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七福人生  作者: 代田さん
14/39

14.努力と評価

 この日大橋は、またしても八時十五分ギリギリに職員室に滑り込んだ。あの図書館前にサラを一人置いていくのが不安で、結局、ギリギリまであの場所で一緒に立っていたのだ。もちろん昨日の教訓があるので、地下鉄方面から歩いてくる曽我部の姿を見つけるなり、自販機の後ろに身を隠して難を逃れたのだが。

 

――あーあ、いつまで続くんだろ、この生活。


 今日も曽我部と登校するチャンスを逃して意気消沈していた大橋は、ため息をつきつつ、昨夜作った教材を紙袋に詰め込んでいた。

 その時だった。


「先生!」


 突然、二年生の児童が血相を変えて駆け込んできたので、職員室内にいた教師たちは一斉にそちらに目を向けた。大橋も何気なく顔を上げて、息をのんだ。その児童が村上優衣という、大橋のクラスの児童だったからだ。何かトラブルがあったに違いない。荷物を放り捨て、急いで彼女のもとに駆けよる。


「村上さん、何があった?」


 村上は青ざめた顔で、息を切らしながら途切れ途切れに訴える。


「森田くんと長崎くんが大げんかして、石橋先生が止めに入ってくれて、大橋先生を呼んできてって……」


 大橋は最後まで聞かず、職員室を飛び出した。



☆☆☆



 大橋が駆けつけた時には、廊下の端に連れ出された森田と長崎が、お互いにそっぽを向いて石橋の話を聞いているところだった。


「石橋先生、ありがとうございます」


 石橋は苦笑すると、立ち上がった。


「ダメね。興奮しちゃってるから、こっちの話なんか全然聞こうとしないし。少し時間をおいた方がいいかもしれない」


「原因は……」


「長崎くん、説明できる?」


 石橋が長崎の顔をのぞき込むと、長崎は小さくうなずいたようだった。


「じゃあ、長崎くんから話を聞いて。私は打ち合わせに行くから」


 そう言い残して立ち去る石橋の後ろ姿に頭を下げると、大橋はかがみ込んで長崎に向き直った。長崎は、教室を飛び出す連中のリーダー格だ。その振る舞いは激情的で、カチンと来るとすぐに暴力や乱暴行為に結びつく。大抵のケンカ騒ぎに、彼は関与していることが多かった。


「何があったのか、話してくれるか?」


「……森田が悪いんだ」


 長崎の声は震えていた。


「森田が俺の作った恐竜、全然似てねえなんて言うから……森田のドラゴンなんか俺のよりもっと似てねえくせにさ。だから、……」


 すると、森田の目から滝のように涙があふれた。


「だからって、ぶっ壊すことはないだろ!」


「ぶっ壊してなんかいねえよ! ただ、下手くそな尻尾を取り換えてやろうとしただけだ!」


「僕はそんなこと頼んでないじゃないか! 何で勝手にそんなことしたんだよ!」


 どうやら二人は、先日、図工の時間に作って棚の上に飾ってあった粘土の作品が原因でケンカになったらしい。大橋は小さくため息をつくと、立ち上がった。そうしてしばらくは何か考えるように無言だったが、ややあって、唐突にこんなことを言った。


「君たちの作品、ちょっとここに持ってきて見せてくれないか?」


 怒られるとばかり思っていた二人は、意外な申し出に大橋の意図が読めないらしく戸惑ったように顔を見合わせていたが、やがて素直に教室内に入っていった。言われたとおり粘土板から落とさないように、ゆっくりと自分たちの作品を持って廊下に出てくる。

 大橋は廊下に置かれていた棚の上に二人の作品をのせると、しげしげと眺めやった。

 なるほど、森田の作ったドラゴンの尻尾が、見事に半分に引きちぎられている。森田の作品は子どもらしい大づかみな良さがあるが、作り込みの時間が足りなかったのか、中途半端な印象があった。太すぎる尻尾がドラゴンらしく見えなかったのもそのせいだろう。

 一方、長崎の作ったティラノザウルスは、どっしりと安定感があり、目や牙など細かいところにまで気を配っているのが分かる。本物にそっくりだとはとても言えないまでも、長崎の力作であることには間違いなかった。

 大橋は二つの作品をじっと見つめたまま、しばらくの間何も言わなかった。森田と長崎はけげんそうに顔を見合わせ、首をかしげた。


「……いい作品だな」


 ふいに、ぽつりと大橋が口を開いた。


「長崎くんの恐竜は、粘土の良さが生かされていて、とても迫力がある。しかも、細かいところ……ほら、牙や背中のゴツゴツまで、ていねいに表現しようとしてるだろ。本当に、一生懸命作ったんだ。な、長崎くん」 


 長崎は無言でうなずいた。


「それをいきなり似てないだなんて言われたから、頭にきちゃったんだよな」


 うつむいていた長崎の目から、ぽとぽとと涙が滴り落ちる。大橋は長崎を優しい目で見つめると、森田の作品に目を向けた。


「でも、森田くんのもいい作品なんだよ。粘土っていうのは、形を大まかにつかんでから、細かいところを作り込んでいく。その最初の形がうまくつかめていないと、いい作品にはならないんだ。森田くんのは、その最初の段階をとてもいい形でクリアしている。しっかり時間をかけて作り込んだら、もっと良くなる可能性があった」


 森田はいつの間にか泣くのをやめて、じっと大橋の話に耳を傾けているようだった。


「二人とも、同じくらい一生懸命作ったんだ。だから森田くんは壊されて悲しかったし、長崎くんは似てないって言われて悲しかったんだ」


 大橋の言葉に、長崎は涙を拭いながら無言で何度もうなずいている。森田も、じっと足元を見つめたままで動かない。


「もし、自分がしたことと同じことを相手にされたら、どんな気持ちになるかな?」


 長崎ははっと顔を上げた。森田は、斜め下を見つめたまま、表情を動かさない。


「長崎くんはそのティラノの尻尾をぶっちぎられたら、頭に来るだろ。森田くんも、自分の作品が似てないなんて言われたら、嫌なんじゃないか?」


 それから、大橋は長崎をじっと見つめた。


「長崎くんは、何か言いたいことは、あるかな」


 長崎は小さくうなずいたようだった。


「言ってごらん」


 大橋にうながされ、長崎はおずおずと一歩、森田に歩み寄った。ごくりと唾を飲み込むと、小さな声でボソッとこう言う。


「……ゴメン」


「何がいけなかったんだい?」


 重ねて問われ、長崎は言いよどんだが、ややあって、絞り出すように言葉を発した。


「ドラゴンの、尻尾……壊して、……ゴメン」


「どう? 森田くん」


 森田は下を向いて黙っていたが、大橋に促されるとちらっと長崎にその視線を向けた。


「似てないなんて言って、ゴメンね」


 大橋はほっとしたように笑うと、立ち上がった。


「二人とも、よく言えたね。じゃあ、作品を元に戻して。長崎くんはあとで、森田くんの作品を作り直すの手伝うんだよ」


 二人を伴って教室にはいると、時刻はすでに八時半を過ぎていた。どうやら、朝の打ち合わせをすっぽかしてしまったらしい。一瞬副校長の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、ケンカが丸く収まった安堵感に、そんなものはすぐに消え去ってしまった。


「じゃあ、朝の会を始めようか。日直さん、お願いします」


 声をかけながら、大橋はサラに感謝したい気分だった。

 大橋は子どもたちの粘土作品を見た時、なぜだか自分が作ったおにぎりを思い出していたのだ。

 一生懸命作ったつもりだった。だが、できたのはサッカーボールのような不格好なおにぎり。しかし、サラは一言もバカにするようなことは言わなかった。素直に喜び、素直に感謝の気持ちを表してくれた。大橋はあの時、何だか照れくさくて素っ気ない態度を取ったりもしたのだが、自分はサラにああ言われて、嬉しかった。確かに、嬉しかったのだ。一生懸命取り組んだことを認められて、嬉しくない人間など居ない。たとえ結果がどうであれ、その人なりのがんばりは認めてやるべきなのだ。 

 大橋は少しばかり不格好なあの粘土作品を見た時、子どもたちの一生懸命な気持ちを感じた。自分のあのおにぎりと同じように、子どもたちはもっといい作品にしたいと思いながら、一生懸命作品の制作に取り組んだのだ。先週、あの作品が出来上がって評価をした時、森田も長崎もA評価ではなかった。その評価が間違っていたとは思わないが、たとえA評価でなくても、頑張っていい物を作りたいという気持ちは、誰しも同じなのだ。

 子どもの作品に対してそんなことを感じられたのは、大橋は初めてだった。そして、そんな自分の変化の原因がサラにあるような気が、大橋はしていたのだった。


「起立、礼!」


 日直の号令が、明るい朝の教室に響き渡った。



☆☆☆



 中休みを挟んだ三時間目は、算数の時間だった。

 大橋は準備してきた教材を袋から取り出しながら、ちらりと時計を見上げた。

 予鈴がなって既に三分ほど経過しているが、席に着いている児童はまだ数人だ。恐らく、定刻どおりには始まらないだろう。ため息をつきつつ、手持ちぶさたそうに座っている数人の児童たちに目を向ける。大人しそうな女の子が三人と、男の子が二人。この子たちはいつもきちんと時間に間に合うように着席し、教室を乱す行為をすることもない。ただ、目立たないのでどちらかといえばクラスで忘れられてしまいがちな存在だった。

 何の恩恵を受ける訳でもないのに、きちんと決まりを守って行動できるこの子たちに、大橋は何か報いてやりたい気がしてきた。


「じゃあ、今着席しているみんなにだけ、少しだけ早めに今日みんなに考えてもらう問題を教えちゃおうかな」


 大橋はそう言うと、黒板に問題を書き始めた。


『おかしが2こずつ入ったふくろが3ふくろあります。おかしはぜんぶでなんこあるでしょう』


「あ、かけざんだ!」


 眼鏡をかけたまじめそうな男児が、嬉しそうに声を上げた。その子は得意そうにこう続けた。


「3×2でできるよ。僕もう塾で習ったんだ!」


「2×3でしょ、大島くん」


 窓際の大人しそうな三つ編みの女児がおずおずと言う。だが、大島は自信たっぷりに言い切った。


「え、どっちでもいいんだよ、だって答えは同じだもん」


 黒板に昨夜画用紙で作ったあめ玉を貼り付けながら、大橋は後ろを見やってほほ笑んだ。

あとから教室に入ってきた児童も、すでに黒板に文字が書かれ、座っている児童がそれについてあれこれ言っているのを聞いて、黒板に顔を向けその文字を読み始めた。いつもは走り回ったり、後ろの児童とおしゃべりに夢中だったりする子どもも、貼られているあめ玉に興味をそそられたのか、黒板に顔を向けている。

 チャイムが鳴り、三時間目の授業が始まった。

 背後の雰囲気にある予感を感じて、あめ玉を貼り付けていた大橋はちらっと後ろに目をやり……その目を見張った。

 全員の児童が、きちんと着席しているのだ。無論、前後左右の友だちどうしでおしゃべりはしているのだが、その内容はどうやら黒板に貼ってある問題についてらしい。大橋が振り向くと、子どもたちの目が一斉に大橋に注がれた。

 予想もしていなかった事態に大橋は戸惑ったが、すぐに気を取り直すと日直に声をかけた。


「……じゃあ、日直さん。号令をお願いします」


 こうして三時間目は、定刻どおりに幕を開けることとなった。



☆☆☆



 三時間目が終わり、大橋が黒板に貼られたあめ玉や袋の絵を黒板から外していると、数人の児童が駆けよってきてそれを手伝い始めた。

 手伝いながら、あめ玉の模型をいじって遊んでいるその女の子に、大橋は声をかけた。


「ねえ、沼野さん。かけ算の意味、わかった?」


「分かったよ。あめが二個入った袋が三つあるから、2×3なんでしょ。二個のものが三個。だから2×3」


「何で3×2じゃないの? 答えは同じなのに」


「だって、それじゃ三個あめ玉が入った袋が二つあるってことになっちゃうから」


 授業で言ったことをしっかり頭に入れて回答してくれたので、大橋は嬉しくなって思わず沼野の頭をなでた。


「大正解! 沼野さん、よく話を聞いてるね」


 沼野は嬉しそうににっこり笑うと、あめ玉を大橋に渡して教室を出て行った。

 その後ろ姿を見送りながら、大橋は子どもから自分が評価されたような気がしていた。

 今まで大橋は指導書に頼り、それ以上の準備も特にせず、ひどい時にはぶっつけ本番で授業に臨んでいた。結果、思いがけない方向に授業が流れてしまったり、子どもたちの興味を維持することができなかったりすることが非常に多かった。だが今回、ある程度の時間をかけ、それなりに努力をして大橋は準備をしてきた。その大橋の努力に対し、子ども達は授業中の反応や集中、授業の理解という形で評価を返してきてくれたのだ。

 自分がどの程度努力して準備してきたかどうかを、子ども達はきちんと評価している。適当な態度で授業に臨めば、子どもたちは適当な反応しか返してこない。だが、学習内容のポイントをつかみ、しっかり構成をして子ども達に提示すれば、子どもたちは興味と理解という形で評価を返してくれる。大橋は昨日の国語や今日の算数の授業で、子どもたちに初めて「可」という評価を返してもらったような気がしていた。

 

――もっと頑張れば、俺でも「良」をもらえることもあるんだろうか。


 ふっとそんな考えが頭を過ぎり、大橋はワクワクするような高揚感を覚えていた。それは大橋が初めて、この仕事をおもしろいと思った瞬間だった。

※かけ算の順序問題は、ネット上でもいろいろ話題になりましたね。自分はかけ算の順序に関しては、「かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算」という定義をこの年齢の子どもにどう理解させるかが一番重要だと思っています。ただ、それにはまずしっかり学習の中で教師がその定義をわかりやすく伝えられなければアウトですし、それを伝えられもしないでテストで順番が逆だからと✕にするのもアウトだと思ってます。業者テストでは順番が違うと✕にしてください、なんて赤字で模範解答が示されているのでそれに倣ってバツにしちゃう教師が多いんだろうと想像しますが……他クラスとの採点基準のすり合わせもあるので、この辺は難しい問題ですね。今の学校でどういう議論が行われているかはわかりませんが、子どもの学びの意欲を削がない、建設的な方向に議論が向かうことを期待しています。

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