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秋桜学園合唱部2019 〜南海〜

作者: Singspieler

さくら学院の生徒さん達をモデルにしたお話、前作の「萌」に続いて、「南海」ができてしまいました。さくら学院の子達だけじゃなく、中学校で部活に頑張っている子達みんなが抱えているかもしれない悩みとか、想像しながら書いてみました。

「・・・有沢先輩?・・・」

顔を上げたら、大きな瞳が視界いっぱいにあって、思わずのけぞる。「ネムちゃん。なに?」

「・・・卵焼きが痛そうです。」

気が付けば、右手に持ったお箸がお弁当箱の中の卵焼きを突き刺したままだった。さっきから、スマホの中の練習予定表と、みんなに書き込んでもらった出欠表とにらめっこしていて、お弁当を食べるのを完全に忘れてた。やばい、お昼休みまだ時間残ってるかな。慌てて卵焼きを口に放り込み、しっかり臨終させてあげる。「ごめん、練習計画に没頭しちゃった。」

「ごめんなさい、お邪魔しちゃって」ネムちゃん・・・一年生の加藤合歓ちゃんが本当にすまなそうな表情になる。今年入部してくれた期待の新人。性格そのままの素直で綺麗な声だけでなく、待望のピアノが弾ける新入部員。子供の頃からピアノとバイオリンを習ってたってんだから、きっと良い所のお嬢さんなんだろうなぁ。そしてこの真っ直ぐな視線。私とはだいぶ違う。2年しか年が違わないのに、私のこのひねくれ具合と、この子の真っ直ぐ具合の差はどこからきたんですかね。

「・・・あの・・・」分かったよ、そんなに困った顔でこっち見ないでよ。こっちの心の汚れ具合がこの綺麗な瞳にそのまま映っているみたいで、目をそらす。「どうかした?」

「森山先輩、今日から週末まで、お休みだそうです。」

「はあ?!」思わず大声が出る。ネムちゃんの身体が跳ね上がる。本当に3センチくらい飛び上がった。どこまでピュアなんだこの子は。「なんで?どうして?」

「アデノウィルスで目が真っ赤になっちゃったって・・・西野先生に連絡あったらしくて・・・」

 最悪。最低。私は頭を抱える。今週はカナが、助っ人で行ってるダンス部の大会があってどうしても練習に出られないって言ってて、サヤは生徒会があって結構休みがちだから、頼りはモエだけだったのに。ということは、今週いっぱい私一人で練習仕切れってのかよ。そんなのできるわけないじゃないかよ。絶対無理。もうダメ。

「やめたい」思わずつぶやいた。「もう無理。もうやめたい。合唱部なんか、やめてやる。」

「有沢先輩?」ネムちゃんがなんか言ってるけど耳になんか入らない。「西野先生の所に行ってくる。」


「今日は私が指導するから」西野先生が言ってくれて、本当にほっとして、ちょっと泣きそうになった。先生が、ちょっと座りなさいって言ってくれたけど、座らなかった。座ったら、本当に涙出ちゃいそうだったから。立ったまま、一生懸命事務的に話をする。

「今日はいいんですけど、木曜日から土曜日まで、3日間の練習計画どうしましょうか?」

「私が都合がつくのは今日だけなんだよね」西野先生がスケジュール帳を見ながら言う。「土曜日は、生徒会がないから、吉野さんが指導できるとして、明日と明後日は、有沢さん、なんとかお願いできないかな?」

「私が?」最悪。

「有沢さんならできるよ」西野先生が言う。「あなたはちゃんと歌えてるんだし。あなたが見て、聞いて、思ったこと、そのまま後輩に伝えればいいのよ。いつも呟いてること、ちゃんと大きな声でいえばいいのよ。」

それができたら苦労しないです、と大きな声で言いたかったけど、やっぱり言えなかった。萌みたいにはっきり言えたらいいのに。自分の心の中、しっかり、はっきり。

「サマーコンサートまで日がないねぇ」西野先生がぼそっと呟く。呟きキャラは私なんですけど。本当のことぼそっと呟かれるのって、意外とグサッとくるんだな。


サマーコンサートでは、コンクールのために練習している「信じる」以外に、カッコいいアカペラのゴスペルソングを中心にプログラムが組まれている。全員の声量アップにつながるから、と、サヤが選んだ。喉を鳴らすんじゃない、下半身をしっかり使って、胸から頭から、とにかく全身を使って歌うのが大事。今日の西野先生の指導は、とりあえずゴスペルのシンプルな和声を身体で感じることが中心になった。明日と明後日は、身体全体を無理なく使う発声レッスンを中心にしなさい、と、練習終わりに先生から宿題。練習した曲は、「Oh Happy Day」。まぁ、今の私の気分と正反対なタイトルですこと。

練習の後、もう一度下級生の出欠を確認して、サヤにLINEする。すぐには既読にならない。まだ生徒会の活動終わってないのかな。体育祭の後始末だから、今週中、うまくすれば早めに開放されるよって言ってたけど。

モエに、「元気か?」ってLINEしたら、「すまん」って即レス。分かってますよ。人よりキレイ好きのモエさんに取り付いたウィルス君の方が強かったってことだ。モエと一緒に組み立てていた今週一週間の練習計画が全部真っ白。一から作り直さないと。

カナから「今日どうだった?」とLINE来る。あとで、西野先生の指導内容をまとめて、中三の4人でシェアするよ、と連絡。「時間のある先輩に、明日・明後日手伝いに来てもらえないか、聞いてみる」と返信。ありがてえ。


去年の秋、文化祭のあと、中3から、練習調整担当、という自分の役職名聞かされたときは、文字通り「開いた口がふさがらない」状態になった。昨年度まで影も形もなかった新役職。南海ちゃんは目配りが効くし、先々のことを色々先回りして考えて、今やらないといけないことをしっかり組み上げられる人だから、と、リコりん先輩が目を三日月にして微笑みながら言ってくれたけど、私にはわかってる。色んなことを先回りで考えて、色んな面倒くさいことが全部見えるから、結局何もやらない、それが私。

後で、リコりん呼び出して、同じこと言ったら、「知ってる」って、また三日月の目で言われた。

「やらないことを決めるんじゃない、やることを決めるのが練習調整担当の役目だよ。一年間やってみたら、きっと、ミナミは変われる。今の自分からどこまではみ出していけるか、楽しんで。」

楽しんで、か。おかげで毎日がHappy Dayでございますよ。ありがたやありがたや。そして今日は練習の後で塾だ。晩ご飯食べる時間あるかなぁ。


「今日は集中できない日かな?」って、個別教室の白木先生がニッコリする。優しそうな美人がニッコリずばっと本当のことを言うってのも刺さるなぁ。

「ごめんなさい」って言うと、「私に謝らない」とニッコリ。「この時間を無駄にしてしまった自分自身に謝りなさい。」

ぐさぁ。言葉ってマジ凶器だ。

「部活頑張ってるのは知ってる。やるなとは言わない。でも、部活をやる時間と勉強する時間はしっかり切り離しなさい。部活やる時は部活に全力。勉強する時は勉強に全力。でないと、どっちも中途半端になるよ。」

もう何も言えません。正し過ぎて涙出る。ごめんなさい、これは自分に謝ってるんですって、泣きながら言って、塾を出る。

頑張れば志望校行けるって言われてるけど、A判定とB判定行ったり来たりだもんなぁ。気持ちばっかり焦る。焦るのは部活も同じ。どっちにもなんだか集中しきれなくって、焦りばっかり先走って、どっちの私も中途半端だ。どうしようどうしようって、足を踏み出す前に、踏み出した先の地面がぬかるんでるか硬いか気になってジタバタしているうちに時間だけが過ぎていく。限りある時間。可能性は無限なのに、ネガティヴな未来ばっかり見えて、私の足は一歩も前に進めない。


晩ご飯は10時過ぎちゃった。夜遅くの食事は美容に悪い、なんて言ってられない。お腹空いてたら何にも集中できないし。腹ごしらえしたら、まずは明日の練習のための準備だ。今日の西野先生の指導をまとめて、中3の間でシェアしなきゃ。


「ゴスペルは、アフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷が生み出した、『黒人霊歌』が元になってる」西野先生は言った。「だから、元々のゴスペルには楽譜がない。みんな、楽譜を下に置いてみよう。」

私達は楽譜を閉じて、下に置く。西野先生がピアノをザラン、という感じで鳴らして、「まずソプラノ」と言って歌い出す。西野先生は可愛い顔をしてるけど、学校の先生になる前は、髪の毛ピンクにしてロックバンドでキーボード弾いてたって言ってたから、声には迫力がある。「私と一緒に歌おう。」


Oh happy day! Oh happy day!

When Jesus washed my sins away

Oh happy day!


「次はアルト」と、別の旋律を歌い出す。完全に口伝えだ。「こうやってかつての黒人達は自分たちの故郷の音楽を聖書の言葉に乗せて伝えたの。ソプラノとアルトを一緒に歌ってみよう。」

2つのパートが一緒に歌うと、すごくシンプルだけどパワフルな和音が響く。音が遠くまで響くのは音量だけじゃない。リコりん先輩に以前言われた言葉。がっちり共鳴した和音の響きが互いに増幅してパワーを増すんだ。「楽譜に書いてある音を鳴らそうと思わないで。私が歌った、自分の耳が覚えている音を再現しようとしなさい。隣のパートが歌っている声に耳を澄ませて、その音に一番綺麗にハモる声を出そうとして。」

耳を使え、と先生は何度も言った。ゴスペルの和声はとてもシンプルだから、耳をしっかり使って、ハモった時の響きを覚えなさい。合唱は自分で出す声よりも、耳を大事にしないと。耳の奥にしみ込んでいる仲間の声を思い出しながら、歌う。モエのキュートな、でも貫通力のある高音。説得力があって、パワフルなカナのアルト。表現力抜群のサヤのソプラノ。思い出しながら歌うと、不思議と身体の力が抜けて、フワッと心まで軽くなる気がする。早く4人揃って歌いたいなぁ。


練習室の中に広がった和音の共鳴を思い出しながらヘコヘコとスマホいじってるうちにそのまま寝落ちしちゃって、結局全然勉強できず。授業も片耳だけで聞いて、昼休み、部室に行った。扉開けたら、皆一斉にこっちを見る。なんかびっくりした顔が並ぶ。なんだ?サキナとユナのちびっ子コンビが私の方ちらっと見て隅っこでコソコソ喋ってる。ちょっと変な空気。気のせいかな。

「どうかした?」見回すと、下級生達ばっかりだ。やっぱり中3は私だけか。そうだろうな、と思いながら、ちょっとガッカリしてたら、後ろからムッチャ元気な声がかかる。「ミナミ!」

「カナ!」やだ、ほっとしてちょっと泣きそうになっちゃう。最近の私は情緒不安定だなぁ。気をつけないとすぐ涙出そうになる。

「日曜日の大会終わったら完全復帰だから、今週だけ、ほんとごめんな!」相変わらずカナの声はでかいなぁ。「で、今日は麻里ちゃん先輩来てくれるって!」

マジか。心底ホッとする。でも、完全に安心できるわけじゃなかった。「高校の授業終わってからだから、ちょっと遅くなるって言ってたけどね。」

出た。遅刻魔の麻里先輩の常套句。6時までに来てくれたらラッキー、くらいに思っとくか。久しぶり〜なんて叫びながら、後輩の中に飛び込んでいくカナ見ながら、部室のロッカーに並んでるボイストレーニングの本を引っ張り出す。人間の身体の断面図がずらっと並んでるやつだ。こんなのが私達の身体の中にあって、ペコペコ動いてるなんて不思議だよなぁ。


「ちょっと止めよう」みんな歌うのやめない。いかん、またボソッと言っちゃった。手をパンパン叩いたら、やっと止まった。「力入りすぎだなぁ、みんな。ちょっと柔軟しようか。身体ほぐそう。」

夕練の練習室、夏の夕日がカーテンの隙間に真白な線を作ってる。もう夏だよ。夏といえばサマー。サマーといえばサマーコンサート。ああ、時間がない。

みんな、思い思いに首を回したり、肩を回したりしてる。ゴスペルは身体全体を使って歌う歌だ。合唱でよく使う頭声発声じゃなくて、胸声発声って言う地声に近い声で歌うから、パワーが出る分、声を潰しちゃったり、無理なガナリ声になることも多い。とにかく身体を柔らかく、リラックスさせるのが大事。

でもなんだろうな、今日のみんな、どうも固い。というか、一生懸命過ぎる。私が一人で前に立つのが初めてだから、みんなどうしても緊張しちゃうんだろうなあ。

「隣の人の肩揉んであげて。肩から背中の方ほぐしてあげよう。」

時計を見る。もう5時過ぎ。やっぱり麻里ちゃん来ないなぁ。来ると言ったら絶対来てくれると思うけど、顔出すだけ、程度かもしれない。私が踏ん張るしかないか。

「ミナミ先輩の肩揉ませてください!」ココがおっきな声かけてくれる。ちょっと声が裏返る。なんだよその緊張感。

「ああ、ありがとう」って背中向けたら、サナエが前に来て、「腕揉んであげます」って言う。「ずるーい!」って、クルミとミサキが来て、無理やり椅子に座らされて、2人が足揉み始めた。なんだ、私は休日のお父さんか。肩揉みチケットとかないぞ。ミナコが、「では私は頭を」とか言って髪の毛モジャモジャ触り出す。これ、マッサージって言うよりただくすぐったいだけだ。ぎゃあって笑って逃げると、みんなケラケラ笑顔になった。笑い声が練習室の空気をパッと明るくする。あ、これだ。

「さ、もう一回やってみよう。みんな、今の笑顔忘れないで。その笑顔で歌うの」間奏部分、私含めた中三が、lalalala、と歌う。それをそのまま下級生が真似る。今日は私一人。だけど、さっきのみんなの笑顔が見たいから、私も笑顔にならなきゃ。

「ちょっとまだ固いなぁ。音程はいいから、みんな笑ってみよう。ハハハッて。私が笑うから、その後について」おっきな声ではっはっはって笑うと、みんなも笑顔で、はっはっはって笑う。半分は本当におかしくて笑ってる。いいぞいいぞ。

「じゃ歌ってみるよ。笑ってるみたいに」lalalalaって歌うと、みんなの声がガツンと飛んだ。いい、これだよこれ。


He taught me how

To wash,

To fight and pray

And he taught me how to live rejoicing yes,

He did


「いい声出てるじゃん」後ろから声がかかる。

「麻里ちゃん先輩!」振り返ったら、懐かしい笑顔。あ、ダメだ、胸苦しくなる。泣くな泣くな。

「遅くなってごめん!」って、麻里ちゃん先輩の後ろから、サヤが顔出した。「サヤ!」

「生徒会やっとひと段落ついたよ〜」って言いながら、すかさずタオル渡してくれた。さすがだなぁ。顔ゴシゴシやると、目から汗出てただけじゃない、顔中汗だくになってたのに今気づいた。

「じゃあ、麻里先輩」って言ったら、麻里ちゃん壁際のパイプ椅子にどっかり座り込んで、スマホいじり出してる。はあ?

「ここで聞いてるよ」顔上げてこっちを見る。真っ直ぐ視線向けられて、ちょっとオタオタした。「今日は有沢が仕切る日でしょ。なんか気がついたら言うから、好きにやりな。」

話が違う。さっき目から出た汗返せ。

「私も歌うから」サヤが言ってくれた。ええい、ままよ。「じゃあ、もう一回頭からやってみよう。」


「いい練習だったね」麻里ちゃん先輩が振り返って言う。「みんな楽しそうだった。」

「麻里ちゃん先輩が面白いこといっぱい言ってくれたから」私はボソッと呟く。帰り道の街灯の下、光の輪の中で、麻里ちゃん先輩は笑ってクルッと回った。この人は高校生になっても妖精っぽい人だなぁ。

「どうやったらあんな面白い言葉が出てくるんですか?日高昆布とか、オーラとか。」

「頭にぽんって浮かんだことをそのまま口に出してるだけだよ」謎のステップ踏みながら麻里ちゃん先輩が言う。「でも大事なのはね、相手の目をちゃんと見て言うこと。」

「目?」

「相手の目をちゃんと見るとね、その人の心に言葉が届くの。相手が沢山いる時でも、一人ひとりの目をちゃんと見る。その人の心と向き合ってると、半端な言葉は口にできない。逃げられない。自分の頭に浮かんだ言葉を、相手の心に向かって、真剣に届ける。

「今日の有沢は良かった」麻里ちゃん先輩が、私の目を真っ直ぐ覗き込んで言った。逃げずに、真剣に。「みんなを笑顔にしようって、必死だった。逃げなかった。だから、いい練習になった。」

逃げなかったんじゃない、逃げようにも、逃げる場所がなかっただけだって、口の中でモゴモゴ言ったけど、やっぱり嬉しかった。

「本当はね、5時前に練習室に着いてたの」麻里ちゃん先輩が言う。

「はあ?」なんだよそれ。

「ちょっと外で聴いてた。私も経験あるんだ。私、団体行動とか苦手だからさ。部活も綾に無理やり引っ張り込まれた口だし。

「一人でみんなの前に立って、逃げ場がなくなっても、それでも逃げちゃう奴もいる」麻里ちゃん先輩、声が低くなる。「自分の中に逃げ込んで、独りよがりに暴走しちゃう奴もいる。誰もついてこなくなって、気がつけば一人ぼっちってこともある。」

ゾッとする。それは地獄だ。

「有沢は逃げなかった。カッコよかったよ」そう言ってニッコリした麻里ちゃん先輩の笑顔が、なんだか菩薩様みたいに神々しく見えた。


なんて幸せな日

イエス様が私の罪を洗い清めて下さった。

なんて幸せな日

イエス様は教えて下さった。

いかにして身を清め

いかにして闘い

いかにして祈るのか。

そして、いかに喜びと共に生きるか。

毎日、毎日、毎日を。


アフリカから家畜みたいに連れてこられた黒人たちは、それでも笑顔だったんだろうな。毎日を笑顔で生きるんだ、自分たちの戦いの武器は、笑顔だって、神様が教えてくれたんだ。私はみんなを笑顔にしたい。今日のみんなが笑顔になった時の、あの声の中で、あの声に合わせて歌いたい。


家の玄関の前に人影が見えた。近づくと、寄り掛かっていた塀から離れて、街灯の光の下に歩み出る。「有沢。」

「モエ!」びっくりした。「大丈夫なの?」

「大丈夫。今日お医者さんに行って、治癒証明書もらった。」

「目見せてみ。」

ほっぺ両手で包んで、目を覗き込む。ちょっとまだ充血してるかな。でも確かに、ウサギの目って感じじゃないね。

「有沢。」

「何?」

「合唱部やめるな。」

「は?」

モエの両手が、私の頬をはさんだ。目を逸らせることができない。違う、モエが、私の目を覗き込んでる。私の心に直接話しかけてる。目を逸らしちゃ、ダメだ。

「下級生がLINEで騒いでる。有沢がやめたいって言ってるって。」

「なんで?」話の筋がまるで見えんぞ。

「ネムちゃんに、やめてやるって言ったって。」

あ。

あの昼休み。卵焼き殺人事件の時だ。それで最近、下級生がなんかコソコソしてたのか。ココが急に肩揉みますとか言ってきたのも、それでか。あいつら。なんて愛おしい子たち。

「やめないよ。やめるわけないじゃん。」

「本当だな。」

目を逸らして、笑い飛ばそうとしたら、モエの目にみるみる涙が盛り上がって、目が離せなくなった。目を逸らしちゃ、ダメだ。ちゃんと本気の、心からの言葉を、モエの心に届けないと。

「やめない。本当だ。」

「明日から一緒に歌えるな?」

「うん。一緒に歌おう。」

モエが両手を離して、ギュって抱きついてきた。モエの髪の匂いが肺の中いっぱいに満たされる。

「迷惑かけて、ごめん」耳許でささやくモエの声が、天使の声みたいに聞こえた。


昼休み、部室の扉開いたら、カナとサヤがいた。昨夜LINEで相談した今日の夕練の段取り打ち合わせ。サヤが生徒会から解放されたのはホントにありがたい。今日あたりから、他のゴスペル曲にも手をつけなきゃいけない。曲がよく分かってるサヤが練習リードしてくれることになった。カナは練習に参加できないけど、下級生がちょっと動揺してるって言うので、顔出してくれたみたい。

「ごめんね」カナに謝る。「まさか言葉通りに受け取るとは思わなかったけど、考えなしだった。」

「あの状況だったら、私だってやめたいって言いたくなるさ」カナが言う。「元はと言えば私が悪いんだ。ダンス部からのお願い断れなくて。」

「ダンス部も人手不足で大変だからなぁ」サヤが言う。「私も生徒会安易に引き受けちゃって、ごめんね。」

「モエは?」カナが言う。

「午後から登校だって」私が言う。

「午前の授業ブッチか。いいなぁ」カナが唇尖らせる。

「あの」おずおず横から声がした。ココだ。見れば、下級生たちがずらっと並んでる。みんな神妙な顔。「どうした?」

「変なフェイスニュース流しちゃってすみませんでした!」ココが腰から体を九十度曲げてお辞儀する。フェイスニュース?

「ココ先輩、多分それを言うなら、フェイクニュースです」ユナが言う。

「あんなにみんな優しくしてくれるなら、またやめちゃうって言おうかなぁ。」

「ダメですよ、そう言うこと言ってると、キツネ少年って言われちゃいます。」

「サナエ先輩、それはオオカミ少年のことでは。」

「あの」ネムちゃんが一歩前に出た。「私が、みんなに慌ててLINEしちゃって…」って俯く。あらどうした?あごに手を当てて、こっち向かせる。「心配してくれたんだよね。ありがとう。」

ネムちゃんのおっきな目が、笑顔になりそうになった、と思ったら、みるみる涙が溢れてきた。え、とこっちが慌てたら、ネムちゃん、そのまま私の胸の中に倒れ込んでくる。何?

「ちょっと、有沢、今の顎クイはまずいよ!」カナがでっかい声で言って、下級生たちがドッと黄色い声を上げる。そんなつもりじゃない、ちゃんと目を見て話そうと思っただけだ。胸の中でグスグス泣いてるネムちゃんヨシヨシしてたら、扉に仁王立ちしているモエと目が合ってしまった。

あれ、モエ、なんか鬼の形相なんだけど。

何?これ、修羅場?

みんなケラケラ笑ってる。みんなの笑顔で、今日もまた、ちょっと頭痛いHappy Dayだ。


(了)

最後まで読んでくださった方がいたら、本当に嬉しいです。

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