第9話「それぞれの思想」
新しい立場。
今までの客人とは変わり城の一員として認められたたとは言ってもやることは何も変わらない。
ジェラートを守ること。
そして、人間のことを学ぶこと。
──パラミナスタ城、裏庭。
「魔法を、使えと?」
「欠伸をしながら言うな! 仮にも親衛隊長ともあろうものが恥ずべき姿を晒すな!」
欠伸が出るのも仕方のないことだと許してほしい。
魔法という概念はあくまで人間が魔物などが保有している力である魔力というものを使いこなせるようにするために考えられた彼らの方なのである。
つまり、魔力を普通に扱うことのできる俺としては必要のない技術。
無駄に術を唱えたり魔力にどのように使いたいのか命令をするくらいならば単調に自分の体内を循環させ肉体強化を施した方が戦いやすいと思わないのだろうか。
強くなれる上に繰り返しているうちに身体が大きくなっていく副作用付なので俺はおすすめしている。
「貴様はその身一つで姫様を守ると言ったが魔法に対する策も講じぬまま戦う気か!?」
「仮に魔法で攻撃されても傷は魔力を集めて修復できる。俺の場合は吸収効率もいいからローゼみたいに魔法で戦う必要ない」
「たしかにローゼほどは必要ないかもしれないね」
「っ! 馬鹿にしているのか?」
「いやいや、そういう意味ではなくてだね?」
「ふん、常に魔力と共にある魔物が魔法も使えないともなれば王としての名折れだ。教えろ、使い方を」
「最低でも三属性は使えなければ鼻で笑ってやるからな、ユキ」
上等だ。
属性とやらが何の話かは知らないが魔力の循環効率において右に出る者がいなかった俺ならば使いこなせるはずだ。
「ではまず属性についてだ。ものを燃やしたり活力を上げたりする火属性、冷やしたり流したりすることのできる水属性、ものを切断したり飛ばしたりできる風属性に物質を作り出したり地形を変化させる地属性。それから治療や加護を与えたりする光属性と 性質を変化させたり性的なことに用いられる闇属性の六属性が魔法には存在している」
「相乗や相殺の関係にあるのか?」
「一応ね。火属性は水属性で打ち消すことができるし水属性は地属性で打ち消せる。地属性は風属性で相殺できるが火属性とは相性が悪い。つまりこの関係は相殺の関係で、逆になると強化したりすることになる」
なるほどな。
俺はまずイメージのしやすそうな火属性の魔法を使えるのか確認するべく二人の間にあった蝋燭に手をかざす。
詠唱は必要ない。
必要なのは何をしたいのかイメージして魔力に命令するだけ。
すると俺の考えていた通りに蝋燭へと火が灯り、ただ出力というのを考えていなかったせいで火花が散って危うく城を火事で大惨事にするところだった。
「馬鹿か貴様は!」
「いやいや、最初にしては上出来だよ。正式な魔法の名称も与えずに魔力を扱って結果を出しているじゃないか」
「燃やすだけのイメージだった。少し爆発したが……」
「問題ないよ。僕もローゼも最初に魔法を使おうとした頃は発動しなかったし使えるようになっても命令通りにならなくて危うく怪我をするところだったからね」
「わ、私はそんなことをした覚えはない」
恥ずかしそうに目線を逸らしたということは事実だろう。
それにしても存外、魔法とは簡単なのだな。
まあ人間が魔力を扱うために考え出した方法なのだから普段から魔力を扱っている俺が使えないわけがない。元から適正があるから魔物なのだ。
次は水属性の魔法を使おう。
先程の炎を消すようなイメージ……?
しかし、いまいち消すという実感がわかないし水がどのようにして発生するのかを知らない俺としては水で炎を消すイメージなどできるはずもなく考えがまとまらない。
俺にも縁がある水なんて川とか、あとは……。
一つだけ思い当たる節があったな。
「ごぶっ!」
「あ…………わ、悪い」
「そこまでして私を敵に回したいのか。ああそうか、いいだろう。今すぐ親衛隊長を降任させて殺してやる!」
「さ、さすがにそれは断る。いくらなんでも横暴だ」
「姫様の侍女に攻撃しておいて横暴も何もあるか!」
水を掛けられたローゼが怒るのは仕方がない。
しかし、攻撃するつもりなどなかった。
俺がイメージしやすいと感じたのが偶々それだったというだけで敵対心もなければわざとでもない。
水浴びをしている際の光景をイメージしたのだ。
まだ年若い──といっても俺が老けているわけではなくガキと呼べる小さな魔物たちのことだ──は水浴びをすると言っても普通にはしていられない。両手で集めた水を鉄砲のように飛ばして遊び始める。
それは無邪気でありながら水の勢いは軽く木に穴を開けるほどで、つまり俺が欲しかったイメージ。
「意外と胸、大きいのか」
「なっ! どど、どこを見ている!」
「恥ずかしがることではないだろう。人間の雄は胸が好きだと言うし言い換えるとローゼは魅力のある雌ということになるのだろう?」
「上手く言いくるめたつもりか! 私は騙されないぞ! 貴様などに絆されるほど甘い人生を送ってなどないからな!」
「素直に受け取れないのか。胸は大きいのに器が小さい」
「黙れむっつりスケベ狼!」
何故か殴られた。
誉めて殴られることがあるのならば俺は初めから殴られると分かっていて回避しようと思える発言しかしないぞ。
もしかして胸が大きい雌が好かれるというのは迷信だったのだろうか。
いや、そのようなことはない。
パラミナスタの街ではジェラートの評価をよく耳にするが国民に対する愛情もさることながらあの立派に雌と言える身体が好みだという者も少なくはない。
つまりあれか。
ローゼは照れているのだな。
「私は着替えてくる。リデル、その変態を指導しておいてくれ」
「いや、彼は誉めたつもりだと思うよ?」
「誉めたにしても何にしても私の胸を見て鼻の下を伸ばしていたのには間違いないのだから去勢でもしておけ! 姫様に手を出すのも遠くない未来かもしれないんだからな!」
「あー、はいはいりょーかいですよっと」
俺はリデルが本当に俺を去勢するのではないかと思い身構えた。
「しないよ、そんなこと。昔いた所では捕獲した魔物の去勢、というか普通に生殖器のサンプルが欲しいとか言ってキチガイが切断していたけど、僕は反対だ」
「リデル……」
「そもそも持ち主が生きてないと生殖器として機能しない模型にしかならないだろう? そんなものを調べるくらいなら生きている魔物を研究した方がデータも良いものが取れる」
期待した俺が馬鹿だった。
リデルは研究のことしか頭にない雌なのだから俺が可哀想だからとか切断される痛みが理解できるからという慈悲の考えがあるわけではなかったらしい。
と、俺が落ち込んでいるとリデルは励まそうとしているのか不自然に話を魔法のことへと戻した。
「まあ……イメージがあったとして魔法を使えるわけではないんだからユキは紛れもない魔法の才能に恵まれた魔物だから特別、助けたいと思わなくもないけれどね」
「そうなのか?」
「ああ。初日から二属性も使えれば十分だ。たぶん風属性と地属性もイメージさえできれば簡単だろうね。それに君は森にいた頃から魔力を体内に集めていたのだから治療のための光属性か身体強化するための闇属性は無意識に使っていたはずだ。研究のしがいは大いにあるよ」
「身体強化……心当たりならあるかも」
「ほう、聞かせてもらえるかな」
具体的にはリデルが話した通りで身体を強くする程度だが。
たしかに普通に強化の目的で魔法を使うよりも俺が使った場合の変化は異質ものだろうし説明した方が良さそうだな。
「俺は元々このくらい身体が小さくて、な」
「このくらいって……僕の膝丈くらいしかないじゃないか」
「記憶にあるのは本当にそのくらいだ。他と同じなら生後二年くらいらしい。本当なら小さいうちは体内で生成される魔力の量が少ないから身体強化はできないはずだったが俺は別だった」
潜在的に保有する魔力の量が多かった。
故に幼いうちから人間のいう魔法とやらが扱えたわけで、扱うことによってより順応していったのだ。
「小さくて弱そうだという理由で何度、喧嘩を売られたことか」
「魔物同士の上下関係は力故に仕方ないね」
「だから俺はいつの間にか使い方を習得していた身体強化を常日頃から重ねていた。身の丈に合わぬ補食と身体強化を繰り返していくうちに少しずつだが身体が大きくなっていった」
「闇属性の魔法には性質を変化させるものがある。けれど君のように身体を大きくするなんて作用はないし、そんな魔法も存在していないよ」
「ん?」
「火属性と合わせると筋力強化、水属性と合わせると病気や毒の影響を受けにくくなり地属性となら頑丈に、風属性となら素早く動けるようにしたり、といった感じかな。つまり、君の言う質量を変化させるような意味での変化はありえないよ」
性質が定まらないからだろうか。
それぞれの属性を付加することで強化する性質を変えることはできても身体を大きくするのはまた別の話らしい。
たしかに俺も疑問は抱いた。
いくら魔法と言っても失うものと得るものは等価である必要があるために大きなことを起こそうとすれば大量の魔力が必要になり治癒魔法なども扱える魔力が少ないと傷が塞がらずに止血だけされるパターンもある。
一部でもそれなりの量が必要になるのに身体を大きくするだけともなればどれだけの魔力が必要になるか想像できない。
「やはり君は特異な存在だね」
「特異、とは」
「普通の魔物とは別ってこと。言葉を話せる時点で、いや話せるのもいるけど君の場合は流暢すぎるんだよ。君は見たことがあるかい?」
言われてみれば出会ったことがない。
いや、魔物ならば遠吠えや唸り声などそれぞれに意味を持っているから言葉を話す必要が無かっただけかもしれない。
どちらにしろ、人間と遭遇して声を出している者は見たことがない。
「まだ仮称でしかないけど君は魔族という存在だと思う」
「魔族? 魔物と何が違う」
「言葉を話し辛うじて人間と意思疏通の叶う存在だ。まあ、僕の見解だと君のように誰かに心を開いてくれるような魔族は存在しないだろうと判断していたんだけどね」
「…………間違ってはないかもな」
俺だけ他の魔物のように産まれた記憶を持っていなかった理由もそれで説明できてしまうからな。
リデルはやはりただの人間のような思考ではなさそうだ。
「ん? どうしたんだい」
「知らない匂いがする。人間の、俺の知らない雄の匂いが……」
俺は無意識に走り出していた。
訓練やリデルとの話をどうでもいいとは思わないが勘が優先するべきことがあると告げている。
今すぐにジェラートに会いに行くべきだ、と。
「おい、誰だお前は!」
「まったくジェラート様のお城には不躾な男がいるようで……!?」
「誰かと聞いた! 答えろ人間!」
ああ分かっている。
俺を恐れるがあまりに口を開けなくなってしまったのだろう。
しかし、男は驚いたのは一瞬だけですぐに表情を堅くすると胸ぐらを掴んでいた俺の手を軽く払った。
「ジェラート様も可愛らしい趣味をお持ちですね。このような獣を側におきペットのように愛玩しているとは」
「いま俺を馬鹿にしたのか?」
「ペットはペットらしく主人の隣で媚びへつらっていればいい。俺はそう言っているのだよ」
「調子に乗るなよ、人げ──」
「ユキさん、待ってください」
どうして、俺を止める?
この雄は俺を侮辱し、あまつさえお前のことを軽んじるような発言をしたのに。
怒られるような、止められなければいけないようなことを俺がしたとでも言いたいのか?
ああそうか、そういうことか。
「許嫁との話が終わっていないのだが……早々に部屋を出てもらえないだろうか」
「いいなずけ?」
「教養が無いらしいな。つまり彼女は俺と生涯を歩む女性だということだ」
「勘違いするな。俺が確認したかったのは言葉の意味ではない」
お前が本当に許嫁なのかどうかだ。
ジェラートが俺に今まで隠していたとは考えにくい。この男が独断で自分の勝手な意見でそういう関係であると思い込んでいると考えるのが妥当だろう。
つまり?
俺をジェラートが止めたのはこいつがそれなりに高い身分だからだ。
俺が悪かったわけではない。
「帰れ、不愉快だ」
「お前などに俺を追い出す権利はない。既にジェラート様と俺の婚姻は決まっていることだ。獣ごときが国家間のやり取りに口出しできるわけがないだろ?」
「……………………」
「まあいいさ。今日のところは帰らせてもらうジェラート様もよく考えておいてください。あなたお一人でパラミナスタという国を御するのは不可能でしょう」
悔しいが正論だった。
こいつが他国の関係者だというならば俺が、親衛隊長風情が口を挟んではいけなかったのだ。
悔しいが腹の立つ男の背中を黙って見送ることしかできない。
つくづく愚かなものである。
立場に縛られ人間としての考え方を受け入れてしまったが故に最善と思う行動に踏み切れない。
「彼は、アルバートはリントヴルム領の領主なんです。外交関係にはないんですが隣国にあたるパラミナスタを懸念してるようですね」
「そんなことはどうでもいい! 俺は納得できない」
「っ!」
「ジェラートがあの雄の許嫁? ふざけるのも大概にしろ。お前はあんなくだらない男に使い古され捨てられてもよい雌ではない。たとえ正妻として迎え入れるとしても許さん!」
「ユキさん?」
何を分からないという顔をしているのだか。
あの日、俺はお前に誓ったというのにお前自身は何も理解してはいないのだな。
「お前は俺のもの、そう契約した」
「分かっています。でも」
「でもも何もお前は何も分かっていない! 悪いが俺は己が手にする雌を横取りされて黙っていられる性ではない! それに契約のこともあるから、あのような怪しい雄にお前をくれてやる気は毛頭無い。それでは国が破綻する」
やっと理解してくれたのかジェラートは目を逸らした。
自分の過ちを他人に指摘されなければ気がつけなかったことの恥ずかしさからきた行動だろう。責めるつもりはないが……。
今までジェラートが守ってきたパラミナスタは平和主義で争いを拒むような国であり武力より言葉による和解を求めるような国であることは間違いない。
そこにあの雄が関与したらどうだろう。
リンドヴルム領からわざわざ足を運んできた辺り、この国がほしいのだろう。
ジェラートが奴の雌になってしまえば強い国──いや、この場合は領地か──が主導権を握り仮にも国の姫様の雄であるアルバートに意見をできる人間がいなくなる。
つまり、平和から離れていく選択をされた場合に誰も逆らえなくなることが懸念される。
「理解したのなら責めるつもりはない。堂々としていろ」
「ユキさん、あの…………あまり問題を起こさないでくださいね?」
なぜ不安そうな目で見る。
心配しなくても問題などにはならない。あの雄の態度といい匂いといい俺を苛立たせる要因でしかない。
「弱者が強者に喧嘩を売ったことを後悔させるだけだ」
──パラミナスタ王城、ジェラートの部屋。
「あの、ユキさま?」
ずっと礼儀正しく座っていたエリスだったが放置され続けたことに痺れを切らして口を開いた。
それもそのはず。
俺はエリスとメアを呼び出しておきながら一言も話していない。
まだ考えはまとまっていなかったのだ。
「もしかして姫様の部屋でエリスちゃんとメアちゃんを使って遊ぼうと?」
「他の雌の部屋で二人の雌と合挽きする馬鹿がどこにいる」
「だってユキちゃん落ち着き無いし。他の雄の子も雌の前になるとそわそわして尻尾を振ってたよ?」
「それは……眼前に自由にどきる雌がいるから待ちきれなかっただけだろう」
「ユキさま? ユキさまにとってエリスもメアも自由にできる雌だよ」
「ぐっ!」
それを言われると否定はできない。
メアは主従の関係とはいえ雄としての力で無理やり自分の雌にしてしまった手前、他の雄には触らせられない分、俺に時期が来たら介抱してもらう他無い。
エリスはエリスで俺以外に雌として見てくれる雄がいないから本人が誰かと結ばれることを、子孫を望むようなことがあれば俺を選ぼうとするのだろう。
しかし、それとこれとは別だ。
本当にジェラートの部屋で二人と重なろうものならばローゼに焼かれるにちがいない。
そうだ、これは間違いない。
「近いうちに争いが起きる可能性がある」
「争い?」
「アルバートという人間はジェラートを使ってパラミナスタを支配するのが目的だ。ジェラートが誰かの許嫁だという話しは聞いたことがないし奴もジェラートを真っ直ぐに見ているようには思えなかった」
ああ、とメアは何かを納得したように声をあげる。
「アルバートってあの金持ちのこと?」
「金持ちかどうかは知らないが胡散臭い雄だ」
「その認識は間違ってないよ。だって人助けとか何とか言ってメアちゃんのこと操り人形にしようとしてたのはあの男だもん」
やはり、か。
この城に何度か入ってきたことがあるような立ち振舞いからジェラートだけではなく侍女にも面識があるとは考えていたがメアを見張ることも一つの目的だったのだろう。
だとすれば余計にジェラートを渡せない。
なぜ命を奪おうとした雌を今度は欲するというのか。
本質的な目的は別にあると考えるのが妥当だろう。
「メア、それが本当なら姫様に上申したら?」
「んーん、それはできないよ。姫様って責任感の強い人だから伝えようものなら自らリンドヴルムに赴いて奴隷制度の廃止とかメアちゃんにさせたことの罪を償わせようとするから」
「危険には晒せない。だから俺は二人を呼んだ」
ようやく説明が終了した俺はエリスの近くまで行きと疑問符を浮かべている間に身体をまさぐった。
欲求不満というわけではない。
エリスのはめているグローブが確認したかったがどこに隠しているのか知らないだけだ。
「あ、あのっ……ユキさま……!」
「俺に触られるのは嫌だったか? いつもは民間の組手に付き合わされているから雄と触れあうのには慣れていると思っていた」
「い、いやじゃ……ないです、けど……っ!」
「あった。これを探していた」
意外なことに単純に制服のポケットと呼ばれる袋状の空間に入れてあったので拍子抜けだった。
大切そうにしていたから隠していると思っていたのに、な。
「それ、どうするの?」
「これはお前の力を抑制しているものだろう。エリス、お前は魅力的な雌なのに自分で隠してしまっているもったいない雌だ。まあ、本人が過去に嫌な記憶があるというのなら別だ」
俺は白いグローブを床に置いて手をかざす。
何を唱えるのか、何をすればいいのかは頭ではなく俺の潜在的な部分で意識している。
そう、魔法はただのイメージだ。
ならばこのグローブに能力を付与するのも同じこと。
「人間の身体にも少なからず魔力は流れている。故にエリスの魔力の流れに順応できるように魔法効果を付与した」
「何か変わるの?」
「付け心地は変わらない。ただ、俺の感覚が間違っていなければエリスは力を込める際に腕や足に魔力を集中させているから調節できるように細工をした。必要に応じて力を弱めたり最大限まで発揮できるようになっているはずだ」
「…………ほんとだ。意識するだけで簡単に」
「さすがユキちゃんだね♪ で、エリスに抑制する術を与えたってことは人間相手に戦うことになるかもってことかにゃ?」
「…………アルバートという人間を殺せば簡単だがジェラートの立場を悪くしたくない」
そう、これは些細な願いでしかない。
あわよくばジェラートには一切、手を汚さずに姫様という立場を守り続けてほしい。
汚れた雌になんて興味はない。
あの雌が清いままの存在で俺を悪ではないと言っているのだから面白いと思うし付いていきたいと思うだけ。ありきたりな関係など退屈そのものなのだから。
俺は今度はメアの側に寄る。
おそらく相手が普通の人間であれば負けることはないと信じているが万が一、人間はよく言っている。
ほんのごく一部の可能性が人を殺すのだ、と。
「お前は脱げ」
「え~? ユキちゃんって脱がせるの好きなの?」
「ちがう。エリスは脱げと命令するのは申し訳ない気持ちになるがお前は同胞だと知っている。同胞の裸などを見て興奮するようならば魔物、いや魔族という種族では生きられないからな」
「然り気無く脈無しを肯定されて悲しいんですけど!」
脈、とは血の流れのことか?
メアがどのように考えていようと関係ない。同胞は同胞だ。
「はいはい脱げばいいんでしょ! そんな怖い顔をしないでよね!」
「それほど怖い顔をしたつもりは……」
「で、恥じらう乙女に何をするつもりなの?」
「自分で言うな」
俺はエリスが怪しむような目を向けていることに気がついてメアの背中側に回り込む。
前から触ろうものなら怒られただろうな。
エリスにとってメアは初めてできた友達のような存在だと言っていたから乱暴にされると思えば助けに入る。そのくらいには信頼関係が成り立っているから。
故に俺はメアの背中へと手を触れる。
温かみからメアの生命力を感じるような気がした。
「もういいぞ」
「何したの?」
「秘密だ。ただ、もしも戦うことになり長期戦になるようなことがあればお前は俺に感謝するだろうな」
あの雄は強気だった。
俺という人ならざる存在が城にいると知っていながら単身乗り込んでくるような雄だ。ジェラートを手に入れるために自らが動くことを否としないだろう。
だから戦う準備は必要なのだ。
──リントヴルム領へ続く街道。
馬車に揺られながらアルバートは笑っていた。
「くくっ、あれが噂の獣か」
「あの場で始末した方がよかったのでは?」
「お前は分かっていないよ、ベリウス」
従者なのは間違いないだろうが武器を携えた一風変わった女は困ったような顔をしながら否定する。
「恥ずかしいのでその名で呼ばないでください」
「悪かったよ、ベル」
気持ちの籠っていない謝罪を述べたあと訂正する。
彼が自分のほどをその程度にしか考えていないと分かってはいたがベルは諦めていた。
彼は、従者を手元に置くだけで満足する男ではない。
すべてを手に入れなければ満足しないのだ。
「それで質問の答えだが、あれをその場で始末したら手に入らなくなるものが一つ、分かるか?」
「ジェラート様の心、でしょうか」
「正解。ジェラート様は慈悲深く寛大で…………愚かな人だ」
誰かを襲い返り討ちにあった獣でさえも可哀想だと治療してしまうような人間は愚かだ。
何でもかんでも助けていてはいつか牙を向く者が現れる。
アルバートはそれを避けたかった。
「故に彼が獣であることを証明した後に処分する」
「要注意の魔物を処分した上でジェラート様からの信頼を勝ち取り婚約を結ばれるのですね?」
「そうすれば彼女の身体も手に入りパラミナスタもリントヴルムのものになったも同然! 我ながらこれほど上手くいくとは思いもしなかった」
あの獣はアルバートの胸ぐらを掴んだ。
それすらも彼の策略であるとは誰も考えない。いや、パラミナスタが魔物を飼い始めたことを知っていたなどという事実もベルと本人を除いては知りえないだろう。
それ故の余裕なのだから。
「俺の下僕を奪ったこと、死んで後悔してもらおう」
──とある国の騎士団執務室。
「また本ばかり読んでいるんですか?」
「お前さんは堅苦しすぎる。せっかく問題も起きない平和な一日だというのに我々がピリピリしていてどうすると言うんだ」
彼の言っていることは正論でありながら騎士としては落第。
この国に平和というものが本当にあるのかと聞かれれば必ずやどこかで事件が起きているというのに「平和な一日」などと油断していては話にならない。
ましてや、彼は団長だ。
誰かをまとめる立場の人間として悪いとは言わないがもう少ししっかりしてほしいとは思う。
「ティア殿はパラミナスタを知っているか?」
「私はあなたの部下ですから他人行儀に呼ぶのはお止めください。ええと、国王が亡くなり若い姫が統治している国ですか?」
「そうだ。あの若さで誰かを従えるなど容易なことではなく俺でも不可能だろうな。そう考えると彼女は称賛に値するだろう」
彼は読んでいた本を側にいたティアという女騎士に見せる。
いつまでも客人扱いされていることに腹を立ててはいたが団長である男に逆らうわけにもいかず、自らに向けられた本の内容に目を通す。
間違いがなければこれは旅人の手記だ。
パラミナスタを訪れた旅人が自分の目で見たことを書き記したものであり、あまり喜べたものではない。
旅人は流れるが故に国を持たない。つまり、国に対する批評を遠慮なく行えるのだ。
そんなものに目を通すとくだらない思想に染まるとされている。
「なぜ臣下たちが森を切り開こうとしているのかを知らないわがままな姫様……団長、いくらなんでも」
「他国の姫様を悪くいう書物を読むのはまずいか。たしかにこの手記を書いた者は罰するべきだろうがパラミナスタの現状を考えると間違ってはいないとも言える」
「どうして?」
「ここら一帯には昔から魔物の存在が多く伝えられていた。今では数こそ少なくなっていたがその理由となるものが森に存在していたとすれば?」
つまり、それを除くために切り開こうと?
それでもティアは彼の考えを信じられなかった。
目的が国を守るためだとしても王を殺してまで自分達の方針を通そうとした臣下達は正しくても方法を間違えている。
おそらく自分は団長を殺せと言われても、できない。
「そうだな、血を流してもいい理由にはならない」
「え? 私は何も」
「ティア殿は顔に出やすいようだからな! 行くぞ」
「…………どこへ行くと?」
「真実を確かめる」
ジェラートを守るために魔法を使いこなせるようになれとローゼやリデルに教え込まれ
扱えることが判明したのはいいが
その間にジェラートに会いに来た雄がいた。
そして、俺の知らないところで動き出すものたちまで
現れて……。
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