七、「成長物語」
ここで一つ、俺がこの行動を取る事となった発端の話をしよう。
俺の両親は挑戦家だった。ファンタジー的に言えば冒険者だろうか。自分が経験したことのない未知のものにはどんどん挑戦するべきで、なんでも自分に吸収していくことを良しとしていた。その思想故か、両親揃って大学教授になり、世界を飛び回るような生活をしてしまうようになるのだから、ある意味一種の馬鹿ともいえるような親だった。
そんな親が俺にした教育といえば、未知への挑戦。あらゆるものの経験を積み、学んでいくこと。
幼少の頃から様々な事をさせられた。ある時は両親お手製のものでバンジージャンプをさせられ、ある時は全く英語を話した事すらない小さい俺を外国に連れて行き、現地の人の前に一人で立たせて会話をさせるなど無謀ともいえることもさせられた。あのバンジージャンプは死ぬかと思った。まだ幼稚園年少の子供にさせることだろうか。今考えても頭が痛くなる。他にも挙げだしたらきりがないが、沢山、本当に沢山いろんなことを経験させられた。
不思議なもので、俺はそれら全部がどれも嫌ではなかった。怖かったり、不安になるようなことが沢山あったが、いつも両親がキラキラした目をして、何をどうすればいいか、さっきの経験ではここをこうしたほうがいいとかアドバイスをくれたり、今し方した経験から何を学んだか、何を感じ取ったのか俺の感想を聞きたがった。
あの両親にしてこの子あり、と言った感じか。俺は、始終楽しそうにしている両親を見て俺自身も楽しくなって、いろんな経験をすることに楽しみを見出していた。行為から自分が何をどう成長させることが出来たかも、次第に両親に問われる前から自分で考えるようになり、吸収出来た事柄に一喜一憂したものだ。
そんな家庭だったからか、俺が子供の頃に自分で考えた、その時に考え得ることの出来る精一杯の俺自身の成長を促すだろう行為を咎めることはしなかった。それどころか、両親がエールを送るくらいだった。いいぞ、祐大! もっとやるんだ! その調子よ、祐大! 何かを報告しに行くとこんな調子で言葉が返って来た。
ただ、ちゃんと世間様に迷惑をかけるような悪事などはしないよう厳しく躾けられた。近所の同い年の男の子の足を引っ掛けて転ばせたとなると、その経験は駄目だ! と激しく怒られた。誰かを乏しめることのないような、あくまで自分のためだけの成長物語、それを両親は推奨した。
そうして過ごしていたある日、両親は一週間ほど、海外に行っていたかと思ったら隣家に住む一家を連れて帰ってきた。
その時にはもう家に一人で留守番をすることなんて、こんな両親なものだから出来るようになっていた。よくよく考えると酷い親かもしれないが、俺は一人で過ごす時間というものを十二分に経験し理解したのだった。ませた幼稚園児である。
隣に越してきたのはイギリス人と日本人の夫婦。と、その二人の子供で俺と同い年の女の子。そう、小鳥なゆ。なんでも、イギリスで知り合った夫婦だそうで、出会った瞬間に意気投合し、日本人の妻が日本を恋しがったので一緒に帰って来たらしい。その時の俺は、ふーんと流してしまったことだが、今思うとそんな無茶苦茶な! と全力で突っ込みをいれたことだろう。
隣の家も、たまたま都合よく空いていたので来ちゃいなよ、というノリだったらしい。何だそれは。これは幼い俺に対して複雑な事情を言わないための理由だったと今にして思うが、それにしてもそれで納得する俺も俺である。両親のノリにその歳にて適応してしまったのだ。
「祐大と同い年のお友達よ、仲良くしてあげてね」
と母が言う。なゆのお母さんもニコニコと笑っている。真新しいことに直面する、という行為自体に慣れっこになっていた俺にとって初対面での挨拶など軽いものだった。緊張だってしていなかった。なゆへと手を伸ばす。
「よろしく、オレはゆうだい」
なゆは自分の母の後ろに隠れてしまっていて、どんな風貌なのか全く見えない。俺の差し出した手を取ろうともしない。一瞥すらくれない。おばさんの後ろにちらちらと見える銀髪が綺麗だなぁという印象だった。
「あら? やだ! 泣いているの?」
なゆの母が声を出して笑う。ごめんね、この子はなんでもすぐに泣いてしまうの、と声をかけられる。なゆの父もハハハと笑っている。この頃はなゆの父親は日本語を話すことが出来なかったものだから、始終英語だった。何て言っているのかわからなかったが、フレンドリーだったことは覚えている。
俺の両親もあらあらと困った笑顔を浮かべ、なゆちゃんよろしくね、と声をかける。
なゆはまだ母の影に隠れてすんすん泣きながら頭を揺らしているだけだった。
そんななゆの様子を見て、俺は少しイライラしてきていた。両親に初めての経験の一通りを叩きこまれ、鍛えあげられていた俺にとって、そのなゆのうじうじした行動が許せなかったのだ。
何より、勿体無いと思った。
世界は面白くてキラキラしたものでこんなにも溢れているのに、母の影に隠れ、怖いと言って泣き続けるなんて世界が全くもって見れないじゃないか。世界を楽しむことなんて全然出来ないじゃないか。
「お前、なゆだっけ? なゆ、こっちむけよ」
俺の突然の問いかけに俺の母が、初対面なんだから失礼な言葉使いしないのと窘める。そんなもの関係ない、いや、今はどうだって良かった。なゆは勿体無いことをしている。それが無性に俺を腹立たせ、無性に許せなかったのだ。そんな奴にちゃんとした言葉はいらないと思った。
なゆはまだうじうじとしていて姿を見せない。
「いま、なに見てんの? 下むいてるのか? その目にうつっているのはじめんか」
なゆは答えない。
「その目にうつっている世界はキラキラしているか? たのしいか?」
影がごそごそと動く。
「……たのしくない……ひっく……」
なゆがやっと喋る。その声は泣き声と混じって聞き取るのが少し難しかった。でも、確かになゆは今、楽しくない、つまらないと言った。
「じゃあ、上をむけ。オレをみろ」
少し動き始める。もぞもぞと影がこっそりと顔を覗かせる。
初めて見るなゆの顔に俺は息をはっと呑む。その銀髪に蒼眼が良く栄えていた。泣いていなければ整った顔なのだろうなと伺い知ることの出来るその顔は涙でぐしゃぐしゃだった。でも、俺をじっと見つめていた。
「どうだ? 世界はかわったか?」
「……」
「なんでないていた? こわいのか?」
黙っているなゆが、こくりと頷いて肯定の意味を示す。
「なにがこわい? 世界はキラキラしているぞ。なにもこわがることなんてない」
現に今、なゆの世界は少し変わっただろ? と更に話しかける。
「まだそのキラキラがみえないのなら、オレがおまえの世界をかえてやる。いいか、よくきけよ。オレがおまえに世界のたのしみかたってものを教えてやる!」
なゆの目の色が変わり始める。
「……ほんと?」
頷いてみせる。なゆの目が輝き始めた。ほら、簡単だ。世界はこうもキラキラしているんだ。楽しいものなんだ。
「これで、もうなゆは一つせいちょうしたな!」
俺がニヤリと笑ってみせるとなゆは首を傾げる。そんななゆに丁寧に説明してやる。
「いまので、もうはじめてあう人にあいさつができるようになった。もうなかないだろ、じめんみてたってつまらないもんな」
「……ないちゃうかもしれないよ」
「ないたってあいさつはできるだろ。だんだん、なかないようにしてけばいい」
「……うん!」
なゆがやっと笑った。まだ頬が涙に濡れていたけど、そのとびっきりの笑顔にこっちもつられて笑う。
俺たちの様子を見て、この子達は仲良くやれそうねと親たちが話しているのが聞こえる。その会話の通り、俺たちは結構上手くやっていけた。なゆがちょっとした事で泣くたびに俺が、なゆに世界の楽しさを教えてやった。両親に叩き込まれた世界の楽しみ方、俺の成長物語が早くもこんなところで活用されたのだ。
俺となゆとがそんなやりとりをしていくうちに、更になゆを楽しませようと次第に俺は自分の成長物語を子供でもわかりやすいようなものへと置き換えて行くようになる。
その時にはまっていてエンディングを迎えても何度も何度も最初からやりなおしたゲームを真似て、成長がよりわかりやすいもの、レベルへと置き換える。そのレベルを上げるためには経験値が必要となる。その経験値は今まで経験したことない未知の体験をしたときに入る。別に一度経験したことでも経験値は入るが、未知の体験の方がより多く入る。
そう決めて、なゆの前で経験値自慢をしたら、楽しそうに笑うものだから俺は更に調子に乗った。あれこれとやってなゆを何度も笑わせたものだ。次第に、俺の成長物語はエスカレートしていった。
最初は無かった決め台詞と決めポーズが生まれる。
ポーズは当時、テレビに齧りついて見るほどに俺の中で大ブレイクした戦隊物を真似したもので、左手を腰に当てて、右手の人差し指で天を指さすものだ。テレビの中でその決めポーズの時にバックで激しい爆発が起こるのだが、もちろんそんなものは現実では起きない。俺の脳内ではそれが起こっているものとされていたのは言うまでもなく当然である。
決め台詞は、当時の俺が三日三晩寝ずに考えた。
「世界は俺の踏み台である!」
これは、言葉通りのものであるのだが、当時の俺はここに色んな意味を込めた。
世界に起こる様々な事象は全て、それらを乗り越えて自分を成長するために世界が課した試練なのだ、と考えた。その試練を乗り越えた先には何が見えるだろう? よりキラキラした輝く世界なのだろうか。その世界を見るために試練を与えた世界は、乗り越えることで、乗り越えた者にとっての足場、土台となり新しい世界を見せてくれる。
これは、俺の両親が俺に何度も言ってきかせた「成長物語」とも繋がる。
親がよく使うこの言葉を俺は好んで何度も使ったりしていた。自分の人生は一つの物語で、その物語は死ぬまでずっと成長の一途を辿る、成長物語なのだ。と考えると世界に果てはないような気がしてくる。
だから親は、その成長のために何でもどんどんチャレンジして積み重ねていきなさいと俺に熱く語ってくれた。
俺の提唱した「世界は踏み台」の公式は、親の言葉を少し改変したものなのだ。少しどころかかなり変わっているが。
世界は俺の成長物語のために踏み台となるべきものを沢山用意してくれている。だから世界は踏み台なのだ。そこを踏み越えていけば、更なる高みへ、次への成長が待っている。こんなに未来が明るいような言葉があるだろうか。子供の俺はそう思って、我ながら完璧なその単語に何度も感心した。子供だったから踏み台があまりいい意味合いで使うことはないことだって知らなかった。大人がこんなことを言っていたら、競争者に叩き落とされるかもしれない。
決め台詞と決めポーズにご満悦な俺は、それを至る所で披露した。なゆもそんな俺を憧れの眼差しで見ていた。
ここまでは良い。ませていながらも子供らしい行動をしていたものだ、と昔懐かしの思い出話だ。あの時、世界は輝きに満ち溢れていたのだ。
しかし、少しずつズレていきはじめる。
俺は何を思ったか、小学校高学年頃からゲームや漫画などでよく見られるようなファンタジー的な要素をちりばめた成長物語をやり始めた。
いつ、いかなる時も突然の事態に対応できるようにと魔王が攻めてくる設定で勇者をやったり、秘密結社で量産されている悪の手先を倒しに行くぞ、と様々なシチュエーションを出来る限り考え、その考えられた先に何が展開しうるか、どんな状況になるか、その状況は何を派生させるか、など先のことまで考える遊びだった。これはこれで面白かった。先に起こりうる展開を予想し、その結末から導き出される行動をとったりしていたら、自然と先読みする力がついたり、先の展開を一つだけでなく、複数のいくつもの起こりうる、考えられ得るものを自分で考える力も培われたりして、その力で日常生活での先読みをした行動が円滑に進められるようになったりしたので、あながちそれも自分の成長物語としては得る物があったものだろう。
ファンタジー的なものを実際に演じて考えた台詞を言ったり行動をしていた俺はさぞかし痛々しかったことだろう。もちろん、その時にでも幼少の頃に考えた俺の決めポーズと決め台詞も忘れずやっていた。
今考えれば痛々しくて目も当てられない程の惨事だが、いつか笑い話として話せるようになる気もするので、それなりに楽しく面白い経験だったように思う。
ファンタジー的な、なりきり成長物語は中学に上がってすぐに落ち着いた。それからは今まで通りの普通の成長物語を歩んでいたが、俺はある事をきっかけに物語に終止符を打つことに決めたのだ。
そう、俺は、この「成長物語」自体に蓋をしたのだ。
いつしか世界は輝きに満ち溢れているどころか、どこかどんよりとした暗雲があたりを包む、暗く重い世界へと成り代わっていたのだ。