魔物が人間の言葉をべらべらと」
「悔しかったからだ! 人間も魔物も、敵も友すらも救えなかった惨めな王だったからだ! 俺が魔物だから刃を向けられるなら上等だ! 一緒にいた奴が狙われる? ふざけるな! そんなもの理由を考えるのを放棄した獣のやり方だ!」
男は辛うじて離さずにいた剣の柄から手を離すと膝を突いた。
やっと理解したのだ。自分がどうしてエリスに刃を向けたのか考えても理由なんて思い付かないことに。
「悪いな。今日はエリスの嬢ちゃんも、お前さんも。何も言わずに帰ってくれねえか」
「…………」
「行くぞ」
「ユ、ユキさま!」
あの男には考える時間が必要だ。
俺と戦うにしろ、共存するにしろ、山ほど考えなければいけないことがあるはずだ。
だから俺がいたら邪魔なんだ。
そんな自分も嫌なことを思い出して苛立っていたからかエリスを気にせずすたすた歩いていて、置いていかれると思ったのかエリスは外套の上から俺の尻尾を掴んだ。
「待ってユキさま!」
「感謝とかなら聞くつもりはない」
「違うです! いや、違わなくないけどあのことじゃなくて他に感謝したいことがあって……!」
「?」
「エリスのことずっと見ててくれたの嬉しかったです」
は?
俺はそんなこと言った覚えなんかないんだが。
「エリスの戦ってる姿、ユキさまはずっと見ててくれました。それだけで嬉しいのに、そんなエリスを見た後でも助けようと思ってくれたのが嬉しくて」
「おい、結局は理由が同じになっているぞ!」
「あぅ、すみません。でも、怖がらずに助けてくれたのは本当に嬉しかったですよ? エリスは姫様と侍女たちしか女の子として扱われたことなかったですから」
「ちんちくりん、だからか」
冗談を言ったつもりが本気に取られたらしくて尻尾を引っこ抜く勢いで握られた。
いや、本当に抜けるかと思って焦った。
そのくらいエリスから遠慮がなくなったのかもしれない。
「今度エリスと本気で戦ってください。絶対に楽しいです」
「断る、死にたくない」
「エリスが勝ったらユキさまは姫様と明けない夜をお過ごしください。ユキさまが勝ったらエリスがユキさまの命令をなんでも聞くですよ」
「へえ、俺が負けたらジェラートと、エリスが負けたらちんちくりんと夜を過ごすのか。なら死んでもいいか」
ちんちくりんはちんちくりんで楽しそうだが俺はジェラート一択なのだ。
まあ、今度は怒って本気で尻尾を切り落としに来たから冗談はこのくらいにしておかないとな。
いいな、こういう信頼関係というものは。
「人間なんかどうでもいいと思ったが、お前みたいな奴がいるなら、少しくらいは仲良くしてやってもいいかも、な」
「ならちんちくりんって呼ぶなです!」
「俺は《彼の地を統べし王》だ? それからすればジェラート以外の雌なんて雌ではない」
「っ! ならユキさまが勝ってもエリスは言うこと聞かないですからね!」
これでエリスは大丈夫そうだな。
初めて会った時と比べると俺に対して向けているのが強さを知っているから故の警戒じゃなくて信頼しているが故の警戒になった。
あと五人、か。
ちゃんと全員から信頼されれば俺は城にいてもいいのか?