第20話「信頼の形」
「雑用押し付けちゃって、ごめんね」
そう言ってノノは申し訳なさそうに手を合わせる。
理由は口にした通りだが細目としては今現在は城の外で待機を命じられているガゥや城内で客人扱いを受けているハルの身に付けられそうな服を調達することだ。
また、別に糸や布などをエリスが所望したために大荷物になる可能性を考慮し呼ばれたわけだ。
馬車を使えるとはいえ積むまでは人間がどうにかしなければいけない。
「気にするな。元はといえば俺の妹と部下だ。俺が対処しなければいけないことをすまないとさえ思う」
「ハルはユキの血の繋がった家族。ガゥもあなたの部下だと言うなら親衛隊の所属になる。私達にとっても他人ではないから」
「他人ではない、か」
「それに楽しみでもある」
「?」
「ハルは可愛いから色々な服を着せてあげたい」
ああ、そういうことか……、って人間から見てハルはどのように映っているんだ?
俺からすれば幼いながらに雌として見れるほどには綺麗だとは思うが人間からすれば獣と変わらないはずだ。
つまり単純に小動物として、なのだろうか。
「お前から見てハルはどんな風に見えているんだ?」
「羨ましいと思う」
「どの辺りが」
「ハルは自分自身が好きだと思う。でも、幼い頃の私は自分が好きではなかった方だと記憶してる」
今のノノからは想像できない発言だ。
自分自身が好きではないと言っているが素振りを見せたことはなく、ジェラに何かを褒められた時も基本的には苦笑いを浮かべることもない。
ましてや身体に傷を作ったりしているわけでもない。
つまり大切にしている。好きではないというのが過去の話、といっても大切にしすぎている。
「今は、過去の自分があるから続いている。今のお前は寡黙で俺の話に耳を傾けてくれるような雌で気に入っている」
「ありがとう。あなたが人間らしく返答しようと思って出てきた言葉なんだとしても嬉しい」
「堅苦しいな。素直に今を生きてくれ。俺は現在のノノが気に入っているんだ」
「……!」
意外そうだな。
俺が人間のことを見下しているだけの存在という固定観念が未だに残っていたとでもいうのだろうか。
いや、どちらでも関係ない。
軽蔑こそ無いが敬ってもいない。どのような生物にも否定したくなるような汚点はあり、それと同じくらい彼らが誇れる大義があるのだ。
だからノノを特別扱いするわけではなく、単に否定的な人間を誰かが認めてやるべきと感じただけ。
「一度ここで止める」
「誰もいないが……店ではないのか?」
「いや、人はいる。隠れているだけ」
俺は異様な雰囲気を放つ寂れた店に目を向ける。
どうも営業しているような気分にはならない店の奥からは確かに人間の匂いがしていた。
なにより、懐かしい匂いが混ざっている。
「アマレ、お客様」
「……?」
「紹介するね。この子はアマレ……この店の従業員で私がまだ城にいなかった頃の友人」
「お前、まさか」
「アマレは魔物素材を売っている商人」
俺は戸惑う。
掴みかかって怒るにも俺だって食料にしてしまった。同種だからといって自然界には通用しない概念だと思っていたから。
でも、それでも元は共に生活していた奴等の身体の一部かもしれないものを見る自身はない。
ましてや人間が使うためのものにされるのだ。
だから怒りたい衝動に駆られるが、怒るに怒れない。
この娘に罪はない。
「え、えと……なんでだまる?」
「殺したのか、奴等を」
「ぼ、ぼうりょくだめ!」
「殺したのかと聞いている! 答えろ人間!」
「待って。あなたにも順を追って説明する」
順を追って?
俺に行き先も告げずこのような場所に連れてきたのには何か理由があるとでも言いたいのか?
ノノ、お前は何を考えている。
「まずアマレみたいな小さな女の子では魔物に勝てない。あなたの言う殺したという言葉は大きく矛盾している」
「人間は見かけによらない。一見は大人しそうな子供が狂気を秘めていることもあるだろう」
「訂正する。あなたの嗅覚は嘘を吐かないはず。だから、自分を信じてもう一度その鼻で確かめて」
匂い?
俺はノノに内心、俺を騙しているのではないかという疑いをかけつつも嗅覚で情報を捉えることに集中する。
別に何もおかしいことは……?
ちがう、おかしい。
ここにある魔物の亡骸から剥ぎ取られた物からは悲しみや怨念にも似た負の匂いを感じられない。
殺されたのに恨まないのか?
咄嗟に浮かんだ理由をアマレに確認する。
「死んでいた、のか?」
「そうだよ。みんなしんでた」
「アマレはあなたが森にいる頃から森の中で殺されていた魔物たちの亡骸から毛皮や外殻を回収し、それを鍛冶屋や貧しい家の子供たちに渡している。殺して奪ったものではない」
殺していない?
そうだ、ジェラが諸国と定めた法の中には害とならない魔物の無闇な駆逐を禁ずるというものがある。法で守られた生物を小さな子供が殺していたなんて話があっていいわけがない。
ただ違法であることに、変わりはないだろう。
魔物を無闇に傷つけてはならないように魔物の一部を売ったり譲渡することは禁止されている。
利益が生じれば専売したくなるのが人間という生き物。
その浅ましさはよく知っている。
「……お人好しが」
「え?」
「放置していても自然に還る命だ。しかし、奪った命をそのままにするのは罪深い行い。お前は他人が背負うべき罪を勝手に償うお人好しだ、と言った」
「ゆるしてくれるの?」
「俺は許す立場では──」
ガコッ!
背後で何かに足を引っ掛けたような足音が聞こえる。
盗み聞きとは何か顔を見せたくない理由でもあるような行動だ。エリスでもなければ許してやるつもりにはなれない。
そもそも、だ。
「ちっ。ノノはここにいろ」
「ユキ……」
「お前の友人なら俺の友人だ。その情報を売り渡そうとしている奴がいるなら止まる理由はないはずだ!」
そう、許す許さないでアマレを裁く権利など俺にはない。
むしろ感謝したい。俺が救ってやれなかった奴等をアマレは少しだけでも救ってくれていたのだ。
無意味に死んだ者に意味を与えてくれた。
それだけで十分だろう。助けてやりたい理由には、な。
――商業地区、裏通り。
「わざわざ入り組んだ道を選んでいたらしいが、裏目に出たな」
「くそっ! 行き止まりか!」
人間の雄は目の前に現れた壁の前に立ち止まるしかなく、渋々といった感じで俺の方へと向いた。
見た目は普通の人間。盗人にも悪党にも見えないが……。
「べ、別にあんたに都合の悪いことじゃないのに突っかかってくるなよな!」
「俺の世界は逃げる者は追えと教わる。本当に都合の悪い話ではないなら俺から逃げる必要はない。何より音に気がつけたのは俺だけ。お前もそれは分かっていたはずだ」
「聞いてた話と違う!」
「ふむ、雇い主がいるか。素直に吐いてくれ」
「…………」
まだ逃げる三段をしているのか。
俺に向けているようで退路を探すように時折、視線が泳いでいるのが丸わかりだ。そのくらい重要な仕事なのだろう。
正直ジェラのが何を話したか知らないが国民は動揺の方が大きかったのだ。
要するに親衛隊長就任に意義がある、と。
「仕方ないか」
「はっ?」
俺は近くにあった木箱を道の真ん中に寄せるとそれに腰掛けた。
黙り込んでいた雄にとっては意表を突かれたことだろうし捕まえに来ると思っていた相手が目の前で座り込んだのには驚いただろう。
「何か困っているんだな。話を聞いてやる」
「意味がわからん」
「お前のような決断力の鈍い男は止むに止まれぬ理由がないと動けない。今回の一件も正直言うと危険で引き受けたくなかったが受けざるを得ない理由があり国民にとって就任直後で不安を煽りやすいタイミングの俺が不祥事をしていると情報を流せと言われたんだろ?」
まあ、今のまま帰っても何も得られないだろうけどな。
ノノはジェラの使用人だから俺と密会しているという噂を流してもジェラの使用人が減り、なおかつ管理を怠ったのではないかとジェラに対する不信感が募る。
もしくはアマレでもいい。未成年の雌を襲う騎士という噂でも同じ。
そうなると奴等には都合が悪い。
何故ならジェラが国王の方が操りやすいから。
何の力も持たない形だけの国王であればちょっと不安を煽るだけで行動に起こすと考えているんだ。
つまり、あくまで蹴落としたいのは魔族である俺か。
「あんたにとって人間は何なんだよ。扱いやすい玩具か? それとも虫けら程度にしか考えてなくて嘲笑っているのか?」
「正直言うと嫌いだ」
「やっぱりな! お前は国を滅ぼそうとしてる悪い奴だ!」
「魔族が人間の滅びを願って何が悪い」
「っ!」
元はと言えば人間が始めたことだ。
いつも森で健やかに生活していただけの生き物を殺し平然と「これは危険だから狩猟しておきました」と胸を張る。
罪のない同胞が殺される事にしびれを切らした魔物たちが復讐だと人間を襲い、雄は食い散らかし雌は繁殖の苗床にした。
無論、俺は魔物側を止める責任があったから人間を一方的に責めはしない。
ただ無自覚に自分たちは悪くないと威張る連中には理解してもらわないといけない。
「人間以外の生物に尊厳も持たない人間など滅びてしまえ。当然だ、放置していれば人間以外全てを滅ぼしかねないのだから」
「…………ッ!」
「だが俺はお前と違う。目先の怒りで殴りかかりはしない」
男の振り上げた拳を止めた上で俺は言う。
本当はもっと単純で人間らしい考え方をしていたのだが直上的な男には複雑な説明より魔族らしい回答の方が納得できるだろう。
「パラミナスタ王女は賢明だ。こんな俺にも声をかけ、優しさというものを教えてくれた。あれほど心の綺麗な雌は珍しいだろうな」
「お前が唆したのか?」
「唆す? 違うな。お前たちが自分たちの私腹を肥やすために操り人形にしようとしていた雌を俺がもらうと決めた」
「ふざけるな!」
「何が? 俺は王女のために献身し、それに対し王女は親衛隊長という称号と権力を与えた。正当な手段を以て俺はこの場所に立ちお前達の操り人形から開放した。それのどこがふざけているんだ?」
そう、あのままでは危険だったのだ。
ジェラが俺に救いを求めてこなければリンドブルム領主に政略結婚という名の拘束具をはめられ、パラミナスタは吸収され、王女という冠が必要なくなったジェラはただの雌として領主に食い物にされていた。
そうなった時、この雄はどうなっていたか。
貴族でも何でも無ければ困窮を極めて危険を承知で俺の前に現れるような人間は奴隷となるか裏路地で自然消滅していたはずだ。
これだから人間は嫌いだ。
救ってくれたジェラに対して感謝もせず理解しようともしない。
所詮は雌など国王の器ではない。ただの奴隷だとでも言いたげな行動だ。
と、言葉での言い争いは俺の方が優位だったようだが何か別の気配が近づいていた。
この雄、図ったな?
「そういう態度が、ふざけてるんだよ」
「っ!」
「悪い狼は必ず仕留める!」
「なるほど。騎士を襲撃するための裏路地か」
突然矢の雨に襲われたが気配を感じ取れていた俺は地を転がって回避する。
確実に仕留めようと集弾性が高かったのが救いだ。もう少しでも範囲が広ければ何本か避けきれずに受けていた。
大勢を立て直した俺は人間の雄の前に降りてきた者に視線を向ける。
赤い頭巾に身を包んだ雌だ。
身体こそ小さいが威勢のいい視線が強者であるて理解させる。
まさにミノタウロスにも並ぶような強者だ。
それにこの雌、何か……。
「報酬の件、忘れるなよ赤ずきん!」
「ちゃんと支払うから後にして」
「お前はあの人間をどんな報酬で雇ったんだ?」
「そそ、それはお前に関係ないっ!」
「教える気がないならいい。面倒だ」
と、威勢を張ったはいいが……。
どう見てもハルと同じくらいの雌を相手に戦うのは気が引ける。
万が一にも俺が負けるようなことがあれば怪我をさせなかったことに安心しながら敗北を認めたいところだが騎士という立場上、一般人の、よりにもよって幼い雌に負けるわけにはいかない。
しかし、勝ったならどうなる。
もし誰かが俺の勝利のタイミングで現れたら、俺はどうなってしまうのだろう。
裏路地にいる騎士、前に倒れている幼雌(激しい戦闘の末に身に着けている衣服がところどころ破れているものと仮定)がいて、傍目からはどのように映るか。
先日就任したばかりの騎士が裏路地で幼い雌に乱暴した。
これこそ当初の連中が求めていた噂になってしまうではないか。
「いや、敗北してジェラートの信用を落としてしまうのも考えると……」
「…………」
「もしかしたら大人かもしれない。そうだ、見た目は小さくとも大人のような下着をつけていれば大抵の人間は勘違いする」
「……………………」
「おい、赤ずきんの。お前の穿いている下着を見せろ」
「ムカつく!」
質問の答えになっていないぞ。
そもそも俺が一生懸命に対策を考えている間にもヒュンヒュン何本も矢が飛んできていて集中を止めようてしてきていた。
まあ、全部顔に目掛けてだからへし折っていたが。
「散々赤ずきんが射る矢を折って無視したくせにぱ、ぱんつ見せろとか本当に悪い狼で間違いないんだね!」
「いや、無視していたわけじゃない。どうすれば騎士として敗北という恥をさらさず、なおかつ幼い雌を犯したわけではないという証拠を作り出せるかと思案していた。そこで得た結論としてお前が幼い身体をしているだけで実は大人である、という証拠があればどうにかなると考えたわけだ」
「さっきの発言、言いふらしたら騎士人生終わりだよね」
「そうなのか?」
問題はないはずだ。
相手は襲撃者で、この国の人間にとっても敵たりうる存在であるならどのような発言だろうと許容されるはず。
いや、そうだった。
傍目からは襲撃者に見えなかったな。
「では頭巾をとって顔を見せてくれ。これでも様々な人間を見てきたから顔を見ればお前が大人か子供かくらい分かるはずだ」
「何で赤ずきんが大人か子供か気にするの?」
「本当は雌とも戦いたくないが必要に迫られれば戦う。しかし、大人ならば多少は覚悟があることと信じるが子供であれば可能性は低い。故に子供だった場合は戦わずに叱るものだと思う」
「へんな狼」
なぜだろう。毒を吐かれているのに嫌な気持ちにならない。
というより初めからハルと重ねてしまって敵というより子供として叱るに留めて追い返さなければいけないという気持ちの方が大きかったのだ。
「赤ずきんは大人だよ」
「そうか」
「どうしたの悪い狼さん。大人とは戦うんじゃなかったの?」
一目散に逃げていると言い訳にしかならないが戦っては駄目なんだ。
とても難しい判断だったが俺の質問に対して「大人」と答えてくれたことによって決断することができた。
最初の攻撃で今の武器じゃ勝てないとあの雌は知っていた。
そして、勝てないならば俺に悪い噂を流して騎士という立場から落とすことを考えて戦わせるために「大人」だと主張したんだ。
戦えば間違いなく俺が勝つ。
あの雌は負けたら勝利なのだから。
俺はアマレの店に逃げ込んだのだが赤ずきんは後ろから追いかけてくることはなかった。
表では戦えない、というのもあるだろう。
「おかえり、ユキ。あの男は?」
「あれは、無視していい。アマレのこと、言いふらしても、意味がないから」
「そんなに息切らすくらい急がなくても良かったのに。でも、ありがとう。ユキも無事みたいで安心した」
無事、ではないがな。
また面倒な連中に目をつけられたんだ。赤ずきんがミノタウロスとは関係ないとは言いきれないのが現時点での認識である。
「大きいまものさん。アマレからもお礼。ありがとう」
「気にするな」
「ノノとお友だちなら、いつでも来ていいからね」
なるほどね、ノノはそれで俺を連れてきたかったのか。
魔物のために存在している店ではないが、こうして歓迎してくれる人間もいるということを、そしてノノ自身も俺のことをそう思っていることを伝えるために。
――パラミナスタ王城、中庭。
「ガゥ、そこで何してる」
「主君! 某は日向ぼっこをしていたのであります!」
たしかに城内の中庭は日光がいい角度で入ってくるから日光浴には最適だが一人でそんなことをしていて暇ではないのだろうか。
まあ、ガゥの気持ち良さそうな顔を見れば分からなくもないが。
「今日からはこれを身に着けろ」
「人間が着ている服というやつですか?」
「ああ」
やはり抵抗があるのだろうか。
あまりガゥは嬉しそうにしていないし、人間と同じになるということは自分の敵だと思っていた存在と慣れ合うという意味になる。
俺よりも恨みの強いガゥには酷だったか。
嫌なら無理に着せるのも可哀想だな。
「あっ、ユキさん! こんな所にいたんですね?」
「ジェラ……ト」
不意打ちで思わずいつものように呼んでしまいそうだったがガゥがいるのを思い出して無理やり訂正する。
「ガゥさんもこんにちは。日光浴ですか?」
「な、何しに来た人間!」
「私もたまにはお外で日光浴でもしようかな、と。お日様を浴びながらのお昼寝は格別だと聞いたことがあります」
一国の王女がそんな天真爛漫でいいんですか?
とは思ったが意見できる立場ではないので黙る。どちらかといえば姿勢を正そうとしないガゥの方が立場と行動が噛み合っていない。
また躾け直す必要があるか?
「ガゥさんはユキさんのことが好きなんですね」
「は? 何を言い出すんだ人間! 某が主君にそんな想いを向けるなどおこがましい」
「魔物の女性は強い男性に惹かれる。しかし、強いだけで群れの未来を考えると役に立たないだろう男性には服従しない」
調べたのか、俺たちのことを。
ジェラの言う通り強い雄に惹かれていくのは事実だが種の存続に関わるような一大事に逃げるような者では確実に絶滅を招くことになるので服従しない。
ましてやガゥの服従度合いは他を超えている。
匂いだけでも分かるほど群れを任せてもいいと信頼できる雄にしか見せない反応だ。
「信頼してるんですよね、ユキさんのこと」
「に、人間はどうなんだ。主君は信頼しているようだけど某はどうも利用しているだけのように思えてお前らを信用できない」
「してますよ」
「は? そんな言葉で信用しろと?」
ガゥは身体を起こして怒り心頭の様子だった。
言葉だけの「信頼している」なんて真に受ける人間の方が少ないのに魔物には関係ないなんてことはないだろう。
と、俺が不安でそわそわしているとジェラは突然恥ずかしいことを口走る。
「ユキさんがうっかり私のベッドで寝ていても気にしない程度には、信頼してます」
「えっ、人間は主君と既に床を共にしていると?」
ガゥが邪魔さえしなければ子供がいた可能性もあったけどな。
って、俺はうっかりジェラの寝床にいたことなんてないぞ。
強いて言うなら俺は自室で寝ることを心がけているし、ジェラと一緒にいたいという時は確認をとってから部屋に行くようにしている。
そんなローゼに殺されそうなことを平気でするわけがない。
「主君は恥ずかしくないのですか! このような弱者と床を共にするなど!」
「お前に口出しされたくない」
「主君が王だと言うならば片っ端から雌という雌を手篭めにしてしまえばいいのだ!」
「そんなの権力を振り回すだけの紛い物だろ。ジェラートと俺が思い描く王は少なからず同じようなもの。お前の言う権力だけの王じゃない」
まあ、魔物としては好き勝手した方が分かりやすくていいんだろうけどな。
王として選ばれた者が謙虚すぎると次席を狙った連中が挙って首を取りに来るのだから権力を振り回してでも王だと思い知らせた方が安全なのだ。
だが、それは魔物としての話。
魔物は王が片っ端から食い漁っているように見せて自分の権力の下に置いて雌を守るが魔族や人間は少なくとも範疇ではない。
皆が自立していかないと、守っていることにも統治していることにもならない。
自らが考えていかないといけないのだ。
「そ、それにジェラートとは一緒に寝ただけだ。まだ何もしてない」
「主君…………」
人間に染まった、と言えばいいのだろうか。
最近はジェラに心から愛してもらいたいという気持ちが大きく自分の意思を押し付けるのは違うなと思いつつあるのだ。
ガゥにはまだ早かったかもしれないが…………いや。
「主君、某も服というものを着る」
「別に強制はしないぞ」
「この人間の雌が主君に向けている想いと主君が向けている想いは某が口を挟んでもいいようなものではないと感じたのです。何より主君の一族が生き残るために繁栄は絶対。その形は如何様でも変わらない。ガゥは主君を手伝うため参ったのです」
ガゥは俺から服を受け取ると身に着け始める。
一度でも着たことがあるとでも言うかのような流れで下着をまとい、シャツを羽織り前を閉じる。それからスカートを身に着けお揃いのジャケットを着て俺が口を開く前にガゥは雌騎士となった。
これは、触れない方がいいのだろうか。
ガゥはこの大陸に来る前に何か、人間からそういう扱いを受けたことがあったのだろうか、と。
「主君の眼差しと、この衣服を拵えてくれた方々の好意に甘んじてこの国における人間のことは信頼するとします」
「ガゥさん、とても似合ってますよ」
「これでお前も親衛隊の一員だな。城の中を自由に歩けるようになるぞ」
「主君……いたっ!」
「ちがう! 主君はこっちだろ!」
俺に殴られたガゥは頭を抑えながら指の示した方向に視線を向ける。
「人間の雌は人間の雌です。主君をその牛のような乳で誘った不敬者です」
「ユキさん、私は貶されたんですか?」
「ばか今すぐ謝れ!」
「ウシ乳に本当のことを言って何を謝るのですか! ああ、ウシの乳にしてはまだまだ小さい方でしたねごめんなさいとでも謝ればよろしいのか!?」
止めてくれ、これ以上ジェラートを怒らせないでくれ。
ガゥはウシ乳とか言っているがジェラートは無駄に大きいとかそういうわけではなく雌らしいバランスの取れた体型なんだ。
「えっと、男性のユキさんに尋ねるのもおかしいかも知れませんが、私の体は……彼女の言うように牛のような体なのでしょうか」
「ジェラート気にするな。ガゥはお前を僻んでるんだ。むしろ少し痩せ気味な気がするくらいだから気にせず飯は食った方がいい」
「主君は大きい方がお好きなのか」
「っ!」
俺の堪忍袋の緒はそんなに細くはなかったはずだが切れそうだ。
いや、もう切れた。
生意気なことを言うガウの片足を掴んで逆さ吊りにすると近くにあった柱に括り付けて動けないようにした。
「ユキさん?」
「こいつのことは気にしなくてもいい。どうせガゥは見られて興奮する変態だ」
「女性に対して扱いがひどくありませんか?」
「俺はジェラートが大切だから言ったのに……っ!? わ、忘れてくれ今のは。単純にガゥに性癖の話をされてムカついただけだ」
くそ、あんな恥ずかしい台詞を言いかけるなんて……。
ジェラートは仕事が忙しくて体調を崩すと食欲が落ちるから痩せていって心配になるから体型のことは何も気にさせたくなかったんだ。
「主君、逆さ吊りは慣れましたが某の下着をまじまじと見つめるのは如何せん、恥ずかしくてたまらないのですが」
「しばらく反省しろ! 今度ジェラートのことをそんな風に見たら許さないからな!」
俺は頭に来てそのままガゥを放置して移動した。
本当にガゥは何を考えて俺を煽るような真似をしてきたのか分からない。
――ユキが居なくなった後。
「主君は本当にジェラート様がお好きなんだな」
「あの、ガゥさん。大丈夫ですか?」
ガゥは心配無用と言うと自らの爪で拘束していた縄を切って脱出する。
逆さ吊りされようが脱出するのは苦ではないと考えていたが故に大人しくユキにされるがままを貫き通していたのである。
そして直ぐ様片膝を地面に突くとジェラートへ頭を下げた。
「あのような発言、お許しくださいませ」
「いえ、特に嫌な気はしませんでしたし私は何でユキさんが怒ったのかも理解してなくて」
「ジェラート様を心から思ってのことだと思います」
そう言うとガゥは身に着けた制服のスカートを軽く指でつまみ、それから何やら語り始める。
言い換えるならユキの点数稼ぎ。
あれほど熱烈に愛しているアピールをされたら自分など退く他ない。
むしろユキが彼女を心から愛しているのなら両想いのまま種の繁栄へと向かってくれればガゥからは何も文句はないのだ。
そう、自分を見てほしいなどと、我がままは許されない……。
「魔物である某がために人間の持つ素材ではなく我が同胞たちが亡骸から拝借した素材を用いた衣服を作ろうというお心遣い。王女であらせられるなか主君や某へのコミュニケーションを図ろうという気持ちに感服いたしました」
「…………」
「ジェラート様?」
「ガゥさんは嘘が下手ですね」
「な、何をおっしゃいますか!」
ガゥは慌てて体裁を取り繕おうとするが遅かった。
というよりジェラートは彼女の気持ちの変化に気づいていて、だからこそ言葉の所々から彼女の本当の気持ちを聞いてしまったのだ。
自分は認めたくない。
人間の雌が見た目がいいからと主君に愛されるなんて、と。
そういう嫉妬のようなものが、いや……悔しさと諦めが見えていたのだ。
「ガゥさんが言っていたユキさんを手伝うために来た、という言葉。本当はユキさんの一族が滅ぶことを恐れたあなたの族長がガゥさんがユキさんに見初められて子孫を残すためにきた、という意味ですよね」
「っ!」
「本当は私のことが憎くてユキさんが知らないところで殺したいとさえ思っていたんですよね?」
「どうしてそこまで分かっていて某に話しかける」
ガゥは牙を抜かれたかのように脱力した。
彼女にすべてを見抜かれている。自分がそこまで考えていたのに、先程のユキとのやり取りですべて、無かったことにしようとしていたことも。
もう、彼女には理由を聞く以外にできることがなかった。
「大切な人を失いたくない、その気持ちは誰だって同じです。ユキさんが魔族だから人間に捕まってひどい実験をされたりしないかと不安になるのは当然のことで、そうならないように恨まれてでも救い出そうと考えたガゥさんの気持ちも、間違っていないからです」
「…………」
「私はガゥさんのこともユキさんと同じくらい大切です。だからお友達でいてほしい。何より私はガゥさんのように直情的にユキさんと話せません。見習わないといけないところですね」
「本当にジェラート様は……」
ガゥは思わず溜め息を吐いた。
追い出されることまで覚悟していたのに許された挙げ句、友達でいてほしいなんて、まだ友達になるとも言っていないのに。
へんな人間だ。
でも、彼を安心して任せられる人間かもしれないとも感じた。
「では某は今まで通りに致します。もしかしたらジェラート様より先に主君と明けない夜を過ごしてしまうかもしれませんけど、恨みっこなしということで!」
「なな、なんてことを言うんですかっ! ユキさんはそんな人じゃありませんよ! ち、ちゃんとお付き合いして、それから……!」
「なんて、冗談に決まってるのに」
それから二人の言い争いはローゼが勉強を抜け出したジェラートを叱りに来るまで続いたという。
――城へと続く橋にて。
「女の子?」
エリスが城への来客が必ず通る橋を綺麗にしようと掃除していると向こう側からふらふらした足取りで歩いてくる少女がいた。
その少女は橋の中間辺りまで来ると力尽きたように倒れる。
明らかに様子がおかしいと判断したエリスはすぐに駆け寄って抱き上げると声をかけた。
「だ、大丈夫? どうしたの?」
「おおきな…………おおきな、狼さんに、会い、に……」
エリスは少女を抱えて城内へ戻る。
体温は正常で特に病気をしているような様子もないが唇が乾いていたので水分を取らせるべきだと判断したのだ。
その判断は間違っていない。
しかし、エリスは知らなかった。
彼女が助けようとした赤ずきんの少女は「大きい狼」を殺すために来たということを……。




