第1話『お姫様の脳内は俺が思っているよりも綺麗な花が咲き乱れていました』
俺はユキ。
いや、正確には名前などない化け物だ。
あの世間知らずでお人好しでドジな姫にお誘い頂いた城とやらに入るため門の前に立っている。
別に少し可愛い雌に誘われたからと舞い上がってるわけではない。
元より誘われなくても俺が城に入るのは時間の問題だった。
森で捕らえられて罪人として運ばれてくるか、王族とそれに仕える従者、全てを根絶やしにするために、か。
しかし、今回は誘われたから来た。
俺には門をくぐる権利があり、主張する権利がある。
「おい」
「なんだ? まさか不法侵入を企てる怪しい輩か!」
「ただ入りたいだけだ。そんなものを向けるな」
今すぐこの人間の喉を引き裂いて血祭りにあげたくて仕方がない。
なぜ槍など向けられなくてはならない。
俺は人間のお姫様に誘われたのに。
人間に槍を向けられたり問答無用で馬鹿にするような言葉を言われる筋合いはないはずだというのに。
まったく、どういう教育をしているのだか……?
そういえば軽装備すぎはしないだろうか?
もしかして騎士や兵士を雇う金がもったいないから従者になまくらの武器だけ持たせてカタチだけ見せているのか?
俺はこんな城の主様に何を求めればいい。
願いなんか聞いてくれないだろう。貧しすぎてパンくずすら恵むこともできないだろう。
「今日は謁見の予定など無いと聞いている」
「姫様とやらに何も聞いていないのか?」
「嘘を吐いているな? 今すぐに帰れい! さもなくばその首を跳ねて城主の元に献上するぞ!」
いや、絶対にあの姫様なら青ざめて倒れるだろうから捧げ物は生首より毛皮の方がいいだろう。
「ここは大人しく通してくれないか。そんなに不安ならばお前が俺を見張っていればいいだろう?」
「ぐぬぬぬっ!」
「そんな踏ん張っても力比べでは俺に勝てない」
槍を構えててもカタチがなっていない。剣士でも戦士でも、ましてや兵士でもない武器を持っただけの農民風情の腕力など二人がかりでも俺には遠く及ばない。
かといって怪我をさせるとあのジェラートとかいう雌がうるさいだろう。
こうして交差させられた槍の方を押して通ればいい。
道が開けたあとは軽く武器の方を弾いて前からどけさせてもらうと簡単に俺専用の道ができるからな。
なに、ここを走って通り抜けたりしなければたいして焦らないだろう。
魔物が対等に会話をする生き物ではないという常識が過去のものになるのだから。
「さ、さすがに二人とも持ち場を離れるのはまずい。お前が見張れよ」
「い、いやに決まってるだろ!」
「それより揉めてる場合じゃないぞ! みうしな……ってない?」
見張りが俺の方を見て何故か驚いている。
確かに数秒の間でも揉めている二人を見たら隙を見て姿を隠した方が行動しやすくなるが、もしそれに乗じて姿を消したら話が上の方に行ってしまう。
つまり、警戒体制に入って俺が動きづらくなる。
最初から話に来ているのだから逃げるわけなどないのに、な。
「いつまで待たせるつもりだ」
「くっ! 侵入者に待たれる筋合いなどない!」
「ならば勝手に向かわせてもらう」
「勝手にしろ!」
ザルにも程があると思う。
所詮は寄せ集めただけの民間人に見張りなんてものは務まらないというわけか。
ならば姫様の部屋でも勝手に探させてもらおう。
そう調子づいて城内をうろうろしてみるが案外、貧しい国にしては広くて見つからない。一時間くらいは散策していたはずだがまったく見つかりはしないのだ。
これはどういうことだ?
単に俺が土地勘がないだけなのだろうか。
普通は話し声とかが聞こえてもいいはずだが……。
コンコン。
「ん~……どちらさま?」
やっと見つけた。
俺は返事をせずに部屋を開けて中に入る。
「きゃっ! よ、用件があるなら答えていただければすぐにでも出て……!」
「来いとか言っていた割りに場所を言わないから探し回ったのだぞ。その無駄を考えたら待つ時間がもったいない」
「ユキさん……?」
顔の見分けなどつかないと思っていたため拍子抜けした。
それに月明かり程度の光しか入ってこないような部屋なのにすぐに俺だと気がつけたのは中々だ。テキトーなこと言ってのその場しのぎかと思っていたが案外そうでもないのかもしれない。
「今がどのようなお時間か知ってます?」
「夜だ。月が綺麗に見える時間だな」
「そ、そうではなくてですね? 人間が何をしている時間なのか知らないんですか?」
俺はジェラートの格好を見て考える。
さすがは一国の王女というか、皆に可愛がられるだけの存在というか、身に付けているものがそれらしく見える。
下着、というには多少なり露出を減らすための布があるように思えたが透けていて結局は下着姿と変わらないような、そんな衣装を身に付けている。
それこそ俺の知っている範囲で例えるなら魅せるために踊る人間のような衣装だ。
ジェラートは雌と分かる程よい肉付きの体型のため、衣装を見るなり俺には一つの考えしか浮かばない。
「子作りか?」
「破廉恥なこと言わないでください!」
ジェラートの平手が俺の頬を打つ。
痛くはない。痛くはないが……納得はいかない。
「素直に答えて平手打ちをされる筋合いはないと思うが?」
「何をどうしたらそんな破廉恥で卑猥な考えに至るのか教えてほしいものです! ユキさんはよっぽど欲求不満なんですね!」
腕を組んで怒りを露にする前に胸や下腹部付近を隠したらどうだ、とは言えない。
もう一度平手打ちを食らったら怒らずにいられる自信がない。
「確かに子作りにしては雄がいないとは思ったが」
「その程度の知識はあるんですね、意外でした」
「さすがにあるだろう! 魔物がどのようにして種を保っていたと思っている!」
「え? えっと……男性が一定の時期になると卵を産むんじゃないんですか?」
「お前の頭はおかしいのではないか?」
まず男のどこに卵などを作って出せる器官がある。
そもそも卵を産む生物は限られているし、長期間同じ場所に滞在する生物でもなければ可能性は低いと知らないのではなかろうか。
聞く勇気がない。
このジェラートという雌なら平気で「人間も卵から産まれてきますよ?」と言いそうで怖い。
「とりあえず見苦しい格好なので着替えてもいいですか?」
「今さらだろう。というより、見苦しい以前の問題だ」
「まさかユキさんがこんな時間に来るなんて思いませんよ。だって寝てる時間じゃないですか」
「ん?」
常識が噛み合うはずもないな。
人間と魔物なんて所詮は水と油みたいなものであり、そんな者達が同じ生き方をしていたなら殺し会う必要も領土を奪い合う必要もなかったはずだ。
そうか、人間は夜に寝ているのか。
つまりジェラートの寒いのではないかと疑ってしまうような格好も子作りのためではなく寝るためのものなのか。
「んぐっ! 馬鹿者!」
「なんですか?」
「何ですかではないだろう! なな、なぜ衣服を脱ごうとしている!」
「いやですね~、ユキさんは人間が服の上に服を重ねて着替えてると思っていたんですか?」
いや、そんなわけがない、
人間が一度服を脱いで別の新しく綺麗な服に着替えていることくらいは言われずとも知っている。
問題はそこではない。
ジェラート、お前はどういう立場だ?
「普通に考えて人間は雄の前で服を脱ぐのは身体を洗う時か子作りの時くらいではないのか?」
「?」
「なぜ首を傾げている」
「私は湯浴みの際には女性の侍女が全てやってくれますし男性とのお付き合いがないので子作りというのもいまいち理解できないんです」
「そこからなのか!?」
湯浴みは想像するに難くないが一切といってもいいほど性的な知識のない姫様などいるのか?
そもそも破廉恥だの卑猥だのと怒られた記憶があるのだが?
「いや、この際説明するとしようか。普段は雌の召し使いがお前の湯浴みを手伝っている。そうだな?」
「はい、そうですよ?」
「それが雄だったらどう思う?」
「怖いと思います。あと女性にでも触られると恥ずかしいので男性となると……」
「そうだろう。それが正しい反応だぞ? 湯浴みや子作りなどと言ったが裸を見られてもいいくらいに信頼関係があることと親しくあるのが最低限必要なことだ。それを踏まえて改めて考えてみるといい。俺に着替えを見られるのは平気か?」
「…………………いやです」
ふう、やっと理解したのか。
いくら俺が野蛮な魔物だからと「見せてくれるってなら見せてもらおうぜ。げへへ」など考えるような変態でもあるまいし、さすがに相手くらい選びたいものだ。
何も気がつかないで脱いでしまうようなドジの裸など見ても嬉しくない。
というわけで、理解してくれた様子のジェラートは俺をジト目で睨んできている。
「す、すみません。少しだけ席をはずしてもらうことは──」
「いやだ」
「どうしてですか! あなたが男性に見られるのは嫌なんじゃないかと諭してくれたのに!」
「別に教えてやったのは表情ひとつ変えずに着替えられてもつまらないから知っていたら美味しい反応が見れるだろうと思って伝えただけだ。それに、わざわざ部屋まで来てやったのに出なければいけないなど面倒だ」
さて、色々と教えてやったジェラートはどんな反応をする?
ここまでして平手打ちをされるなら本望だ。
理不尽なことではなく、俺自身が平手打ちをされる理由を作ったのだから殴られたって文句は言わない。
いや、さすがに殴ったら怒るかもしれない。
「ユキさんは意地悪です」
「魔物に何を求めている。そもそも、そこのパウダーイーターも雄だが?」
「……パラミナスタ王女の素肌なんて簡単に見せるものじゃないんですからね」
そう言っている割に最初は脱ごうとしていたな。さらっと無視していたし。
と、俺は馬鹿にしてやろうと言葉を考えていたが寝巻きの一部を脱ぎだし透けている状態ではなく直接的にジェラートの肌が見えるようになったら全て消し飛んでしまった。
真っ白で柔らかそうな腹なんか見ていたら理性が消えてしまいそうで、その美味そうな腹に牙を突き刺し柔らかい肉を咀嚼したくなってしまいそうで……。
「せ、背中を向けていてやるからさっさとしろ……!」
「ありがとうございます。やっぱりユキさんは優しいですね」
お前ほど単純なつもりはない。
森で出会った時も平然と俺に肌を寄せてきたし、今回だって躊躇っているようだが素肌を見せることを平気でやろうとした。
この姫様には危機感が足りない。
俺が紳士、とか、優しい、とか言ってるが嘘だ。
所詮は魔物。
たかが雌の身体が密着していただけで暴走するし、柔らかい腹を見せられただけで理性が飛びそうになる。
そんな化け物相手に情なんて無意味なのだ。
「んっ……くっ!」
「おい、一人で何しているのだ」
「すみません、普段は侍女が着せてくれるから着方が分からなくて……」
あの、今は何と…………?
今お前が着ようとしているのは複雑なドレスなんかではなくシンプルな一枚布のはずだが?
留め具があるのかは知らないが最悪、それの止め方を知らなくても下からくぐれば着れるものではないのか?
「まどろっこしい!」
「ひゃっ!」
「服すらまともに着れず何ならできるのだおま……!」
服をとりあげられて悲鳴をあげながらきょとんとしていた雌を見て俺はフリーズする。
こんなに人間の雌は綺麗だったのだろうか。
ああ、そういえば今日は満月の日だ。月明かりが強くて肌の白いジェラートを照らしているから余計に綺麗に見えているのかもしれない。
俺の森にあった湖よりも綺麗に月の光を受け取って輝く銀色の髪も雪に埋もれたような白い肌も人間にしかない。黄金色の瞳は珍しくもないがジェラートのは特別、綺麗に見えてしまう。
そんな小動物みたいな潤んだ瞳で見上げるな。
俺はいそいそとジェラートの上から服を被せると視線を逸らした。
たかが人間に緊張するなんて、な。
「あ、ありがとうございます……」
「感謝なんていらねえよ。それより文句、聞いてくれるんだろうな」
ジェラートはこくりと頷く。
急に大人しくなって……やりにくくなるだろう。
俺は森を切り開いて人間の領土を広げようとするのは止めろ、とか。
自分達ばっかり命を狙われているとか騒ぐな、とか。
魔物目線で腹の立っていたことを全て話した。
捕捉するように俺に対する仕打ちのほとんども付け加えて。
するとジェラートはひどく申し訳なさそうに縮こまり、俺の言葉の全てを受け入れているのか涙まで浮かべていた。
「先代が……私の父親がそんなことを……」
「分かっている。お前に言っても八つ当たりにしかならないということくらい。話して満足した。俺は森へ帰る」
「待ってください!」
俺は後ろを振り向かなかったが自分の手が掴まれたこと、急に暖かい何かに包まれたことを感じた。
「あなたの家が森であることは分かりました。たくさん木が倒されて狭くなったことも、それであなたの仲間が誰一人として森に残っていないことも」
「…………」
「だから、そんな寂しいところに戻らなくていいです!」
何を言っているのだろう。
たしかに森よりも快適に過ごせる場所があって、そこにいればどこの国からも襲われずに済むというなら喜んで移り住んでやるが、そんな場所はない。
森は文字通り人間に切り開かれて消え行く土地だ。
洞窟はいつ崩れるのか分からないし冒険家が迷い込み、俺のような魔物を見て騎士団に通報するなり殺しに来るような殺伐とした落ち着かない場所だ。
海辺は不便であり、船に見つかり落ち着かない。
廃墟や人間のいなくなった国なんてゾンビやゴーストみたいなアンデッド族の溜まり場になっていて俺みたいな生きた魔物の住めた環境ではない。
もう、居場所がない。
快適な空間なんてものはない。
「なら、俺はどこに行けばいい」
「ここに、お城に住んでください」
「…………………………は?」
「だから私のお城に住んでください。もちろん森はこれ以上は伐採して更地にならないよう植林を行い制限も設けていきますが森を維持するだけではユキさんの問題は解決しません」
正気の沙汰ではない。
俺はついつい振り向いて手を自分の胸に押し当てているジェラートに文句を言おうとした。
そんな、簡単に言うな、と。
慈愛に満ちた表情。
何も俺を城に住ませるのが簡単などと思ってはいないという難しい表情と俺に不安を与えてはならないという笑顔と少しでも力になりたいと思っていることを伝えようという優しさが混ざった複雑で、何よりも分かりやすい表情。
それが俺に向けられたジェラートの顔だ。
「森は維持されてもユキさんはひとりぼっちで寂しいままなんですよね。私はそれでは意味がないと思います」
「意味がない?」
「独りなんて何もいいことなんかありません。寂しいだけですし相談できる相手もいない。ユキさんの場合は本当に仲間の皆さんが全員逃げてしまったなら誰一人としてユキさんが居ることを知らないから迎えに来てくれない。それじゃユキさんが救われたことになりません!」
「お節介な雌だ」
俺は生意気なことを言う雌の額を指で弾いた。
「魔物を救うなどと馬鹿なことを言うな。お前は人間側の王だろう?」
「ユキさんはユキさんです! 魔物でも人間でも関係ありません! それに、私は誰かが泣いていたら他の皆が笑っていても幸せなんて言いたくありません!」
生意気なだけではなく身体に見合わない大きな理想を抱いてるようで。
そんな馬鹿の言葉など真に受けるわけがない。
独りなんて別に寂しくもなんともない。いざとなったら適当な人間を拐って子孫を残せばいいのだから天涯孤独に陥ったというわけでもない。
ただ……ジェラートの夢物語みたいな理想を、見てみたいと思ってしまうのは俺も馬鹿だからなのだろうか。
「冗談はよせ。人間に同情されたくない。しかも何もできない、馬鹿で、夢ばかり大きいだけの雌に……!」
「やっぱり泣いてるじゃないですか」
「う、うるせい……! これは、その……油断させて相手を殺すために分泌された体液だ! 泣いてなんか……」
「素直じゃないんですから。私と初めて会った時から悲しそうな顔をしているんですよ、ユキさんは」
強がれない。
その時、俺は思い出してしまった。
俺の家族などいない。気がついたら仲間と森で暮らしていて、切り開かれるにつれて仲間が少しずつ居なくなり一人にされて……悲しくなり。
本当はずっと泣いていた。
俺は強くなんかない。一人で平気なんて嘘だ。
森の中で、人間に聞かれないように月に向かって泣いていた。
俺の目の下から頬にかけてだけ体毛が白くなっているのは俺の涙で色が抜けたからだ。
「ユキさん、本当は冬だからなんてテキトーな理由であなたをそう呼んだわけじゃないんです」
「なにか、意味があるのか?」
「雪の結晶って綺麗ですよね。見ていると心が澄んでいくような気がしませんか?」
ジェラートは窓の外で少しずつだが着実に降り積もる雪を眺めながら言う。
「心の浄化……そんな意味が込められることもあるそうです。ユキさんにあるのは魔物としての野蛮で危険な心ではなく、優しい心ではありませんか? だからユキさん」
無駄に洒落た理由で名前をつけられたものだ。
しかし、悪い気はしない。
やがて俺の気持ちが落ち着いてくるとジェラートは思い出したかのように欠伸をして、眠気が近いことを主張する。
「難しいこと考えたら眠くなっちゃいました。そういえば人間は眠る時間でしたからね」
「…………」
「ユキさんも眠りましょう? 難しいことは明日、ちゃんと時間をかけて考えればいいんです。ほら、私一人には少しベッドが大きいのでユキさんも毛布に入ってください」
俺は誘われるがままに毛布へと潜り込む。
懐柔されているような気分だったが寒空の下で雪に埋もれることを恐れながら眠るより数百倍はいいだろう。
しかし、どうしたものか。
(俺、基本的に夜行性だから寝れないのだが……)
人間の少ない夜に活動するのが常だったのだから簡単に眠りにつけるはずもなく、さらに寝相の悪いジェラートが俺に抱きついてきたりするので余計に眠れなくなるのだった。