二、俺の幼馴染はいつものように
バスに揺られ四十分。
この近辺で一番栄えている街、大鐘市。そんな栄えている大鐘市でも外れの方に行けば田んぼなんかもあちこち見られ、そんな郊外の県境スレスレのところに地元の県では一番大きなショッピングモールがある。そこに入っているCD、DVD販売兼レンタルショップ、そこが俺のバイト先だ。
業務関係者用入口から従業員用のロッカールームへと足を進める。行く途中、何度か同じショッピングモール内の別店舗従業員とすれ違う。その度に俺は軽く頭を下げる。
従業員同士気持ちよく挨拶をしようという規則があるそうだが、それを守っている人間は少ない。ちなみに俺も後者だ。言ってしまえば挨拶をする元気がない。それに尽きる。しなくてもいい会話をせずに過ごせるのなら願ったりかなったりだ。
ここのショッピングモールは一日中歩いたってまわり切れない、を謳い文句にしており、まさに一日歩いても全ての店をじっくり見て回るのは難しい。そんな広いショッピングモール内の従業員でも一度だって顔を合わせたことがない人間がいる。
見ず知らずの人間と気持ちよく挨拶なんてするのは難しいもので、互いにこそばゆい感覚を味わいながら会釈をするのが精一杯だ。
指定のロッカールームに到着する。大きい場所なだけに従業員のロッカーも一人一人、バイトですら割り振られている。
「おはよう」
「おはようございます」
既に到着していた正社員の藤崎さんが声をかけてくる。この人はいつも誰にでも自分から率先してよく声をかける。挨拶だけならまだしも世間話までして話に花を咲かせてくるので俺としては有難迷惑を感じている。藤崎さんのポリシーは誰とも仲良く会話を楽しむ! らしく、確かにその通りこの人が話をしているのを見かけるときはいつも楽しそうにしている。話し相手まで朗らかに笑っているのを見ると、この人の話術に感心せずにはいられない。
俺がバイトに入って少し経った頃の事だ。視界に少し藤崎さんが写った。何気なく見ただけにすぎない。そんな瞬間でも藤崎さんは客から笑顔を引き出していた。楽しそうにカラカラと笑う客の声。それに相槌を打って和やかに談笑する藤崎さん。その姿は客と店員というより、近所の顔見知りのようだ。
「へぇ……凄いもんだ」
ただ何気なく漏らしたその一言を藤崎さんは聞き逃さなかった。
タイムカードを切り、帰りのバスに乗ろうと歩いていると藤崎さんが俺の後を追って小走りに近寄ってきた。軽い挨拶を交わし、会話もほどほどなところで突然、藤崎さんが切り出してきた。
「俺の話術、伝授してやろうか?」
ぎょっとした。聞いていたのかと。あの時、藤崎さんと俺は数メートルほど離れていたはずだ。その距離で、そこまではっきりと言ったわけではない呟きを聞き取れるものなのか。この人は超人か何かか。そんな思考が一気に脳内を駆け巡る。
「い、いや……大丈夫です」
何とか言葉を吐き出す。何をどう言えばいいのかわからなかった俺はそう応えるだけで精一杯だった。そう? お得なんだけどとよくわからないことを藤崎さんは言って笑った。何がお得なのか全くわからない。
「青空は笑わないよな」
何を思ったのか突然藤崎さんは俺の顔をまじまじと見つめ呟く。そこで初めて、今のやり取りは俺とのコミュニケーションを楽しむためのものだったと理解した。彼曰く、彼との言葉のやり取りをした人のほとんどが笑うらしい。故に彼は会話に自信があるのだとか。
その後は、俺を送っていこうという藤崎さんの申し出を断る、いやいやそう言わずに、断るというやり取りを数回繰り返し帰路に着いた。藤崎さんは会話を楽しみたそうにしていたが、男と二人でドライブなんて御免だ。丁重にお断りした。
そんなやりとりがあった後に藤崎さんは妙に俺に構うようになった。何かと俺に気を使い、声をかけてくるのだが、俺はいつも適当に流している。正直な事を言うと煩わしい。
今日も鬱陶しさの方が勝っており、早く着替えてこの場を後にしたい想いでいっぱいになる。相手と目を合わせず、黙黙と着替えている俺のことなんて気にもせずに尚も話しかけてくる。
「今日はどうだ? 元気か?」
「はぁ」
いつもこんな調子だ。元気かどうかなんてどうでもいい事を聞いてくる。それが物凄く面倒で煩わしい。他人の調子なんてどうでも良いではないか。この人はいつもどうでもいいことばかり気にしている。それに対しての俺の返答もいつも適当だ。それをこの人は気にしない。良くも悪くもへこたれない。俺個人としてはとてもへこたれて欲しいが、それをこの人は聞いてはくれないのだろう。
「いつもお前は元気ないなぁ」とカラカラと笑っている。どう反応すればいいものか。正直に言って困る。迷惑だ。
俺が困惑しているのを読み取ったのか、まぁ頑張れよと、俺の肩を叩いて出て行った。
あの人は何がしたいのだろう。いつもこうなのだ。必ず挨拶を交わし、俺の調子を確認し、最後に肩を叩いて出て行く。お決まりのいつものやり取り。何の変哲もない至って平凡なやり取り。俺はいつも元気か? の問いに答えることは無いのに必ず聞いてくるのは一体なんなのだ。何の意味があるのか。いや、そもそも意味があるのだろうか。藤崎さんは何を考えているのか全くわからない。
ため息を一つ吐き、俺はロッカールームを後にした。
今日もCDが乱雑に扱われ、酷い有様を人目に曝している。昨日遅番だったバイトが閉店後に棚の整理を行わなかったらしい。ぐちゃぐちゃになっている様子に今日もやる気が吸われていく。
最近の人の物の扱い方は酷い。どこをどう扱ったらこんな事になるのだというミラクルを見せてくれる。ワ行に分類されるアーティストのCDがタ行に差さっていたことがある。とんだ無茶苦茶だ。元の場所に戻せないどころか、離れたところに戻すという行為がどうすれば発生するのか一度つきっきりで眺めてみたいものである。
今日も今日とて昨日雑に扱われたことが一目でわかる様を見せている。棚の中から抜き出されて棚の上に無造作に置かれている事なんて人為的にしか起こり得ない。誰が見たってわかる。
深い溜息。
なんで俺がやらなければならないんだ。
そんな不愉快。
自分がしたことでないのに。
そんな割を食ったような気分。
これが店員の仕事だというのはわかっている。しかし、毎日変わらず人が汚したものを直していると自分は何のためにここにいるのかと疑問が出てくる。
何故、俺はこんなことをしている? 俺はこんなことをするために生きているのか。
ふと、両親のことが頭に浮かぶ。
俺の両親は何のために生きていたのか。
「くそっ」
「大丈夫?」
強い衝動に駆れたが、傍を通りがかった店長によって冷静さが戻る。
突然声を荒げた俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「……大丈夫です」
そうか、と言いながらも何度か俺をチラチラと見ながら去っていく。くだらない事で腹を立てている場合ではない。今日も今日とて俺は俺に割り振られた仕事をするだけだ。
そう、ただの消耗品のように。
与えられたことをただ淡々と処理すればいいだけなのだ。
いつものように店長の一声で朝礼が始まり、客を想定した挨拶という儀式を行う。店内放送で開店前の連絡が軽快に鳴り響く。さぁ、開店だ。今日も無意味で無価値な客の横暴さに辟易とする時間が始まるのだ。
客が持ってきたDVDについているバーコードをレジに通すだけの作業。たまに探している映画のある場所を教えてくれというお願いが来るので、該当場所まで案内する。返品されたディスクを貸出し中というプラスチックケースと交換する。
淡々と自分に割り振られた作業を繰り返す。
いつもの変わらない風景。いつもの作業。
そしていつものように、該当作品ではないケースに無造作に突っ込まれた違うタイトル。嫌気が差しながら引き抜く。中を見てげんなりする。人気タイトルの空きケースに年齢制限のかかっている暴力表現がある子供に刺激の強い映画が差さっている。こんなのいつものことだ。誰かが面白がってしていく悪戯。何が面白いのかわからないレベルの低いもの。
つまらん奴め。心の中で毒づく。
つまらない毎日。つまらない他人。つまらない世界。
世界は今日も曇っている。太陽なんてとうの昔に隠れてしまい、世界は暗雲が立ち込め、終焉へと向かっていく。この世に救いなどないのだ。
深い溜息が漏れる。
「祐くん」
世界が止まる。
いつもの聞きなれた幼馴染の声。
またなのか。げんなりする。
「いらっしゃいませ」
また来たのかよ。そんなことを口走りそうになるのをぐっと堪える。ここは店だ。俺は店員で相手はお客様。どんなに顔見知りでも、どんなに互いのことを知り合っている仲でも、弁えなければならない場所なのだ。
「いらっしゃいました」
ニコニコと笑顔で答えるなゆ。腰まで伸びた髪がさらりと揺れる。
俺の幼馴染、小鳥なゆ。幼稚園中年の時、隣に越してきた女の子。それ以来、ずっと家族ぐるみで付き合いがある。
なゆはいつも俺のバイト先に現れる。そして、いつも俺に声をかける。
「今日も店員さんのオススメを聞きたいです」
「……そこにラインナップされているものからどうぞ」
「そういうのでなくて!」
なゆが頬をぷっくり膨らませて文句を言うが、それに構う必要もないだろう。ビデオレンタルコーナー入口にでかでかと今のオススメとして店長がディスプレイしたコーナーを指さす。こういったオススメの殆どは今売り出したいものだったりする。ので、今世間で話題になっている映画で埋め尽くされている。こういったものもくだらないと思う。メディアが作り出した流行に消費者は良いように踊らされるのだ。それと気づかずに消費していく者は自分が操られていることに気づきはしない。自分が本当に見たいものでなく、「世間で話題だから」とか「周りの話についていきたいから」といった理由でつくり出された物を選択させられている。悲しいかな、世間はそれを嘆いたりしない。
本当にくだらないな。心の中でため息を漏らす。
俺はなゆを無視して作業を続投する。それでも尚、なゆはしつこく俺の周りをちょろちょろと動き回る。
「祐くんのオススメがいいの!」
「仕事中は私語厳禁」
「……それはそうだけど。今、私はお客さん」
ああいえばこういうとはこの事だろうか。先程の返答の何が不満だというのか、俺は隠すことなく表情に思いっきりしかめ面を出して不愉快であることをアピールする。しかし、なゆは気にも止めず、俺に声をかけてくる。
「さっきも言ったけど、祐くんのオススメが聞きたいんだよ」
それじゃなきゃ嫌だとも言う。
「自分で好きなものを観ればいいだろう」
「それもダメなの」
それの何がダメだと言うのか。そんなに何を拘っているというのか。俺には理解できない。今度は臆面も隠すことなく、なゆの前で大きなため息をつく。
「祐くん、ため息つくようになったよね」
「それが?」
「うぅん、何も」
じゃあなんだというのか。意味のないことならば言わないでくれ。先程から続くなゆとの問答にイライラし初めてきた。思わず声を荒げそうになるが、堪える。
相手はお客様、相手はお客様。客は神様だと思え。
「こちらは如何ですか」
手に持っている返却されたばかりのディスクをなゆへと差し出す。棚に戻すところだったが、なゆへと渡してしまえ。
「これ、なぁに?」
渡されたものを素直に受け取りタイトルをしげしげと眺める。
今話題沸騰中のホラー映画だ。上映中は常に満員で未だかつてないほどの売り上げを出したとかで、レンタル開始初日は瞬殺。十数本用意したレンタルディスクが瞬く間に空き箱へと変わり果てた。
今もレンタルの返却待ちしている人が多く、なかなか借りることができない。
ちなみに、これは店長がオススメコーナーに置いた一本でもある。
「これ、何度かCMで見たことあるよ」
「だろうな」
話題沸騰ということはコマーシャルで何度も流れたに違いない。俺はテレビをつけていないので確認はしていないが。
「……これ、ホラーじゃなかったっけ?」
恐る恐ると確認してくる。
そう、これはなゆの大の苦手のホラー映画である。しかもジャパニーズホラー。音の使い方が巧妙らしく、どろどろしいシーンでは音によって怖さが倍増されているらしい。
「本当に祐くんのオススメ?」
「いいや」
「酷いよー!」
今にも泣きそうな声をあげる。
なゆにはこの怖さはきっと耐えられないに違いない。俺はその映画を見ていないにも関わらず、そう確信している。
昔、子供向けの怖い絵本で泣き喚いたなゆだ。小学生の頃、修学旅行で怖くて夜中に一人でトイレに行けなかったなゆだ。同室のクラスメイトに付いてきてもらったらしい。中学生の頃、冬の夕方の校舎を歩くことすら怖がったなゆだ。
それを知っていてわざと勧めた、その事に注目して欲しかったが、なゆは頬を膨らませているだけで俺の思惑には気にもいかないらしい。
「なんで、そう毎日毎日俺のオススメに拘るんだよ」
なぜなのか。なぜ「俺の」オススメでなければいけないのか。自分の好きなものを観ればいい。友人のオススメでも観ればいい。他の店員のオススメでも観ればいい。
なぜ「俺」なのか。
「それは、……祐くんでないと意味がないからかな」
少し言いづらそうに、眉を下げながら微笑む。
「そう俺に拘るのはやめろよ」
「嫌」
即答。
ぜーったい嫌! と大きい声で宣言する。
なゆは、あれ以来ずっと拘っている。
俺に。
俺がしていた行為に。
俺はもうとうにそれを止めたというのに。
ずっと昔にしがみついている。
「迷惑なんだよ」
深く、深く、息を吐き出す。
なゆは泣くだろうか。昔からなゆはよく泣いた。泣かなかったらなゆではないという程に。些細なことで泣き、周りを困らせてきた。泣き虫なゆという称号も得たほど彼女はよく泣いた。
顔色を伺うと予想に反して、彼女は困ったように笑っていた。
「うん、知っているよ」
「……なら、ほっといてくれないか」
予想にしていなかったなゆの返答、反応に俺はしどろもどろになる。
なゆは応えなかった。ただ、悲しそうに笑っただけだった。
「じゃあ、これ借りていくね。ありがとうございました、店員さん」
なゆは先ほど文句を言ったにも関わらず手にしていたディスクを持ってカウンターへと歩いていった。
俺は何も言うことが出来なかった。
何とも言えない不快感、もやもやを抱えたまま、仕事を続けるはめになったのだった。
「お疲れさまでした」
今日のバイトを終え、俺はまだ残る藤崎さんたちに声をかけ上がる準備をする。
アルバイトである俺は一日八時間のシフト制で朝番だと午後六時には上がれる。正社員である藤崎さんも実質一日八時間勤務のはずなのだが、やはりそこは悲しきかな正社員。定時通りに帰れない宿命なのだ。残業という形で在庫の管理を行っている。レンタル期限を過ぎても返却しに来ない客への電話もこの残業タイムに行っている。
「おう、お疲れさん。気をつけろよ」
藤崎さんは片手をひらひらと振る。
この人はいつも人の帰宅時に安否を気にする。別に誰がどうなろうが、どうだっていいじゃないか。こんなところにまで気を回さなくてもいいのに、そんなうるさい気持ち。そこまで相手を気遣える藤崎さんの優しさに感動する者もいるだろうが、俺は小学生に返ったような気分になるのでこの言葉は好きではない。
下校時に先生から「気を付けて」と言われた時の「いちいちうるさいな」という一種のやさぐれ。親に言われた時の「そんなのわかってるよ」と言いたくなるような苛立ち。そんな気持ちを彷彿させるのだ。「もう子供でない」と言い返したくなるような、小五月蠅いものを振り払いたくなるような気持ちにさせる。
藤崎さん以外にこんなことを言う店員は他にいない。みんな、お決まりの「お疲れ様です」という言葉を返し、さっさかと歩いていく。俺も他の人に気を留めたことがない。そんな中で一人異色を放つ藤崎さん。
何が嫌だって、「気をつけろ」という言葉を俺以外の相手に放っている場面を見たことがないのが気に障る。
俺は小学生なのか。
大人が気にかけてやらなければならない程子どもなのだろうか。
そんな言いようのない不愉快感。
この人は俺がそんなことを感じている事に気づいているのだろうか。人との会話を楽しむのは大いに結構。ならば、相対する人の感情にも敏感になって欲しいものだ。
独りよがりの良い事。更に苦い思いが胸中に広がる。うん、不味い! もう一杯! なんてとてもじゃ言えない不味さ。
藤崎さんを見ていると嫌でも思い出しそうになる。更に不快が広がる前に脳の活動を封印することを決意する。