第2話 『”ポテチ女”』
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第0話にて登場した、革名 史助が冒頭にて登場します。チョイ役すぎて覚えていないですか?そうですか。加宮くんの下校中に遭遇した、弓乃会のナンバー2です。キックボクシングをやられている、文武両道の体現者。
*
「『迂闊な改進期』。そこから保古主義の登場で、道は別れたんだ。正道はこちらだ。パラレルワールドはあると、僕は思わないが、保古主義が登場しない今を想像してみると、目も当てられないんじゃないかね。」
「具体的には、どんな世界になってると思います?」
「うん、経緯を省いて言うが、殺伐としているだろう。余裕のない人々で世界が溢れる。何かのきっかけで、隣の国をひとつ、またひとつと、大国が潰していくだろうな。また、それは大国の狙うところに違いない。資源は有限だからだ。隣から掠める機会を常に目論むのが政治となりかねん。」
「そんな、それじゃあまるで古代王国時代っすよ。それは、流石に無いっす。嫌だなあ、革名副部長。そんな過激な発想、あなたらしくなくは、なくなくない。」
水柿 千尋は窓の外へ目線をやるままに、陽の当たる会議室の端っこでポテトチップスを頬張り続ける。前髪の揃った彼女の白く丸い顔立ちを、空を横切る薄い雲が時折暗く染めて。それを意に介さず、ただ口だけが音を立てて動き続ける。その口元からこぼれるポテチの破片が床へ落ちるのを、革名は不満気に眺めていた―そんな昼下がりが、ここ毎週の火曜日の日常。
長方形のテーブルのいくつかで四角形を作るように並べたこの部屋は、弓乃会常任執行部の会議室。常任執行部はわずか5人であるが、弓乃会内に幹部は多く、このような数十人が一堂に会することのできる会議室はいくつあっても良いくらいだ。ご覧の通り、日当たりは良好。上弦学院の敷地中央に位置する本館の10階にこの部屋がある。
「それで。会議の時間まで、残り15分だが。集まったのは、未だ、僕と水柿会計だけじゃないか。他の連中はどうしたというのだ。特に部長。更に総務。そして庶務!」
「あ。」
「あ?」
水柿のポテトチップスの咀嚼が止まり。彼女は陽に微睡んだ眠そうな目と、緩い語感で言葉を垂れた。
「…言ってませんでしたっけぇ。定例会議、明日に延期っす。午前中に部長がそうみんなに言っておけって」
「聞・い・て・い・な・い!全く、口伝は部長の悪いクセだが、水柿、君の気の緩みは度を越しているぞ…」
革張りの背もたれから身を起こし、革名はネクタイを正す。時間があるならば、革名にはやるべきことがあった。手持ちカバンから資料の束をいくつか机に広げ、それぞれ見比べながらも目を通す。水柿はその様子に、首をもたげた。
「何してるんです?見たことない資料っすねぇ。新しい仕事、いつの間にもらったっすか。ダメっすよー五人共有の鉄則は、自分達の代が発足したときからの命題じゃないっすかぁ。」
「水柿会計。これは仕事ではないぞ。とはいっても、いずれ君たちにも関心を向けてもらいたい。さあ、ポテチを置いてこちらへ来たまえ。」
さあ、さあ、と。革名の凛々しい面持ちで小さく手招きする姿に、水柿は渋々応じるとする。大きな伸びをしながら、彼を見下ろすようにイスではなくテーブルへと腰を据えた。
「いいかね。これは、失踪した我が上弦学院の学生・生徒の概要集だ。既に20件にものぼる。が、ひとり暮らしの大学生など、失踪していても誰も気付いていないケースも考えられるから、これ以上の数字かもしれん。世間でも騒がれているのだ。知っているだろう?」
「知らねっす。テレビ見ないっすから。」
「そ、そうか。それはどうかと思うぞ。少しは世間に対して関心を…」
(バリバリボリボリバリバリボリボリ)
「うるさい!ポテチうるさい!置けと言っただろう!ポテチを!それからチーズくさい!」
水柿はなおも、机のポテチに手を伸ばす。そしてひとつまみ、ゆっくりと噛み始め、革名のつむじ頭を至近距離でひたすらに眺めながらにポテチを頬張り続ける。
「何言ってるんすかこのクリンクリン頭は。ポテチ、置いているじゃないっすか。机に。あと、チーズ味なんで。自分、うすしお味が好きっすが、今日はチーズ味なんで。そこんとこよろしくっす。」
「僕を侮るのも大概にしたまえ。というか、どこを見て話しているんだ。君が口を開く度に、つむじがそわそわするのだが。…こら!息を吹きかけるの止めろ!チーズ臭くなるだろう!」
そして始まる鬼ごっこ。ポテチ星人から副部長は逃げる。捕まればポテチだ。普段はぐーたらしている水柿は身長が低く中肉中背ながらも、足だけは異様に速い。
それはともかく、革名は件の失踪事件に疑問を抱いていた。エレベーターやモノレールといった、完全に管理されたインフラでしか、今の日本国内を行き来することができない。そんな中で、どうやって失踪などできようものか。エレベーターかご内には監視カメラがあるし、モノレールだって開通している駅は限られている。よって、他の葉域へ移動しようものなら、確実にその姿は記録に残る。
葉域から落ちた?それは考えにくい。地上から遥か数百メートルもある葉域から落ちればひとたまりもないが、それがされないよう、小高い壁が葉域を囲み、その周辺は立ち入り禁止区域として常時センサーが作動しているではないか。
「捕まえたっすよ。さあ、ポテチを食べるっす。」
「痛い痛い!そこは鼻だ!せめて口にポテチをくれ!口に!」
警察の捜査はインフラを中心に失踪者の捜索がされているが、その成果は上がらず。葉域内のどこかで監禁されているのか、潜伏しているのか。それとも、葉域間を隠れて移動するようなトリックがあるのか。はてまた、テレビでよく言われているように、組織的な隠ぺいがされた事件なのか。
「ポテー。ポテー。」
「ふぅ。全く…毎度毎度、手間を取らせるっすね。」
だとするならば、警察などに頼らず、弓乃会の力を持って当たるべき事案なのではないか。人脈・資金・情報の秘匿。それらは当会の得意とするところ。特にこの常任執行部を中心とした学生部の上層は、団結力も強く、信頼に足るメンバーが多い。
「っはー。それにしても、失踪事件っすか。呑気なもんっすね。合宿申請だ運営監査だ、雑務やら協議会やらで忙しいってのに。ま、自分、仕事になれば手伝いはするっすけど。部長、なんだか今日は、弓乃会OBの急な呼び出しで会議を延期したらしいっす。何か嫌な雰囲気っすねぇ…OBなんて、急に呼び出すような忙しい連中じゃないっすから。」
水柿は部屋の隅に置いてある、ドラセナの葉を指でなぞり、微かに指先で感じる葉脈の突起を何度も確かめた。「何の予兆っすかねぇ。」彼女はそう呟いて、口の周りについたチーズパウダーをひとなめに、部屋を立ち去る。そんな彼女と同じく、革名も、日常の変化を肌で感じ取りつつあった。ひとつ、またひとつ、と、窓の外より聞こえて来る愛すべき学生たちの声が、消えていくというのか、と、失踪事件に対し危機感を露わにしていた。これ以上、学院の生徒を危険にさらすわけにはいかないと。革名は燃える。正義感と、自らの使命に。歳相応の青さこそ、彼の武器である。
「くさいな。」
そう呟いた革名は、自らの拳をギュッと握り込み、弓なりの爪痕を、自らの手のひらへとうっすら滲ませた。
*
「やっぱり、桐のやつ、学校に来てない。遠上にも連絡は無しだ。」
「遠上『先生』でしょ。良風、やっぱりこれは、今ニュースで流行ってる失踪事件のひとつと考えた方がいいよ。先生たちだって、多分その対応をしてる。この自習の時間だって、いつまで続くことか…ちょっと!誰よ今消しゴム投げたの!」
杉守が机を叩いて立ち上がった音も、彼女の声もかき消された―それほどに、教室は狂乱の大騒ぎ。歩き回るのはまだ良い方で、元気な男子は取っ組み合いに興じる集団すらある。また、彼らが空けた席は女子らが大胆に活用し、好き放題に雑誌や電子端末を広げている。
「クラスメイトがひとり行方不明だってのにいい気なもんね。良風、あんたが幾分マシに見えてきたわ。」
「いや、そうとも限らないぞ。」
「え?何が?」
「桐のやつがいないから俺も静かにしているが、それ以外だったら俺もあんな感じ。」
「バカ。」
呆れたふうに一息ついた杉守は立ち上がり、教室のドアを指差して席を離れる。「トイレか?」そう思った白崎は椅子に浅く座り、背もたれに首を引っかけくつろぐ姿勢を取り始めた。
白崎がついてこないことに気が付いた杉守は、軽く歯ぎしりをしながら踵を返す。
「違うわよ!ほら!行くわよ!職員室!」
「ええ?言ってくれなきゃわかんねーよそんなん!」
白崎の耳を引っ張って、教室を出ていく杉守。他のクラスメイトはそれに関心などみじんも向けないもので、戸を引いたのが遠上でないことを横目に確認すると再度彼らの『自習』に視線を戻した。
通りかかる教室はどこも、騒ぎ声がするか静まり返っているかのどちらかしかない。中庭に面した窓からは丁寧な配列で植えられたチューリップが一望でき、その色彩にも一定のパターンが読み取れる。煉瓦に囲まれた花壇というのも、この校舎の『発展途上の明治時代』を思わせるテーマに倣っており、中庭に敷き詰められた焦げ茶のタイルとその隙間から生える雑草も、まるでここが一時代旧くからある施設であるかのような演出に見えるものだ。
「で、職員室で盗み聞ぎってか。」
「まあそうね。まずは情報よ。だって、監視カメラなんてどこにでもあるのに、私達が聞き込みをするのも馬鹿らしいじゃない。なら、今わかってることは共有してもらわないと。」
「っていっても、もう話が終わってるんじゃねえの?」
「ま。そうね。でも、私の知ってる大人ってやつはさ。話し合っても解決しない問題が話題で、密室に籠もって時間があるなら、同じ話を違う言葉に言い換えて、延々と同じことを話してるものなのよ。」
そう得意げに話す杉守の言葉尻にはどうにも棘がある。白崎は他人の思い込みに付き合わされるのは好きではないが、杉守の皮肉は特別、的を得ていることが多いことを知っていた。
「ほら、着いたわよ。この会議室で話してるみたい。もっと寄りなさい。ほらほら。」
「しょうがねえなぁ…」
2人は両開きの窓のない扉へ耳をくっつけ、意識を向こう側へと傾ける。やがて、音が言語として認識できるように聴覚のチャネルが合い始めた。
「………現状では、ターミナルの人混みに紛れたところまで、加宮くんの姿があったと。本当にエレベーターかご内の監視カメラには彼の姿がないんだね?」
「不思議なことです。何度も申し上げますが、当局の調査ではエレベーターに乗ったのは学校帰りの一回のみ。学校から彼の居住葉域間のみです。その後、数分間を駅内で過ごしたようで、ターミナルの中央出入口から出ていく姿が認められます。そしてしばらくして、なぜかターミナルに戻ってきております。その後の足取りが、記録には残っておりません。変装してエレベーターに乗り込んだ可能性も考慮し映像を確認しましたが、それらしき姿は…」
(思ったより難航しているみたいね。ターミナルの中で消えたってこと?絶対見落としがあるに決まってる…行くわよ、良風。)
(ええ?もう?まだ全然聞けてないよ。)
(こいつら情報持ってなさすぎ。大まかな情報が分かったから、いいの。行くわよ。)
(行くって、どこへ?)
(明日になれば本格的に失踪として捜査が始まるわ。そしたら、桐の部屋には入れなくなるかも。その前に、私達で調べるのよ。行くわよ、桐の部屋に!)
*
「ごほっ…うぉえっ…疫病神、生きてるか?まさか花瓶の破片でも額に受けてやいねえだろう…なっ!」
「ぐぇ」
喫茶店の女店主は、固いブーツのつま先で床に伏せる僕の腹を蹴り飛ばした。カメラのシャッターを開きっぱなしにして観測した写真のように、視界が尾を引き伸ばされ、僕の身体は弾痕の目立つ壁に受け止められる。襲い掛かってきたあのふたりが、既に去ったことへ安堵する間を埋めるように、彼女の唐突な暴力があったものだから僕は状況を飲み込むことに精一杯だ。首の上では定まらない頭が赤子のようにこくりこくりと支点を探す。
手榴弾の爆発は、カウンターの隔てがあったおかげか、指向性を帯びて主に天井とその周辺を焼いた程度だった。彼女は店の外の様子を窺いつつも、店内の惨状を改めて視認すると深いため息と共に目を伏せる。ドキリとした。長いまつ毛と右の泣き黒子が、彼女の刺々しい言葉尻を忘れさせるほどに、女としての高い品格を感じたのだ。束の間、そのつぼみが咲く数秒前の期待に似た印象を打ち消すかのように、彼女は再び猛々しい口を開く。
「てめぇのせいでございま…いや、てめぇのせいさ!客どころか、とんでもねえ奴らを引き寄せやがった。どうやらここがどういうところか分かってねえらしい…どうしてくれる。アタシの店はご覧の有様さ。ここじゃあ豆ひとつ手に入れるにも血を流さなきゃならないんだぜ?お前の血がモーニングティを淹れる足しにならねえにも関わらず、だ!」
「く…それは」
取り付く島も無い。手のひらを上に返して突き出された彼女の細い人差し指が、その感情に震えていたからだ。どんな言葉をかけることが許されているのか、記憶のない僕には分からなかった。いや、あったとしても、強がりながらも叱咤する女にかける言葉など、僕は知っていたのだろうか。
「出てけよ、青二才。てめーがここに居る価値はなくなった。」
「……っ」
そう言って背を向け、床に散らばったいくつかの豆を屈んで拾い集める彼女。それに僕は、甘えた。黙って、店を出たのだ。
そうする他なかった。おそらくは、これが一番楽で最低な選択で。それで罵倒を受けるなら、まだ僕の心持ちは軽くなったかもしれない。
ここまで、僕にとっては一瞬の出来事だった。朧げな思考のままに、全てが終わっていたかのような。ルールの知らないサッカーゲームを、ひとつ観終えたような。そんな心地だった。
ここがどこなのか。自分が何者なのか。何を求め、何に従えばいいのか。あの白いロボットのような兵士達は何だったのか。なぜ命を狙われたのか。なぜ自分はここにいる?この胸のつっかえは、なんだ。
「僕は…」
また、振り出しに戻った。
「どうすれば、いいんだ。」
「…ハァ。確認すればよろしいのではありませんかぁ?今、お前が、何を持ってんのかを。」
数分前に聞き覚えのあった、取って付けた丁寧な物言いが背中にぶつかった。喫茶店の彼女は寄せ集めた僅かな豆を片手に、無表情に、立ち去る僕を見据えて、語る。
「自分が、今、何を持っているか…?」
「そうさ。まず…そう、アタシへの負い目だろ?」
薄ら笑いの混じった声に、僕は救われた。
「一度外に出ればお客様。だがてめーは当店に貸しがあるとお思いくださいませ。再びこの暖簾をくぐりたけりゃ、豆持って来い。それがてめーの生きる目的だ、お客様。」
そして。餞別だよ、と、彼女は腰から何かを抜き取り、それを僕へと投げつけた。緩やかな放物線を描いたそれを、僕は手のひらで受け止める。受け止めてから、慌てた。黒く鈍い光沢を見せる、ズッシリと重みのあるそれは、投げるには危険すぎる得物だったからだ。
「高周波リボルバー銃。コルトパイソンモデルさ。さっきのような連中でも、コイツなら太刀打ちできる。そいつの価値は豆一袋。豆一粒の価値もねえお客様には勿体ない代物でございまするが…生憎そいつは豆というよりはティーカップみてぇなもの。使い手が居なきゃあクソの役にもなりゃしねえクソだ。クソ同士仲良くやんな、お客様。」
そう言って彼女は、今度こそ、僕を視界から取り除く。
僕は茫然と立ち尽くした。言葉はいらない、彼女の背中がそう語るのは、優しさか、器か。いや、言葉が要らないのだ、必要なのは物であって、言葉ではないのだ。
(…豆を探す?ああ、そうだ、それが今の目的だ。貸しは清算しなきゃならない。なんてこった、生きる目的をあの店には並べていたわけか。文字通り、一杯食わされた。)
彼女に一瞥もくれることもなく、再び、荒れ果てた道路を歩き始める。片側二車線、計四車線の広く長い道は、僕ひとりが歩くには勿体無いほどに閑散としていて、果てしない。果てしないが、どこかへと続いていることは、記憶に頼らずとも分かり得ることだった。
名前の判明していない方が主要人物が2名。ごめんなさい、わざとです。