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七福人生  作者: 代田さん
12/39

12.金欠と節約

「腹が減ったな」


 ほの暗くなってきた道を自宅へ向かって歩きながら、サラがあまりにも力なくつぶやくので、大橋は苦笑した。


「お昼は食べたんですか?」


「ああ。ちゃんといわれたとおり、外に出て食べた」


 大橋は斜め前に見えてきたコンビニを指さした。


「……あれなら、すぐに食べられますけど」


 サラが目を輝かせてうなずいたので、二人は連れだってそのコンビニに入った。

 サラが例によっておにぎりを五つ、大橋が大きなお弁当をかごに入れ、会計に並ぶ。

 前の人が会計を済ませるまでに間があったので、大橋は財布を取り出して何気なくその中身を確かめる。

 途端に目を丸くして凍り付く大橋を、サラはいぶかしげに首をかしげて見上げた。

 前の客が会計を終えた。店員が次に並んでいる大橋たちに目を向ける。だが、大橋は引きつった笑みを浮かべつつ三歩ほど後じさると、慌てたように弁当が陳列してある棚の方へきびすを返した。自分の弁当を返して代わりにおにぎりを一つ取ると、再度会計に並ぶ。


「お会計、七百三十円です」


 大橋はカウンターに小銭をジャラジャラ並べて数え始めた。総額、七百二十八円。大橋はおずおずとおにぎりを一つ取ると、力なく笑った。


「……これ、お返しします」


「分かりました。ではお会計は、六百十円になります」


 大橋はその金額を払うと、袋を受け取って外へ出た。サラがその後に続きながら、不思議そうな顔で問いかける。


「オオハシ、おまえ、弁当はいらないのか?」


「あ、いえ、今日はちょっとおなかがいっぱいで……給食、食べすぎたかな」


「そうなのか」


 サラはそれ以上何も言わず、にこにこしながら大橋の隣を歩いている。何も気づいていない様子にほっとしつつも、大橋は財布の中身を思い出し、がっくりと肩を落とした。給料日まであと九日。家に残っているお金は、一万円こっきり。一日千円ちょっとで生きていかないと足が出てしまう。

 サラに渡す昼食で、大体六百円前後使うとすると、夕食代は二人分で四百円という計算になってしまい、とてもじゃないが間に合わない。


――誰かを養うのって、案外たいへんなんだな。


 ちらりとサラに目を向ける。大橋の内心などつゆ知らず、何とも幸せそうな表情を浮かべている。これから食べるおにぎりが楽しみなのだろう。大橋は苦笑すると、小声でつぶやいた。


「……ちょっと頑張ってみるか」


「え? 何だ? 何か言ったか、オオハシ」


「いえ、何でもありません」


 大橋は答えると、少し足を速めた。家路を急ぐ大橋とサラの後ろ姿は、街路灯の明かりにほの明るく照らし出された道の向こうに溶けていった。



☆☆☆



 帰宅するやいなや上着だけ脱いで、ネクタイ姿のまま大橋は米を研いで炊飯器に入れ、スイッチを押した。ベランダに干してあった洗濯を取り込み、フロを洗って給湯のスイッチを入れる。帰宅早々テキパキと動き回る大橋の姿を、サラはきょとんとした表情で見つめていた。


「サラさんは先に手を洗って食べていてください」


 大橋はそんなサラにほほ笑みかけると、冷蔵庫を開けた。

 今あるのは、ミソとワカメと……確か戸棚に、ジャガイモが二個あったはず。多めに作れば、明日の朝は作らなくていいかもしれない。大橋はうなずくと、ワカメを水に戻し始めた。

 サラは大橋を首をかしげて見つめていたが、言われたとおり手を洗いに洗面所へ向かった。

 その間に大橋はジャガイモを洗う。春なのですっかり芽が出始めている。大橋は包丁の切っ先でない方をうまく使ってその芽を大きく取り除いた。大きく取らないと、毒素があることは中学校の家庭科で習ったような記憶があったからだ。それから、不器用な手つきで皮をむき始める。何回か経験はあったものの、まだまだたどたどしい手つきで時間もかかった。だが、何とかむき終わると切り分けて鍋に入れ、水を多めに注ぐ。

 ダシパックを入れて火をつけると、今度はワカメを切る。朝の教訓から、今度はもっと細かく切ってみる。それを鍋に入れて火にかけると手を洗い、ようやくネクタイをほどいた。

 サラがちょこんと座っておにぎりを食べている横で、今度は干した洗濯を畳む。特に気になっていたのは、サラの着物だ。さっき取り込む時、何だかごわっとした感触がしたのだが、あれは何を意味するのか……。大橋は洗濯物の山からサラの藤色の着物を見つけると、おずおずとそれを手に取った。


「……!」


 大橋の息をのむ気配に、サラは振り返ると首をかしげた。


「どうかしたか? オオハシ」


「あ、いえ……」


 大橋は慌てて作り笑いを浮かべて見せたが、すぐに手にしている藤色の着物に目を落とした。その顔は、心持ち青ざめている。


――まずい。これはかなりまずい。


 ふわっと軽く、柔らかだったサラの着物。それが、水洗いして日なたに干した結果、見る影もなく堅く、ごわごわした手触りに変化していたのだ。生まれたての赤ん坊の肌のようになめらかで柔らかだったあの生地が、しわくちゃの老婆の手の甲のような姿に変容してしまっている。

 大橋はごくりと唾を飲み込むと、ちらっとサラに目線を走らせた。

 サラは全く気づいてもいない様子で、おいしそうにおにぎりを頬張っている。が、大橋の視線に気がついたのか、その顔をくるりと向けてにっこりと笑った。


「どうした?」


「あ、あの……」


 声がかすれたので、大橋は唾を飲み込んでから、思い切ったようにごわごわでしわくちゃの着物をサラの眼前に突きだした。


「す、すみません! 洗ったら、こんなになっちゃって……」


 おにぎりを食べる手を止めて、サラは自分の着物をしげしげと見つめている。大橋は心臓が縮み上がるような心地で、サラの言葉を待った。


「そうか」


 落胆した様子も、憤慨する気色も見られない、ごく普通の、穏やかな声音。大橋が顔を上げると、サラは優しいほほ笑みを浮かべて大橋を見つめていた。


「仕方がない、それは絹だから。すぐ変になってしまうんだ。気にしないでくれ」


 そう言うと、再びおにぎりにかぶりつき始める。


「それに、おまえが貸してくれたこの着物も、動きやすくて気に入った。しばらくこれを貸してくれ」


「そ、それはもちろん……」


「助かる。ありがとう、オオハシ」


 サラはそれ以上何も言わなかった。何ともおいしそうにおにぎりを食べている。

 大橋はあっけにとられたような顔でそんなサラを見つめていたが、気を取り直したように残りの洗濯を畳み始めた。



☆☆☆



 みそ汁ができ上がり、納豆を混ぜているうちに飯も炊きあがったようだ。大橋はご飯をよそってみそ汁を椀に入れると、サラの隣に座った。


「いただきます」


 手を合わせて、混ぜていた納豆をご飯にかける。異臭を放って白い糸を引く豆の集団を、サラは興味深そうにじっと見つめた。


「オオハシ、それなんだ?」


「え? 納豆ですよ」


「ナットウ?」


「ええ。おいしいんですよ、これ。ダメな人はダメですけど……食べてみます?」


 サラがうなずいたので、大橋は何か入れ物を取ってこようと立ち上がりかけた。


「試しに食べるだけだから、一口でいい。おまえのところからくれ」


「え?」


 大橋は思わず赤くなってサラを見つめた。


「俺の所から、ですか?」


「そうだ。ちょっとだけでいい。そうだな……豆二個くらい」


 大橋は自分の茶碗から箸で納豆を二粒取ると、おずおずとそれをサラの口元に差し出す。サラは何の躊躇ちゅうちょもなく、箸の先にぱくっとかわいらしい口で食いついた。

 無言でしばらくそれをもぐもぐやってから、ふいに動きを止めて、その目を大きく見開く。


「……うまい!」


「そうですか。じゃあ、ご飯よそってきましょうか? まだありますから」


「さっきおにぎりを食べたから、腹はもういっぱいなんだ。おまえの所からもう一口だけくれるか? 今度はもう少し多めに」


「分かりました」


 大橋は苦笑しながら、今度はご飯も一緒に一口分箸で取り、それをサラの口元に差し出した。サラはやっぱり、どこか愛嬌あいきょうのある顔でぱくっと食べる。金魚にえさでもやっているような気分になってきて、大橋はくすくす笑った。


「何だ? オオハシ。何がおかしいんだ?」


「……いえ、何でもないです」


「笑ってるじゃないか。変なやつだな」


 そう言うと、サラも首をかしげて笑った。 



☆☆☆



「まだ寝ないのか?」


 フロから出たサラが眠い目を擦りつつ、居間のちゃぶ台の前で本を広げている大橋に声をかける。大橋は声の方になにげなく目を向けて、思わず呼吸を止めた。

 洗いざらしの髪を無造作に下ろし、ぬれた髪を拭きながらたたずんでいるサラ。ひとまとめに結い上げているスタイルばかり見ていたので、髪を下ろしている彼女は別人のように雰囲気が違っている。大橋は慌てて教科書に目を落とした。


「採点は終わったんですけど、もう少し明日の教材研究をやってから寝ます。それよりサラさん、その寝間着、大丈夫ですか?」


 サラは寝間着の代わりに大橋の長袖Tシャツとジャージを借りて着ている。ジャージのウエストはひもで思いっきり締め、裾も折り返してあるので問題なさそうだった。


「ああ、大丈夫だ。ありがとう、オオハシ」


「いえいえ」


 サラは髪を拭きながら大橋の側に歩み寄ってきた。その気配になんだか緊張して教科書から顔を上げられずにいると、サラは大橋の隣に寄り添うようにして座り、じっと目線の先にある教科書を見つめた。


「今度は何だ? 数字のようだが」


「算数です」


 大橋は彼女の体から香る香り……大橋と同じ石けんを使っているにも関わらず、なぜだか彼女独特の、甘くてどこか爽やかな香りだ……に何だかぼうっとしながらも、そう答えるとあわててページを繰った。


「次からかけ算に入るんですけど、あの子たちは九九はある程度知っているだろうから。どのあたりに力を入れたらいいかと思って……」


 大橋は今日の国語の授業を思い返しながら、独り言のように問いかける。特に何かサラからの答えを期待していた訳ではなかったが、口にすることで自分の考えがまとまるような気がしたのだ。

 肩が触れ合うほどぴったりと側に寄り添って教科書をのぞき込んでいたサラは、感心したようにこんなことをつぶやいた。


「……すごいな、この本」


「え?」


 サラはかけ算の仕組みが図解で示された項を指さした。


「初めてこの計算を知る人間も、この図を見ればすぐにその定義や意味が分かる。よく考えられているな」


 大橋は、かけ算の仕組みを単純化して図示した部分に目をやり、苦笑した。


「いや、これでも分からない子もいるんですよ。九九は機械的に覚えていても、かけ算という計算の定義や意味まで把握している子は少ない。能力高いって言われてるうちの学校ですら、そういう子が何人も……」


 言いかけて、大橋は言葉を止めた。


――そうか、そこか。

 

 大橋はぱっと立ち上がると、プラケースの引き出しを開けて何やらごそごそと探し始めた。


「オオハシ?」


 小首をかしげているサラの目の前に、画用紙や色紙、ハサミやのりが次々と置かれていく。大橋はちゃぶ台の前に座って画用紙とハサミを手にすると、サラに笑いかけた。


「サラさんの一言で、いいアイデアが浮かびました。ありがとう」


 サラは大橋を優しく見つめながら、小さく笑って首を振った。

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