二十四、見守ってくれていた人たち
「まず、世界賛歌部の活動内容を明確にするとしよう」
「うん!」
なゆの目が心なしかいつもよりキラキラしている。どこか俺に期待を寄せているようなそんな様子に昔を思い出す。昔と言っても、半年前。ついこの間の事だ。俺は半年の間に多くのことを置いてきてしまった。沢山のことを忘れてきてしまった。
「俺の行動理念を参照したと確か言っていたよな?」
なゆがコクコクと頭を上下に振る。
「ということは、だ。父さん母さんの『成長物語』が大本だ。世界の用意した事に果敢に挑戦し、自分の成長と共に世界を楽しむ。今まで俺らがしていたことをそのまま部活へとスライドした」
これにもなゆが頭を上下へと動かす。
「なぁ、これって部活としてやる意味はあるか?」
「え?」
なゆが困ったような不安そうな顔をして見つめてくる。泣き虫なゆだったら泣きそうだな、そんな事を思ったら、案の定なゆの目が潤み始める。自分のした事が何かおかしったのだろうかと不安でたまらなくて仕方がないといった顔だ。
「今まで俺らがしてきた事をそのまま部活動としても何も変わりないじゃないか。部活とするからにはもう少し世界を広げようぜ」
俺は一つの提案をする。
「自分たちだけが世界を楽しむだけで満足なのか?」
だけ、という単語を強調して、にやりと笑ってみせる。
俺の問いに途端、なゆの目がキラキラしだす。俺がこれからとんでもない事を言い出すのをわかっている顔。俺が面白い事を言い出すに違いないって確信している顔。
いいさ、その期待に応えてやる。
「世界を楽しめていない人達を巻き込もう」
俺の言葉が上手く理解できない様子だ。だから俺は言い直す。
「周りにも世界を楽しんでもらおうぜ。俺達だけ世界を楽しむだなんて勿体ないと思わないか? 周りにももっと世界の楽しみ方っていうものを教えてやろうぜ」
俺は、身近にいる「世界が綺麗に見えない人、世界を楽しむことが出来ない人」達を探し、その人たちに世界はもっとキラキラと輝いていて面白いのだという事を説くことを説明する。
俺が両親にそうされたように。
俺も誰かを両親のように応援するのだ。
そうだ、その調子だ。
いいぞ、もっとガンガン行こう。
それで誰かの人生が輝きに満ち溢れたら最高じゃないか。
俺の説明になゆは感嘆の声をあげる。
「うん! 楽しそう!」
そんな声を上げるなゆ自身が既に楽しそうで、喜びに溢れていて。俺はやる気に満ち溢れる。なゆが喜んでくれるのなら、笑ってくれるのならやれる。絶対にやってやる。
とりあえず、今日のところは世界を楽しめていない人探しを明日からするという課題を互いに課して解散する。
この後、俺にバイトが入っていたのだから仕方がない。
いつものように向かうバイトへの道程は全然違う景色のように思える。建物の屋根が並ぶ街並みから田んぼ道、田舎へと移ろいく様は、どこか子供の頃のワクワクを思い起こさせる。小さいころは視界を邪魔する事なく、景色の奥、山々が見える事がどこか楽しかった。どこまでも広がっていく空に胸が高鳴った。
何故か口元に笑みが広がる。
どこか楽しい気持ちを抱えたまま、いつも通りに従業員入口から入り、バイト先のレンタル店へと向かう。途中、擦れ違う顔も名前も知らない別の店舗の従業員に「お疲れ様です」と挨拶を交わす。自分から挨拶をした事でわかったことだが、人というのは案外、挨拶をされれば返すものらしい。自分からアクションを起こせばリアクションがあることに気付き、楽しさが増していく。
案外簡単なものなのかもしれない。
ロッカーに行くと、丁度飲み物を取りに来ていた藤崎さんとばったりと出会う。藤崎さんは俺を一目見て「お?」という顔をする。
「なんですか」
俺はこの人にこの台詞しか言っていない気がする。いつもは鬱陶しく言っていた台詞だが、今日はただ純粋に疑問から出た言葉だ。
「今日の青空、良いじゃん」
良いとは一体何のことなのか。だが、悪い気はしない。いつもなら、こう言われても、またこの人はとか五月蠅いと思うだけだったが、日常と変わった毎日はこんな小さな事でさえも変化をもたらすらしい。
「見方、変えたもんで」
俺の返答に、口元に笑みを浮かべる藤崎さん。その反応を見てやっと今までなんでこの人が目障りで嫌で嫌でしょうがなかったのかを理解する。
この反応は俺と似ている。
頑張ったなゆに対して「良いじゃん」と言って笑う俺。なゆからは俺はこんな風に見えているのだろうか。
成程、同族嫌悪か。
過去へと捨て去った自分がいるような不快感。
俺もまだまだ子供で甘っちょろいガキンチョだってことか。自分で過去の自分を笑う。一段、高見へと行かなければならない。
その後、店長にも同じような反応をされたが、店長はすぐに破顔し、俺の事をにこにこと見つめるだけだった。
死に顔を払拭できたのだろうか。
変化した後の「毎日」はやはりここでも異なった。やる仕事もいつもと全く変わらないのだが、どこか楽しい。一番の大きな理由は客の顔を見るようになったことだろうか。今まで客の顔なんて能面のように捉えて接していたが、注視すればそんなことはない。ここでもマイケルの言った通り、笑顔が笑顔を呼んでいた。こちらが笑顔で接すれば、相手も同じような笑顔を返してくれることに気付いたのだ。客から返ってきた笑顔に更にこちらも気分が良くなる。気分が良くなると楽しくなってくる。
成程、スマイル。
笑え。笑え。
なんだ、簡単なことじゃないか。
始終笑っている俺を藤崎さんと店長はにこやかに見ていた。
帰宅し、玄関を開ける。
いつものようにここには誰もいない。真っ暗な廊下が俺を出迎える。
ふと、「いつもの」を思い出して声を出してみることにする。
「右よし、左よし、オールオッケー。今日も俺は正常だ」
俺は何を言っているのだろう。
こんなことを毎日言っていたのだろうか。
可笑しさが込み上げ、笑いが止まらなくなる。
「あははははは、馬鹿みてぇ」
笑い過ぎて体の力が抜ける。その場に腰を落とし、蹲る。
右に母さんなんているわけがない。
左に父さんなんているわけがない。
それが当たり前で普通な事である。
正常で当たり前じゃないか。
意味もなく呻き声を上げる。
だんだんと自分が笑っているのか呻いているのかわからなくなる。
感覚がなくなっても、俺は、正常だ。
そう、俺は正常なのだ。
異常になれなかったのだ。
その時、俺は、両親が死んで以来、初めて泣いた。
自室へと入り、自作したあいうえお表が目に入る。そうだ、こんなことも俺はしていたのだ。
阿呆らしい。
俺はつかつかと近寄り、音が出るほど勢いよく壁から表を引っ張り剥がす。一回で上手く剥がしきれなかったそれは小刻み良い音を立てながら半分で切れる。丁度良い。俺はそれを機に更に細かく千切り、ゴミ箱へと投げ捨てた。
もう誰かと会話をしたかどうかを思い、声を自発的に出す必要もない。
言葉を知らない幼い子供のように「あいうえお」を練習する必要なんてないのだ。
「掃除」をしたことで思い出す。
このまま冷蔵庫の中の物も処分してしまおう。
今までの俺への決別である。異常でありたかった自分へさよならをするのだ。
居間へ行く途中、一階の両親の部屋が目に入る。
少し思案した後、ドアの前の廊下に座る。
「今、何してんの?」
もちろん、中から返事なんてない。
「息子は今、また立ち上がる途中だぞ」
凄いぞ、祐大!
その調子よ、祐大!
そんな声なんて聞こえてこない。
ふと、また涙が溢れそうになる。なゆの泣き虫が移ったのかもしれない。
世界を閉じていた俺を二人は叱責するだろうか。幻滅させてしまうだろうか。
いや、そんなことをする二人ではない。
二人はきっとこう言うのだ。
“顔をあげてごらん、世界は輝きで満ち溢れているよ”
だから、俺は顔をあげる。
だから、俺は笑ってみせる。
「もう止まらないからさ」
だから、もう大丈夫。
だから、これももう今日で最後だ。
俺はドアに背を向け、居間へと掃除をしに向かった。