二十八、身近なところに
翌日、学校へ登校するといつものように白沢が俺達に手を振る……ということがなかった。朝、白沢は教室にいなかったのである。「いつも」がないことにどこか拍子抜けする。なゆとどうしたんだろう、という話をしていたら、昼休みももう終わるという頃に白沢が教室へと顔を出した。
なんてことはない、といういつもの顔をしながら席にやってきて一言俺に挨拶をする。
「おっす」
「おう、おはよ」
いつものやり取りを交わした後、今日はどうしたのかと聞こうとするが、白沢がどこかソワソワして落ち着かない様子だ。いつものイケメンっぷりはどこへ行ったやら。イケメンって常時発動するものではないのだ、ということを俺は知る。そもそもイケメンは発動するものなのだろうか。
「白沢くん、今日どうしたの?」
なゆが遂に口を開く。あまりの様子の違いに聞いていいものか考えてしまったが、それをなゆが破る。
「いや、ちょっと……うん、ちょっとというか、なんというか……」
珍しくはっきりしない。こんなにゴニョゴニョする白沢を見るのは初めてだ。珍しいものを見る目で思わずじっと見てしまう。
「うーん」
白沢はずっと呻り声を上げている。俺となゆは訳がわからず、思わず顔を見合わせる。
こいつ、どうしたっていうんだよ。
私にもわからないよ。
そんなことを目で語り合う。
二人して首を捻っていると、意を決して白沢が口を開いた。
「あのさ、お願いがあるんだ」
「ここが部室?」
あの後、白沢が口にしたお願いというのは、部室が見たいというものだった。俺となゆは面を食らう。そんなお願いが口に出せず、悩んでいたというのか。「お安い御用だよ」となゆは笑って承諾。もちろん、俺もそんなことでいいならいくらでも見せてやると放課後、白沢を連れてくることになったのだ。
どこか緊張した面持ちで部室に入った白沢はしばらく無言だった。
やはり、いつもとどこか違う様子の白沢に俺となゆは首を傾げる。
そうしていくらかの時間が経った後、ポツリと一言。
「ここって何をするの?」
「何って、部活動」
何を当たり前のことを言っているのだと俺は返す。俺の返答に更に疑問だらけになったのか白沢が混乱した顔をする。
「俺たちの活動は基本的に外でするからな。ここでは、次の活動内容についての話し合いをする程度だな」
「部活動って……何をするの?」
「そうだな、俺たちの活動と言えば、一言で言えば人助け、ボランティアみたいなものだな」
改めて説明を求められると難しい。
「いや、そうじゃなくって。部活ってそもそも何なのさ」
白沢の疑問に驚く。
部活って何? とは何事か。物を知らないというレベルではない。何を言っているんだ、こいつはと思ったが、そうだ。すっかり慣れてしまったが、こいつはボンボン出の坊ちゃんなのだ。今まで勉強三昧だった白沢が部活動に参加していたことなんて皆無なのだろう。
「そうだな……同じ活動をしたい人が集まって行動するものだな」
俺の返答に何の反応も示さない白沢。
本当にこいつはどうしたっていうんだ。
俺が声をかけようとした時、静かに口を開いた。
「昨日、親に見つかっちゃったんだ」
そう言ってぴらりと一枚の紙を出す。
その紙には「部活動加入申請書」の文字。
それは見覚えがある。入学して少し経った頃、クラス内で配布されたものだ。入りたい部があったらこれに書いて提出するよう、梅林が言っていた。別に部活動は強制ではないが、入っていた方が後々の進路には有利になると説明していた。俺はどうでもいいと捨ててしまったが、白沢は律儀に持っていたらしい。
白沢の持つ部活動加入申請書は白紙のままだった。
「昔から、勉強以外のことは無駄だ、するなって散々言っていた癖にさ。これを見つけて『これは何だ』ってカンカンに怒るんだよ」
紙を持つ白沢の手が震える。
「これは提出書類じゃないのか。何故期限を過ぎているのにまだ手元にあるのかって叱られてさ、もう散々だった。笑えるだろ? 何だよ、小学生かよって思うじゃん。その後は、期日を守るためにはって人間としてのルールとか果ては社会人としてのマナーの話が始まってずっと拘束されてた。そうやって提出しなかったことを怒るくせにさ、部活に入って良かったのかって聞いたらそれすら怒るんだよ。勉強の時間が無くなる、ただでさえ良い学校に行ってないんだからそこで差を余計作られてどうするってさ」
白沢の声も震えている。
「今日の朝になっても怒りが収まらないようでさ、さっきまでずっと叱られていた。……ねぇ、別に提出しなくてもいいって言われたから、部活に入ったら親が五月蠅いだろうからって、加入申請出さなかったことってそんなに悪い事?」
持っている紙をぐしゃりと握りつぶす。
「俺、書類を提出しないなんて初めてだったんだ。先生が別に無理にしなくていいって言ったからそうしたのに、……やっぱりしたことないものなんてするものじゃないのかな」
俺が口を開こうとしたら、タイミング良く携帯の着信が鳴り響く。
「あ、俺だ。ごめん」
白沢が鞄からゴソゴソと漁り携帯を取り出す。画面を見て、白沢の顔が歪む。俺はこいつのこんな顔を初めて見た。いつも何かしら爽やかに何でも流してさらりとしている白沢でもこんな顔をするのか、と衝撃を受ける。
「運転手」
手に持っている携帯の画面を俺達に見せながら、にこりと笑う。そこには、もう先程までの顔の白沢はいなかった。
「ごめんね、塾に間に合わなくなるから今日は一旦帰るよ」
「は? え、おい」
俺は慌てて呼び止めるが、白沢は何度もごめんと口にし、出て行こうとする。
出る前に振り返り、一言こう付け加えた。
「さっきの忘れて。何でもないから」
白沢の顔はいつもの仮面を付けていた。
「白沢くん、大丈夫かな」
なゆがぽつりと言葉を零す。
大丈夫なわけがない。
こんな身近なところにいたじゃないか。
俺は明日、必ず白沢を捕まえることを決意した。