六、イタイやつ
今日は月曜日。人類の半数以上の人間に忌み嫌われているであろう悲しい運命を背負った曜日である。週の頭にいるこいつが回ってきたということは休みが明け、仕事や学校がまた始まることを意味している。月曜として生まれた時点で月曜日は負の運命を背負っているのだ。なんとも不運なやつである。
そして、俺も月曜を憎々しく思っている一人に含まれる。
ただでさえ、毎日が憂鬱で億劫であるのに、「学校」という人との他愛無い話をさせられる場に強制的に投げ出される日が始まるのだ。厭らしく思わないわけがない。
そんな不平を言っても仕方がない。月曜は必ずやってくるし、社会へ出ることを拒否することは叶わないのである。
皆に祝福されずにやってきた月曜日と共に待っているのが学校だ。
俺はいつものように淡々と何か特別な事をするでもなく校門を越え敷地内へと足を踏み入れる。
私立北鈴《ほくりん》高等学校。俺が通っている高校だ。辺鄙な山の上にある高校として有名で、基本的にこんなところにやってくる人間は変態といっても過言ではない。なんせ、ここから街中まで行くのにバスを利用して五十分はかかる。遊びたい盛りの今どきの高校生ならば、まずこんなところは選ばない。もっと街中の便の良い、学校帰りに遊びに寄り易いような場所を選ぶだろう。便が悪いのならば、自転車で、という選択も可能だが、山の上にあるだけに登り坂がキツイ。毎朝自転車を漕いで登り坂をひーこらと言いながら登っている生徒を見るとため息が下がる。俺は自転車で登るなんてことは御免だとバス通学を選択したのだが、そのバスも本数が少なく、人が押し寄せることになるのでぎゅうぎゅうに押し込まれた状態で長い時間拘束されることになり、これはこれでストレスだ。
なんでこんな過酷な通学なのか。山の上にあるからである。最初に山の上に設立しようと考えた校長はドがつく程の変態に違いない。こんな場所でどうして生徒数が稼げると思ったのか是非とも理由をきかせて貰いたいものである。いつも登校時に目に入る正面玄関入口に厳かな顔をして立っている初代校長を見ると問い詰めたくなる気持ちに駆られる。問い詰めても銅像の口が開くことはないので、この問いは迷宮入りしてしまう。初代校長と同年代に生まれられなかったことが悔やまれる。
いつものように自分のクラスに入り、いつものように自分の席に着く。三階の一年C組、窓際の後ろから二番目の席、そこが俺の席だ。
この学校、北鈴高校は下級生が一番上の階、上級生が下の階になっており、下級生はより動けといったような作りになっている。どこの世界でも年上は偉いのだ。だから下級生の俺は毎日せっせと階段を上級生よりも数十段も多く上り、足蹴く自分の教室へと通っているのだ。
自分の席に着くと即座に後ろから声をかけられる。
「おっす」
俺の後ろの席の男。白沢夏都《しらさわなつと》。登校初日に知り合った同級生だ。本来ならこんな辺鄙な山の上の高校に通うような逸材ではなく、いいところのボンボン坊ちゃんである。
地毛の茶髪が風もないのに靡いて見えるのは、奴が俗に言うイケメンに分類される顔をしているからに違いない。生まれ育ちが富豪家で髪質も地毛で茶色、顔も整っているとは神は人間を平等には作らないらしい。天から沢山のものを頂きすぎている。
何故だか知らないが俺は白沢に好かれているらしい。こいつは初対面の時から妙に馴れ馴れしく俺に絡んでくる。何が彼の片鱗に触れたのかはわからない。白沢との出会いがわけわから無すぎて正直俺はこいつに参っているのだが、悲しい事に俺が抱えている困惑に気付いてはくれないらしい。
訳がわからないのはなゆだけで充分だ。
「おはよう」
噂をすればなんとやら。なゆが教室へとやってくる。
「祐くん、酷いよ!」
挨拶の次に俺への文句を垂れる。
幼馴染のなゆとは家が隣通し、通っている学校も同じとくれば、もちろん通学路も同じとなる。通学方法も同じバスを利用している。そして、そのバスの一時間の本数は限られているとなれば、どちらかが休まない限り同じ通学帯になる。つまり、同じバスに乗って学校へ通っているのだ。
バスを降りて、俺はなゆを無視して一人で教室まで歩いてきたのだが、それをなゆは怒っているらしい。
「いつもいつも一緒に登校しようって言ってるのに」
頬を膨らませているせいか、迫力が全くない。
「なゆちゃんはいつも大変だねぇ、祐大は毎日本当に酷いやつだね」
俺たちのやり取りを見てからからと笑う白沢。ここまでいつものやり取りだ。毎回飽きずによくやるものだと思ってしまう。
「約束はしてないからな」
二人は肩を竦め合う。
そんな二人を気にせず、俺は外を見る。窓から外を眺め、今日も朝から一日が早く終わらないかとそんなことを考える。逆を言えば、窓から景色を見ることしか毎日することがない。何かをする元気すらも無い。
毎日かったるい。
それに尽きる。
俺は何のために生きているのだろう。
自分の胸の内はこんなにも暗く沈んでいるというのに、空はそれを嘲笑うかのように真っ青で透き通っている。すっかり苗字負けしている。
青空祐大《あおぞらゆうだい》。
それが俺の名前だ。昔はこの名前が好きだったものだが、今ではすっかり名前だけ浮いてしまっているように思う。名前によって生まれるイメージに押し潰されそうな圧迫感を背負っている。おかげで日々重石を持って歩いているような気分だ。
今日みたいに雲一つないような晴天時には空模様とは正反対に俺の気分は沈んでいく。季節はすっかり梅雨に入り、昨日なんて一日中雨だった癖に今日は何故お天道さんが顔を出しているのか。世界というものは本当に不条理である。
早くホームルームは始まらないのか。さっさと始まってさっさと終えてさっさと帰りたい。自室に籠り、ベッドに身を投げ、ただ天井を眺めていたい。
体が重い。
机に突っ伏して寝る準備をする。正確には寝たふりだ。誰も俺に構ってくれるなよ、というポーズである。
そうして、こういう事をした時に限って何故か、毎日左から右へ、右から左へと何もかも抜けて行っている後ろの二人の会話を俺の耳はご丁寧に拾ってしまう。
「いいんだよ、長ければ長いほどそれだけ経験値は溜まるからね!」
「おぉ! それでそれで?」
「そしたらレベルアップだよ!」
「うんうん、つまり?」
「世界は俺の踏み台であるっ!」
最悪だ。
見てもいないのに、なゆが「あのポーズ」を一緒に決めている姿が浮かぶ。
俺が無性になゆにイライラしてしまうのは「これ」が一番の原因かもしれない。
訳がわからない行動。そんな事を言っているが、俺はこの行動にとても身に覚えがある。だからこそ、何とも言えない不快感が湧いてくるし、なゆが「イタイ奴」に見えてしまい、とても胃と胸が痛くなるのだ。
この学校、北鈴高ではなゆはある意味有名人だった。この学校でなゆを知らないものはいないのではないかという程に悪い噂が広まっている。噂の早さは入学してよもや一ヶ月である。驚きの早さであることは間違いないだろう。
どうしてそんな驚異的なスピードでなゆの噂が広まったかというと、原因は理解不能な奇怪な行動にある。
背中に片手をあて、もう片方の手を空へと上げ声高々に「世界は俺の踏み台である!」と宣言するのである。
この行動が奇特であることは説明せずとも一目瞭然であるだろう。このポーズを場所、人目を選ばずにどこでもするものだから、多くの人が目にし、人から人へとどんどん芋づる方式に広まっていった。
中でも衝撃的なのは女性であるのに「俺」という一人称を使うところにあるだろう。一人称が俺プラス奇抜なポーズは人々に「こいつは変だ」という印象を与えるのに充分、むしろ過多というぐらいで一気に悪評が広まったのである。
そして、俺はこの行動を知っている。
何を隠そう、最初にこれをやり始めたのは俺なのだ。発案者、俺。創始者、俺。実行者、俺。という俺俺尽くしの全ては俺にある。だからこそ、今のなゆの行動が人よりも余計に「痛く」見えて仕方がないし、居た堪れない苦い気持ちを噛みしめることになっている。