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七福人生  作者: 代田さん
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5.女神様とフロ

「じゃあ、あなたはあの祠の神様だと……そうおっしゃるんですね」


「そうだ」


 十個目のおにぎりにかぶりつきながら、女は深々とうなずいた。

 大橋は混乱する頭を何とか冷静にしようと深呼吸をしてから、もう一度その女を上から下までまじまじと見つめ直した。

 

――変な格好してるし、あり得ないほど美人だし、とんでもなく食うし、確かに普通じゃないけど……。

  

 だからといって、即座に「神」だなんて話を信じられる訳がない。

 ひょっとしたら祠に一万円を投げ込んだのを見て、自分を騙そうとしているのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうでなければ、こんな美人が自分の所なんかに来る訳がない。大橋はそう思い直すと、胡乱うろんな目つきでおにぎりをパクつく女を眺めやった。

 と、十個目のおにぎりもぺろりと平らげた女が、大橋の視線に気づいて顔を上げた。視線があうと、大橋の猜疑心さいぎしんなど知る由もなく、屈託のない笑顔でにっこりと笑う。大橋はなんだかどぎまぎしてしまって、目線を左右に泳がせると、慌ててこんな質問をしてみた。


「……じゃ、じゃあ、あなたは何の神様なんですか」


 女は考え込むように中空を見つめた。


「おまえたち人間には、七福神と呼ばれているらしいな」


「七福神? あの、宝船に乗ってるやつですか?」


 大橋の頭に、頭の長いじいさんや、でっぷり太って小槌を手にした男が、笑顔満開で宝船に乗っている映像がぱっと浮かんだ。

 女は、苦笑いをしたようだった。


「七人いると縁起がいいからと、おまえたち人間が勝手にいろいろなところの神を寄せ集めて七福神をつくったんだろう。もともとは別の地に住む、別々の神だ。まあ、七福神信仰のおかげで、私もこの地に祀られた訳だから、文句は言えんがな」


「え、じゃあ、あなたは……」


「私はこの国では弁財天と呼ばれている。本当の名はサラスバティ。インドという国が故郷だ」


 大橋は、再びおにぎりにかぶりついている女をまじまじと見つめた。


「サラスバティ……ヒンズー教では確か、大河の神と見なされていますね」


「そうだ。よく知っているな、おまえ」


 大橋のつぶやきに、女は嬉しそうにうなずいた。


「だから私は、水がないと苦しくてな。あの祠では、水を手向けてくれる者もいなかったから、いつも雨水を飲んでしのいでいたんだ。おまえにこんなうまい水を飲ませてもらって、生き返った気分だ。本当に感謝している」


 にこにこしながらそう語る女性を、大橋は上から下までまじまじと眺め回した。


――この人、マジでこんなこと言ってるのか?


 今、季節は春真っ盛り。少々頭のネジが緩んだ人が出てきてもおかしくはない。自分のことを神様だと思い込み、それになりきっている狂人かもしれない。  

 そんな大橋の内心には全く気づかない様子で、彼女は口いっぱいに詰め込んだおにぎりを咀嚼そしゃくしながら屈託のない笑みを浮かべている。


「だから私が、おまえの願いを叶えてやる」


「え?」


「おまえ、もっとマシな人生を送りたいんだろう」


 大橋がどう反応していいか分からないでいると、女はにっこりと笑った。


「私は、おまえの願いを叶えるために、この地に残ったんだ」


 大橋が言葉もなくその晴れやかな笑顔を見つめていると、女は十一個目のおにぎりの包装をすっかり慣れた様子で開け始めた。


「本当はあのままインドに帰ろうかとも思ったのだが、最後の最後にせっかく私に参ってくれたおまえを、そのまま置いていくのが忍びなくてな。おまえの願いを叶えてやるために、ここに残ることにしたんだ」


「で、でも……」


 大橋はそこでやっと口を開いた。


「そんな話、すぐに信じろと言っても、それはちょっと……」


 その言葉に、女は大きな瞳を大きく見開くと、いかにも驚いたような、そして何とも悲しげな表情を浮かべた。


「おまえ、私の話……信じていないのか?」


「え? あ、いえ、そういう訳では……」


 そのあまりにも悲しそうな表情に、大橋は思わず首を横に振ってしまった。


「た、ただ、たとえ神様だとしても、あなたみたいな若くてきれいな女性が、俺みたいな男の家にいるのは、ちょっとまずいんじゃないかと思って……」


 大橋がしどろもどろにそう弁解すると、女はパッと顔を輝かせた。


「何だ、そんなことか」


「そんなことって……」


「私の姿は、おまえにしか見えない」


「は?」


 大橋は、彼女の言葉の意味が分からず、目を点にして口をぽかんと開けた。


「だから、私はおまえにしか見えないんだ」


 女はそう言うと、包装を開けたおにぎりの頂上にかぶりついた。


「そう、念をかけたんだ。あの時、私の祠に参ってくれた者にだけ、私の姿が見えるようにと」


 大橋は返す言葉もなく、おいしそうにおにぎりをほおばる女を見つめた。

 そう言われれば先ほど立ち寄ったコンビニでも、この女がこれだけ変わった格好をしているにも関わらず、店員も、店内にいた男性客も、特に注意を払う様子はなかった。まあ、大橋が住んでいるこの地は劇場が多く、昔から芸能人も多く訪れる土地だ。そういった関係の人間と思われたのだろうと、大して気にも留めなかったのだが。


「ただ、いくらおまえにだけとは言っても、半分は実体化しているわけだから、エネルギーを使うんだ。今日一日、飲まず食わずでおまえを待っていたら、どうにも腹が減ってしまって」


 女は最後のひとかけらを口に放り込むと、小さく頭を下げた。


「こんなにたくさん食べさせてもらって、感謝している。その分、願いはきっちり叶えてやるから」


 言いながら女は、どこか楽しそうに残ったおにぎりの数を数え始めた。


「残りは、明日の朝に食べることにしよう」


 その言葉に、大橋の目がまたもや点になった。


「え? あの、ちょっと待ってください。明日の朝って……」


「朝飯だ」


 女は事も無げにそう言うと、そんな大橋ににっこりと笑いかけた。


「しばらくここで暮らす」


 大橋はあんぐりと口を開けたまま、そう言ってにこやかにほほ笑む彼女を言葉もなく見つめるしかなかった。そんな大橋の様子に気づくそぶりもなく、女はあっけらかんとこう言ってのける。


「祠が無くなってしまったから、多少なりとも実体化していないとこの地にとどまることができないんだ。おまえの願いを叶えるまで、ここに置いてくれ」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 大橋は慌てて口を挟んだ。


「ここで暮らすって……こんな狭い家のどこに、そんな場所があるんですか。というか、俺は男で、あなたは女で……」


 大橋は言いかけた言葉を飲み込んだ。先ほどまでは太陽のように明るかった女の表情が、みるみるうちに悲しげに曇ったからだ。


「おまえ……迷惑なのか?」


 大きな瞳は愁いをたたえて潤み、長い睫毛は寂しげに伏せられ、項垂れた白い首筋には亜麻色の髪がはらりとかかる。その細い体がいっそう弱々しく、はかなく感じられて、大橋は焦った。


「え、いや、迷惑なんかじゃ……。か、神様が、俺なんかのところにいてくださるなんて、あり得ないことだったんで、信じられなくて、つい……」


 思わず、彼女が期待していると思われるようなことを口走ってしまう。


――何言ってんだ? 俺……。


 自己嫌悪におちいる大橋の内心など知る由もなく、女はたちまちその美しい頬をバラ色に染めてぱっと表情を輝かせた。


「なんだ、そうだったのか。気にするな。確かに狭くて汚らしいところだが、おまえの願いを叶えるまでの辛抱だ。神はそんなことは気にしない」


「そ……そうですか」


 大橋は引きつった笑みを浮かべてうなずくしかなかった。


「さてと」


 すっかり元気を取り戻したのか、女は明るい表情で立ち上がった。ぼうぜんとして動けずにいる大橋を見下ろして、彼女は言った。


「どこかで水浴びをしたい」


「は?」


「このへんに川はないか?」


「……川?」


 大橋の自宅から一キロメートルほど離れたところに、確かに小さな川は流れている。だがその途端、大橋の脳裏を、その小さな川で水浴びをする、あられもない彼女の姿が過ぎった。


「な、な、何を言ってるんですか! 川で水浴びなんかできませんよ!」


 自分自身の妄想に焦りまくり、思わず声が上ずってしまう。だが、彼女はまたあのかわいらしい表情で口をとがらせた。


「だって、私は水の神だ。一日一回は水浴びをしないと干からびてしまう」


「フロを使ってください、フロを!」


 大橋は慌てて立ち上がると、彼女を台所の奥にあるフロ場へ連れて行った。

 この家は築四十年。昔ながらのタイル張りの結構広いフロがついている。大橋は古くさい浴室の扉を開け放った。

 大橋の背中越しに中をのぞいた女は、けげんそうに首をかしげた。


「何だ? ここは」


「フロですよ、フロ!」


 給湯設備は新しくなっているので、すぐに給湯はできる。大橋はスイッチを入れると、フロの蛇口をひねった。

 蛇口からほとばしり出る湯に、女性は目を見張って息をのむ。


「何だ? 温かい水がでてきたぞ!」


「この赤いやつをひねるとお湯が出ます。水がいいんなら、こっちの青いやつをひねってください。あ、あと、このつまみを上向きにすると……」


 シャワーを手に取り、つまみを上向きにした途端、シャワーの頭から白糸のような水が一斉に放射される。女はよほど驚いたようで、息をのみ、体を震わせてして一歩後じさった。


「な、な、何だ? この水は!?」


「シャワーです。これ、浴びると気持ちいいんです」


 風呂おけに向けて放射しているシャワーの水流に、女は恐る恐る手を伸ばした。


「うわ! すごい。滝みたいだな」


 放射される水の勢いに驚いたように手を引っ込めたが、すぐに嬉しそうな表情を浮かべると、目を輝かせて水流を見つめる。


「川なんかよりいいでしょう?」


 つまみを下向きに直しながら大橋が言うと、女は大輪の花のように艶やかな笑顔で大橋に笑いかけた。


「そうだな。ここで十分だ。ありがとう」


「あ、いえ……」


 思わず赤くなった大橋が、視線を泳がせつつそう答えた時だった。

 女が腰に締めていた浅黄色の帯を、何のためらいもなくほどいたのだ。

 途端に襟元が緩み、はらりと着物の前がはだける。

 あらわになった女性の白い胸元に、大橋の血圧は一気に二〇〇ほども上昇したかと思われた。


「な、な、な、何してんですか!」


「え? 何って、水浴びをするから……」


「何でいきなり脱いでんですか!」


「だって、脱がなきゃ浴びられないだろ」


 話の間にも、女はどんどん着物を脱いでいく。大橋は大慌てでフロを飛び出し、勢いよく扉を閉めた。


「いったい何を慌ててるんだ? おかしなやつだな」


 フロの中から、のんびりした風情の声が聞こえてくる。大橋は口から飛び出す勢いで暴れまわっている心臓をやっとのことで体内に収めつつ、ゼイゼイ息を切らしながらつぶやいた。


「全く……何考えてんだ」


 顔中に噴き出した汗を拭いながら戸口にバスタオルを置くと、大橋は居間に戻って大きく息をついた。


――何なんだ、あの女。  

 

 自分のことを神だと言い、願いを叶えるためにここでしばらく暮らすと言う。異常に飲み、異常に食べ、自分の姿は他人には見えないと言い張る。コンビニおにぎりも、フロも知らないと言い、自分の前で平気で脱ぎ始める……。


――俺、かなりヤバいかも。


 頭のおかしい女と関わりを持ってしまったのか、自分の頭がおかしくなって幻覚でも見ているのか、はたまた誰かに大がかりに騙されているのか……とにかく、尋常ではない事態に陥っていることだけは確かだ。大橋はしばらくの間、コンビニおにぎりのかすやペットボトルが散乱したその汚らしい居間の真ん中で、ぼうぜんと立ちつくすしかなかった。

 そんな大橋の耳には先ほどから、フロ場から響く軽快なシャワーの音だけが、妙な現実感をもってシャラシャラと響いてくるのだった。

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