第8話 『”デニム女”』
GW期間中は長期旅行のため更新を行いませんでした。
今週より平常運転です。
*
どうして、冷華のことを受け止められないのだろう。どうして、桐と冷華のふたりがコインの裏表であるかのような印象を抱くのだろう。俺(白崎 良風)の欠けがえのない友達は2人であり、それは芽衣と桐と冷華なのだ。最初からそうであったはずなのに、なぜ、冷華を初対面であるように思いこんでいたのだろう。でも、それは2人じゃない。3人だ。しかし、俺にとっての欠けがえのない友達とは2人であり、芽衣と桐と冷華なのだ。
タイムリープしたんだ、その驚きよりも強い観念が、この矛盾をせめぎ立てる。なぜ、自らの内に明らかな歪みがあるのだろう。なぜ、今までそれに気が付かなかったのだろう。俺は一体、どうしてしまったのか。
授業は既に終わっており、口々に告げる帰りの挨拶も聞こえなくなり。やがて、誰もいない教室に、たったひとりが取り残された。誰にも打ち解けぬままに時が過ぎた。壊れた電子端末だけを机の上に放置して、何を見るということもなく、ただイスに座っていた。
「…こういうときは、さ。」
誰かの。言葉を語る横顔と、唇の、形だけを思い出し。
「今自分に何があるかを、確認すればいい…」
少しばかり、真似をした。いつ誰の教えかも分からないそれを、ふと頭に過ぎらせて。いつしかそうしたように、指を折り始め。友の名前を3つ呼び、俺は。
「桐を…取り戻したい…」
そう、溢した。誰にも届かない願いが、いつまでも耳に残るようだった。彼と見た海の景色も、彼と過ごしたうわずる日々の喜びも、まだまだ続きがあって。それを思い描けるのは、この世界でたったひとりしかいないから。
だから。例えひとりでも。探し続けなくてはならないのだ。桐を。
「よし。行こう。」
肩掛けのスクールバックに、教科書や筆記用具、電子ボードから体操着までもを無理に押し込んで、教室を去る。彼を探す前に、彼の居場所を作っておくべきだろうか―そんなふうに気の回る自分が、なんだか嬉しくなった。
まずは、桐のアパートまで行ってみよう。少し前を向いたベクトルの方へ、俺は駆け足に階段を下った。
校門までの長い並木道を、足首に張りを感じるくらいの早足で進んでいく。いつもならば体育館でボールを握り、汗でユニフォームを背中に吸い付かせているころだろうに。背を向けている方向に体育館があるからか、後ろ髪を引かれる思いがする。一方で、身体の芯が浮いているような心地のする背徳感が、ちょっぴり、少年心をくすぐるものだ。
「桐はどんな気持ちで帰ってたんだろう。」
どこまでも続くような並木と、何かに夢中な生徒たちの姿。音程を間違ったラッパの音。力強く繰り返す掛け声。汗のにおい。話し声。笑い声。後ろへと流れていくそれらから感じるのは、ひとつ。
「孤独か。」
「やあ!白崎君じゃないか!こんにちは!」
いつの間にか地面へと落としていた視線を正面へと戻すと、上にはねた短髪が目立つ快活な雰囲気の男が、こちらへ向かって歩いてくる最中だった。制服の襟や裾の細部まで拘って皺を整えた着こなしの彼は、以前に桐と話している姿を見かけたことがある。
確か、革名 史助といったか。上弦学院の学生自治会である『弓乃会』のトップ2であると、弓乃会の機関紙か何かで読んだ。
「こんにちは…えーと、革名、さん?」
「なんだ、いつもと違って元気がないぞ!こんにちは!」
「こんにちは。……?」
「なんだなんだ。どうしたんだ。悩み事かね?遠慮なく言ってくれ!」
おかしい。
この人と話したことは無く、ほとんど初対面であるのに、ここまでずけずけと距離を縮めてくるものなのだろうか。これではまるで、よく知った先輩と後輩であるかのような。
「い、いえ。なんでもないッス…」
「そういえば、この間の上弦定期大会は見事だったぞ!僕はハンドボールをやったことはないが、実に興奮した!僕もついつい立ち上がって声を荒げてしまったよ!」
「あ、ありがとうございます。」
定期大会の記憶に間違いはない。同盟校をこの上弦葉域にいくつか呼んで行われる大会だ。彼の言う通り、ハンドボール部の試合は白熱したものだった。体育館内に飛び交う歓声と応援による空気の痺れを思い出すと、今でも肌に熱を感じるものだ。革名があの場に居ようとも、不思議ではない。
「やはり、いつも目をかけている後輩の雄姿は特に心を打つね。この調子でぜひ頑張ってくれ!それでは失礼!」
「…いつも、目を…?」
革名は去る。突然に告げられた身に覚えのない敬意に、呼び止める術が無く。手を伸ばしかけて固まったのは、赤の他人に声をかけることへの躊躇。自信に満ち足りた後ろ姿で高等部へと向かう彼を見送ることしかできない。
どこを歩こうとも。垣間見える日常の誤差。突き付けられる孤立感。正体は、疑念である。誰もどれも疑問を持たない日常に、明確な矛盾を抱えて彷徨う。誰もいない浅瀬で、波を掻き分け右往左往に歩き続けるような。
異質。それは自分自身なのだと、ようやく自覚した。
「分かった…タイムリープ…なんかじゃない。俺は。迷い込んだんだ。」
異なる日常に。『加宮 桐が居ない世界』に。
だから、取り戻すことはできない。俺は戻るしかないのだ。『加宮 桐が居た世界』に。
*
何を求め、何を目指して歩くのか。記憶を失った人々が生きていくのは難しい。綱渡りをさせられようとも、『綱』を知らず『渡る』を知らないからだ。
何を求め、何を目指して歩くのか。記憶を失った人々が生きたいと願うのは難しい。『ない』を抱えて放り出されるから、懐に探し求めてしまう。自らの価値も、目的も、願いも。
何を信じて、どうやって生きていけばいいの?戸惑いばかりがここにあり、地平線のその先が地続きであることすらも自信が持てず、立ち止まって考えることを知ってしまうから、『ない』に手を入れひたすらにかき混ぜる。人は。誰かに教えられなければ生きられないほどに、知的になってしまったんだ。それに気づくほどの俯瞰のできない利己的な動物性が残っていて。その中途半端を刈り取るように知性の化身が殺戮の限りを尽くす日常にも、疑問が持てないのか。そんなにも精一杯になってしまうのは、『ない』を『ある』に変えたい錬金術が魅力的に見えてしまうから。
女は木組みの屋台を引く。鉄の引手が冷たくとも、10の指で骨を浮かばせ握り込む。4つの車線の真ん中で、崩れかけたビルに錆びた車輪のリズムを響かせながら。明かりの灯らぬ街で歌を唄いながら。上手くもないこぶしを利かせ、給士服の女はロックを独り口ずさむ。
「魔法に頼らないで。生きたい、行きたい、泥臭い目的探し、人生ゼロからやり直そう。そしたらきっと花が咲く。雪の解けた春が来る。忘れた色彩に包まれた、そんなうららを歌いたい。ラ・ラ・ラ・ラ」
遠くで響いた銃声と破裂音が偶然に拍を取ったのが嬉しく、歩幅を広げて国道を往く。『浪漫』と書かれた暖簾が風に靡いてはためく音も、段差を越えては屋台に仕舞ったティーカップが立てる音もまた、彼女の歌へと続いていく。
やがて、軍用ブーツで踊る足取りに一段と弾みがつき、それに揺られるベージュの長い前髪が耳にかかる頃。視界を覆う廃ビルが拓けた。
ところどころで雑草の伸びる更地と、崩れて道を成さない陸橋と。原型をとどめていない建物が点々と置かれる地平の奥に、ひとつ。明かりが灯っているのを見つけた。
その星に似た点の光に近づくほど、隠れていたそれらは姿を現しその数を増やしていく。それはネオンだった。白や緑やピンクの色が薄らとではあるが、暗い空の下にチカチカと浮かぶ。あれは街。流星の雫でもなく、太陽の忘れ物でもない。人の証。文明の形用。あそこには、営みがある。
「…はあ。やっと見えたか。」
女は給士服の襟の裏に留められたバッジのピンを指でなぞる。―あの光に興味はない。あの光に惹かれはしない。だが、あれを目指して集まる人間もいる。それが潮流となる。あらゆるものを呼び込む潮目となる。それを目掛けて食いついた魚のような私も、灯る光に群がる蛾のような人々と同じなのだろうか。
虫唾が走るよ、と、彼女は疲労に泡を立てた口の中のぬめりを唾にして吐き捨てた。彼女は正直だ。自らの目的のためならば、どのような場所であれ足を運び、奪いつくす。まさしく、あの光に群がる者どものやり方と同じだ。いや、この世界に生きる者は皆その生き方しかできないのだ。見出した目的へ、ただ愚直に、食らいつくことしかできない。その経過に誰がいて、誰かが何かを思い、誰かが手を差し込もうとも。そこに感情は生じない。
異常な倫理観だ。社会を形成する倫理としては、尖りすぎた骨組みである。しかしそれを自覚する者は誰もいない。この彼女でさえも。
女は止めかけた足で、また歩き始める。背負ったアサルトライフルの柄が、再び腰を叩き始める。車輪と屋台の積荷が音を立て始める。女はロックの続きを歌い始める。暗闇の空と荒れた果てた街の郊外へ歌が染み始める。
*
北へと続く道はいくつもある。整備されていた道路はいくつもヒビが入り、隆起し、時に瓦礫が行く手を塞いでいたが、迂回を要するだけで北へ背を向けることは無かった。
アジトを離れて既に3日が経つ。少ない食料と毎度異なるコンクリートの固い寝床に身体を痛ませながら、弱音を吐かずにひたすら歩く。
時折遭遇する殺戮機の数というのも次第に増え、徹底的に戦闘を避けるようになったのは2日目からだ。リボルバー銃の弾数も3発と底が見えており、空撃ちでもヒートナイフは使えるものの、それやシューズの燃料というのも有限なのだ。
そして今日。4度目の朝焼けが終わり、陰の多い無人のビルが再び白く染まり始める。依然、遠くの見腫らしは薄い靄のようなスモッグを阻み、空は東を除いて灰色を基調とした雲が詰められており。所々では燃え盛る炎が黒煙の柱を立て続ける。北はどちらか、太陽の位置だけを手掛かりに廃屋と廃屋の間をくぐって歩く2人と1機。
狭い可動域を上手に使い、四つ足でカニのように歩くパスマロにバックパックを背負わせ、僕(加宮 桐)と設楽 友助は身軽な恰好で歩き続けていた。パスマロが時折、石に躓きそうになりながらも一生懸命に着いて歩く姿が、親の後ろを歩くアヒルの子を見るようで、少しばかり愉快。
「設楽は北へ行ったことがあるのか?」
「…ないッスよ。」
僕の発した何気ない問いに、設楽はひとつ間を空けて答えた。
それが少し気にかかってしまう。が、出発前の口論を思い出し、僕は追及を避けた。
設楽は北へ向かうことを最後まで反対していたのだ。一度は納得しかけたものの『国会議事堂』という単語を聞き、あからさまに手のひらを反した。それでも一度は「行く」と言わせていたから、何とかあのアジトから引っ張りだしてこられたが、どこでまた踵を返されるかわからない危うさがある。
「そ、そうか。ところで、設楽が機械に強いのは昔からなのか?記憶をなくしているのに、よくもまあここまでのことができるもんだと感心してさ。」
実に見え透いた話題の切り替えだっただろうか、と、やり辛さを覚えた…が、振り向いた設楽の顔を見て安心する。ずれたヘルメットを親指で押し上げながら、はにかんだ表情はまさに少年のそれだったからだ。
「へっへっへ。俺の腕は、もちろん記憶を失う前から身に染みた知識と技術があったッスが、なんつっても師匠のおかげッス!」
「…師匠?」
「そッス!メカニック、兼、プログラマー、兼、医者、兼、科学者、兼、化学者!天才も天才ッス!なんでもできちゃうッスから。まあ、気まぐれな人ッスからねぇ…俺にある程度教えたところである日パッといなくなったッスが。」
「そりゃ…すごいな…その人を、探さないのか?」
「ま、いつか会えるッスから!大丈夫ッス!」
さみしさを感じているんだな、と、そんな直感が訪れた。大丈夫、と、彼がそう言ったからだろうか。機械に才を持とうとも、少年は少年なのだと思い出す。
「テ、テキシュウ。テキシュウ!」
「!?」
突然背後でパスマロが喚きだしたことで、肩が跳ねた。旅の道中、何度も助けられたパスマロの警報はいつも唐突で、僕は未だに慣れずこうやって心臓の鼓動を早めるのだ。
「…はあ。びっくりした。翻訳機能、ON。通信回線、一応開いておくぞ。今まで通りにやり過ごそう。」
「そッスね…ん。今銃声がしなかったッスか?」
「いや?気付かなかった。誰か他にいるってことか?」
さあ、と、設楽が首を傾げたところで、確かな銃声が聞こえ始めた。連続する破裂音は、殺戮機1号の搭載するマシンガンのものだと分かる。間違いなく、僕たち以外の何かを相手取っている。
僕と設楽は顔を見合わせた。
人がいるんだ!と、少しの高揚に身を震わせ。
「もしかしたら、街のこと、何か知ってるかもしれないッス!」
「そうと決まれば助けなきゃな!よし、行こう!」
「行ってらっしゃいッス!」
「お前も来るんだよ!」
陸橋の下を沿う国道と脇に、コンビニエンスストアや飲食店の廃虚が広い駐車場を構えてぽつりぽつりと在る。大胆な土地の使い方のおかげで見晴らしはよく、その戦闘がどこで行われているかはすぐに判明した。
「…お、おい。あれって…」
「終わってる…ッスね。」
僕と設楽は安堵か落胆か、半端な心境に至る。助けて恩を売るどころか、既に決着がついていたからだ。
「東の港への強襲は明後日の深夜とされています。鬼葉隊長には…待ってください。誰か来ました。通信を切ります。……?何ですか、あなた達は。」
四角い青縁眼鏡をかけたポニーテールの女が、不審そうな目をこちらへ向けた。刀のようなものを握って、パチンコ屋の駐車場に立つその女の足元には、首と右腕の取れた殺戮機が横たわる。切断面で行き場を失った電流が小さく音を立ててショートしている様子を見ると、それがたった今斬り伏せられたものであると理解できた。
「あ。えーと僕たちは。怪しいものでは無くってですね。」
「…加宮のアニキ。それ、余計怪しいッスよ。」
「いや怪しさでいったらあの女の方が数段上だろ。刀だろ?あれ。っていうか殺戮機って刀で倒せるの?」
「…怪しいかどうかはさておき、あなた方にさほどの礼節も無いことが分かりました。全く、これだから男の方は…それにしても見ない顔ですね。バッジの提示を要求します。」
バッジ?何のことか理解しかねる僕は、設楽の顔を見た。
「パスマロちゃん。バッジって何スか?」
「ピンデトメルアレ」
「おほー!パスマロちゃんは賢いッスねぇーっ!」
「…はぁ…バッジ不所持ということでよろしいですか。」
「いや、待て。君の言うバッジというものがどういうものか分からないだけで持ってないことはないかもしれないんだ。」
「バッジと言って分からないのがこちらにとって証拠なんです。せめて賞金がかかっていないかだけでも確認させていただきます。さあ、こちらに来なさい。」
いつの間にか駐車場に停められた車の陰に半身を隠していた僕たちに向けて、彼女は手招きする。
せめて、刀をその腰の鞘に納めてはくれないだろうか、と、目配せをするも彼女にはその気が無いらしく、首を横に振る。設楽の方へ目を向けるも、彼も首を横に振る。パスマロも小さく胴体を横に振っている。
「…頼むから斬らないでくれよ。」
「それはあなた方次第ですね。」
両手を挙げて彼女に近づく。ファーのついた紺ジャケットに黒いデニムの彼女は、それなりに整った顔立ちをしており、言動からも真面目そうな印象を受ける。そして気になったのは、そのジャケットの下に着ている身体のラインにくっきり張り付くアンダースーツ。
「…そのアンダースーツ…」
「!鼻の下でも伸ばしているのですか?ジロジロ見ないでください!斬りますよ!」
「いや…そういうつもりじゃ」
「全く、これだから男の方は…いいですか。それ以上近づいたら本当に斬りますからね。」
間違いない。そのアンダースーツは僕が着ているものと同じだ。今はパーカーのチャックを締めているため彼女には分からないだろうが、それを明かして吉と出るかは判断に困る。ここは閉口せざるを得ない。
彼女は殺戮機1号の頭部を手のひら大に小さくしたようなものをポケットから取り出した。それがチカチカと光り始めたかと思うと、音声が流れ始める。
『解析中…名前:加宮 桐。賞金:1万ドル。』
「いちま…1万ドル!?あなた!一体何をしたらそんな金額になるんですか!?私ですら、100ドルなのに!」
「え、ええ?賞金…って何?」
「知る必要はありません!あなたのような危険分子はここで…いえ、しかし…少し、待ちなさい。」
刀を構えようとするも踏み止まった彼女は、ゆっくりと僕から距離を取り、耳に指を当てて何やらぼそぼそと話し始めた。耳に通信機をつけているらしい。設楽の作ったものとは違なり、注視しなくては装着していることに気付かない程度のサイズである。
「お待たせいたしました。…あなたを街まで連行します。抵抗は?」
「街…街まで?それは人の住む街か?」
「?…何を。街は人が居てこその街でしょう。」
願ってもない申し出だ。そして本当に街があるなんて。北へ到着後、どのように街を探すかが難題として脳裏で燻っていたところであった。設楽が僕へ駆け寄り、白い歯を見せる。ああ、よかったな、と、彼のヘルメットを指先でつついて返した。
「何をニヤニヤと…行きますよ!モタモタしていると殺戮機がやってきます。私に着いて来なさい!」
強気に振舞う彼女だが、少し高い声とくっきりした目と優しい目尻に、棘はさほど感じられないもので。僕と設楽はそれほど警戒感に力まず彼女の後ろを歩く。その様子に彼女の方が訝しむらしく、度々目線を後ろへやりながら、抜刀したままに駐車場を立ち去った。