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十六、だって、泣いてるから

すっかりマイケルとの会話に夢中になってしまった俺はバイトの時間まで残り少ない事を知り、慌てて飛び出す。恰好が制服のままだが、どうせ平日は学校帰りにそのまま寄っているのだから構うことは無い。

 気づくのが遅れていたら、またバイトのシフトに穴を空けるところだった。昨日の今日でそれはあまりにも酷すぎる。全然大丈夫じゃないじゃないか。そんな藤崎さんの言葉が頭に浮かぶ。ギリギリセーフ。藤崎さんに不名誉な事を言われることもないだろう。

 一息ついて時計を見る。

 午後七時前。

 長い間、マイケルと話していた事に気付く。

 随分話し込んでしまった。

 あまりにも楽しかったものだから。

 久しぶりに聞く両親の話はやはり胸のワクワクが止まらない程に刺激的で魅力的だった。

 仕事場に出て店長に挨拶をする。昨日、あんなことがあった後でどんな顔をされるかと思ったが特に何かがあるわけでもなかった。軽く頷かれる。何の頷きで何の合図なのか図りかねるが、店長なりの意味があるのだろう。今日は、藤崎さんはオフの日らしく、いなかった。何か言われるのではと思っていただけに肩透かしをくらう。

 藤崎さんがいないのなら平平凡凡に仕事がやれそうだ。


 いつも通りに仕事として売り場の整理をする。今日もぐしゃぐしゃに荒らされた棚を見てため息が漏れそうになる。元にあったところに元通りに戻す。そんな簡単なことすら出来ない人がいる。もしかしたら、意図的にしていて嫌がらせを狙っているのかもしれない。何にせよ、嫌な気分になるのは間違いない。

 少しずつ荒らされた場所を戻していく。あいうえお順に並んでいるところにおかしく突っ込まれた別の行のCDを見つけては元の位置を探す。邦楽のものが邦楽の別の行に持っていかれてるのならまだいい方だ。酷いと洋楽のところに邦楽のものがポンと投げ置かれていることがある。そういったものを見ると、ここに置いた奴の頭はおかしいのではないかと苛立ちを覚える。一度手に取ったのはいいものの、やはりいらなくなっただとかで元に戻すのが面倒臭くてその辺に放り投げてしまうのだろう。その辺に捨て置いていい、それらを直すために店員はいるのだと考えているのだ。一度、そんなことを連れに言っている客を見たことがある。憤りを覚えた。確かに店員には売り場を元通りに直すという義務がある。それも仕事の内だ。しかし、だからと言って違う所だとわかっていながらもそこに放置する。それは違うのではないか。それが常識のある人のすることか。苛立ってもそれを客に直接言う事は出来ない。なんといっても相手は客だ。店員から何かを強くいう事は出来ないのだ。客は「お客様」という立場を利用して店員に暴力を振るうのだ。

 今日はCDのコーナーにDVDがケースごと棚に無理やり突っ込まれている。それを見て思わず笑いが零れる。

 なんだこの入れ方は。面倒で途中で放置したなんてレベルでない。最早これは悪質な嫌がらせ、店員への苛めを疑うレベルだ。何をどうすればCDの棚にDVDという別物を置くなんてことが出来るのだ。どこからどう見てもケースの大きさが違う。CDは正方形に近いケースに入っているのに対し、DVDは長方形、まして黒色のケースに入っているというおまけつき。こんなにもわかりやすいものはない。だから、どこに戻せばいいかわからなかったという言い訳なんて出来ない。

 一度手に取ったはいいが、やはり別の物を買いたくなり、予算的にDVDの方がいらなくなったのだろう。だから、別の欲しかったCDの棚に無理やり戻す。またDVDのコーナーに戻るなんて手間をかけたくないのだ。

 そんな面倒という感情で、人への迷惑を考えない。

 最早これは悪意。意図的な悪、それ以外に他ならない。

 だが、これも店員の仕事なのだから店員が直して当然。

 何だそれ。

 ふざけてやがる。

 自分のした事を別の誰かに尻拭いをしてもらう。なんていい加減な世界に生きていやがるんだ。

 沸々とした怒りが湧いてくる。

 こんな適当な世界に生きていて楽しいのだろうか。

「どいつもつまらない世界に生きやがって」

 気づいたら自然とそんなことを漏らしていた。

「祐くんもつまらない世界に生きているよ」

 驚いた。

 後ろを振り返るとなゆが居た。

「なゆ⁉ どうして……」

「サボリ魔発見! 学校休んでバイトには来てるんだから、もう」

 なゆが何故いるのかと驚いたが、よくよく考えれば俺のシフトは学校帰りに間に合う時間からになっているので、なゆが今ここに居ても何ら不思議はない。昨日はバイト先になゆが現れなかったので今日も来ないのだと思っていた。昨日の言い合いが響いたのだと思ったのだが、そうでもないらしい。

「別にどうでもいいだろ」

 なゆには関係ないことだ。

「良くないよ。そうやって人様に迷惑をかける成長物語はしちゃダメだっておじさんおばさんに教わったんでしょう?」

 頭がカっとするのがわかる。

「もう、俺はそんなの止めたんだ。前にそう言ったろ」

「本当に止めちゃうの?」

 呼吸する事を一瞬忘れる。

 止めたんだ。

 だって無意味だったから。

 そんなことをまた強い言葉で言うつもりだった。だが、マイケルの顔が浮かぶ。本当に無意味だったのだろうか。俺は一方の「見方」だけで決めつけてはいないか。

 スマイル。

 笑え。笑え。

 見方を変えろ。

 本当に今見えている世界が全てなのか。

 なゆの見えている世界は一体どんな世界なのだろうか。なゆは「見方」を変えたのだろうか。

「なぁ、なんで嘆かないんだ? なんで泣かいんだよ。いつも泣いていただろ」

 そう、なゆは泣き虫なゆで誰よりも一番に泣く。

 だのに、今回俺の両親と一緒になゆの両親が死んだ後、一度だって泣いているところを見たことがない。この前、俺と喧嘩をした時だって。いつもなら泣くなゆが泣かなかったのだ。

 両親の死、なんて現実にどうして向き合えているんだ。

「辛くないのか」

 苦しくないのか。

 息が出来なくならないのか。

 世界が暗転したような気分にならないか。

 何か支えがないと崩れ落ちてしまいそうにならないのか。

 どうして、そんなに立っていられるんだ。

「私だって辛いよ。……でも、約束したから」

 なゆの口から苦しげに吐き出される言葉。

「約束ってなんだよ」

「忘れちゃった?」

 なゆは悲しそうに笑う。その笑みには力がない。

 そんな表情に、約束を覚えていないことの後ろめたさを感じる。

 俺がなゆと交わした約束。なんだったろうか。

 覚えていない。

 というよりも今まで多くの約束を交わしてきたおかげでなんの約束のことを指しているのかがわからないといった方が正しいかもしれない。

 なゆはなんのことを指しているのだろうか。

 思い出せないが、そんな「約束」というたった一つのことだけで踏みこらえていたのだろうか。

 崩れることなく? 

 世界が崩壊することなく? 

「それは、そんなに大切なものだったのかよ」

 両親が死んだとしても自分で立っていられる程の強い力があったというのか。

 なゆは俺が思っていた以上になゆの両親に対しての思い入れは少なかったのでは、と考えが浮かぶが、その考えをすぐに捨て去る。あのなゆに限ってそれはないだろう。

 なゆの両親も俺の両親同様、よく家を空けておく人たちだった。だから、俺たちはいつも一緒だったのだ。どちらも親がいなかったのだから。両親がいないことをなゆはいつも寂しがって泣いていた。二人が帰ってくると大喜びで嬉し泣きだってしていた。

 そんななゆが両親の死がショックでなかったはずがない。

「大切だよ。とても重要」

 なゆは一度、口を閉じるがすぐにまた開く。

「だって二人して落ち込んじゃったら駄目だよ」

 駄目ってなんだよ。

 そんな程度の理由で、踏ん張れてるっていうのか。

「泣きたくならないのかよ。いつもなゆは泣いてたじゃんか」

「泣きたいよ、凄く。毎日辛いよ。でも、私まで泣いたら誰が祐くんを前のようなキラキラの世界に引っ張りあげるの? それは私がしなくちゃ。だって今は祐くんが泣いているもの」

 そう言って笑う。

 俺が泣いている。

 両親の死後、一度だって涙を流したことなんてない。

 それを親戚達は冷血漢といって批難した。人の両親を忌み嫌っていたというのに、息子が親の死を悲しまないというのには納得がいかないらしい。勝手な奴等である。

 別に悲しくないわけではない。

 悲しみに押し潰されそうなぐらいだ。

 でも何故か涙がでないのだ。

 泣きたくたって、一粒の雫だって流れ落ちない。

 泣こうと思って声をあげたこともあるが、掠れた声が喉奥から捻り出されるだけで、到底外見から泣いているようには見えない状況だった。

 そんな俺が泣いている。

 なんだよ、それ。

「別に、泣いてないだろ」

 声がうまく出てこない。

 音が掠れる。

 何故だか、声が震える。

「泣いてるよ。だってずっと悲しそうな顔をしているもの。地面ばっかり見ているもの。死んだような目をしているもの。祐くんは今、あまりの辛さに泣いているんだよ」

「涙が出てないだろ」

「涙が出なくたって泣くんだよ。それを私は知っているんだよ。だって私は『泣き虫なゆ』だもの」

 何故か少し誇らしげに笑う。

 そこは笑うところじゃないだろ。

 「泣き虫なゆ」とはなゆがいじめられていた時に使われた中傷である。誇らしげに言うことではない。

 俺の呟きはなゆにも聞こえたらしい。

 えへへ、と恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 そうか。なゆは泣き虫だったからこそ、「泣く」ということを知っているのかもしれない。いわば、泣き虫のプロフェッショナルなのだ。プロにかかれば何でもお見通しなのかもしれない。

「やっと祐くん少し元気そうになったね」

 なゆは嬉しそうに言う。

 そうだろうか。俺は死に顔から少し回復したのだろうか。

 今のやり取りだけで? 

「私は、やっぱり駄目だよ。色々私なりに頑張ってみたけど祐くんみたいには出来なかった。どうすれば、また祐くんに元気が戻るのか。世界がキラキラになるのか全然わからなかった。いつも祐くんの隣で見ていたのにね」

 だけど、やっと少しだけできたのかな? そう言ってなゆは小首をかしげてみせる。私は祐くんを少しは引っ張りあげられたのかな? と申し訳なさげにする。

 それで、思い出した。

 そうだ、俺は昔、なゆと約束したのだ。

 あれは出会って少したった頃。

 なゆは俺を羨望の眼差しで見つめながら、「やっぱり、祐くんってすごい!」と俺は落ち込むことがなく、悲しむこともなく何でもできるのだと言った。それを俺は否定した。俺だって両親が死んだりしたらその時は落ち込んでなにもできなくなるに違いないと答えたら、なゆはその時は私が助けてあげると満面の笑みで答えたのだ。

 それが約束。

 本当に昔の小さい頃の話だ。

 なゆだって忘れていたっておかしくない。

 そんな頃のなんてことはないやり取りをなゆは覚えていて、その約束の通り、今度は俺を助けてくれようとしているのか。

 俺のなかで衝撃が走る。

 なんて、俺は馬鹿だったのだろう。

 なんて、俺は不甲斐ないのだろう。

 自分を呪いたくなる。

 なゆは泣かなかったのじゃない。

 声をあげ、涙をながし、泣きたくても泣くに泣けなかったのじゃないか。

 俺との約束を守るために、やり方がわからないなりに俺の模倣をして頑張ってくれていたのだ。

 あの泣き虫が。

 必死に泣くのを堪えて。

 あんなにイライラした俺の模倣。なんのためにしているのか理解できずにいたが、やっと合点が行く。

 本当にそのまま俺を真似ていたのだ。

 その方法しか知らないから。

 不器用なんてレベルではないだろう。どれ程までに馬鹿正直なんだ。

 笑いたくなる衝動。

 そうか。そうなのか。

 スマイル、だな。

 マイケルの言葉が浮かんでくる。

 今日、沢山マイケルと笑ったからだろうか、笑いが笑いを呼んでくれた。

「どうしたの?」

 突然笑う俺になゆがキョトンとする。

「今まで、ごめんな。なゆ。俺ももっと頑張るから」

 俺がそう答えるとなゆは「うん!」と飛びっきりの笑顔で返してくれた。


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