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四、憂鬱になる奴ら

懐かしい夢を見た。

 古井戸の奥底へと落とし、光の届かぬよう重い蓋でがっちりと閉じ込めたもの。

 なんでまた今更こんなものを見るのか。そんな気持ちがじんわりとやってきて朝から不快指数をマックスにさせる。

 こんな不快感を持ったまま今日もバイトに行かなければならないのか。重い息が口をついて出てくる。

 今日も最悪の一日の始まりだ。



 なゆは俺の周りをうるさくついて周っている。

 今日もオススメを教えてくださいっていうわけだ。うるさいと手で払ってみせるが、それでも彼女は諦めない。しつこく俺のオススメを聞こうとしてくる。

 生憎と今日は店長の作ったオススメコーナーのDVDは全て貸出し中で彼女に適当にオススメを教えることも出来ない。そして彼女がやってきたのは返却されたディスクを箱に戻した後だったので、それらをそのまま彼女に渡すってことも出来ないので八方塞なのだった。彼女を追い払う方法が今日はない。

 どうしたものか。思案している時に彼女の姿がチラチラと視界に入る。ああ、五月蠅いな。

 棚の整理を終えてレジへと向かう。レジに行く事で物理的な距離で守られはしたが、目に映るのはどうしようもない。そんな不快な時に不思議と更に不快は寄ってくるもので、嫌な客がやってきた。

 ブラック常連。常連だが、その常連は悪い意味の方で、できれば来てほしくない客。悪質なものであれば出禁にしてしまえばいいのだが、出禁にする程でもないレベルの人から嫌がられる行為を繰り返す客。だからブラック常連。ちなみに、ブラック常連と名付けたのは藤崎さんだ。こういったネーミングセンスも何故か人に受ける。藤崎さんがネーミングしたものがいつの間にか身内に浸透している。

 ブラック常連こと、稲ヶ峰《いねがみね》洋一。毎週DVDを新作、旧作問わず数個レンタルしていく客なのだが、問題点は返却の際にディスクを別のケースに入れて返すところにある。同時に借りた別のケースへ入れて、中身とケースのタイトルが合わない状態で返ってくるのだ。それも毎度。これはわざとやっているに違いない。本当に些細過ぎることに、出禁とするほどのことでもなく、店員が毎回、「またか」とため息を漏らしながら正しいケースに仕舞い直すことになっている。店長から数回、稲ヶ峰に注意を促しているそうだが、未だ改善されず、一度だって正しいケースに入って戻ってきたことはない。

 正しいケースへとディスクを仕舞うために下を向いているのに、視界の隅に何度かなゆの姿が映り込む。

 何故、自分がしたことでないものを代わりに俺がやらなければならないのか、そんな理不尽さを感じながら心の中で不満をぶちまける。そんなイライラがなゆによって更に不快を増幅させていく。彼女はチラチラと俺を気にしながらも棚を見て今日観賞するものを品定めしている。どうしていつもそうしてくれないのか。そんなイライラも相乗されて、どんどん不快指数が上がってく。

「なんでだよ」

 そんな声を上げたくなる。が、堪える。淡々と自分に与えられた作業をこなしていく。世界は本当に無意味で不条理に満ちている。暗い事ばかりだ。

「大丈夫か? 青空」

 ふいに肩を叩かれる。

「え? あ、……はい」

 驚きのあまり、まごまごとした返答しか出来ない。

「大丈夫じゃなさそうじゃん」

「いや、本当に大丈夫です」

 俺の対応にカラカラと笑う藤崎さん。何が面白いのかわからず、更に少し不快が溜まる。いや、正確に言うならば不快というよりは困惑。どうすればいいのかわからない当惑。どう返答するのがベストなんだろうか。

「いや、悪い悪い。だからそんな顔すんなって」

 藤崎さんが俺の肩をバンバンと叩く。それが更に不快なのだが、そんな事言えるわけもなく、俺はされるがまま叩かれる。

 だからこういうのが不快なんだって。とてもでないが本人に言えないのでもちろん無言。不快であることを顔に出しても、それはそれで藤崎さんは笑い飛ばすのだろうと想像したら、とてもでないが自分から地雷を踏みに行く気は起らない。

「棚整理してきます」

 それだけを口にだし、藤崎さんの腕から逃げるように抜け出す。藤崎さんもそれ以上は追求してこず、なんとか今日も切り抜ける。

 朝から本当に散々な日だ。

 見たくもない夢を見せられ、なゆの存在をチラつかされ、ブラック常連の汚した後を掃除し、嫌な人に絡まれる。俺が何をしたっていうんだ。叫びたくなる。呻きたくなる。嘆きたくなる。世の中は不条理で、理不尽で、無慈悲なのだ。

「祐くん」

 突然の声に驚く。

 数歩思わず後ずさってしまった。なゆが目を見開き俺を見る。

「ごめんね、そんなに驚くとは思ってなくて」

「……まだ、いたのか」

「その言葉はあんまりじゃないかな」

 なゆがぷぅと頬を膨らませ、腰に両手を当てて怒るふりをする。いっそのこと、このまま怒って出て行ってしまえばいいのに。そんな考えが顔に出ていたのだろうか。なゆのなんとも言えない眉の下がった物言いたげな顔が不快指数を更に上げていく。

 俺に何を期待しているっていうんだ。

 俺は俺の事だけで精一杯なんだ。

 お前のことまで構ってられないんだ。

 なゆのことまで考えてる余裕なんてないんだ。

 そんな俺の不満が噴出しそうになる。なんで俺は俺のことだけでいっぱいいっぱいなのに他人にまで気を配らなければならないのか。そんな余裕なんて、とうの昔に置いてきてしまったというのに。

 強く、強く、叫びたくなる衝動。

 俺にはもう無理だっ! そんな心からの叫び。

 でもきっとそれは誰にも届かない。

 だって。

 もう全て捨ててきてしまったから。

 だって。

 もう空は暗雲が覆い、世界に暗い陰を落としてしまっているから。

「祐くん。難しいかもしれないけどさ」

 そこで口を閉ざすなゆ。言葉として発するかどうかを思い悩んでいるようだ。何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し視線をあちこちへと彷徨わせる。やがて意を決したかのように深呼吸をし、声を発しようとした。

 その瞬間。

「すみません」

 背中から別の声がした。振り返ると、全く見知らぬ客だった。

「はい、いらっしゃいませ」

 これ幸いとばかりになゆに背を向け、俺はその客へと歩き出す。よく、こうして別の客を対応中に声をかけられる事がある。皆、一様に自分の事しか考えていないし、自分の事しか見えていないのだ。店員が既に他の客を対応中などと夢にも思わない。しばらく待ってもらうよう伝えても不満顔を返すだけで、即時に対応して貰えない事の不平を漏らす。

 自分至上主義。

 そんな言葉がぴったりの世の中なのだ。

 もうなゆの声は聞こえなかった。


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