二十五、六ツ木先生
翌日、わざとなゆと登校時間をずらして学校へと向かう。なゆには「折角また一緒に登校するようになったのに」と不平不満をぶーたれられたが、これは仕方がない。なゆに知られたくない。
俺は自分の教室に向かわず真っ先に教員室へと足を向ける。中へと入り、目的の先生を見つけその先生の席へと向かう。
「あら、おはようございます」
「おはようございます」
俺を見ても驚きもせず、六ツ木先生はにこりと笑う。まるで俺が来ることを予期していたかのような対応だ。
「改めて挨拶に来ました。遅くなってすみません」
一度そこで区切る。
「世界賛歌部新設ご協力感謝します。部長の青空祐大です。よろしくお願いします」
頭を下げる。
「先生、そういうの大歓迎です」
俺が真面目くさって堅くやっているというのに、この先生という人は。思わず苦笑いが漏れる。
「顧問の六ツ木奏音《かのん》です。ご挨拶に来るなんて腹を括ったのかしら?」
「嫌な言い方をしますね」
腹を括る、だなんて、世界賛歌部が行きつく先の逃げ場のない所のような言い方をしないで欲しい。確かに、別の意味で腹を括ったと言えば括ったが。
先生はうふふと笑っている。
「実は私、新任でいろいろ忙しないの。だからあまり顔を出せないと思うけど頑張ってね。あ、でも、面白そうなことをやる前は是非教えてね」
それって、つまり。
「面倒なことは避けるけども美味しい所だけは味わうと言っているように聞こえるのですが」
「あらら~」
手をひらひらして笑っている。全くの誤魔化しになっていない。ここまで来るといっそのこと潔く肯定して認めて欲しいものである。
この先生在りにして世界賛歌部が設立したのかと思うと、妙に納得してしまう。確かに、この先生でなければ世界賛歌部は生れ出なかっただろう。
癖のあるものには癖のある奴が集まる、か。
「活動内容については実は仮のもので出しているので決まったのなら教えて欲しいかなぁ」
「……仮で通るものなんですか」
驚いて思わず聞き返してしまう。
怪しい部名でよく通ったと思ったが、それは活動内容がしっかりしたものだと思っていたのだ。活動内容の欄も仮で出してしまうとはなゆとこの先生は大丈夫なのか。
「それだけ君にみんなが期待しているってこと」
なんで、俺? と聞こうとして一つ思い当たる。
社会参加型生徒育成制度だ。
俺はその枠を使って入学してきた一人である。
「新制度を使って入学してきた子が『世界賛歌』なんて大層な名前で部活を新しく立ち上げる。周りが何をするか楽しみなのわかるよね?」
先生の目の奥底が一瞬光る。この人がおどけているのは「ふり」であることを知る。
周りからの期待。
成程。これは確かに腹を括らなければいけないことのようだ。
「それで? 活動内容は?」
部活の書類を机から引っ張り出しながら先生が即座に書く用意をする。
なんと答えたらいいものか。
キラキラした世界を作ります。どこの小学生の夢だ。
世界を変えます。夢はでっかく世界征服か。
あれこれ考えて部名のことに考えが行きつく。部名を聞いた当初はなんて酷い名なんだと呆れたものだが、案外これは一言で上手く俺達の活動を表しているのかもしれない。
「世界賛歌、ですかねぇ」
俺の答えを聞いて六ツ木先生は大笑いする。笑いたくなる気持ちもわかるが、正直これはこれで複雑だ。俺はどんな顔をするか思案し、結局無表情でいることを決める。
「私はそういうの大好きなんだけど、それじゃ上が許してくれないのよね」
豪快に笑った後、先生は目尻に浮いた雫を指で拾う。
俺は理念を説明する。世界を楽しめていない人達の世界観を変えること。世界は考えている以上に楽しいところだということを世に知らしめたいこと。
説明し終えた後、先生はしきりにうんうん頷いて、「わかった、上手く書いておきましょう」と言って書類の代筆を提案してくれた。教員がそれでいいのだろうか。なんにせよ、俺としてはとても助かる申し出なのでよろしくお願いした。
離れようとしたとき、先生が不意に言葉を口にする。
「頑張れ、少年」
ウィンク付きである。
正直に白状しよう。不意打ちとは言えど、俺は先生の仕草に一瞬、鼓動が早くなった。教員と生徒ではあるが、異性に向かってこれは卑怯だ。異変を察知されないように平静を装い、そそくさと教員室を退散する。
「青空!」
出てすぐに呼び止められる。後ろを振り返ると梅林先生が立っていた。俺の方へとせかせか歩いてくる。
「俺も応援してるぞ」
肩をポンと叩かれる。それだけなら良かったのだが、梅林先生もウィンク付きだった。異性の後に同性のウィンクを貰っても何も嬉しくないのは言うまでもない。
多少気分が萎えながら俺は教室へと向かう事になった。
思えば、梅林先生はあれを言うためだけにわざわざ俺を追いかけてきたのだろうか。HR後にでも言えばいいものを、あの人は中々にして熱い人である。
社会参加型生徒育成制度が発表された時は両親と一緒に喜んだものだ。俺の成長物語にぴったりの制度ではないかと心が躍った。父さんも新しい政策を打ち出す学校に感心し、母さんも何か面白い事が始まる予感に胸のときめきを隠せないようだった。
俺はこのシステムに乗っかって更に世界を楽しもうと目論んだ。自分の今までしていた事がより大きなもので何かが出来るような予感めいた確信が内に生まれたのだ。
面白い事が出来る。
やってやるさ。
そんな胸の高鳴りを感じた。
それを話すと両親は歳を考えろと言いたくなるぐらいの大はしゃぎ。二人も俺が北鈴に行くことを大賛成したのだ。それからは早かった。社会参加型生徒育成制度の推薦枠に応募し、中学三年の春には進路が決まった。なゆも俺の推薦の話を聞き、一般の枠で北鈴に進学を決めたのだった。未来の事を考え胸を躍らせたが、それも秋には意気が消沈する。今までのやる気なんてどこに行ったのか。俺の世界は崩壊したのだった。
あの時の熱い気持ちなんてすっかり忘れていたものだが、久しぶりに身の内に燻っている何かを感じる。
所謂、ご機嫌というやつで俺は久しぶりに不思議な充実感を覚えたのだった。
教室でなゆに出会って開口一番に不満をぶぅぶぅ言われたが、俺も文句の一つでも言い返したい気持ちを覚えていたので不満に不満を返すことにした。
「なゆ、なんで部活なんて立ち上げたんだよ」
そう、これは確認しておかないといけないことだろう。俺は知らず知らずのうちに自分がとんでもない所に置かれていることを知り、事の発端であるなゆに理由を聞いておきたくなったのだ。
「部長をやってもらえれば、祐くん、前みたいに元気になるかなって思ったから」
強制的で実力行使的である。
「なのに、部長になっても幽霊部員なんだもん。想像と違っちゃった」
予定が外れて残念と舌を出しているが、普通はそうなる。失意の人間に強制して上手くいくわけがない。
自分は不器用で上手くできなかったというなゆだが、最早これには言葉が出てこない。不器用というかそんな問題ではない。やり方を知らないだけじゃないか。これは追々、なゆにやり方ってものを教えてやる必要があるかもしれない。
俺は軽い溜息をつく。
ああ、もう仕方がないな。
これは俺がしっかりとやってやらないとな。
昔のような感覚。子供の頃のように「ああ、もう。なゆは仕方がないな」と笑って、俺がお手本を見せてやるとなゆを引っ張るのだ。
悪くない。
俺は笑う。
「これからはちゃんと部長やってやる」
「うん! 頼りにしてるよ」
先ほどまでの不機嫌はどこへやら。なゆが子供のように大きく頷く。
俺たちが笑い合っている横で白沢がにこにことしている。
「なんだよ」
「いや、幼馴染っていいなぁって」
なんと答えるものか。一瞬言葉に詰まる。友達がいなかったこいつに幼馴染がいないのも想像つく。だからといって、幼馴染なんて存在はこれから作れるものでもない。少し考えて、俺はこう答えた。
「いいだろ? 特権ってやつだ」
白沢が目を丸くする。そうして充分驚いた後、にこりと笑ってみせた。